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ゲーム  作者: 神藤聡
6/8

プレゼント

 誕生日を二日後に控えた水曜日、私はまた本社1階のロビーに向かっていた。すでにキタガワは待ち合わせ場所にいて、吹き抜けになっている壁面に寄りかかり腕を組んで片足で立っていた。

 彼はいつも薄いグレーのストライプのスーツを着ていて、さらに髪の色を茶色く染めているのもあいまって、そのスタイルは決して真面目そうなサラリーマンには見えなかったが、不思議と彼によく似合っていた。だいたいエンジニアを集めた会社なので、私服でもさほど問題にならないのだ。開発系の部署なら、よっぽどおかしな格好でなければ、とがめられるということもそうそうない。

 私はわざと彼に気づかないふりをして彼の目の前を通り過ぎてみせた。おいおいおい、とふざけた調子で彼が追いかけてきたので、私は振り返ってにやりと笑った。キタガワも笑った。


 「今日はどうしたの?」


 私から誘うのはもしかしたら初めてのことかもしれない。しかしキタガワはそんなことには気づいていないんじゃないかと私は思っていたが、そうでもないらしい。


 「CDを返そうと思って」

 

 私がなるべくなんでもないことのようにそう言うと、彼は、いつでもよかったのにー、と少し大げさなアクションで言った。それからいつものようにすたすたと前を歩き始めたので、私はキタガワの少し後ろについて歩いた。5分ほど歩いて、1軒の居酒屋に入る。


 その店は私もキタガワも気に入っていたので、過去に何度か来た事があった。2人とも、その焼き鳥屋のレバーが好きで、いつものようにまず飲み物とレバーを頼んだ。鶏レバーは炭火でさっとあぶった程度に火を通しただけで、ほとんど生に近いのだが、レバーが苦手な人も食べられるほど食べやすかった。

 私たちは乾杯をし、すぐに運ばれてきた鶏レバーを口にした。私は、やっぱ旨いよね、と言い、うんうん、とうなずきながらキタガワも串にかぶりついている。レバーはいつものようにやわらかく肉厚だったが、お腹がすいていたからか、いつもよりも少しだけ、さらに美味しく感じた。

 次の注文をしたあと、私がカバンからCDを取り出すと、彼はさっそく、どうだった?と感想を聞いた。私はそのころすっかりアジカンにハマってしまっていて、毎日のように聴いていたのだ。正直にそれを伝えると、彼はさも嬉しそうに、あははははと笑った。


 「オレも今そのアルバムはヘビーローテーションだね。2曲目、いいでしょ」

 「私は4曲目がいいと思ったな」

 「4曲目?なんてタイトルだっけ」

 「えっ、毎日聴いてるのにタイトル知らないの?」

 「そんなのいちいち覚えないよ」

 「ええええ」


 彼はいつも、大きく口を開けて心のそこから楽しそうに笑った。顔も性格も、彼は決して私の好みのタイプではなかったが、笑うと可愛いのに、と私はつられて笑いながら思った。この人を好きになるということはありえるだろうか?とふと思いついたが、私はすぐにその考えを否定した。もう知り合って4年目になるのに、何をいまさら、という気がしたのだ。しかし実は自分も相当嬉しそうな顔をしていることには気づいていた。私はなんとなくキタガワから目をそらしうつむいた。

 どうかしている。確かにその日、キタガワがいつもと少し違う感じがしたのだ。でも、悪くない、と私は思った。キタガワとこんなふうに楽しいのも、悪くない。でも、いつからこんなに楽しくなったんだろう。もしかして、いつもと違うのはキタガワではなくて、私自身なのかもしれない。どちらにしろ、彼がそれに気づいてないといいと思った。

