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フリードリヒ・ヴァイセンについて



 しくじった――と、大陸馬車を襲った盗賊団の男は脂汗をたらしながら歯噛みする。

男はこの一団の知恵者だ。

力だけは強い、人間よりもゴリラに近いような親分の代理で野放図で自分勝手なならず者たちをまとめている。

事前に獲物の情報を仕入れて損のないように、儲かるように計画を練る。

苦労な役回りに見えるが実は一番甘い汁も吸っている。


 男が立てた襲撃の事前計画に穴はなかった。

馬車の鉄道をあたかも自然に壊れました、と工作して乗務員の警戒を解いて停止させる――工兵くずれが仕掛けた偽装は完璧だった。

狙った獲物も手ごろだった、それなりに身なりがよくて無力な平民ども、油断しきった冒険者2人組み。カモに葱がしょった頭の悪そうな成金。金が命で買えることを理解した賢明な商人。偵察の段階では金銀財宝とまでは行かないがそれなりにいい稼ぎは得られそうな「獲物」だった。



一攫千金など夢は見なくていい、可もなく不可もなくでヤバそうな気配がしたら逃げる。生き残る秘訣だ。



 しかし襲撃の実行にふたつ失敗があった。ひとつは乗客を完全に把握していなかったこと、この目の前の黒騎士はヤバイやつだ。事前の偵察の時は姿がなく、いないものとして数えられていた――先遣に出したやつのミスだ。

そしてもうひとつは今、目の前のヤバイ黒騎士は正面にいる。

白煙たなびくピストルを軽く掲げ、血に染まった鈍器のような剣を片手に提げて、悠然と立っている。

その足元には仲間の死体とその一部がカスツールの魚市場のアラみたいに転がっている。

親分もその中の一部だ。しかしまぁ、悼む余裕も今はない。

森の中に潜ませた弓使いたちの支援もない。

このバケモノが森からいきなり飛び出してきたことを考えると既に森のコヤシと考えた方が現実的だ。

しかし――このバケモノが仕掛けた「網」から逃げられない。

不可視の、この馬車の周辺に満ちる手に触れれそうな殺意。

踵を返して森に逃げ込んだとしても、背後から斬殺される想像しか浮かばない。悪夢だ。


(だが、だがしかし)


歯の根が合わなくなるような重圧を感じながらも、男は笑う。

まだこちらには男を含めて7人いる。馬車を包囲するように囲んでいる。車両の向こう側にもあと4人はいた筈だ。

人数差というアドバンテージは「まだ」ある。

幸い背後には人質もいる。この黒騎士がどれだけ強かろうとその事実には勝てない筈だ。

それに男には切り札がある。ひとつだけ、値は張るものだがひとつ、少なくとも男ひとりだけでも無傷で逃げる方法がある。

腰の後ろのポーチに挟みこまれた「それ」をバレないように確認しながら男は車両の一番近くの壁まで後ずさった――仲間を壁にするために




 人は己の本質を隠す仮面を、なんらかの形で被っている――と、銃口からたなびく白煙を眼で追いながら、自由騎士フリードは考える。

仮面を持たない人間はいない。

何も知らない赤子や無垢な白痴でもない限り、必ず己を取り巻くどうしようもない現実から自分を隠蔽するために、仮面を成型して被る。

大人になればなるだけ、必要な状況に応じて仮面は増え、終いには自分の素顔がどんなだったかを忘れてしまう。

この持論には証明がある――それは自分自身だ。

フリードには少なくともふたつの仮面がある。


ひとつは、愛する少女騎士の前で被る、素顔のような仮面だ。情けなく優柔不断で、苦労人の青年の顔。

少女への思慕は偽りではない、高慢で非常識なところはあるものの勝気で愛情深く、これまでに出逢った誰よりも純粋で、自分を信頼し背中を預けてくれる――それが愛おしく、羨ましい。

