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ゲーム  作者: 神藤聡
5/8

アジカン

 あれからまた少し月日が流れた。

 ある日英一は私に、「よりを戻したい」と言った。それは割りと突然の出来事だった。別れてから、2ヶ月くらいは経っていたと思う。私は今のままの関係がずるずると続くのかと思っていたので、英一がきちんとけじめらしきものをつけようとしていたことに驚いた。しかし、考えてみればまっとうな英一のことだから、中途半端な関係を続けるのは、彼にとっても苦痛だっただろう。2ヶ月、という時間が長いか短いかは、人それぞれだが、しかし、一般的には、それは喜ばしいことなんじゃないかと思う。

 あの日、クミをタクシーに乗せたあと、いろんなことを思い出したんだ、と英一は言った。


 「クミと一緒にテレビゲームをしたこととか、クミが作ったご飯の味とか、そういうのを思い出したら、会いたくなってさ。何日かガマンしたんだけど、つい電話しちゃったんだよ」


 英一はさも恥ずかしそうにそう言い、私は複雑な思いでそれを聞いていた。言ったあと、私の部屋のベッドに腰掛けていた英一は、そばにあったクッションに顔をうずめた。そして、照れくさそうに笑った。私は床に座ったまま、英一の次の言葉を待った。遠くの方で、小さな笑い声が聞こえた。それは音量を小さくしたテレビの音だった。バラエティ番組では、2人の芸人が漫才をしている。

 ふと、英一が別れ話のときに話した、「営業の女の子」について思い出した。私は、よっぽどそれについて問いただそうかと思ったし、あるいは、一般的には、そうするのが自然の流れのような気がした。確かに、それを確認してからよりを戻すのが、この状況においては筋のような気がする。しかし、その後彼女と英一の関係がどうなっているのかなんて、自分にとってはまったくどうでもいいのだった。どうでもいい?本当にどうでもいいんだとしたら、それがなぜなのか、私はさっぱりわからなくなっていた。わからないのは、自分が一体どうしたいのか、ということだった。

 最終的に、私は何も口にすることができなかった。うん、と私はただうなづいていた。床の上に敷いたクッションの上にひざを曲げて座った状態で、英一の抱えているクッションの模様を、ぼんやりと眺めていた。私の笑顔は、ちゃんと嬉しそうに見えるだろうか。よりを戻したい、と思っているように見えるだろうか。少なくとも、英一は私が喜ぶのを期待しているはずだ。


 「いいよ。」


 私は少し笑って、そう答えた。そう答えるしかないように思えた。



 そういうわけで、あの日のことはほぼ「なかったこと」になった。とはいえ、よりを戻すという"契約"の前も後も、私たちの行動はあまり変わらないだろう。私はふと、付き合っているという契約があろうがなかろうが、やってることは同じなんだから今のままでいいじゃん、と言ったキタガワの電話を思い出した。


 今日は金曜だったので、夜は英一の部屋にいた。テレビを見ていると、すぐ近くにおいていた携帯がマナーモードのために振動する音が聞こえた。私は英一の部屋にいる間、たいがいはマナーモード設定にしていた。それは、英一を心配させないため、の1つの手段ではあった。別にやましいことなんて一つもなかったし、来た電話やメールを隠すつもりはなかったが、あまり頻繁に音が鳴ると、英一は眉間にしわを寄せた。そして決まって嫌味を言った。


 「友達が多いんだな」


 私は、そう言ったあとの英一の横顔が、とても苦手だった。それは英一自身に友達が少ないことへのひがみなのか、あるいは私の友達に対する警戒心なのか、私はいつも量りかねた。英一は、私にとても男友達が多いことを知っている。付き合い始めた頃、そうなっている理由を私は一応説明したが、頭で納得したからといって感情がそれについてくるというわけではないのだ。

 ゲームに夢中になっている英一の様子を見て、そっとメールボックスを開くと、キタガワからだった。


 「アジカンのライブに行かない?」


 当時ファーストアルバムを出したばかりのアジカンは、まだそれほど世間に認知されている存在ではなかったので、それほど音楽に詳しいわけではない私は、もちろんその名を知らない。アジカン?と私は思った。携帯を見つめたまま、その4文字のカタカナが意味する存在について考えてみた。あるいは、自分が過去にその文字をどこかで一瞬でも見かけたことがあるかどうか、自分の脳内の記憶の糸を辿った。結論として、自分はそれを知らない、というところにたどり着くまでに、たぶん3秒か4秒かかったと思う。


