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ゲーム  作者: 神藤聡
2/8

男友達

 あれから二週間が過ぎた。


 いったん別れたものの、英一からは毎日のように電話が来ている。音沙汰がなかったのは、別れてからの三日間だけだ。


 とはいえ、よりを戻したつもりはなかった。実際、今後の2人の関係について、ちゃんとした話し合いというのは1ミリもされていない。もっとも、そんな大事な話を電話でするのもどうかという気もする。

 私は、平日の夜はたいがい自宅にいた。テレビがつまらない日は友人に電話をかけ、同じようにヒマな男友達と食事に行った。もちろんそれは友達として、である。しばらくは恋愛をする気分になれなかったし、私にとって、友達というのは友達でしかなかった。男社会で生きてきた私にとって、男友達に対し「女をアピール」しないようにする、というのはごく簡単なことだ。


 平日は、なるべく深夜にならないうちに帰ってきて、ユニットバスでシャワーを浴び、就寝の支度をした。24時になる前には、いつも英一から電話が来た。英一は五分から十分くらい話すと気が済むらしく、おやすみと言って電話は切れた。毎日同じ時間だ。彼はもしかしたら私を試していたのかもしれない。

 平日はいつも英一の声を聞いてから眠った。



 今日も、いつもと同じ時間にかかってきた電話を取ると、英一は今何してる?と聞いた。私はそのときテレビを見ていたので、4チャンを見てる、と正直に答えた。金曜日のテレビはあまりおもしろくない。

 

 「ヒマなら来ない?田舎から大量に米が送ってきたんだ」

 

 米で釣られたつもりはなかったが、すでにパジャマ姿だった私は、電話を切るととりあえず外に出られる格好に着替えた。念のため下着を用意しカバンにしまうと、メイクもせずに駅に向かった。深夜というほどの時間でもなかったが、明日は土曜日だし、もしかして長話になるかもしれないと思ったのだ。

 電話では当たり障りの無い話しかしなかったが、二週間ぶりの再会によって、何か現状が進展するのかもしれないという淡い期待はあった。

 私は、英一が謝るとか、よりを戻すとか、そういう話ができることを期待していたと思う。失いかけたものをなんとか繋ぎ止めることができたんじゃないか。ふと、どこかの雑誌で読んだ恋愛相談の記事の内容を思い出していた。別れ話をされたら、泣きながらすがったり嫌がったりしてはいけない、あっさりと身を引け。そのようなことが書いてあったと思う。人は、いざ手放すとなると急に惜しくなるものなのだ。


 英一は関内駅まで私を迎えに来た。付き合っていたときは、迎えに来てくれることなんてほとんどなかった。英一は、来てくれてよかった、と言った。クミがいなくて寂しかった、とも。私は、その言葉を喜ぶ笑顔の裏側で、少し幻滅している自分に気づいていた。これってたぶん、「まっとう」じゃない。

 結局その日は、これからの二人の関係について、話し合うということはなかった。でも実はそんなことはどうでもよかった。どうやら英一は結局、私を失いたくないと思っていて、それは間違いなかった。それで十分だ。私の勝ちだ。私はもう負け犬じゃない。幻滅なんて、大したことじゃない。

 とりあえず、私たちはその夜ぴったりとくっついて眠った。


 その週末は、別れる前とほぼ同じように過ごした。実はあれは夢だったんじゃないかと勘違いしそうになるくらい、二週間前までと同じ週末だった。違うことと言ったら、英一が別れる前よりも優しいことくらいだ。しかしそれは、私の優越感をくすぐった。「まっとう」かどうかなんて、この際どうでもよかった。

 日曜の夜まで、私は英一の部屋にいた。



 その次の週も、金曜の夜に仕事が終わり、服を着替えると、何も食べないまま駅に向かった。仕事終わりの英一と待ち合わせをして、夕食を食べるため近くのファミレスに入った。

 

 「最近は忙しくないんだね」


 運ばれてきた豚キムチ鍋定食をつつきながら、私は英一に話しかけた。


 「まだ始まったばかりのプロジェクトだからな」

 

 ハンバーグをナイフとフォークで丁寧に切り分けながら、英一は私のほうを見ずにそう言った。あの日からずっと、まるで禁句のように、あの日についての話を2人とも避けている。