でもそれが自分の素顔だったかという確証はない。

もうひとつは今被っている――凍りついた「黒騎士」の仮面だ。

フリードは戦いに赴くときは、この仮面を被る。敵の罵詈雑言にも仲間の死にも無力な平民の嘆きにも心を動かさない氷のような鉄の仮面。

戦うことに余計な感情は不要だ。相対している“的”の気持ちなんて知らなくいい。

その方がとても楽だ。背負う荷物は少ないほうがいい、兵隊は何も考えない。

これが自分の素顔だとは――あまり思いたくない。



(もっとも、今目の前にいる的にはそんな気遣いはいらないよね)



 フリードが盗賊の襲撃を察知したのは森に入って10分程度だ。

前方に森の枝を揺らす音が複数――この時点でフリードは腹這いになり、森の闇の中に溶け込んだ。

様子を伺うと、それは数人の盗賊然とした男達だった。弓と刀剣で武装し、多少粗末ではあるが夜陰に乗じるのに適した服装をしている。夜戦に知識のある兵士くずれだろうと推測した。

フリードには気づかず、馬車を包囲するように薄く広がっている。

護衛についた冒険者のことについて考えたが既に始末されて森の動物の餌にでもされたのだろうとあまり深く考えないことにした。

ルビィと勇者の身の安否にも気が向いたが、あの二人なら奇襲されたとしても問題なく排除している筈だ――もう既にこの襲撃を察知して鎮圧に出ている可能性もある。

フリードはそういった懸念事項から思考を外し、自分の“仕事”に入る。

腹這いから中腰の姿勢になり、足音を消しながら盗賊の背後に回りこむように近づいていく。

幸いあちらは馬車に完全に意識が逸れている。


「行け…野郎ども、仕事だぁっ!!」

「おうっ!!!」

「へへへへへっ」

「女がいるぞぉ?売れるか?それとも使うかぁ!?」

「行けぇーっ!!!」


野太い声が森の中に響き、それに呼応するように下卑た返答があちこちから聞こえてくる。

刀剣を持った一団が森から抜け出して馬車を囲むように包囲する。

何事かと馬車の幌つきの行者台から顔を出した乗組員は矢に撃たれて地面に転がる。

驚いた馬が嘶きを響かせながら暴れようとするが素早く近寄った男の剣に怯えて縮こまる。

悲鳴。中で寝ていた乗客が気づいたようだ。馬車の車体に取り付き盗賊の1人が棍棒で窓を割ろうと試みている。

そこまで目視したフリードは馬車の方に威圧するように射撃していた射手のひとりに近づき――口元を押さえて背中から剣を突き刺す。

男が最期に見るのは自分の腹から突き出す鋼鉄の刃の姿だ。

ロングソードの肉厚な刃は容易く男を失血させ命を奪う。

フリードはそれをゆっくりと地面に伏させる。

フリードは笑うことも侮蔑することもなく、淡々と哀れな“的”に呟いた。




「グ・ナット(おやすみ)」




 他の射手を始末するのは簡単だった、背後から近づいて同じことをすればいい。

有利な状況にある、という安心感は感覚を鈍らせる。男たちはもうこの襲撃がほとんど成功したものと思い込み油断しきっている。フリードの動きに誰も気づかない。

6人の射手を片付けたあたりでフリードは森から出た、おおよそ弓を持った盗賊は始末できたと判断したからだ。

馬車に直接の襲撃を加えてるのは10人。車体に取り付いて窓を外そうとしたり、斧で扉を破壊しようとしているのが7人。それを少し離れた場所で見ているのが――この盗賊団のボスらしい男とその供回り2人。

ボスは熊のようなシルエットの素肌にブレストアーマーを着込んだ髭面の巨漢だ。

岩のような腕には入れ墨が彫られ、手には大きく反り返ったカットラスを携えている。

筋肉で盛り上がった山なりの肩が供回りの男が持った松明に照らされて、てらてらと赤銅に輝いている。


「なんだぁ?まだ片付かなぇのか、オイ」

「へへぇ乗客が必死に抵抗してるみてぇでさぁボス」

「無駄なて、てぇ、テイコウ?ってやつですなぁ」


一番はじめの恐ろしく大きい声はボスだ。野太いだみ声だ。

次が右にいる松明を持った小男。ハイトーンな声の中に権力者への媚が見え隠れしている。

最後の発言は左のずんぐりとした男。人間よかオークの方が近そうな感じだ。

フリードは特に奇をてらうこともなく、腰のホルスターから自由騎士のピストルを抜く。ニザヴェリルのドワーフ達の技術を使わず、ランバルディアの武器鍛冶たちが受注を受けて丹精に造り上げた一品だ。魔法ルーンや特殊なナニかはないが名誉が籠っている。

