クロックマン
残酷な描写あり、です。
また2000文字ぐらいです。
気がつくとそこは私の部屋。
古い置き時計のごぉんという音を合図に私の耳に時計が流れ込み始める。
チッチチッチというせわしない秒針の音が耳の内外を掻き毟るようになで回している。秒針の駆け足がどんどん近づいてくる。速い。大きい。近い。うるさい。
耳が。耳が。
頭まで参ってしまいそうになる。ごおんという音よりもずっと頭の中に響いている。急かすような駆け足のような秒針の音に耐えられない。体中を掻き毟りたい衝動を抑え込んで、私は膝を抱えた。
*
真面目そうな男に会った。
会ったというよりは、遭った。
そのとき私は住宅街を歩いていた。駅に向かうつもりだったんだと思う。
とにかく、歩いていたらその男に会ったんだ。
男は角を曲がって現れた。
「こんにちは、メアリーさん」
真面目そうな男だった。
知らない人だ。なんで名前を知られているのだろう。私は戸惑った返事をする。
「はぁ、こんにちは」
男は真面目そうな装いをしていた。
ぴしっとしたスーツを着ていて、細長いスラックスの先には磨かれた革靴を履いて。髪も几帳面になでつけられていて、少しポマードの匂いがした。もちろん、かけているのは四角い銀縁メガネ。その下には締まった表情。
好みが分かれるタイプだな、と思った。
ちなみに私は好みじゃない。嫌いでもないけど。
男は名乗る。
「今日からあなたの時間を管理させていただく者です。クロックマンとお呼びください」
「……」
「何か質問や、言いたいことなどございませんか?」
あんた誰だよ。呼び名であって名前じゃないのかよ。目的は何だよ。新手のストーカーですか。何なんですか。……正直、言いたいことは山積みだった。
でも、
「プラグ・イン!」
これが一番言いたかった。
そのネーミング、どう考えてもギリギリでしょ!
「……えっと…………どうかなさいましたか?」
冗談が通じないタイプみたいだった。
もしくは初期派とか。
この人と関わるなら距離感が大変そうだ。
*
あのあとすぐにクロックマンを交番へ連れていったのだけど、お巡りさんには彼の姿が見えないらしく、逆に私が不審がられ、幽霊に憑かれたんじゃないかなーなんてことを思い、教会とかお寺とか神社とかを巡ってみたが、彼らにも見えないらしかった。ちょっとショック。特に、妙にぽわぽわしたかわいい巫女さんに精神科を紹介された時はショックだった。
幻覚ですか。
幻覚か……。
それにしては、よく喋る幻覚んだよなあ。
「さて、これから一時間は数学の勉強ですね。問題集を五ページ終わらせる予定ですよ。ちなみにその後三十分休憩をとり、それから一時間は英語の勉強です」
クロックマンは、目に見えるだけじゃなく喋って動き回ってして私の時間を管理する。まるで本当にここにいるみたいにして。
計画を立てて物事をこなすのは決して悪い事じゃないのに、むしろいいことなのに、なんだか気分が悪い。
慣れればいいのだろうけれど、いきなり慣れることはできない。それじゃあ慣れるとは言えない。ただ出来るだけだ。
慣れるまで時間がかかりそうなのに、このクロックマンとかいう幻覚はなかなかに厳格だ。
「もう疲れた。今日はもう無理だよ」
「いいやダメです。学生たるもの平日は五時間以上、休日は十時間以上勉強しないといけません」
「それが出来るようになるまでは時間がかかるんだよ」
「あなたのやる気がないからじゃありませんか? やる気があれば何が何でもそれをこなすでしょうに」
「やる気がなかったらそもそも勉強なんかしない」
「じゃあやる気が足りないのです。学生としての自覚も足りていません」
「はいそうだね」
「はい、じゃあやりましょう。これから一時間は化学の問題演習と暗記です。問題集の72ページを開いてください」
こんなかんじのやり取りを何度もした。自分がひどくダメな人間であるという事だけが頭に残って、元から持っていたのに更にやらなくちゃという観念を植え付けられた。
やる気だけがついてこない。
私は私が思っていたよりもずっと怠慢な人間のようだった。
努力は当然で、結果が目に見えて良くならなければ何も評価されず、管理された時間だけがすぎていく。
*
気がつくと頭を掻きむしっていた。
そうしなければ気が済まなかった。手が勝手に動いたし、痛いと思いながらも私はそれを受け入れた。
思えばそれはSOSだったのかもしれない。私の思いが正直に勝手に表へ出ていた。
でも周囲は何も気にしなかった。
当然、一番そばにいるクロックマンも。
「大丈夫ですか」
「何が」
「わからないところがあるのなら……」
SOSなんか発信した自分がすごく馬鹿馬鹿しくまた惨めに思えた。
私は机に向かおうとした。
何も出来なかった。
頭は完全にストップしていたからろくに物も考えられなかったし、なんにしてもダメ。何も出来ない。
「どうしました? 手が止まってますよ?」
私は持っていたペンをくるりと回し、逆手に握った。
「■■■■■■■■■■!!」
自分でも驚くほど慣れた手つきだなあ、なんてことを思って、そういえばここ数日の夢の中でもさっきまでの脳内でも同じシミュレーションをしていたと思い直す。
クロックマンは攪拌された眼球からぐちゃぐちゃと物を溢れさせて仰向けに倒れている。ざまあ見ろだ。
その胴体にボールペンを何本か突き立てて、ついでに唾を吐いて、私は家を抜け出した。
*
町をあてもなく歩いていたら、曲がり角から血塗れの男が現れた。
クロックマンだった。
チッチチッチと一定間隔でせわしなく鳴らす舌打ち。彼は左右の手で短い針と長い針を握っていた。
直感した。
殺される!!
「■■■■■■■■■■!!」
私は何事かわからない何事かを叫んで走り出した。
全力ダッシュ。わけがわからなくて目から涙が溢れていた。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。殺される!!
やめてほしい。こんなの。追いかけ回されるのは小さい頃から苦手なんだ。
逃げ場のない私は行く先無くでたらめに走り回るしかない。
まるで悪夢だ。
*
絶叫していた。
「来ないで!」
私は泣きながら叫んでいるから声も表情も最悪で、死にそうだった。
短い針と長い針をぐるぐる回してクロックマンは近づいてくる。あの針で私も両目をぐりぐりされて殺されるのだろう。嫌だ。怖い。怖い。怖い。
後ずさった私は足を踏み外した。
死因:転落死
精神的に問題を抱えた少女は自殺と診断されましたとさ。