 「アジカンてなに?」


 知らないと言う結論にたどり着いたので、何か冗談を返そうかとも思ったが、しかし英一の部屋にいるのでなるべく早くやり取りを終わらせなければいけなかった。いつものように、キタガワはすぐに返信してきた。それは機械的な速さだった。私はふと、もしかしてこの人は寂しいんじゃなかろうか、と思った。

 返信メールの内容によると、アジカンとはASIAN KUNG-FU GENERATIONの略だと言う。あまり意味のなさそうな単語の羅列。それは英語のように見えて、確実に日本人によって命名されたとわかる単語の並びである。そんな和製英語を作ることができるのは、世界中で日本人くらいだと思う。

 とにかく、見たことも聞いたこともないそのアーティスト名を見つめながら、しばし考えをめぐらせた。そして、インディーズかまたはキタガワの友人が趣味でやっているような無名バンドが、小さなライブハウスの中で一部のファンだけが盛り上がる中、あまり上手でない演奏をしているような図を想像した。実際に、昔付き合っていた男の趣味に付き合って、そういうライブへ何度か出かけたことがあったのだ。

 私は、そんな個人的なライブに、キタガワと2人で繰り出すシーンについて妄想を重ねた。薄暗い小さな箱の中に、数人の熱心なファンと、会場の後ろの方で音楽なんてどうでも良さそうに話を続ける若者。大きすぎる音がゆえにことさら不快に感じる未成熟な音。所在無く立ちすくむ自分。私の隣に立ってその音楽らしきものを聴いているキタガワ。

 私は、どんな理由でそのイベントを断ろうか、少しの間考えていた。行くという選択肢は、ほとんどないに等しかった。あとは、断る理由を探すだけだ。そんな個人的なライブがどういうものか、少しは知っているつもりだったので、いくら相手がキタガワとはいえ、特に好意があるわけでもない相手と行くのは少しキツい。

 相手がキタガワじゃなぁ。本心ではそう思いつつ、他の断る理由を探す。


 「ライブの日程はいつ?」


 念のため、日時を確認した。


 「あさっての日曜」


 そんな急な話、と私は少々驚いて、つまりチケットが余ったんだな、とやむを得ず私を誘った彼の事情を察した。なるほどね。きっと一緒に行く予定だった友人にキャンセルされたとかで、他に誘える友人もいなかったのだろう。やれやれ、と私は思った。私はいったい何にがっかりしている?

 ゲームに夢中になったままの英一の横顔を盗み見て、私はその誘いを丁重にお断りした。

 その代わりと言ってはなんだが、後日その「アジカン」が出しているアルバムを、キタガワが貸してくれるということになった。本当のことを言えばあまり期待していなかったのだが、彼らの音楽を聴きもしないで否定する筋合いは、私にはないと思ったのも本当だ。そこまでやり取りをして、私はキタガワとのメールの応酬を打ち切った。

 やり取りが終わったあとで、そういえばキタガワとメールをする頻度が増えたな、とふと思った。


 私が携帯を置くのとほぼ同じタイミングで、ウィニングイレブンを二ゲームやり終えた英一が、


「誰とメールしてたの?」


と聞いてきた。私は正直に、後輩にライブに行かないかと誘われたが断った、と話した。英一は満足げに、そうか、と言った。


「ライブか。楽しそうだな。週末?行ってくればいいじゃん」

「ん・・・知らないし。アジカン。」

「アジカン?何それ」


 英一は私が英一に気を使ったと思っているようだった。別に英一のために断ったわけでもないんだけど、と私は思って、でもそれは言わなかった。言ってどうなるものでもなかった。英一の機嫌が少し悪くなるだけだ。


 だいちゃんのことは、英一にも一通り話していた。それはもう終わったことだったので、話したところで何も変わらない。しかし、英一は私に多少の不信感を抱いているようだった。その不信感は、私に、というよりは、私の周囲の男友達に対してかもしれない。無理も無い。私にとっての友達は、英一にとっては赤の他人なのだ。信用するにも理由が無かった。

 私は過去に、私の男友達が原因で何度かそのとき付き合っていた男とケンカをしたことがある。しかし長い付き合いの男友達たちとの関係を、たった一人の恋人の存在によって断つことなどしたくなかったから、基本的には彼氏側に受け入れてもらうというスタンスを取っていた。英一の気持ちは理解できたが、あえて英一の不安を解消するような何か対策を講じたりすることはしなかった。もし以前だったら、もう少し気を使ったかもしれない。しかしどちらかというと、ただ面倒だったのだ。