大陸で主要なフリント・ロック(火打ち石式)ではなく「勇者の技術」が使用された物だ。


リボルバー、と呼ばれる代物だ。回転する弾倉を持ち、6発の弾を同時に装填することが出来る――過去に召還された「自由の国」から来たという勇者がこれを愛用していたらしい。勇者はこの世界に訪れる前はその国の自由を守るためにこれで戦っていたという。

具体的にどんなモノと戦っていたかはフリードにはあまり興味ないが。

親指で撃鉄を起こすと躊躇いなくボスの頭を狙って発砲する。

ハンマーが炸薬を叩き、軽い破裂音が夜のしじまに響く。


「あ?」

「え?」

「…!」


間抜けな声を上げてボスの巨体が倒れる。後頭部から侵入した弾は眉間を貫いた。

どんなむくつけき巨漢の大男だろうとそこを失ったらもう御終いだ。

巨木が倒れるような音。2人の供回りが呆然と自分たちのボスの巨体が前のめりに倒れていくのを見つめている。



「弾がもったいないや」



 一足飛びに二人の男に肉薄する。

慌てて振り向いて剣を構えるが遅い、突進と共に振るわれた剣が右側の小男を肩口から斜めに切り裂く。血がぱっ、と飛び散った。

もう片方の男が奇声をあげながら鞭のようなものを振るってくる。鎖で出来た鞭。

しかしそれは全身鎧を着込んだフリードには大きな効果はない。顔を狙えば多少のダメージはあっただろうが、焦ったのか鎧の胸甲に当たって終わった。

逆にピストルを持った手で掴みとり、男をぐいと引き寄せる。


「ひっ…ヒィィー!!!!!」

「うるさいぞ」


悲鳴と共にこちらに倒れこんだ男の腹に膝蹴りを叩き込む。くぐもった音。

男の何かを砕いた感触があったが、念のために剣のヒルトで男の横面をぶん殴る。

ごっ、と濡れた音と共に男のオークにソックリな面が回転する。身体はフリードの方だが頭は馬車を向いた、仕上げは終わりだ。


「なッ……!!」

「…!」

「???」

「ボ、ボスが」


驚愕の声が夜の闇の中に転がり落ちる。

複数の視線がフリードの方に向いている。

馬車に取り付いているのは7人。

フリードは侮蔑も驕りもなく、淡々とした表情のままピストルを軽く掲げた。







 ユノは少し口角を歪ませて自由騎士――フリードが作り出したキリングフィールドを見守っている。

やっぱり「良い」

射手を始末していく手際の良さから一番先に無力化する敵の判断。ピストルに頼り過ぎないのも良い、弾薬は高価だ。

節制の心がけは冒険者には大切な鉄則だ。



(それにあの容赦のない倒し方、騎士にあるまじき無慈悲っぷり)



心の中の「不定形の塊」が拍手喝采を送る。戦いを愛して止まないユノ自身の分裂した一部、いつもは大嫌いだがこの場合は素直に同意見だ。

馬車の正面にいた3人が排除されたことでユノはもう少し大胆に行動することにした。

銃を身体に引き寄せるように保持したまま馬車の壁面にぴったりとくっついて、反対側を覗き込む。

刀剣を構えた男達7人――及び腰だ。人数と背後の人質を盾にまだ強気を保っているもののフリードが大きな動きを見せれば潰走しかねないだろう。屠殺寸前のブタと一緒だ、明日には市場の店先に吊るされる。

