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ドッグ・デイ・アフタヌーン Ⅰ

 かつて、世界には神が二人いた。


一柱は、凡てを照らす太陽の瞳と猛き雷をその身に纏いし力強きドンナー。


一柱は、深き海の肉体と生と死の円環を束ねし雄大なるミドガルズオルム

 

 

いつからそうだったのか、いつからその神が大地と天空を別って争いをはじめたのかその理由は語られていない。

ただ厳然たる事実として――神と神、その二人の神に付従う人と人、大陸を二分して大きな争いがあった。

神が雷を纏いて槌を振り上げ、神がその身を世界を包むほど巨大な蛇へと身を変え、お互いを殺しあう。

天と地が揺るぎ、人が剣と槍で人を刺し貫き、獣は吼えたてて地を駆け巡る。

その当時世界には「平穏」などというものはなく地の一端から一端。天に浮かぶ水の一粒から一粒。海中の一液から一液あらゆる場所すべてで戦が繰り広げられていた。

戦乱を厭うものなどおらずその理由を問うものもなく己の敬愛する神のために死ぬことを本望とする。




後世はこの時代のことを「ウォー・エイジ」と記述している。




『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月16日

(場所記載なし・詳細不明)



 黒々とした大地が、続いている。

空は晴れだというのにどこか暗い雰囲気を孕んでおり生気が感じられない。

まばらに生えた植物はどこか歪んだ、悪意を感じるような形状のものが目立った。

それらが群生する場所には窪地があり、そこに土を含んで半ば泥のようになった水源が存在している。

それは一見、雨水がたまったぬかるみのように見えた。

しかしある程度魔法の素養や勘の鋭いもの、もしくは注意力に優れたものか感受性の強いものならそれがまともな水源でないことが分かる。

うっすらと絵の具が流れるように、水から黒い煙――瘴気が立ち昇っている。

それらの瘴気は人間には不愉快な感覚をもたらし、また人間と全面的に対立するある種族には甘美な美酒のように思える――



どこか歪んだ気配を孕む黒い大地で、人と魔族が死闘を繰り広げている。

多くの人型魔族が地に倒れ伏し、雑兵と見受けられる小柄な亜人魔族が奇怪な言語をかわしながら、及び腰で4人の人影を遠巻きに包囲している。

戦力差は大きい筈だが人間4人が圧倒的に優勢に見える。


「そっちにいったぞ!ナオキ!」

「任せろ…そりゃああああああっ」


 また一匹、蒼く燐光を発する刃に角を生やした巨大な魔族が切り裂かれる。

一刀両断。毒々しい色をした魚燐の肉体がふたまたに別れ、地へと崩れ落ちて蒼い光となって宙に溶けて消えていく。

それを見届けた亜人魔族が悲鳴のような号令と共に退却を始める。

4人の人影はそれを追うことはせず、各々の戦闘体勢をとったまま背中合わせに周囲を警戒している。


しばらしくして、どこか人懐っこい雰囲気を持った少年――ナオキが息を吐く。


不思議な光沢を持つ鎧とまるで生物のようにはためく長大な朱のマントに身を包んでいる。

あきらかに地に引き摺ってしまうほどの長さのそれはまるで地に触れるのを嫌がるように少年の背ではためいている。

手に握られた剣もまた普通の代物ではない。

その刀身は針のように細く、消えることのない光る炎に包まれている。

刀身にはびっしりとルーンが刻まれておりそれらひとつひとつが精緻に組み込まれた魔法術式として効果を為し、強力な「聖」と「炎」を剣から発している。

二つの属性に極端に弱い魔族などは見るだけで怯えて逃げ出すほどの力だ。

魔法を付加した剣、というものは魔族との戦争が本格化して以来多くの国で量産されてきたものの、「その剣」の力はそれとは比較の対象にもならない。


「魔法」が付加されているのではない「魔法」が剣の形をなしているのだ。


「お見事!弱いヤツラは逃げ出したみたいだ」


ナオキの背中を守っていた体格のいい少年ケンヤが快活に声をあげる。


「…自分たちの“神殿”の上に人間が、となるとヤツラも積極的になりますわね」


しなやかな肢体をドレス風の騎士鎧で包み、貴族をあらわす赤髪が特徴的な少女ハイネが呟く。


「……魔力がもたないな」


ローブに眼鏡、背中に大量の“蔵書”をリュックに背負った線の細い青年、アライスが杖を下げる。


「おつかれー!」


最後に面々から少し離れた高台から小型魔族を撃ち落していた弓使いの少女、エレノアが元気に手を振る。