 私たちはいつものようにとりとめのない話ばかりして、笑いあった。


 「そういえば、付き合ってないけど別れた女の子とは、その後どうしたの?」

 「どうしたって?特に連絡は来てないよ。来ても無視だけど」

 「そっか。諦めたんだね。」

 「あ、そういえば別れ話をした次の日にメールが来たな。パソコンの方に。すげー長いヤツが」

 「へぇ。今までありがとう、みたいな?」

 「いや、そんなキレイな内容じゃなかったな。オレ、優しい言葉とか言えないから、別れ際にたぶんけっこうキツイこと言ったんだと思う。興味があるなら読む?送るよ」

 「いやいや、いいよ。そんなの読めないし読みたくもないよ」

 「そのメールの最後の方にさ、もしまた会いたくなったら連絡して、みたいなの書いてあったけどさ、ありえないね。二度と連絡するかっての」


 キタガワの、正直すぎる言葉に私は苦笑いするしかなかったが、しかしこの人はどうしてこんなに生々しい感情を私にぶつけるのだろう、と私は少し前から不思議に思っていた。

 確かに男友達ばかりの中で生きてきた私は、男性の本音や本性の部分を否応なく見せられる機会が多く、世間的に善しとされるフェミニズムのようなものは、実はあくまで建前でしかないというのを本能的に知っていた。しかしキタガワは、私をまったく女性として見ていないようにさえ感じていた。それは私という人間性によるものか、それともキタガワがもともとそういう男なのか。私はいまだに量りかねていた。


 その日、もう終演の時間になったころ、彼は突然カバンの中からキレイにラッピングされた紙袋を取り出し、私の目の前に置いた。私はそれが何なのかまったくわからずに、また何か貸してくれるのかと首をかしげた。

 

 「これは何?」

 「誕生日プレゼントだよ」


 キタガワは少し照れたようにそう答えた。私が驚いて顔を上げると、今度はにやりと笑った。


 「えっ?なんで?」


 そういえばもうすぐ誕生日だった、と私は思い出した。でもなんでキタガワが自分の誕生日を知っているのだろう。私はさっぱりわけがわからなかった。


 「私、もうすぐ誕生日なんて言ったっけ」

 「この前言ってたじゃん!忘れたの?てっきり何か期待されてるんだと思ってたよ」

 「えっ、マジで言ったの私?うわーごめん、ぜんぜん覚えてない」


 言われてみればそんな話もしたような気がする。しかし私はそれまで、恋人以外の男性からプレゼントをもらったことがなかった。男友達が誕生日にプレゼントをくれるなんてありえないと思っていたから、たぶんその話をしたときも本当に期待していなかっただろう。思春期時代を男友達の中で過ごした私にとっては、友達同士でのプレゼント交換なんて、テレビの中の世界だ。そのくらい非現実だった。だいたい、男友達同士でプレゼントをやり取りするなんて、聞いたこともない。

 袋を開けながら、私はすごくどきどきした。今自分に何が起こっているのかもわからなくなりそうだ。キタガワは私にとって後輩であり友人だ。にもかかわらず、私とキタガワの間にいったいどんな化学反応が起こって、このプレゼントが発生したというんだろう。その紙包みの中からは、とても小さなバッグが出てきた。

 

 「いや、ホントは期待されたからって言うわけじゃなくてね、この前のお礼なんだ」


 キタガワがそう言ったのが、遠くの方で聞こえた。私は自分が何か彼にお礼を言われるようなことをしたつもりがなかったので、何のお礼なのかがわからない。とりあえず受け取るべきなのだろうか?と私はその小さなバッグを見つめながら、ぼんやりとしていた。冷静に何かを考えようとしているのだが、何を考えてよいのかもわからない。ただびっくりして、嬉しいと言えば嬉しいのだが、どうしていいのかわからなかった。お返しをしようにも、キタガワの誕生日はまだ当分先だ。とにかく何か言わなければ。

 ラッピングを丁寧にあけると、かわいらしいポーチのようなバッグが出てきた。


 「・・・かわいいねコレ」


 正直な感想を言うと、キタガワは、でしょー、と言って大げさに喜んだ。その小さなポシェットサイズのPUMAのバッグは、それほど高価なものではなさそうだった。そう、ちょうど女友達とのプレゼント交換にはちょうど良いくらいのサイズ。かといってやっぱりなんとも思っていない女友達に、男性が誕生日プレゼントをあげたりするものなのだろうか、と少し冷静になって、しばし私は考えをめぐらせた。そんな男は過去に会ったことがなかった。いや、そういえば一度だけ、女の子みたいなしゃべり方で、実際に女友達がたくさんいるというヤツから、誕生日にちょっとしたものをもらったことがある気もする。しかしある意味で女性より女性らしかったその男と、キタガワという男は似ても似つかない。