ユノはいったん魔術銃を馬車壁面に立て掛け、鞘から剣を抜く。


「ルビィ、側面から行こう、反対側について」

「……」

「ルビィ?」


返事がないことに訝しがり、背後のルビィを見やる。

壁面に身体を預けた姿勢のままだ、暗くてわからないが俯いているように見える。

ショーテルの柄を握った両手がぎゅっ、と強く握り締められてるのがわかった。

どこか様子がおかしい、とユノは思ったが今は気にしている場合ではない。


「ルビィ?聞こえている?反対側をお願い」

「…ああ」

「何を思っているかしらないけど…しっかりね?」


返事はない、が反対側に移動したのを確認してユノは正面に向き直る。

体勢を低くしたまま馬車の横側に出る。盗賊とフリードは何か会話をしているようだ。


「降伏すれば命は保証してやる。武器を捨てろ」

「ふざけるなよてめぇ!こっちには人質がいるんだぞ!!!」

「ば、ばかにしやがって…お、おい一斉にかかるぞ!」

「お、おう」

「…逃げた方が」

「ふっざけんな腰抜けぇ!!1人相手に何いってやがる!!!!」

「……」


7人が口々に罵詈雑言を捲くし立てる。はじめの言葉はフリードだ。ピストルを集団に向け、いつでも撃てるようにしている。

ユノは剣を地面に突き立てるとフリードの方に剣を斜めに傾ける。月明かりを反射してきらりと刀身が輝く。場所を報せるための合図だ。

きらっ、きらっ、と二度輝かせたあたりでフリードがウインクするのが見えた。

合図を認識してくれたようだ、目聡い。

ユノはすぅ、と息を吸うと馬車の壁面を思い切り篭手で殴りつける。

どん、と大きな音を立てて馬車の車体が揺れる――ルビィへの突撃の合図だ。



「よーいドン」



 地面を後方に蹴り飛ばしながら、ユノは馬車の正面へ踊り出る。

武器を隠した重いポンチョは風にはためかない。

7人中、3人はユノが起こした馬車の振動に意識を逸らしている。

フリードが2発続けざまに発砲する。乾いた破裂音が2回――眉間と肩を撃ちぬかれて2人無力化される。

ユノの正面でルビィが1人の盗賊と斬り結んでいるのが見えた。既に1人血を流して倒れている、相変わらず速い。


「…このアマァ!!」


ユノの方にも2人、剣を振りかざしながら男が肉薄してくる。

叩きつけられる鈍器のような剣を身を屈めることで避ける、男にはユノの姿が消えたように見える。


「んな」

「残念」


ごん、と顎の骨を砕かれながら男の身体が宙を舞う。“グラーベルの鉄篭手”のアッパーだ。

と、もう1人の方が宙を舞う仲間に目もくれずユノに掴みかかろうとしてくる――いい判断だ。

腕力で勝てると思っているのだろう。ひきつったような笑みを浮かべながらユノを押し倒そうと試みる。

だが予想に反して小柄な白髪の少女はビクともしない。根が生えてるようだ。

白けたような視線が男を釘付けにする。


「…あれっ?」

「見た目で判断しちゃいけないってお母さんに教わらなかった?」


盗賊の男は逆にユノに胸倉を掴まれ、宙を舞うことになる。情けない泣き笑いの顔で固まったまま地面に頭から激突して意識を失う。

ふう、と顔を上げるとルビィが盗賊をX字に斬り裂くところが見えた。

フリードは余裕を見せたままピストルを構えている。

無力化6人――残り1人。



「――――動くなぁっっ!!!!!」



 最後に残った1人――年かさの盗賊が悲鳴のように叫ぶ。

手を高く掲げ、何を握っている。ルーンが刻まれた球形。

ちっ、とユノは舌打ちする――盗賊がそれを持っているとは思わなかった。


「へっへへへへへ、う、動くなよてめえら!?てめえらなら知ってるだろこれ?」

恐怖に引きつりながらも、勝利を確信したように盗賊が喋る。

「毒の霧…ルーン爆弾か」

フリードがわずかに緊張を滲ませて唸る。

「卑劣な…!」

ショーテルを構えたままルビィが歯噛みする。赫怒が赤い髪をざわざわと震わせている。


ルーン爆弾――正式にはフアリエと呼ばれるそれはニザヴェリルの魔術銃と同じ原理で造られた「魔術を篭めた爆弾」だ。

炸薬ではなく篭められた魔術が発動する。既に魔術ルーンが発光しているところを見るともう地面や壁に触れただけで発動する筈だ。

篭められた魔術は“毒の霧”30ラウン程度の空間に肺に入れただけで息の根を止める霧を発生させるものだ。5秒程度で効果は消えるものの、密閉空間に投げ込まれれば恐ろしいことになる――例えば窓で塞がれた馬車のような。


