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そして彼女はもう一度この門をくぐった。

年数・日時共に詳細不明



 その世界は、昏黒に満ちている。

深海――封印された神ミズガルズの領域。

主神ドンナーの瞳である太陽の光が届かぬほど深遠。得体の知れない光源で照らされた白い海底は空虚で、

ごぼごぼと水中を泡が漂うような音のみが静寂を埋めている。

動くものは存在しない死の世界――人がその世界を幻視したとするならば、そう形容するだろう。

しかしそれは間違いだ、その世界には幾多もの生命が息づいている――多様で、脅威的な



カッテ ウレシイ ハナ イチモンメ

マケテ クヤシイ ハナ イチモンメ


ソウダン シヨウ ソウシヨウ


カッテ ウレシイ ハナ イチモンメ

マケテ クヤシイ ハナ イチモンメ


ソウダン シヨウ ソウシヨウ



 それは唄だった。あどけない抑揚で唄われる子供のあそびうた、その唄はこの世界には、この世界のあらゆる歌集にも、古文書にも、

ましてや神の遺物にも存在しない筈の――遥か遠い、観測できない世界の唄だった。


その唄を鈴がふるえるような声音で唄っているのは、一人の少女だ。


 美しい、と表現できる少女だ。艶やかな黒髪を可愛らしい朱のリボンで結び、小さなイエロータイの付いた漆黒のゴシックドレスに身を包んでいる。白い手袋に包まれた手はバランスを取るように大きく広げられている。

黒と青のストライプボーダーのソックスから覗く足はこの世のものとは思えないほど白い。

靴だけはその少女の印象に不釣合いな「ぱんくめたる」を意識してデザインされたような攻撃的な代物だ。

少女は笑みを浮べながら、前に歩を進め、足を蹴り出し、あとずさり――踊りのような動作を反復している。足を蹴りだすたびにぱっ、と白い砂が雪のように舞った。


それはありえない光景だろう。海底、それも高い水圧と日の光が射さない故の低水温の深海層で少女が踊り唄っている。水の中だというのに少女は一片の苦しささえ見せず、自分の庭のような気楽さで存在している。

何もかもから、少女は“浮遊”して在る。


「勝ってうれしい花いちもんめ、負けてくやしい花いちもんめ、相談しよう、そうしよう」


 少女の唄が唐突に終わる。静寂――いや、幽かな海の音声に混じって何処からかざわめきのような声が、その場を支配していた。

人間の言葉ではない、奇怪な声音と発声で紡がれる人類には忌むべき言語。

それが深海の暗闇の中、少女を中心にして蠢いていた。

少女がすう、と息を吸って大きな声をあげる――水中だというのにその声は善く通る。


「負けて悔しい子はだあれ?相談しよう、そうしよう!この指とーーーーまれ!!!」


ざああ!


 そんな音がした。大勢の何かが歓喜するような、感情のある音。それと共に深海の暗闇が光で満たされる――青白い巨大な光。それは少女の遥か頭上に月のように二つ、いや、生物の目のように並んでいる。冗談のように大きい、青白く発光するなにものかの瞳。


それに照らされて、百や千では効かないが異形の軍隊が少女の周囲に現れる。


 奇妙な鱗のような形状の鎧を身に付け、あるものは槍を、あるものは剣を、あるものは旗を掲げている。大蛇の姿をしたミズガルズの旗――魔族が掲げるものだ。

そう、それは魔族の軍勢だった。その軍勢を構成する兵士は全て魔族。死人のように白い肌と黄色く発光する瞳。瞳孔が蛸のように横長になっているものもいる。位の低いと見えるものは海の生物と融合したように――魚鱗やぎざぎざとした鮫の歯、蛸の足、蟹の鋏。


人の形から離れていく


 かつて――神代の時代、永き戦いの終焉に主神ドンナーはミズガルズを打ち負かし、海へと放り投げた。未来永劫、地上へ戻ることが出来ぬよう鎖で身体を縛り、二つの目を奪って。