 「で、お礼ってなんの?」


 しばらくそのプレゼントを見つめた後、私は聞いた。


 「今日仕事で大井町に用があってね」


 キタガワは私の質問には答えなかった。私は黙ってその先を待った。


 「大井町に行って来たんだけど、大井町の駅ビルの中にスポーツ用品店があってね、そこの女性の店員さんにね、尊敬する女性の先輩に何かプレゼントをしたいんだけど、何がいいですかね、って聞いたんだ。でもその先輩は彼氏がいるので迷惑にならないようなものがいいです、って言ってね。そしたらそばにそれがあったんだよ。それでね、これだったら迷惑にならないですか、ってその店員さんに聞いたら、良いと思いますよって言ってくれたからそれにしたんだけど、そんなに高いものでもないからね、気にしなくていいよ」

 

 と、結局彼は私の質問には答えずに、そのプレゼントを購入したいきさつを嬉々として語った。その様子があまりに無邪気だったので、私は、彼が何か見返りを期待しているわけではないことを察した。それから、彼の中でも私はちゃんと先輩であり友人ということになっているらしい。私はだいぶほっとした。それから、また少しがっかりしている自分に戸惑った。お礼と言っているのはこの前の電話のことだろうか。


 「ハギさんがいなかったら、オレ、あのままズルズルしてたと思うから」


 私はようやく、心底嬉しくなった。私はお礼を言われるほどのことをしたのだ。そのプレゼントは、本当の意味での「プレゼント」だった。


 「気を使ってもらって返って悪かったねぇ」

 「いいよいいよ、ホントに感謝してるんだ。海老で鯛を釣ろうなんて思ってないから大丈夫」


 彼はおどけてみせたが、私はなるべく心から「ありがとう」と言って、それをカバンにしまった。


 帰りの電車の中、おもむろにカバンのチャックを開け、私はその存在を確認するように中に入っている小さなバッグを見つめた。お財布と携帯を入れたらいっぱいになりそうな、本当に小さなバッグだった。それは私のカバンの中に、こじんまりと含まれていた。私はまた嬉しくなってしまっていたが、にやつかないようにわざわざ眉間にしわを寄せてチャックを閉めた。

 このプレゼントを英一が見たらどう思うだろうか。でも、カバンの中に小さなカバンが入っていたとして、真っ先にそれを誰かからのプレゼントだと思う人はそれほど多くないだろう。私は、ラッピングの紙袋をなるべく小さくたたみ、その小さなPUMAが入っている場所とは別なポケットにわざわざ入れた。

 確かにアクセサリーなどの身に着けるものならまだしも、一見ポシェットのようなバッグだったから、自分で買ったといえばそれで済むことだった。そのとき確かに私は、お昼休みに財布を入れて持ち歩けるほどの小さなカバンが欲しいと思っていたのだ。


 ふと、なんで隠さなければいけないんだろうな、と私はまた憂鬱になった。英一に言わせれば、男が女にプレゼントをする理由は一つだった。私はそれをよく知っていた。もしかしたら、世間的には、英一のように思っている男性の方がずっと多いのかもしれない。

 でもこれはただの「お礼」だ。私はキタガワの少し照れたように笑った顔を思い出した。それは、今までどんな恋人にもらったプレゼントよりも、ずっと嬉しかったのだ。

 各駅停車の東横線は、すでに菊名の駅を発車していた。窓の外には、閑静な住宅街の景色が流れていった。


 誕生日当日、私は英一の部屋にいた。その日は金曜だったので、仕事が終わった足でそのまま直行したのだ。

 私たちは関内駅で待ち合わせをして、近くのレストランで夕食を取った。英一はわざわざ前日にそのレストランを予約したらしかったが、フランス料理を食べさせるその店に入るとき、私は、今日あまりカジュアルすぎない格好をしていてよかった、と思った。

 フレンチフルコースは値段の分だけ美味しかったが、ワインの味はあまりよくわからないので、グラス1杯だけ頂いて、それでも少し千鳥足になりながら、私たちは店を出て英一の部屋に向かった。部屋に入ると浴槽に湯を張り、いっぱいになるのを待つ間、壁によりかかってぼんやりしていると、英一がキスをしてきた。私はされるがままになった。


 夜、キタガワからメールが来ていた。お風呂から上がって、テーブルの上の携帯の着信ランプが新着メールの存在を知らせているのに気づいた。シンプルに、『誕生日おめでとう』という内容のメールだった。着信から15分ほど経っていた。

 私はなんとなくそのメールには返事をせずに、携帯を閉じて鞄に入れた。英一はその様子をなんとなく見ていたらしく、私のカバンの中に入っている、小さなPUMAのバッグを見つけた。