「た、高かったんだぜこれ!?本当に!本当に高かったんだ!バティア(娼婦街)の貴族向けのが2人好き放題できるくらいに!でも、でも備えてて本当に良かったなぁ!?」

「…」

「…武器を捨てやがれ!」


ルビィがショーテルを捨てる。

フリードがピストルと剣を捨てる。他に武器は持っていないようだ。

ユノもまた直剣を捨てる。


「なめてんのか、白髪のアマ…そのポンチョも脱ぎな、なんだったら俺が直々に裸にしてやってもいいんだぜ」

「…嫌われるわよ」


盗賊の血走った視線に呆れた言葉で返しながらポンチョを脱ぎ捨てる。がしゃがしゃと重い金属音が重なる。

スローイングダガーのベルトと後ろ腰に差した小剣も同様だ。

それで男は安心したのかひひひ、と笑いながら馬車の壁面を背にしたまま後ずさる。

そのまま側面に回って逃走する気だろう。

先ほどの襲撃で馬車の窓がほとんど破られた状況をみると――見逃すしかないだろう。


「う、動くなよ、動いたらすぐにでも窓に投げ入れるぜ――そしたらどうなるかわかってるよなぁ?市民を愛する騎士様がたよぉ」

「卑怯者のクズめ…っ!!恥ずかしくないのか!?」


ルビィが声に悔しさを滲ませて叫ぶ。


「恥ずかしい?あっはははははは!自分たちを棚にあげてそりゃあないでしょうよぉ貴族さまぁ?あんたたちだって今しがた俺の仲間を後ろから皆殺しにしたんだ…それに生き残るのにこーいう手段は卑怯もクソもないでしょうよぉ????」


盗賊が肩をすくめ、ルビィに向かって笑いかける。完全に余裕を取り戻した、人を馬鹿にした笑みだ。


「……ッ!!」

「まぁ…同意見かな、ボクは」

フリードが溜息を吐きながらそう呟く、ルビィがショックを受けた顔で呆然と自分の副官を見つめている。

ああ、そういうことか、とユノは先ほどのルビィの様子の合点がいった。



「間違っちゃいないわね――でも…」

「あ?」

「切り札を持ってるのは、こっちだって同じ――」



ユノの口が言葉を紡ぐ。




“ドンナーは雷を纏い駆け出した 迅い 迅い 我の眼に影すら視得ず、矢のごとき疾風 もはや誰にも止められぬ”




古代――ウォー・エイジの言葉で紡がれたそれは「力ある言葉」

かつて“加護の地”で主神ドンナーの意志に拝謁した際に与えられた“勇者の加護”を発動するワーズ・ワース。

ドンナーとミズガルズの闘いを唄ったそれは、ユノに急激な変化を齎す。



『世界の停止』



 時間が限りなくその秒針を刻むのを放棄する。風に揺れる森の枝葉が、夜空の雲の動きが、その眼下の3人の人間が、ユノ・ユビキタスを除いて平等に静止する。

時間の次に失われたのは音だ、何もかもが自発的に音声を発するのを止める。

最後に失われたのは光だ――ユノとフアリエを持った盗賊の男。その2人の人物だけが世界に取り残される。

ユノはゆっくりと足元に落ちた剣を拾い上げる、その場にいる誰もその行動を咎めない。



「いち、にい、さん」



 この力を使うのは久しぶりだ――とりわけ慎重に定められた“歩数”を数える。

勇者が授かる加護の力の本質は「ズル」をすることだ。この世界を動かしている条理の眼を誤魔化して不可能を可能にする。マナを対価にして世界に陳述している魔術や魔法とは少し異なる力だ。対価はないが、ルールを守らなければならない。