自らの神が海へと没するのを見て、その信徒たる人間達が次々と海へ身を投げた。

それがウォー・エイジの終わり――そして種族としての“魔族”のはじまり。

ミズガルズに付き従い、海へ適応した人間を、海へと消えていった神とその信徒のことなどすっかりと忘れ果てた地上の人間は魔族と呼んだ。

歓喜する魔族の軍勢を、腰に手を当てて満足げに少女は見つめている。


「お初にお目にかかりますわ、四軍団長とその配下の皆様」


 少女の声に呼応して軍勢の歓喜の声が止むと共に、その中から4人の魔族が軍勢の先頭に進み出る。重層鎧に固めた禿頭の巨人。線の細い女性。杖をついた老人。剣を提げた少年。

その4人は一見人間のように見えた、が死人のように白い肌と発光する瞳がそれを否定している。



「此度の戦、じつにじつに残念な結果に終わってしまいました。かつてのように国王様は人間の勇者に倒され、我々はまた地上奪還の夢を挫折しようとしている。」



少女の演説が始まる。海底を埋め尽くす異形の軍勢――その中には人間の少女程度なら小指で捻り潰せるほどの巨体を持つ者もいる。それに対してドレスに身を包んだ少女は堂々と、演劇の役者のように朗々と言葉を紡ぐ。



「それで皆様は満足ですか?ウォー・エイジの終わりと同じように、王の死を嘆き、悲しみの鎖に囚われ、絶望に眼を奪われ海の藻屑となりますか?御役目を忘却し、無為な生と退廃の果実を貪り喰らう人間共に地上を明け渡したまま?」



おおお、と怒りの声が深海を震わせた。

その音は水の中でこもり、反響し、ひとつの巨大な生物の咆哮のようだ。



「ならば皆様、征きましょう。二千年の敗戦の歴史は本日で御終いでございますわ、その為に我々は敗走を偽装し、潜伏し、浸透し、人間どもを勝利の毒杯に酔わせている――凡ては布石にございます」



軍勢の歓喜は最高潮を迎える。槍を高く掲げ、剣を頭上で振り回し、ミズガルズの旗はちぎれんばかりに振られる。少女の演劇の台詞のような宣言がひとつの種族を一個の巨大な生物へと変えてしまったかのようだ。

その狂気とも呼べる歓声のなか、四軍団長と呼ばれた魔族達が少女の眼前へと迫り、ゆっくりと――臣下が王へ忠誠を誓うように、片膝を着き頭を垂れる。

そして異口同音に、少女へ確信的に、決定的に「ある言葉」を投げかけた。


「感激の極み、第一軍団“リンドブルム”これより貴女様へ無限の忠誠を誓います」


禿頭の巨人が岩石を擦り合わせたような野太い声で宣言する。


「同じく第二軍団“レヴィアタン”あなたを王と認めましょう」


黒髪の女性がたおやかに、優雅な一礼と共に宣言する。


「第三軍団“ニドヘグ”この老骨、あなた様のご親征を知の力を持って支えさせて頂きます」


老人が柔和な表情の中に抑えきれぬ歓喜を交えてそう宣言する。


「えっと、第四軍団“ローレライ”新たな国王様を歓迎いたします」


最後に少年が緊張した面持ちで少女に早口で宣言する。


「確かに、その御言葉承りましたわ――さあ皆様」


少女は満足げに頷き、ひらりと白い手袋に包まれた手を翳す。軍勢を照らしていた光源が移動をはじめ、少女の背後に聳える巨大な「なにものか」の姿を顕にした。

それを目視した魔族たちは一瞬の間沈黙し、それはざわめきに変わり、すぐさま歓喜の雄叫びへと変わる。



国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!

国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!

国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!

国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!

国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!国王様!国王様万歳!