 英一は同業者なので、私は彼の仕事が忙しくなったり暇だったりする事情をよくわかっていた。別れる少し前、彼は何日も帰ってこないことがあった。そんなときでも、私は一人英一の部屋で英一の帰りを待った。彼の匂いがする部屋で彼の帰りを待つというのは、けっこう辛いことだ。もうすでに食事を用意したのに、『ごめん、帰れない』というメールが来る日もあった。

 仕事だから、と私は何も言わなかった。帰れないんじゃ仕方が無いと思った。彼を責めてもどうしようもないのだ。


 もともと彼はあまり仕事の話をするのが好きでは無いらしく、私が振らなければ自分から話すことはなかった。私もそれほど興味があるわけでもなく、それほど突っ込んで聞くこともなかった。

 しかし私たちは、もともとは同じ職場で同じ仕事をしていた。今はもう別々の場所で違う仕事をしているが、当時私は英一の上司という立場だったし、仕事をしているときは仕事の話をしていた。

 それももう1年前の話だ。


 三週間のうちに、「営業の女の子」と英一がどんな風に進展しているのか、あるいは進展していないのか、まったく気にならないと言えば嘘だったが、それについてはなんとなく聞かなかった。あるいは聞いたとしても、だからどうするという気持ちもあった。本当は、あの日から、私の中の英一に対する気持ちは、どんどん冷めていった。残っていたのはプライドと優越感だけだ。

 しかし私は英一に対して、まだ未練を残しているフリをしていた。でもそれを認めればまた「傷つける側の人間」になってしまう。英一が優しくしてくれるうちは、私はそれに付き合うしかなかった。真面目な英一のことだから、そのうちその「営業の女の子」との関係がうまくいけば、別れを切り出すのだろうと私は思っていた。だからこれは英一と私の問題なのであって、「営業の女の子」の存在はあまり関係が無いのだ。



 あの日、実は別れを切り出したのは私だった。しかし先に距離を置きたいと言い出したのは英一の方だ。他に気になる人がいると言って、自分の気持ちがわからないと言い出したのも彼の方だった。彼はよくも悪くも正直者だった。もともと嘘をつけないタイプなのだろう。

 

 「先週の水曜日」

 

 そのとき私は本を読んでいて、英一に話しかけられたことに、少したってから気づいた。私は本を読むのをやめ、ソファの脇に、居心地悪そうに立っている英一を見上げて、その先を待った。

 

 「営業に仲いい女の子がいてさ。その子と食事に行ったんだ」

 

 私は頭の中で、英一の言葉を反芻した。それから、「先週の水曜日」について思い出そうと努力した。そう、先週の水曜日といったら、彼がいつもよりも少し遅めに帰ってきた日だ。でも深夜というほど遅かったのでもなかったと思う。終電よりは早い時間だ。

 

 「言うつもりはなかったんだけど、オレ、嘘つけなかった」

 

 私は、彼が残業で遅くなったものだとばかり思っていた。実際に、その日はそういう連絡を受けていた気がする。英一が自白しなければ私はまったく疑いをもたなかっただろう。疑いというか、それはすでに事実だった。要するに嘘をつかれたのか、と私は思い、突然の英一の「告白」に、動揺した。そのとき私は、自分が何を考えなければいけないのか、彼が何を言いたいのか、まるでわからなくなった。ただ、私が浮気相手に送ったメールを見つけたとき、元彼もこんな気持ちになったんだろうか、とふと思った。

 その「女の子」は、英一にとって何なのか。冷静になればそれはごく簡単な命題なのに、私はよくわからないフリをした。英一が私の言葉を待って黙っていたので、とりあえず、泣き崩れてみた。

 

 「その子と、別に付き合いたいとか思ってないんだ」

 

 私を慰めようとしているのか、あるいは正直な気持ちなのか、英一はそんな煮え切らないことを行った。泣いている私に、そばにあったティッシュケースを渡しながら、英一は続けた。

 

 「ただ最近、クミのことが好きなのかどうか、よくわからない」

 