ユノがこの『世界の停止』で守るルールは“歩数”だ。

静止した世界の中で6歩以上動いてはいけない。

動けば「ズル」を察知した世界に殺される――そう知識として報らされている。


「よん、ごお、ろく」


大股で、飛ぶように6歩目跳躍する。フリアエを掲げた男がユノの眼前にある。

勝利を確信した表情のまま彫刻のように固まっている。てらてらと汗と油で顔が光っている。

ユノは剣を奔らせながら、呟く。



「時間よ、戻れ」



 ルビィとフリードは信じられない光景を目の当たりにしていた。

ほんの僅かに瞬きをした次の瞬間――勇者がフリアエを持った男の眼前にいた。

ポンチョを脱ぎ、簡素なレザーアーマーと黒いアンダーウェアだけになっている。小柄な、どこまでも細い肢体。

肩まで覆う鉄の篭手が不釣合いなやせっぽっちの少女の姿。


声を出す間もなく剣が振るわれる。

肩口から腰の横まで斜めの剣筋。異様な豪腕で振るわれた必要以上に強力な一撃は、男に死んだ自覚も後悔する時間も与えず命を奪う。

上半身と下半身が斜めに裂かれる。血しぶきすら上げず上半身は落下し、下半身は1歩、2歩と前に歩いて倒れこんだ。趣味の悪い人形劇のようだ、とフリードはどこか冷静に思った。



「……ば、爆弾は?」



ルビィが呆然とした様子で訊ねる。爆弾とはフリアエのことだろう。

振り向いたユノは無言で口角を上げて篭手に包まれた手を広げる。まるで凄い力で圧迫されたようにぐしゃぐしゃになっている。

刻まれたルーン文字はもはや判別がつかず、発光しない。文字が意味を成さなくなったのだろう。機能停止だ。









 ユノはのんびりと、人気のない大陸馬車の壁にもたれ掛って林檎を齧っている。

しゃり、と瑞々しい音と、共に甘さと爽やかな酸味が口の中に広がる――「向月ゆの」だった頃も林檎が好きだったのだろうか?ユノが昼飯かわりに選ぶのは林檎が多い。

大陸馬車の窓の外には背丈の低い林と、二つの巨大な岩山を利用して造られた巨大な街――城砦都市ケイブリスが聳えている。


ケイブリスは大陸内地に位置する街だ。

城砦都市と呼ばれる由縁はかつてはこの街全体が魔族と戦う為の巨大な前線基地だった事に由来する。堅牢な門に街の各所に立てられた前哨塔。類焼を避けるために細かく分けられた街の作り、あちこちに残る避難用の防空壕――飛行モンスターによる爆撃を避けるためだろう。

そんなかつての戦いの痕が残る街は現在では国を越えて様々な人間が集まる人種のるつぼになっている。

大陸の主要な国からだいたい中間に位置し、中継地点として最適な場所に存在しているからだ――なので多くの需要と供給が集まる。

この街には差別がない。あるのは人の流れと物の流れだけだ。あまり治安が良くないのか、定住には向かないようだが。


屈強なランバルディアの材木商達が客に呼びかけをする横で、魔法使いの国エルムトの魔法使いたちがマジックアイテムの露店を開いている。それを怖いもの見たさで覗くのはまだ街に慣れてないと見える若い獣人だ。怪しげな雑貨屋に並んだ精力剤になるアモール茸の干物を真剣に見つめているエルフの女性もいる。

大陸中に住む種族を一箇所に集めたような騒ぎ。それがケイブリスの常態だった。

もっとも、今回は滞在する理由がユノにはない。旅装品の準備を終えたらすぐにドンテカへ行かなければならない。

と――そこまで思ったユノは少し離れて座る二人、ルビィとフリードを覗き込む。


「…うぅーん」

「……」


椅子に凭れて、平和な吐息を立てているのがフリードだ。腕を組み、眼を閉じてむにゃむにゃと口元を何事か動かしている。

それを横で、ユノは少し近すぎるように感じたがー―ルビィが顔を覗きこんでいる。

本人は真剣そのものの表情で、何かを確かめるようにじっ、と年若い青年の寝顔を見つめている。

先程から――正確には昨日の騒動が終わり、近場の村に助けを求めてギルドに連絡をとって、事態の収拾やその他諸々を終え、替わりの馬車に乗り込んでからずっとこんな調子だ。