「なにものか」が振動をはじめる――ぱらぱらと石片と砂が舞い散り、深い海の世界を振るわせる。巨大な生物の目覚め。

或いは動力に火が灯った機械。

少女は堪えかねたように笑い、その口元を可愛らしく手で隠しながら呟いた。


「ニュー魔王参上☆」


それが、ユノ・ユビキタスが姫と再会した現在なのか2年前の魔王の死後直後の過去なのか――どのみち地上に、人間に、知りようは、ない。





『月』の暦1065年

天候:曇り 8月16日

18時20分――仕事帰り、早いものだとシエスタの真っ最中

王都ランバルディア王城リーンベルネにある礼拝堂の一室





 セリアはあまり王族らしくない、ユノは改めてそう思っていた。

まず礼拝堂に設けられた彼女の居室からしてそうだ、石造りの壁に白い布の天蓋のあるベット。いくつかの魔術書が丁寧にしまわれた本棚が二つ。祈祷に必要な道具が収められた棚。あまり衣服の納められていないクロゼット。

たとえセリアが巫女という身分であることを鑑みても、非常に簡素な部屋だ。王族や貴族の女性、といえばユノ自身は数えるほどしか関わったことがないが、凄い。生活のあらゆるものに贅を尽くしている。勇者のひとり――ハイネの生家を訪れた時はみんなと一緒に面を喰らったものだ。


そう――「みんな」と一緒に


 セリアの部屋、ベットのすぐ横の壁面にはかつて魔王退治のときに身に着けていた衣服が大事そうに飾られている。サファイアの飾りがついた王家御用達の魔術杖。ランバルディア王家の紋章と守護のルーンが縫いこまれた外套とローブ。修繕のあとが目立つミスリル製の胸当て――どれもこれも記憶の中に染み付いた彼女の服装だ。

ユノとセリアは簡単な軽食を摂りながら、この2年間の事について話した。


魔王が消えたあとの国の様子。

王家での生活のこと。昔の冒険の思い出話。

“契約”で旅した街や土地のこと。2年間の冒険の話。

ある半人半獣の少女の話。南へと旅立っていった貴族の女性の話。昼過ぎの決闘の話。


 セリアは早口で、どこか落ち着かなげな嬉しそうな様子で話し、ユノは淡々と、脚色のない言葉を選んで話す。

それが二人の出会った時からの常態だった。


召還された当時から、セリアは遥か遠い異世界の話――かつて召還された勇者は巫女にあまり故郷の話をせず殆ど文献に残っていないらしい。を聞きたがったし、そうでなくても幼少の頃から王城をあまり出ず、主神ドンナーの巫女としてランバルディア王家の姫として生きてきたセリアには対等に話せる友人。という人間はユノが初めてだった。

対してユノは「向月ゆの」だった頃から基本的に誰に対しても同じ話し方をしていた。言葉に感情を載せず、必要以上に言葉を飾らない。より善く話を伝えようとしたり、自分を賢く見せようと言葉を飾ると却って話は本質を見失って意味が通らなくなる。

はじめはそうでなかったのかも知れないが――「向月ゆの」はあまり年頃の少女らしくない、そんな人間だった。

王家の姫として、家族のまるで伝承のように脚色された武勇伝を聞かされたり、貴族や有力商人達のふんだんに着飾った美辞麗句ばかり聞かされてきたセリアにはユノの話し方は新鮮で、好ましいものに映った。



「へえ、それでその子と同居を?まるで恋人同士のようじゃない!いじらしい」

「こ、こいびと…背筋が寒くなる事を言わないでよ」

「あらごめんなさい、でもリザードマンはあまり性別を気にしない、というのは本当なのよ?昔の伝記ものにもむくつけき大男の騎士とリザードマンの恋物語があって、そのリザードマンの性別は最後まで語られない――あら、どこかで聞いた話ね?」