この5人こそが2年前に「魔王」を倒し、封じ込めた勇者たちである。


異世界から召還され、神と剣に選ばれた少年、神城ナオキ。

その悪友にして快活な性格と豪快な戦いぶりで兵たちからの信頼も厚い東条ケンヤ。

もっとも古き騎士の名門ミルニル家のご令嬢にして強力な剣士ハイネ・オーディニ・ミルニル。

魔法使いの国エルムト出身のビブリオマニア兼最年少の知識の賢者アライス。

正確無比な射撃の腕前と野生児のような無邪気な性格の竜に育てられた少女エレノア。




この世界を救った5人の中にはかつて――小柄な白髪の少女戦士もいた。




『月』の暦1065年

天候:曇り 8月16日

14時05分

王都ランバルディア王城リーンベルネ



 ユノはリーンベルネに向かうにつれて、どんどん気が重くなっていくのを感じていた。

 まず、人の密度がドンテカとは違い過ぎる。どこに目をむけても人、人、人。

 2年間で砂漠や荒野といった場所に慣れてしまった感覚がどうにも窮屈さを感じさせた。

 荒涼とした大地は孤独ではあるものの――どこまでも自由である。

 赤い髪で豪奢な服を着た貴族。仕事にせいを出す土木屋。定食屋の呼び込みビラを配るエプロン姿の少年。親密な雰囲気の男女。小難しい議論を交わしながら何処かへ去っていく修道士たち。どれもこれもユノには生のエネルギーに満ち溢れすぎていて居心地が悪かった。


(そもそも私の格好が、浮いてる)


 今現在、ユノは冒険者と呼ばれる身分だ。ギルドの認可を受けて報酬と引き換えに様々な荒事をこなすなんでも屋、ゴロツキ、根無し草。

 言い方は色々だが、ひとことで言えばアウトローだ。

 その様々な荒事は一般的には「○○村がモンスターに襲われているから助けてこい」というものや「盗賊に○○が狙われているから守ってくれ」といった、人のためになることだ。

 しかし、時には「○○が気に入らないから殺せ」や「○○の息子を攫ってこい」なんていう明らかなウェットワークも、数多く転がっている。それらは表向きはロードスギルドの誇り高き<冒険者の掟>によって検閲されているものの、依頼者がちょっと袖の下で金袋でも渡せばすんなりとどこかの金に目がくらんだ冒険者が必ず飛びつく。

 最悪ギルドすら仲介せずに直接冒険者に話を持ちかける者も多くいる。法律上、縛り首だ。


つまり何が言いたいか、というと――基本的に冒険者は天下の界隈には好ましくない存在なのだ。


 はあ、と溜息をついてユノは己の姿を省みる。

 汚れや傷。ところどころに古くなった返り血が付いたアニマルハイドのポンチョ。プレートと合成皮で間接部分を補強した年季の入った白いレザーアーマー。ぼろぼろの黒いインナーウェア。

 腰のベルトには幅広の直剣と短剣が一本ずつ挟みこまれている。

 これだけでも充分に冒険者の姿だが、ユノの場合は二の腕と両足の横に備え付けられたスローイングダガーのベルト。一抱え程度の岩石なら砕ける手投げ式の爆薬を6個。ポンチョの内側にもいくつか武器を隠し持っている。

 おまけに背中にはデイバックと一緒にドワーフの王国、ニザヴェリルで製造された「魔術を撃ち出すライフル」を背負っている。


魔術伝導率が高いミスリルで作られたその砲身の内側には「物体を加速させる術式」が螺旋を描くように、外側に「物体を直進させる術式」が円周に沿って刻み込まれ、大抵相手を粉々にするような物騒な魔術を封じ込めた円筒えんづつを装填できる仕組みになっている。魔術の発動は筒に篭められた術式が行うため適正のない者にも扱える。

「個人による威力制圧」というコンセプトで作られたそれは「こちら」のテクノロジーからは埒の外にある存在だ。


(もっと普通の格好してこれば良かった)


すれ違った修道士の集団がユノの姿に怯えて身を避けていった。




「リーンベルネへようこそ…ご用件は?」

「姫様への謁見を、許可証ならここにあります」

「ご拝見いたします……少々お待ちを」


 軍装に身を包んだ門番が城門の中へ消えていく。

ユノはそれを見送って、2年前と姿の変わらない城を見上げる。

王都の中央。王城リーンベルネは堅牢な要塞だ。壮麗な装飾でたくみに覆い隠されているものの城壁から覗く銃眼(弓矢や銃を構えるための城壁窓)や有事の際には王都の魔術師たちが防衛に使用するトーチカ。空中を飛ぶ敵勢力を叩き落すための高射砲台などまるで戦争中の要塞であるかのように防衛施設が城と一体化している。