 私はもう、いろんなことがどうでもよくなっていた。英一が自分から離れようが離れまいが、どっちでもよかった。英一が勝手に私から離れて行ってくれるのなら、それはそれでかまわなかったが、しかし自分から別れ話をするのは、果てしなく面倒だった。



 約束どおり、後日、私とキタガワはCDのために再会した。

 いつものとおり1階のロビーで待っていると、いつものとおり彼はエレベーターから登場した。私は、相変わらずふてぶてしい、と、歩いてくるキタガワを見て思った。


 「よぅ」


といつものとおり、いかにも慣れ慣れしい感じで彼が腕をあげたので、私もとりあえず腕を上げた。


 「その後、どう?」

 「んー、ぼちぼち」


適当に会話しつつ、私たちはその日食事をする店を決めた。彼も私もそれほどお酒を飲むわけではないから、居酒屋に入ったとしてもメインは食事だった。

 結局その日は、駅の南側に最近出来たばかりの和風居酒屋に入った。二名様ですね、と店員が言い、テーブル席に案内してくれた。向かい合って座るのは久しぶりのような気がして、私はキタガワの方を見れずに、カバンを肩から下ろしながらきょろきょろと周りを見渡した。

 とりあえず飲み物を注文すると、彼はさっそく話し始めた。


 「別れたよ。」

 「・・・何の話?」

 「別れたっつーか、付き合ってないから別れたっていうのはおかしいかもしれないけど、もう会わないって言った」


 それは先日電話で相談を受けた女の話だった。彼が突然話し始めるので、私は最初何のことだかわからなかったが、キタガワが電話の話をしたので、私は思い出すことができた。それで良かったと思うよ、と私は言った。私は本当に良かったと思ったので、心からそう言った。


 「ハギさんにはっきり言われたことがさー、すげーオレの胸に響いたんだよ。ズーンって。それで、あぁオレちゃんとしなきゃと思って」

 「・・・はっきり言われた?なんか私そんな重要なこと言ったっけ?」

 「えー、もう忘れたの?オレが言った言葉そっくりそのまま返してくれたじゃん」


 私は少し苦笑いした。そんなふうにきちんと伝わっているとは思っていなかったのだ。私はただ、思ったことをそのまま言っただけだった。どちらかというとぶしつけで不遠慮な、ストレートすぎる言葉だったようにも思えた。友達に対して、そんなふうに直球を投げるということを、私は普段あまりしたことがなかった。

 しかし彼は落ち込むでもなく受け止めて、ちゃんと吸収したようだ。彼はいつものふざけた調子だったが、でも私は彼が見た目ほどふざけていないことを知っていた。彼は実は、いたって真面目にそう言っているのだ。真面目すぎて、ちょっと的を外すだけだ。正論過ぎて、理解されないだけだ。不器用な人、と私は思った。


 「よかったねぇ」


私は心からそう言い、あのとき電話で自分が言った言葉と、そのときキタガワに対して感じた苛立ちをふいに思い出して、ふふふ、と笑った。


 「ハギさんのおかげで、別れたらずいぶんすっきりしたよ」


とキタガワはせいせいしたように言った。私は少し恥ずかしくなって、話を変えようと思った。


 「ところで、電話くれたことなんか今までなかったのに、なんで私に?」

 「ん?他にいなかったんだよ。そんな話ができる女性って、ハギさんくらいしかいないんだ」


 そういうと、彼は半分くらい残っていたビールを飲み干した。それから、店員を呼んで、おかわり、と言った。2杯目、と私は思った。

 キタガワにとって、私は相談相手としてそれなりに重要な存在であるらしい。それは純粋に嬉しいし、信用されているという安心感がある。信頼すなわち安心感。素晴らしい。それこそ私が求めていた、友達と呼べる関係じゃないだろうか?それは、男とか女とか、そういうのとは違う次元の話だ。

 そういえばそういう友達って、あんまりいないな、と私は思った。男友達というのは、バランスの良い距離をとるのがとても難しいのだ。


 しかしその日私はなんとなく、自分のことについてはあまりキタガワには話さなかった。牛角の日以降、私と英一の関係が相変わらずであることはなんとなく伝わっていただろうが、彼はあまり聞こうとはしなかったし、もともと自分が話したいことが話せればいいタイプなのだ。私は、自分が話さなければ彼が聞いてこないことを知っていた。