「やめてよそういう話は…」



「それでね、聞いてるユノ?」

「うん、聞いてるよ」

「そう良かった。その貴族の方ときたら、一方的に話しておいて私が話す段になるとてんで耳を貸さないのよ、あれで領地の経営なんて勤まるのかしら」

「それは…王族のセリア相手に相当な度胸だね、まあ有力な貴族になればなるほど不都合な話に耳を貸さないことがうまくなるみたいだけどね」

「そうなの?」



「見た目は悪いけどね、そのパラ・カカは意外と酒にあうんだよ」

「へえ、王宮にも取り寄せられるかしら?」

「ドンテカの酒場ではどこにも置いてあるし、あ、でも神経性の毒があるから調理には細心の注意を払わないといけない」

「ど、毒があるのにお店で出すの?」

「毒にさえ気をつければ干物でも刺身でも塩漬けでもおいしいんだよ?ちゃんと調理出来てない店で食べて療養院に担ぎ込まれるのは月に何人もいるようだけどね」

「……理解できない世界だわ」



他愛のない話で日は傾き、夜が更けていく。

そろそろ本当の「話」を聞かなければならないとユノは思った。



「―――それで、私をどうして此処に?」

「……」

「私が、そう、私は前を向いてこの世界で生きていかなきゃならない。それは判る。しかしそれは私の考え方の問題であって“契約”を無期限に停止する必要はない筈だ――何か、あったの?」

「そ、れは…」

「言いにくいことなの?」


 セリアの蒼い瞳に、翳りが見えたのをユノは見逃さなかった。瞳の中にあるのは不安の雲だ。

大きな、今にもどしゃぶりになりそうな、何かに対しての不安。

手元はそわそわと指と指を組み合わせている。それは目の前の聖女が何か心配事を考えるときの「くせ」だ。


「それは、わたしに関係することなの?その、みんなで解決できる問題ではないの?」

「……」

「黙っていては、わからないよセリア」

「み、んなが」

沈黙

「5人から、連絡が途絶えました」

「!」


 ユノはその発言を衝撃を受けながらも、頭の中で分析する。

みんな、とはユノとセリアが共に魔王に立ち向かった仲間のことだ。

神城ナオキ、東条ケンヤ、ハイネ・オーディニ・ミルニル、アライス、エレノア。


その5人は、少なくともユノが持ちえる情報源では未だ魔族の残留兵や凶暴化したモンスターが残る大陸西部の沿岸。魔族が地上侵攻ルートに使った場所で戦っている筈だ。言葉は悪いが残党狩り、しかし高位の魔族に対抗できる人間が限られている以上それは必要な事だ。

詳しくは知らないが、荒れた国を復興するために王宮に戻ったセリアとみんなはニザヴェリルで開発された通信用のマジックアイテム「ラタトスクの耳飾り」を通じて連絡をとっていた筈だ。


ユノはというと――受け取るのを拒んだ。何も考えたくなかったし、みんなと何を話していいのかすら、判らなかったからだ。

また自分の事に行きそうになる意識を、目の前で俯くセリアに向ける。


(魔族に倒された?あの5人が?それはありえない。勇者の加護、勇者の武具。その二つがあれば普通の高位魔族程度なら束になっても叶わない。そうでなきゃ魔王は未だに生きて西部を支配している筈だ。)


5人が残留した魔族程度に殺される。その可能性はない――それでは何か別の理由があったのか。


「それは、いつ頃の話?」

「1週間前の晩…いつものようにナオキにあちらの様子を聞こうとすると、距離が離れすぎていて言葉を伝えられない、と」

「完全な無反応じゃない、ラタトスクでは伝えられない距離まで離れたと…」

「ですが!それはありえないんです…あの耳飾りは地上である限りどんな場所でも声が届くもの!みんなに、何かあったとしたら私は……!!」

「落ち着きましょう、セリア」


 セリアは顔をくしゃくしゃにしながら、泣く。不安定になりかけているとユノは感じた。

目の前の聖女――セリアは特別勇者の「みんな」を気に掛けている。それは自らがこの世界に召還したという責任感と、これまで平和に暮していた人間に「魔王を討伐する」という危険な戦いを結果的に強いた、という罪悪感からだ。

本来なら「そんなもの」に主神の巫女が気づくことはない筈だが、勇者と共に冒険し戦いを共にし、一人の勇者の崩壊を視た王族の少女には目の逸らしようのない事実として心に重く残った。

それでも、それでもセリアは前を向いて、全てがいい結果になるように頑張っている。

優れた巫女として国の復興に尽力し、王族としてユノの減刑を先導し、聖女として国民の期待に応える。責務。責任。任務。使命。タスク。それを背負うことをやめてしまったユノは――だからこそセリアを尊敬している。