長らく魔族の侵攻に正面から立ち向かったランバルディアの歴史を体言するような城だ。

と、門番が戻ってくる。


「確認いたします、ユノ・ユビキタス様でよろしいですね?」

「ええ」

「不明をお許し下さい…それではお進みください。」

(いい兵士だ)


折り目正しく礼を執る門番に軽く答えると城門をくぐる。


(帰ってきてしまった)


 ぐ、とポンチョの胸元を掴む。

城の中はなにも変わっていない。青を基調とした屋根と白いレンガで作られたパレス。

城の四方を囲むように建てられた尖塔には弓を持った兵士たちの姿が見え隠れしている。

城門を進んだ正面には花と緑で彩られた石造りの噴水がある。

噴水にはお抱えの楽士や召使。謁見を待つ貴族達。談笑する軍の騎士。図書館を訪れた学院生たちの姿がある。

その中央の噴水から道が分かれ、王族の住む宮殿。王立の図書館。騎士たちのバラック。王城に住む人々のパレス。修道士や神の巫女のいる礼拝堂へと繋がっている。


(なつかしい)


「世界を救うため」と、「こっち」に召還された場所がリーンベルネだった。

ユノ・ユビキタス、今はそう呼ばれる「向月ゆの」がこの世界に訪れたのはもう4年前だ。

今でも憶えている。帰りの「でんしゃ」の中から突然景色が変わり、魔方陣が描かれた城の一室になった光景。


大陸中央に堂々と構える歴史ある大国家、ランバルディアの礼拝堂の祭壇。


ユノと同じようにこの世界に召還されたのが少年――神城ナオキとその友人の筋肉質な少年、東条ケンヤだった。

突然の事態に戸惑い怯える「向月ゆの」たちに召還の儀式を取り仕切った王女にして神の巫女――セリア・ランバルディア・イヴヴァルトが言った。


「お願いです勇者様――どうか私たちの世界をお救い下さい!!」


(そう、所謂異世界ファンタジーの王道中の王道――「魔王を倒すために召還された勇者たち」になってしまった。)


「異世界での冒険」という「ユメモノガタリ」に突き動かされて半ばわくわくとしながら冒険をはじめ――すぐにこれは勧善懲悪の異世界王道ファンタジーではないな、とユノと二人は気付かされた。


世界情勢は思った以上にハードだった。


200年前に海中に封印されたはずの魔王とその配下たちは西部の国々を瞬く間に滅ぼし、一片の光も射さない闇の世界へと変えてしまった。

魔族の侵攻を逃れた人々も、西部と中央を遮るように横たわるメルカトル大砂海にその骨を沈めた。

それと同時に、魔王の魔力を受けて異形と化したモンスターが人々に確かな敵意をもって襲い掛かった。

おとなしい筈の愛玩用のモンスターが子供を噛み殺し、仲間を読んで村を滅ぼした。

隊商のランドドラゴンが狂ったように咆哮を上げて走り去った。

巨大なオーガーとトロルの群れが通常ありえないような統率を持って要塞を夜襲した。

いくつもの村や都市が滅び、たくさんの人々が死んだ。

目の前でモンスターに人間が容易く殺され、暖かい臓物が顔に降りかかってようやく、ようやく「向月ゆの」は「今」がどうしようもないくらい「リアル」で途方もないくらい現実である事を痛感した。

そんな血なまぐさい最悪なファンタジーの中を3人は必死で駆け回った。


 騎士団とロードスギルドの教官たちからスパルタで教育された。早々に音をあげかけた。

 貿易都市カスツールで盗賊団を相手に大立ち回りを演じた。商人に顔が利くようになった。

 船を容易く丸呑みする巨大なテンタクルスから商船を守った。

 沈んでいく怪物の死体と夜明けの空が忘れられない。

 海の向こうにひっそりと佇む神秘の都パルメキアで僧侶から世界の事を学んだ。平和を取り戻してあげたいと本気でそう思った。

 ジャングルの奥深くに眠る加護の地で勇者の加護を受けた。授かった力の大きさに怯えた。

 ドワーフの王国ニザヴェリルで武器をもらった。子供たちに懐かれた。

 国のためなら死ねる、と大陸中から集まった魔族討伐軍「エインヘリャル」をランバルディアの王から享け賜った。

 そして――あとは果てのないほどの戦いの日々

 ビブリオマニアの魔法使いと、プライドが高く、ナオキに恋する騎士を仲間に加えて

 国と、人と、仲間と、なにより自分を守るために殺し続ける日々。

 人の赤い血と、魔族の蒼い血が大地に河を作り、死体と死骸が弓と魔術を防ぐ防壁と役割を換える。

 怯え震える心を奮い立たせるために歌を叫び歌いながら戦場を駆け巡るエインヘリャルの騎士とその配下の兵士たち。





 地の平和を永久であれ 絆は鉄の鎖であれ 王国万歳!