 英一のその言葉に、私はすべてを悟った(気がした)。力なく立ち上がると、台所から大きなビニール袋を2、3枚取り出し、クローゼットへ向かった。英一が何を言いたいのか、私には、痛いほどによくわかった。なぜか私は元彼のことばかり思い出していた。罵る言葉。私を傷つけたいと言った元彼の言葉。

 私が今ここで何を言っても無駄だということを、私自身がよくわかっていた。


 「もういい。」


 私は言い、所在なさげに立ちすくむ英一の顔を見ずに、クローゼットの扉を開けた。

 


 その日、だいちゃんが私を慰めるために横浜まで足を運んだことは、同期のランチ仲間の全員が知っていた。後日みんなで飲みに言ったときに、私がその話をしたのだ。

 

 「声がぜんぜん大丈夫じゃなかったんだよ」

 「そんなこと言ってお前、ぜったい下心あっただろ」

 「そうだそうだ。メール来たからっていきなり電話するのもおかしい」

 

 だいちゃんはなぜか言い訳をするはめになった。下世話なユウジとオスギがだいちゃんをからかったからだ。実はユウジは以前から、だいちゃんが私に気があるのではないかと疑っていた。しかしだいちゃんにはずっと彼女がいたし、だいちゃんが他の友達と何か違う好意を私に向けているとも感じられなかったので、それはないと私は否定し続けていた。

 

 「そんなことないって。お前ともしょっちゅう電話してるだろが」

 

 だいちゃんがあんまり必死なので、私は少し苦笑いしながら、本当に食事しただけなんだよ、と彼をかばった。かばうしかなかった。話したことを少し後悔したが、しかし隠していて後でバレるよりはマシだと思った。だいちゃんと私の、友達としての関係のために。

 

 「もしお前らがフラれて落ち込んでたとしても、オレは慰めに行くから、ちゃんと報告しろよ」

 

 だいちゃんが言い切ったので、リーダ格のモッチが拍手を捧げた。

 

 「いや、加藤はえらいと思うよ。オレはわざわざ日曜の夜にさ、友達を慰めるためだけに電車に乗りたくないよ。ハギからメール来たときもさ、返信したあとは普通にプレステしてたもんね。そりゃあメール見たときはおやっと思ったけどさ。いやいや、加藤はホントいいやつだよ」

 

 モッチが認めたので、その場の全員がだいちゃんの功績をたたえた。その強引な展開に、私はモッチにだいぶ感謝しつつ、一人可笑しくなってけらけらと笑った。そんな私を見たオスギが、思ったより元気そうで良かった、と言い、この人たちがいてくれてよかった、と私は思った。男友達も捨てたもんじゃない。


 「でも、ハギはあいつと別れてよかったと思うよ」

 

 ふと、ユウジがそう言って、私は少しどきっとした。ユウジは私と同じフロアで働いているから、以前私と一緒の仕事をしていた英一のことも知っていた。ユウジもタバコを吸うから、会話をしたことまではなくとも、二人が喫煙室でたまたま一緒になったこともあっただろう。

 私はタバコを吸わないので、当時の喫煙室での英一の振る舞いについてはよく知らなかった。

 

 「そう?」

 「オレ、あいつのことあんまり好きじゃなかったな。話したことはないけどな」

 

 ユウジはそう言って、しかしその理由については言葉を濁した。私はなんとなく、ユウジがそう言う理由はわかるような気はしていて、深くは突っ込まなかった。実際、英一には友達らしい友達がいなかったのだ。平日でも休日でも、英一が友達と遊ぶと言って私との約束を断るということが、毎日のように会っているにも関わらず、過去に一度もなかった。一番仲の良い友達と最後に会ったのが、2年くらい前だと言っていたこともある。それは友達と呼べるのだろうか?