「私は、確かめてこればいいのか?」

「…」

「セリアのことだ――まだ、大半の王族にはその事実を隠しているんでしょう?今、この国でその話は大きなタブーだ。勇者の消息不明。それは、魔族に勇者が殺されてしまったかもしれないとの解釈を生む。そうすればどうなるか…国の、混乱」

「そう、です」

「ロードスギルドに話を持っていくわけにもいかない。あそこの上層部は私も信頼できるが、実際の冒険者たちはそうとは限らない。騎士団も同様」

「ごめんなさいユノ、わ、わたしはまた、ま、またあなたを――」

「いいの、私は感謝している。セリアが気に病むことはない。そう、セリアの考えの通り、私が行けばいい。私は一応勇者だから縛られるものは少ないし、何よりこうしてセリアとの繋がりもある。みんなとの繋がりも…そう、私が“それ”が何なのか、確かめてこればいい」


 ユノは泣きじゃくるセリアを抱きしめながら、自分の意識がひどくクリアーになっているのを感じた。不安。焦燥。危機感。それは一切感じない。ただ目の前にいる親友――セリアの心配事を解決できるようにと、ただそれだけに思考が使われていた。

過去の重さも、「闘い」の狂気を今は関係がない――これが「前向き」になれていることなのかもしれない、と頭のどこかでユノは感じていた。



必要なものは、新しい仲間と未知の何かに対抗できうる装備。



あとは――ドンテカで帰りを待つ、少女との別れ。




必要なことは、必要な時にやらなきゃならない





『月』の暦1065年

天候:曇り 8月18日

23時12分――こんな時間に何かをするというのは、狂気の沙汰だ。

王都ランバルディア王城リーンベルネ、守護騎士団のバラック。





「あーっ!!!ちくしょうっ!!」


 どかん、とエールのジョッキが割れんばかりに机に叩きつけられる。どこかぼろぼろになったバラックの一室がその振動に揺れ、

チュニック姿の人の良さそうな青年――フリードを怯えさせる。


「ル、ルビィ、もっと静かに、静かにね?負けて悔しいのも判るけど騎士団の皆起きちゃうからね?」

「ふん、だからどうしたってんだ。どうせ文句しかいえない連中だ、好きに言わしときゃいいだろう」

「ああ…なんでこの子はこんな風に育っちゃったかなぁ~…ホントにもう」


 顔を赤らめ、座った目つきのルビィと、おろおろとしたフリードがいるのは守護騎士団のバラックだ。

下級兵士がすし詰めにされる簡素で不衛生な一戸建ての兵舎と違い、三階建ての上級仕官個室のあるものだ。ルビィとフリードが居るのもその一室となる。石造りの建築と魔術のランプ。端正に磨かれた鎧に槍と剣。娯楽用のチェスやカードなどもある。


「だいたいだ、加護だか籠だか知らないがあれはズルイと思わないかフリード!あと勇者の武具だかもズルイ!あんな効果があってはおちおち取っ組み合いもできない!」

「うんそうだね、でもルビィ普通に取っ組み合いしてたよね、自前の筋力で」

「それは私がゴリラだと言いたいのか?うん?どうした言ってみろフリーーード!」

「いひゃい、いひゃい、ほほをひっはらなひでぇ」


 ぐいぐいと余計な発言をしたフリードの頬をルビィが抓る。彼女の服装もフリードと同様のゆったりとしたチュニックだ。開いた袖口から脇が大きく露出し、フリードの視線を誘導しまくっている。健康的に焼けた腕とは裏腹にルビィの脇の下は、白い。


(腋、ワキ、いや胸見えそうだよ、やべぇ、やべぇっすよ親方)

「とにかくだフリード、あの勇者がこの城にいるうちに私はもう一度再戦したい。」

「え!?あ、まぁそうだよね」

「次はバラックの闘技場で、万全の体調を整えて挑む。あいつの戦り方はわかった、次こそは一太刀――」

「い、いやルビィ…」

「次こそは、なんて考えているからおまえは“お嬢ちゃん”なんだよ」

「!!」


 ルビィの部屋の戸口に、壮年の男が立っていた。ぼさぼさの赤髪を一本にまとめて流した、垂れ目が特徴的な男。赤いチュニックの胸には守護騎士団長の地位を表す赤と黒のツートンカラーの盾が刺繍されている。