 光を胸の中にもて かのものの血と死で 死せる戦士の鎧を染めよ


 闘え 闘え 神と王国のために 闘え 闘え 恋人と正義のために


 進軍のときは今ぞ 死せる戦士たちよ こうべをあげよ 王国万歳!





(ああ、やめよう)


 深呼吸をする。動悸が早まっていた。

 2年前から――ユノは「闘い」から帰れなくなった。

 平和なはずの日常の中でもどこかに戦場の空気を感じて、ずっと心が高ぶったままになるのだ。


 街に聞こえる談笑の音が魔族の奇怪な嘲りに聞こえ、道行く衛視が死んだはずの兵士に見えるときもある。背後からの奇襲を常に警戒し、遠方からの狙撃に備えて広い場所へ出たくなくなる。少しでも挙動のおかしい人間を見たら魔族の擬態を疑う。

 幻視幻覚。完全に病気だろう。

そのせいで随分とアリカに迷惑をかけている、とユノはドンテカで待つハーフリザードの少女の顔を頭に思い浮べる。

この前のようにパニックになってアリカに襲い掛かりそうになったことも1度ではないし、幾度も実は魔族のスパイじゃないか、とか暗殺者や賞金稼ぎではないのかと疑ってかかったこともあった。

そうして正気に戻るたびに、悔いた、泣いて謝ったこともあった。

 そのたびにアリカは許し、時には怒り、正気を保つ術を一緒に考えてくれた。

 助けたはずの少女にユノはずっと助けられていた。

 また「闘い」に飲み込まれそうになったら――ユノはこうアリカのことを思い出すようにしている。

 なんとか心の昂ぶりを抑えて、ユノは噴水の正面を抜けようとする。




――噴水を囲む群衆の中から、鋭く澄んだ声が響いた。


「この神聖なリーンベルネの御庭に、そのような不逞な格好で何様か」




 ざわり、と群集が凍り、ざざと何人かの人影が身を引いた。

 そこに立っていたのはユノと同じくらいの背丈の、つまり同じくらいには背の低い少女だ。

 騎士の姿をしている。

 貴族を表す赤毛はあまり手入れされず後ろ頭にひっつめている。蒼い双眸に引き結ばれた小さな口元。 その頬に残る大きな刀傷がなければ城下の吟遊詩人あたりが美貌を褒め称える詩でも歌っていたかもしれない。

 ブーツと同じ鋼の首当てに鉄の輪を連鎖して造られたリングメイル。軽装を重視しているのか細いしなやかな腕は二の腕まで露出されている。

 鋼鉄で出来た腰当には湾曲した形状の剣が交差するように二本。

 グローブの甲にはどこか見覚えのある紋章が刺繍されている。


(二刀流?)


 赫怒を滾らせながらこちらを睨む少女の後ろにはもう1人大柄の騎士がいる。

 こちらも年の若い騎士だ。典型的な若い騎士といった風情だ。

 鎧はが錆止めに黒く塗られているところを見ると叙勲していない自由騎士だろう。こちらは軽装の少女と違い防御に徹するスタイルの騎士と見えた。顔に人の良さそうな笑みを浮べているもののその瞳はユノの姿を油断なく見ている。侮りも驕りもない善い瞳だとユノは思った。