 

 「まぁ、あいつなんかよりは、大祐の方がよっぽどいいやつだと思うよ」

 

 ユウジが言ったので、だいちゃんは微妙な顔をした。

 

 「それ、ほめてんのか?」

 「ほめてるほめてる」

 

 ユウジが茶化すように言い、だいちゃんがまたいぶかしげな顔をした。

 

 「まぁ、ハギのことだからなー。またすぐに彼氏ができるよ」

 

 ヒデが笑いながら言った。そうだな、と何人かが声をそろえた。

 

 「もう当分恋愛はいいや」

 

 しかし私はそう言って、苦笑いしてみせた。少なくとも、英一と二人でいる時間よりも、今こうしてこの人たちと笑っている時間の方が、ずっと楽しい、と私は思った。

 

 「よし、これでハギも"独り身の会"に仲間入りだな」

 

 ユウジがはりきってそう言い、飲み会のときはちゃんと声かけてね、と私は念を押した。そのときすでに英一から毎晩のように電話が来ていたが、なんとなく、それについてはみんなには言えなかった。



 「よくわかんないんだよね」

 

 わざわざインターネットで探して購入したその黒電話は、ほこりがつくとすぐに白っぽくなった。ティッシュを一枚取り、受話器を耳に押し付けたまま黒電話の本体を拭いてやると、そのプラスチックの表面はまたつるつると黒光りした。パソコンの横に置いているので、ほこりが溜まりやすいのかもしれない。


 「ありえないなー。オレぜったいそういうのダメ。はっきりしないとイライラする」

 

 そう言ってだいちゃんは、受話器の向こうで語気を荒くした。私はちらりと壁にかかっている時計を見た。もう1時間以上も電話している。

 

 「ぜったいもう会わないほうがいいって」

 「そうかもねぇ」

 

 私は、だいちゃんの話を適当に受け流しながら、この電話をどういう流れで終わらせるかについて考えていた。このまま行けば、あと1時間は平気で話し続けるだろう。


 だいちゃんは最近、よく平日の夜に電話をかけてくる。別れた直後って淋しいよな、と彼は最初言ったが、私と英一の関係が切れてないことを知ると、どちらかというと相談役になってしまっていた。それは面倒見のいい彼の人柄のせいだろう。

 しかし、逐一私が報告するからか、だいちゃんはすっかり英一のことが嫌いになってしまったようだ。彼に言わせれば英一は、「男の風上にも置けない」、「史上最低の男」なんだそうだ。しかし、それは当然だという気もする。だいちゃんは私の話の中でしか、英一という人を知ることができないのだ。

 その史上最低男に、一年以上も付き合っている私はなんなんだろな、と黒電話のコードを指に巻きつけながら、私は思った。


 なんだかよくわからないまま、誘われると英一に会いに行かずにいられない。あまり褒められた行為ではないと重々承知しつつも、もしかしたら私は、一人で過ごすのが嫌なだけなのかもしれない、と思った。日曜の夜には必ず、もう1泊すれば、と英一は言ったが、用意がないから、と適当な言い訳を残して自宅に帰ってきた。自分なりのけじめとして、平日は会わないと決めたものの、それに何の意味もないというのは心のどこかで知っていた。



 木曜の夜のことだ。私がテレビを見ていると黒電話がジリリリと鳴った。電話を取ると、おはよう、とだいちゃんが言った。

 

 「もう夜だよ」

 「さっきちょっと夜寝したんだ」

 

 私たちはいつものように冗談を言ったが、その日だいちゃんは急に深刻になって、今日はオレの話を聞いてもらってもいいか?と私に言った。もちろん、と私が言うと、彼女と別れた、と彼は唐突に打ち明けた。

 

 「なんで?三年だっけ、付き合ってたの」

 「うん。まぁ、ここんとこあんまりうまくいってなかったから」

 「別れようとしてたなんて知らなかったなー。二人は結婚するんだと思ってたよ」

 

 私が悪気なく言うと、だいちゃんは急に声を高くした。急にだいちゃんのテンションがあがったので、私は少し驚いた。


 「そう!それだよ!オレまだぜんぜん結婚とか考えたくないのにさ、周りがうるさくてさー」


 だいちゃんの元彼女とは、家族ぐるみの付き合いがあったと、以前聞いたことがあった。だからなおさら、話が進んでいるものと思っていたのだ。実際だいちゃんのご両親が、彼女がいる前で結婚の2文字を持ち出したりすることもよくあったらしい。しかしそれでなぜ別れなければならないのか、私にはさっぱりわからなかった。