休息中だと言うのに腰には剣を提げている。もっともここにいるフリードもルビィも、それぞれ腰の後ろにピストルと二本の短剣を提げている。

規律上、違反だ。


イスラ・ウルズ・アンゴーシュ。守護騎士団の団長にして、天下無敵のルビィが唯一頭の上がらない相手だ。


「なんだ団長、何か用でもあるのか」

「敬語、敬語使おうね?ルビィ」

「傲慢で増長したガキが二階でなんか喚いてるからわざわざその間違いを潰しにきてやったんだよ」

「なんだと・・・?」

「だいたいだ、フリード。コイツのお守は貴様の役目だぞ、

お守ってのは側にいて言うこと聞いてるだけじゃなくて時にはドタマぶん殴ってやんなきゃ駄目なんだぞ」

「い、いえしかし…」

「おまえだって分かってたんだろう?あーゆう結果になることくらいは」

「何だ!何が分かっていたって言うんだ、答えろ!!」


いきり立つ赤髪の少女を威圧するようにイスラは見下ろしながら言う。

ルビィもまた激昂しながらも相手が決して殴りかかったり刃を向けてはいけない人物であることがわかっている。

イスラの口元には笑みが浮かんでいる。


「ブザマに負けることくらいだよ、アンテローズ。」

「貴ッ様……!!!」

「うん?無様じゃないと言えるか?アンテローズ、自慢の双剣で一太刀も有効な攻撃をすることもできず、

しかも“拳で胸を衝かれる”なんて明らかに油断してました、って負けかたをするのはさ」

「イスラ様、それは、言い過ぎでは」

「おまえはこのガキに甘すぎるぞフリード。いや、そもそも刃を交えて負けといて次こそは、なんて発言が出てくるのは俺の指導力不足なのかねぇ、それとも“ゴッコ遊び”をさせ過ぎたか」

「言わせておけば…!!!」


 激怒を通り越し、ついに立ち上がったルビィが目の前のイスラの顔に殴りかかる。イスラはその拳をこともなげに受け止めると、ダンスでも踊るかのように腕を捻り反転させ、エールのジョッキが並ぶ机に叩きつける。1秒とかからない早業だ。

ぎゃん、と可愛らしくない悲鳴が上がる。


「いいかアンテローズ。この状態から俺はおまえを殺せる、剣を抜いておまえの心臓を貫くことが出来る。他にも首の骨を折ることも、このままボコボコに殴って失血死させることだって出来る」

「おやめ下さい!イスラ様――ルビィにはまだ!」

「駄目だ、そろそろ教えなきゃならん。今のおまえの状態はあの決闘の終わりと同じだ、ユノ・ユビキタスはおまえの首を刎ねることも心臓を貫くことも、その他の残虐な見世物みてえな殺し方をすることが出来た」

「――ッ」

「それを何故しなかったか?あんなモン、戦いじゃなくてお遊びだからだ、本当の戦いに次なんてない。おまえはあそこで諦めずに持てる手札で最大限勝負しなきゃならなかった」

「イスラ様――」

「あの場に立っていたのがおまえじゃなくてフリードだったなら、あの勇者ともっと互角に闘えたかもしれねぇなあ」

「!!!!」


ルビィは身体を拘束されたまま今の発言を反芻する。フリードが?あの勇者と?

いつもいつも私に引っ付いては弱気な発言をするこの騎士が?


(私は、フリードより弱い?)