 「あ」


 ふと私は思い出して聞いてみた。


 「そういえば、ライブ行けなくてごめんね。チケット、無駄にした?」

 「いや、フットサルのメンバの1人と行ったから大丈夫」

 「そっか。すごい急だったからさ」

 「実はハギさん以外にも3、4人に声かけてたんだー。そんだけいれば、1人くらい捕まるかと思って」


 キタガワは無邪気にそう言い、私は、「そうだね」と言って微笑んだ。一瞬だいちゃんのことが頭をよぎって、この人はだいちゃんとは違う、と私は思った。


 おおよそ食事も終わり、どうでもいい話ばかりしていたころ、キタガワが突然、あ、と言って思いついたようにカバンの中を漁り、これ、と言って正方形の紙袋を取り出した。

 紙袋には、約束したアジカンのファーストアルバムが入っていた。「インディーズ?」と私が聞くと、「ちゃんとメジャーデビューしてるよ」と彼は答えた。確かに裏を返してみると、有名なレーベル名が印字されていた。


「ボーカルが高校の同級なんだー」

「へぇー、そりゃすごいね」

「それ聞いたときびっくりしたよ。だってアイツ野球部だったから」


ははは、と私は笑った。じゃあ大学に入ってから音楽始めたんじゃないの、と適当なことを言い、CDをカバンにしまった。あんまり期待していなかったが、英一の影響で聴いていた流行りのJーPOPにも、そろそろ聞き飽きていた頃だったので、それも悪くないと思った。



 その日も23時前には自宅に戻り、さっそくCDを聴いた。1曲目から、重たいギターの音がスピーカーを鳴らした。スピッツやくるりが好きな私にとってはかなり好きなタイプの音楽だった。


 「ふーん」


 私はベッドに座って壁によりかかった。キタガワはいつもこんな曲を聴いてるのか、と私は思った。

 4曲目に軽快なアップテンポの明るい曲が流れて、これはイイと思った。キタガワが好きなのは何曲目だろう、とふと気になったので、私はメールしてみた。いつものようにすぐに返事が返ってきて、そこには、2曲目と5曲目、と書いてあった。


 ふと、そういえば彼についてほとんど何も知らない自分に気がついた。なんだかんだいってもう三年も前から彼の存在を知っているのに、彼が好きな音楽も、好きな食べ物も、どんな仕事をしているのかさえ、私は知らなかった。もっとも、仕事に関して言えば同じ会社である以上、自分とそう変わらないことをしているはずだったので、特にあえて聞きたいとも思わなかった。ただ、彼の恋愛事情に関して必要以上に事細かに知っていたのに、それ以外の部分で彼が普段どんな生活をしているのか、私はほとんど知らなかった。私はそれが、なんだかとても不思議なことのように思い、いつか聞いてみようと思った。

 それから、そうだ、MDにダビングしたらCDは返さないといけないから、近日中にまた会える、と思いついて、私は少し嬉しくなった。でも、嬉しくなった自分に気づいて、私は少し戸惑った。確かにここのところ、キタガワの顔を見る機会がやたらと増えていた。

 キタガワの同級生という若い男性ボーカルが、スピーカーの中で歌い続けている。若い、と言っても私よりも3つは年上のはずだ。


 英一のことを考えて、また憂鬱になった。キタガワや同期の友達と話しているときのように、英一と会っているときも楽しかったらよかったのに、と私は思った。どうして楽しくなくなってしまったのか、あるいは最初から楽しくなかったのかも良くわからなかった。

 ただ、もし、キタガワやそのほかの誰かに対して自分が恋をしたとしても、そしてその恋が万が一うまくいってしまったとしても、きっと1年も付き合えば、今の英一との関係のようになるんじゃないかと思うと、私はもう、また新しい恋という気分にもなれなかった。誰と付き合っても結局は同じなんだろう、と思った。


 スピーカーは耳慣れない音楽を鳴らし続けた。ベッドの上に座り込んで、ぼんやりと聴いていた。ふと思いついて、ケースから歌詞カードを取り出し黙読した。パワーのある音とは対照的な、繊細とも稚拙とも言える言葉が綴られていた。そのアンバランスさに居心地が悪くなり、私は途中で読むのをやめた。


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