 「親も知ってる仲だと、そりゃそうだろうねぇ」

 「彼女もなんかその気だったしさ。オレ、プレッシャーとかダメなんだよ」


 だいちゃんはそれから、ずっと彼女に対して疑問を持ち続けていることや、まだ1人でやりたいこともたくさんあるということや、要するにいろんな愚痴を吐き出した。それまで私の話を聞く側だっただいちゃんが、めずらしく饒舌に愚痴るので、私はすっかり聞き役になってうんうんと聞いていた。が、どちらかというと彼女の方に少し同情していた。だいちゃんは私にぶちまけたうちのいったい何割の愚痴を、きちんと彼女にも話したんだろうか。ただ、自分のことを棚に上げる度胸もなかったので、それは黙っていた。

 一通り話すと、だいちゃんは、お互い失恋の身だな、と笑った。こっちは微妙だけどね、と私は言った。

 

 「それにしても、何も別れなくてもよかったんじゃないの?」


 私は少し心配になってそう言った。そもそも彼の結論が少し早すぎやしないか、と思ったのだ。


 「いや、まぁ、最初は別れたいとまでは思ってなかったんだけどね。最近ちょっと気になる人ができて、それはちょっとまずいな、と思ってさ。別れたっていうか、いったん距離を置こう、って言ったんだ」

 

 私は少し驚いた。平日は毎日のように話をしていたのに、彼にそんな人がいるということを私はまったく知らなかった。確かに私の話ばかりしていたから、それは当然といえば当然かもしれない。以前一緒に仕事をしていたと言っていた先輩かな、と私は思った。それともこの前オスギと行ったらしい合コンで知り合った人かもしれない。


 「そんなの知らなかったよー。なんで教えてくれなかったの?」

 

 私が文句を言うと、言えるわけないだろ、とだいちゃんが言った。

 

 「なんでー。いいじゃん、どうせ私の知らない人でしょう?」

 「知ってるよ。だから言えない」

 「えぇっ。私も知ってる人?そんなのなおさら気になるよ」

 

 それから二、三回押し問答して、そろそろ私が諦めかけたころ、だいちゃんは突然白状した。

 

 「オレが好きなのは、お前だよ」

 

 

 一度言ってしまってから開き直ったのか、だいちゃんは毎日のように電話してきて、自分と付き合うとこんなに良いことがある、とさんざんアピールした。嫌いじゃないんだけど、というと、付き合ってみれば好きになるかも、と言う。だいちゃんは友達に対してはとても面倒見のいいお兄さん肌なのだが、好きな相手に対してはとことん突っ走るタイプのようだった。私は多少うんざりした。


 「どうして私なの?」

 

 私は何度かだいちゃんにそう聞いた。だいちゃんはいつも、

 

 「そんなのわかんねぇよ。理由なんかいるか?」

 

 そう言って相手にしなかった。やれやれ、と私は思った。嫌われるくらいのキツい言葉で、いっそ突っぱねることは簡単だったが、友達という関係上、後のことを考えたり、もともと悪いやつではないことを知っているので、なんとなく躊躇われた。私にとってはまだ彼は友達なのだ。失うには忍びない。

 私が中途半端な態度を取っているからか、だいちゃんは今も元彼女と連絡を取っている、と言っていた。よりを戻すつもりはないが、元彼女の方から連絡が来るんだそうだ。元彼女の気持ちを想像して、私はさらに気が滅入った。よりいっそう混沌としている。

 

 しかし私は、だいちゃんという人を、頭ごなしに否定するほど嫌いではなかった。まったく知らない相手なら、あるいはちょっと知ってる程度の相手なら、冷たくあしらうこともできた。しかしそれまで何年かの間、友達として付き合ってきたのだ。彼の良いところも悪いところも、ある程度は、知っているつもりだ。

 だからできるだけプラスの方向で考えてみたりもした。彼が運転するトヨタのワンボックスの助手席に座る私や、街中で彼と手をつなぐ私や、仕事終わりに私の部屋に遊びに来る彼や、それから、彼に抱かれる私。恋人同士であれば有り得るような、ありとあらゆるシチュエーションについて想像した。想像の中の彼は優しかったし、きっとそれなりに楽しいだろう、と私は思った。それなりに。