「フリードはおまえが思っている以上にエゲツないぞ、敵の油断を誘う。挑発する。隙を作る。騎士の世界では卑怯と唾棄される手段を幾らでも簡単にとれる」

「…やめて下さいイスラ様」

「何故かって?そりゃ勝つためだ。有利な立場で敵をブッ殺すためだ。どんなに追い詰められていようとな」

「……そうか」

「分かりかけてきたか?」


目を閉じて、ルビィは考える。あの戦いを思い出す。ルビィは対等に戦う、という点に囚われ過ぎて突発的な攻撃に対応出来なかった。ほとんど未知数の敵にも正々堂々とした戦い方を求めてしまっていた。

鎖で作られた投網も「グラーベルの鉄篭手」の一撃も、あの場から立て直す手段は幾らでもあった筈だ。

諦めて「次」なんてありもしない幻想に囚われてしまうとこだった。


「必要なことは、必要な時に、やらなきゃいけないん、ですね」

「お?」

「私はあそこで負けを認めるべきじゃなかった。死ぬ寸前まで、戦うべきだった。あの勇者の隙をついて、歯でも指でも喰らいつくべきだった」

「ルビィ……」

「私は、あたまが悪い――団長、今ので、あっています、か?」


ぐ、と抑えつけられる圧迫感が無くなり、今度は肩を掴まれて反転させられていた。

そこには垂れ目な緑青の双眸がある。満足げな笑顔。


「半分正解、半分間違いってトコだな」

「そうですか…」

「そう気を落とすな、及第点だ。満点合格の為におまえにひとつ辞令が下ってるんだな、これが」

「……?」

「もっともかなり急な話で、正直。無茶な話だ」


きょとん、と椅子に座るルビィとフリードにイスラは面倒くさげに丁寧に折りたたまれた文章を渡す。上質な紙の便箋――見覚えのあるものだ。


「姫様の、手紙?」

「そうだ、開けて読んでみろ。それでおまえがどうするのかは自由だ」

「うわぁルビィ、ボク今、物凄い嫌な予感がするよ」

「???」


きょとん、と年相応の表情を浮かべながら、ルビィはごそごそと手紙を広げる。

なんだかはじめてのクリスマスプレゼントをもらう子供のようだな、とフリードとイスラは密かに和んでいた。

上質な紙に綴られた流麗な文体。間違いなくセリア・ランバルディア・イヴヴァルト。ルビィが敬愛してやまない姫様の文章だ。


「えー、守護騎士団騎士隊長ルビィ・ギムレット・アンテローズ…本日でその任を解任…し、勇者ユノ・ユビキタスの…任務に同行……せよ!?」

「うわぁ、予感、当たっちゃったよ」

「で、どうすんだ?アンテローズ。お前はここで燻ってるか、それともお前を負かしたあの勇者の従者になるか、決めるのはおまえだぞ」

「………」




必要なことは、必要な時にやらなきゃならない





『月』の暦1065年

天候:雲ひとつない快晴 8月19日

7時33分――朝、もしくは二日酔いに苦しんでいる時間

王都ランバルディア、正門





ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、と――


 二人の少女が大股で歩いていく。

その視線は前だけを向き、決して横に居並ぶ白髪の少女と、赤髪の少女に視線を合わせようとしない。

白髪の少女、ユノの眉間にはシワがより、既に疲れたような表情をしている。

冒険者らしい旅装に適した格好をしている。傷の目立つアニマルハイドのポンチョに合成皮と鉄板で補強された白のレザーアーマー。左腕には奇妙な光沢を持つ鉄製の篭手を嵌めている。

背中に大きく膨らんだデイバックとニザヴェリル謹製の魔術を撃ち出す長銃を背負っている。


赤髪の少女、ルビィは明らかに怒りを抑えきれない様子で口を引き結んでいる。目が三角になって愛らしいと表現出来る双眸を台無しにしていた。

いつもの二の腕まで露出したチェーンメイルと湾曲した双剣。背中には実に不釣合いな可愛らしいデザインのバッグを背負っている。明らかに嫌そうだ。


その少し離れた後ろを黒い鎧を身につけた自由騎士、フリードがおどおどしながら追従していく。

二人の少女の威圧に押されて道を譲ってしまった人々に謝りながら。


(この子、置いていきたい)

(コイツ、いつか殺す)

「すいません!違うんです…あ、いえ、そういう訳じゃなくて、あ、二人とも待って!ちょっとぉー!?」





消息を絶った仲間を探しに、灰かぶりの勇者は再び旅立つ。

自分の罪の一端の少女騎士と、苦労人の青年騎士を従えて。

ミズガルズの領域で、密やかな企みが進行する。



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