 「それ、かわいいね。そんなの持ってたっけ」


 英一が何気なくそう言って、私は一瞬どきっとしたが、


 「あぁこれ、後輩にもらったの」


と、なるべくなんでもないことのように、そう言った。もらったのは、嘘じゃない。でもそれは大したことじゃないのだ。これはあくまで「お礼」であり、英一が心配するような「何か」はそこに存在し得ないのだ。ただ、それを英一が納得するように説明するのは、並大抵の努力じゃ済まされないだろう、と私は瞬時に判断した。それは価値観を変えるに等しい作業だ。その努力を費やすだけのモチベーションは、私にはもうない。

 英一の顔色が曇った。


 「後輩って、男?」


 とっさに私は少し笑って、女の子だよ、と言った。英一に嘘をつくのなんて、もうすっかり慣れっこだった。そうか、と言って恥ずかしそうに英一が笑った。

 


 次の日、私と英一は久しぶりにデートをした。

 英一はあまり外出するのが好きではなかったので、付き合い始めのころからずっと、あまりデートらしいデートをしたことがなかった。カラオケに行くとか、買い物に行くとかいうことはたまにはあったが、それらもほとんどを自宅のそばで済ませた。一度だけ、一泊二日の旅行をしたことがあったが、それはあまり楽しい思い出ではなかった。私はふとしたことで機嫌の悪くなる英一に気を使い、非日常を楽しむ、というリラックスした気分にはなれなかった。どうしたらその旅行を楽しむことができたのか、実はいまだにわからないのだ。


 その日私たちは、普通の同世代のカップルがするように、買い物をしたり食事をしたりした。英一が優しかったので、私は自分が愛されていて、とても幸せな存在だと勘違いできる気さえした。小春日和の中、穏やかな時間が流れていた。


 週末の間、私はキタガワから来たメールに対して、返事をするのをすっかり忘れてしまっていた。本当は英一が見ていないときにでも、こっそり返事をしようと思っていたのだが、私は後で返そうと思ったメールはたいがい忘れる性格だ。そのうえ、その日はいつもよりも少し特別な日で、自分の身に起こったいろんなことを、全て忘れることができるような気さえしていた。

 週末の横浜駅は相変わらず人が多く、どこに行っても人の気配がなくなることはなかった。私たちは、他のカップルがそうするように、ずっと手をつないで歩いていた。西口に出て空を見上げると、今にも雨が降りそうな曇り空だった。



 翌週、私はキタガワに誘われて、また1階のロビーに立っていた。ここのところ毎週のように飲みに行っていたので、多少出費はかさんでいたが、それでも誘われると断れずに、むしろ嬉々として誘いにのった。

 その日キタガワは、誕生日にメールをしたのに返事が来なかったので淋しかった、と私に言った。彼はいつものふざけた調子だったが、そのセリフがあまり彼らしくないような気がして、私は少し心が痛んだ。それで、英一の部屋にいたことを正直に明かした。

 

 「そうだろうと思ったよ」

 

と彼は言った。私はなぜかとても申し訳ない気持ちになった。キタガワには偉そうに説教じみたことを言った自分が、結局キタガワとそう変わらないことをしているということについて、恥ずかしいような後ろめたいような、嫌な気持ちにもなった。


 「それで、ハギさんは彼とずっと付き合っていくの?」


 めずらしくキタガワが私に聞いた。私は、その質問にどう答えて良いかわからずに、うーん、とうなった。


 「ちゃんと別れてあげないと、彼がかわいそうだよ」


と、彼はいつになく真剣にそう言った。私はとっさに言い訳をしようとしたが、うまく言葉が出てこなかった。"時期"が来るまでは、とも思っていたが、じゃあその"時期"はいつなんだと聞かれるとよくわからなかった。私はただ、そうなんだけど、と言葉を濁した。何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう、という気がした。


 「好きかって聞かれると、よくわからないんだけど」


 もう潮時なのかもしれない、と私は唐突に思った。少なくとも、私は英一を求めていない。ただ、それだけのことだ。そんな簡単なことを、どうして今まで認めようとしなかったのだろう。


 「オレは別れたよ。だってハギさんが教えてくれたから」


 キタガワがそう言った。私はやっと、自分の心を見つけた気がした。少しすっきりした気分になって、「そうだね」と心から言った。そうでしょ、といつもの調子でキタガワが言って、ははは、と私は笑った。本当に可笑しくなって、お腹の底から笑っていると、キタガワはそんな私を不思議そうに見つめた。


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