 しかしどうしても、想像上で彼の隣にいる自分について、嫌悪感を拭い切れないのだった。楽しいとか楽しくないとか、そもそもそれ以前の問題だ、と私は思った。私はどうしても、まったく新鮮な気持ちで新しい恋愛をスタートするという気分になれなかった。

 彼が言うように、万が一とりあえずで付き合ってみたとしても、好きになれないまま別れてしまったら、おそらく友達にも戻れないだろう。私にとってはその方がずっと不幸のように思えた。彼と付き合うことよりも、友達としての彼の存在のほうが、私にとって重要だった。しかし付き合わないで「ごめんなさい」と言ったところで、やっぱり友達ではいられないだろう。

 私は、ベッドの上でごろんと仰向けになり、うーん、と唸った。いったいどこで足を踏み間違えたのだろう。

 

 「付き合うとか付き合わないとか、なんなんだよ」


 私は独り言を言った。怒りをこめたつもりだったが、思いのほかその言葉は無表情に響いた。

 だいちゃんが女友達だったらいいのにな、と私は思った。女の子だったら、こんな面倒なことにはならないのに。毎晩のように電話しても、毎日のようにメールをしても、何の問題もないはずなのに。


 仰向けになったまま、天井からぶらさがるルームランプを見つめた。すぐにまぶしくなって目を閉じたら、まぶたの中に溜まっていた涙がこめかみの辺りを流れていった。

 

 

 十八か十九の頃だったか、学生の私は夕暮れの教室でテスト勉強に励みつつ、なんだかんだと現実逃避して、教室にいた同級生とくだらない話をしていた。理系クラスだったので、私の友達は今と同じようにほとんどが男の子で、その場にいたのも私以外は全員が男子だったように思う。

 でも私はもともとあまり女性的な部分を前面に出さない性格で、たいがいの男子は、同性のように私と仲良くしてくれた。私もまた、何年もかけて、女であることを意識させないように、アドバイザー的なポジションを確立していった。私は「話しやすい女」であるよう最大限に努力した。そうしなければ、男子の中で、自分が孤立してしまうからだ。しかし、孤立はしなくとも、実はずっと孤独だった。男友達に対し、私が気を許すことはなかった。

 

 机に向かいつつも、男子の一人が自分の恋愛の話をし始めた。私は恋に悩む友達に、何か励ましの言葉をかけたと思う。自分が何を言ったのか、今となっては思い出せない。私の言葉は、もしかしたら彼にとっては軽々しい言動だったのかもしれない。


 「お前みたいな傷つける側の人間に、オレの気持ちなんかわかるか」

  

 それまで楽しそうにしゃべっていた彼が突然そう言って、私は黙った。あるいは彼も、冗談のつもりでそう言ったのかもしれない。固まった私の表情を見て、彼も動揺しているように見えた。一瞬の間があって、周りにいた友人たちがその場をごまかした。それで私も、ごまかされたフリをした。


 自分は、「傷つける側の人間」だったのか、とそのとき私は初めて気づいた。その言葉はまだ、私の心に引っかかったままだ。私は今もまだ、「傷つける側の人間」なのかもしれない。そのとき自分が何を言えばよかったのか、今もよくわからないのだ。



 だいちゃんは毎日のように電話をかけてくれた。それは暗い気分が紛れるのでありがたかった。少なくとも、私はだいちゃんに救われていたのだ。なのに、私はだいちゃんに対して何もできない。私はまだ、「傷つける側の人間」なんだろうか。


 ベッドの上で体を起こすと、少しめまいがした。


 もしかしたら、人生で一度きりのモテ期なのかもしれない、と私は思った。モテてみたい、と思ったことがないとは言わないが、しかし、今自分が置かれている状況は、そんなに甘いものでも楽しいものでもなく、ただ空虚な時間が流れるだけだった。モテたいなんて、もう二度と思わないだろう、と私は思った。


 歯車が狂っている。

 英一にフラれることも、だいちゃんに告白されることも、私にとっては想定外だ。もう、いっそのこと全部クリアにしてしまいたい、と私は思った。自分の中の何かが壊れてしまっているような気がした。


 私はまた泣きそうになって、低い天井を見上げた。


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