「王女とのお話がある。道を開けてもらいたいのですが」

「知っている――しかしその前に少し私の用件に付き合って貰おう」

「あ、ちなみにセリア様でしたら沐浴中ですので今は王宮ではなく神殿におりますよ」

「余計な口を挟むなフリードォ!」


 くるりと小柄な身体が反転し、後ろで笑いながら指を立てた騎士(フリード?)の脛に痛烈な蹴りを入れられる。

がん、と鉄と鉄のぶつかる音がし、大柄な騎士が脛を抱えて飛び跳ねる様子にユノは少し拍子が抜けていた。


「用件とは、なんでしょう騎士さま」

「只の冒険者のフリなどして貰っても困る。貴様はユノ、ユノ・ユビキタスだろう」

「・・・・・・」

「沈黙は肯定と見るぞ――我が親族の仇、貴様の血で慰めさせてもらいたい」

「ボクはその立会いです」


ざわ、と噴水の間を取り囲む群集が沸く。


「あれが?あれがかの“灰かぶり”か?」

「騎士を…殺したというあの?」

「おぞましい!真に白ではないか」

「ひ弱な少女に見えるぞ、何かの間違いではないのか」

「門番は何をしておる」


 へっ、とそれまで作り続けていたユノの少女の仮面が割れる。

 その下にあるのは――もうすっかり染み付いて取れなくなった冒険者の貌だ。

 俯いたその表情は対面にいる騎士の少女には見えない。


「その双剣、見覚えがある。そう確か“アンテローズの白薔薇”」

「貴様の口が我が姉の名を紡ぐな、騎士殺しめ」

「それは失礼…あなた様が赤い薔薇の方でございますか」

「その通り、王都守護騎士団ルビィ・ギムレット・アンテローズ。これ以上は無駄口、さあ剣で語ろう」

「せっかちは嫌われますよ、お嬢ちゃん」


 ああ“捌け口”ができた、とユノの脳裏でなにものかがそう囁いていた。

 もう既にアリカへの思考はどこかへ消え去っていた。

 聖母の如き貌を浮べる鱗の目立つ少女の立像は「闘い」を途方もなく愛する不定形の塊に追いやられる。

 それを最低だ、と他人事のように誰かが呟いた。分裂しているのを感じた――王都に入ってから胸に出来ていたしこりが消え去り、ずいぶんと楽に息が出来る。これは、きっと戦の空気だ。やっぱりもう「向月ゆの」は戦場から帰れない。


――心のどこかでたくさんの自分ユノが何かを言っている。


(セリアには、悪いことするなぁ)


(でも、でもしょうがないよねだって仇だもんね)


(闘おう、闘おう、闘おう)


(もう駄目だ、こんなことをしてはいけない…だめだ…だめだ…)


(目の前の敵は軽装、早さを重んじる…今の装備のままでは少し不利)


――ユノは煩くなって自分ユノの声を無視した。



はああ、と息を吐いて、腰のベルトから剣を引き抜く。


「上等、上等だよ騎士のお嬢ちゃん」

「……何だ?」

「ところで仇討ちってお嬢ちゃんは神聖なものだって考えたりしちゃってる?でもねそれって違うんだよ」

「ルビィ、少し様子がおかしい。気をつけた方がいいぞ」


 黒い鎧の騎士――フリードが一抹の危機感を感じて少女に警告する。

 騒ぐ群集たちを退かせながら二人の少女の中間点、立会い人の立ち位置まで移動する。

 それを受けた騎士の少女が流れるような動きで二刀の剣を引き抜き顔の前で交差させる。


「ちっ、バラックでやりあうつもりだったが…諸侯!少し噴水の間を貸して貰うぞ!」

「仇討ちってさ面倒くさいだけなんだよね――家が燃えるわ、アリカが危ない目にあいそうになるわ、ギルドの依頼書がなくなるわ、金もなにも私の手に入らない」

「何だ!貴様は何を喋っている!」


「飽きてるんだよね、私、そう仇討ちってのはもう飽きてるんだよ」


 ばっ、とユノの白髪が踊り、それまでルビィに見えていなかった貌が顕になる。

 そこにはルビィのはじめの一声に答えた、どこか疲れたような少女の面影が消えている。

 凄絶な、「たった今のいままで戦場で敵を斬り殺していた戦士」の表情だ

 その視線に少しだけルビィは恐怖を覚える、が、次の瞬間には不敵な笑みを浮べている。


「まあそれでもいいや、その仇討ち、買うよ」

「上等…“アンテローズの赤薔薇”推して参る!!!」


 二人の少女が、ゆっくりと歩を進め、それは早足へと変わり最後には突進へと変わる。

 ユノは剣をだらりと下げたまま。

 ルビィは顔の前で交差させたまま。

 そして二人の距離はゼロになり――その瞬間にリーンベルネの庭が剣と剣の合いする音に支配される。

 群集が驚愕の声を上げ、すぐに静まりかえる。それは未だあどけない幼さを残す“灰かぶり”の勇者の、その力任せを体言した嵐のような剣筋に息を呑み、その表情があまりにも楽しく笑っていたからだ。

 対する赤い髪の少女騎士も負けてはいない。その可憐ともいえる双眸を凄絶に歪め、まるで舞踏のような剣捌きと足運びは命を刈り取る死のダンスだ。


「あはっ」


 2人の少女のどちらかが――否、どちらもがそっくりな笑みを浮かべた。

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