何をするわけでもなく、確認するようにルビィがフリードの顔を覗きこんでいる。

まるでその平和な寝顔が――本当の素顔か見定めるかのように。

ユノはそんな様子の少女に声をかける気にもなれず、先程から少し居心地の悪い思いをしている。




ユノは溜息を吐いて最後の一口を齧ると、芯になった林檎を窓へ投げ捨てた。






年数・日時共に詳細不明




 闇の中に、ごぼごぼと泡を立てる音だけが響いている。

深海、ミズガルズの領域――その暗闇の中に「部屋」がある。何か巨大な建造物の一室。

丸く象られた窓が「部屋」と深い水の牢獄を隔てている。

その中に、1人の小柄な少女がいる。

人間の感覚では得体のしれない装飾がふんだんに散りばめられた長椅子に座っている。


この世の美を集約したような、それも蟲惑的な美だけを集め、人の形に成型したような少女だ。艶やかな黒髪を可愛らしい朱のリボンで結び、小さなイエロータイの付いた漆黒のゴシックドレスに身を包んでいる。白い手袋に包まれた手袋は膝元に置かれ、黒と青のストライプボーダーのソックスに包まれた足は長く、椅子の上で組まれている。

靴は「ぱんくめたる」を意識してデザインされたような攻撃的な代物だ。

頭には色とりどりの珊瑚で創られた小さな冠を斜めに被っている。

少女はにやにやと悪戯っこのような笑みを浮かべながら、その「部屋」に控えた一人の影の返答に応えた。



「――へぇ、出来たんだ?思ったより、早かったね」


少女に笑いかけるように話しかけられた少年――白い肌に発光する黄色い瞳、小柄な身体に不釣合いなほど細長く、螺旋状になった奇妙な剣を提げている。緊張した面持ちで、答えを返す。その外見さえ無視すれば、年相応の少年らしい声だ。


「はい国王様――ヴェー、シギュン、スルト、3個体とも調整次第出撃が可能です。ただ、あの、ヴェーはソーサリー適合の不具合による意識の混濁。シギュンは改変に耐えられず…元々の意志は殆ど消え去った状態となっています」

「えー大丈夫なのぉそれ?」

「あ、戦闘テストの結果は上々ですよ!まぁ戦線に組み込むにはまだ少々の調整が必要ですが単体での制圧力はかなりのものです!!」

「そんな力説しなくてもいいよ、プシュケくん――ふふふ」

「こ、国王様」

「国王なんて仰々しい呼び方しなくてもいいんだよプシュケくん…ね?チ・ヒ・ロ」

「えっ?」

「チ・ヒ・ロ…そう呼んでみて?」

「チ、チヒロ」

「あっはははは!可愛い、可愛いわ!プシュケくん…!」



耐えかねたように少女―ーチヒロは口元に手を当てて笑う。震える黒髪が異様なまでに艶かしい光沢を放つ。

プシュケと呼ばれた少年は白い顔を赤くして、俯き黙り込む。


「ふふふ、笑っちゃってごめんね?でもこれからはチヒロって呼んでね?わたしとあなただけのお約束。他の四軍団長にはナイショ」

「チヒロ様とぼくだけの約束…」

「そう――それじゃ、プシュケくん、その3体のうち、どれでもいいから“あの子”にぶつけて?」

「は、はい!!」

「もちろん殺しちゃ、駄目よ?それだけは駄目、あれは――“あの子”は魔族が地上を再興する上での大事な大事な贈り物。

絶対に殺しちゃいけないわ」

「はっ!」

「よろしい…ふふ」


少年――プシュケが臣下の礼を執る。人間の騎士と同じ、立膝で手を胸に当て、こうべを垂れる。

それを満足げに、どこか恍惚を滲ませて少女――チヒロはくすくすと笑った。



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