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再会と予兆

『月』の暦1065年

天候:曇り 8月16日

12時23分――神を信仰するものならばまず食前の礼拝をするべき時間

ドンテカ外れの小屋、ユノの自宅



 時々――彼女がいない間に部屋を掃除することがある。

 それはアリカがいない間に脱ぎ散らかされた衣服だったりとか床に転がった酒瓶だったりする。両方の時がほとんどだ。

 ハーフリザードの少女アリカははたきで棚の上の埃を落としながら、ほんの2時間前に立っていったこの小屋の主について思考していた。


 ユノ・ユビキタス――ユノは本名でユビキタスはあとから付けた名前らしい。

 その理由を問うと曖昧に答えをにごされてしまったからあまり触れないほうがいい話題らしい。


 一見、かよわい雰囲気を持つ少女だ。小柄で華奢なシルエット、丸みのある白い顔の中にはこの世でいちばん小さな月がふたつ浮かんでいる。

 顎のラインで切りそろえたショートヘア。のび放題で放置されていたのをアリカが無理やり椅子に座らせて手入れしたものだ。

 ここまでは王都ランバルディアにも貿易都市カスツールにも魔法使いの国エルムトにもいそうな普通の少女だ――だが、その髪も睫毛も「白」


 年を取ると魂が少しづつ髪から抜けて白くなる老化の白ではない。何にも相容れない孤独な、純白すぎる白。

 生まれつきではないらしく元々は黒髪だったよ、とユノは乾いた笑いを浮べながら話すことがあった。

 「白」になった原因について訊ねると――ふさわしくないものが間違って勇者になってしまったときの色なんじゃないか、とユノが自嘲気味に呟いていたがアリカは、そうは思わなかった。


 ユノは確かに勇者――おとぎ話や伝承に詠われるような昔の勇者たちのように清廉で勇気に満ち溢れ、純粋な正義のために「人」を脅かす「魔」との戦いを先導する。そういった伝説の存在と同じであるとは、世間知らずのアリカでもイエスとは言えない。

 いつも疲れたような表情に歪められた瞳。引き結ばれた唇からは年相応の少女らしい言葉も英雄っぽい発言もなく粗暴で時として自虐的な皮肉が吐息のように呟かれる。

 戦いに明け暮れ、酒に潰れて、眠るときは剣を抱きながら獣のように身を縮めて眠り、悪夢や幻覚で昨日のように暴れることもある。

 勇者とはほど遠い。戦いに疲れ果て病んだ少女兵士の姿だ。


 それでも――そんな姿でもアリカにとっては誰よりも「勇者」だ。


 戦いに生き、そして死ぬ種族リザードマンと人の間に生まれたアリカは、種族の苛烈なあり方についていけなかった。

 闘争の中の勝利と敗北によって自己を確立する――温厚なアリカにはその価値観は血生臭くて15のときに生まれ育った集落を出た。そして人の街で新しい人生を始めたが、今度は人として生きるにはリザードマンの特徴が枷になった。

 運の悪さというのもあるだろう――人として暮してもいまひとつ馴染めなかった。

 リザードマンとのあいの子というだけで区別され、時にははっきりと拒絶され働き口を転々とした。身体目当てで言い寄られ乱暴されそうになったこともあった。

 なにひとつうまくいかず、遂に性質の悪い冒険者にひどいことをされそうになったときに――ユノが現れた。

 眠たげに細められた目に、逆手に握られたワインのボトル。剣も抜かず拳も使わずあっと言う間に冒険者二人を沈めて颯爽と消えてしまった。


 ……一目惚れしてしまった。


 誤解を招く表現だがこれが一番的確で、自分の将来に夢も希望もてなかったアリカが人の暮らしの中で唯一見つけた光だった。

 それはきっと清廉な、優しく暖かな光ではなかっただろう。

 強い、近づけば焼き殺されかねない、強く、暴力的な光。

 しかしアリカにはその光が自分に必要なものに感じられた。

 闇を、暗い日常を、感情を吹き飛ばす強すぎる光。

 気づいたときにはその小さな背中を追って酒場を飛び出し、勇気を持って話しかけた。殺気立ったオーラを醸しだしていて怖かった。

 でもアリカのことを嫌がらず拒絶せずに話を聞いてくれた。一生懸命お礼を言ったら照れたように笑って「別にあんたを助けたくてやったんじゃない。苛々していただけ」そう言った。

 その発言は確かに真実だったのだろう。アリカはその後も無理やりのようにユノと関わり、冒険者らしい利己的な面も見れば粗暴な面も見た。

 そして彼女の心が半ば、ある種の狂気と同居していることにも気づいた。

 しかし――もしかしたら彼女自身は気づいていないかもしれないが、月のような瞳の奥にはいつも理不尽を憎み、障害を踏破せんとする意志があった。

 それはアリカが幼いころに本を読んで夢想した「勇者」の瞳だ。


 ふう、と吐息をついてアリカは小屋にひとつしかない窓を見やる。

「大事な用件が出来た」と言って、今朝方いちばん早い馬車で行ってしまった。

 何かに決意する表情で――きっと過去のなにかを片付けに行ったのだろう。


(それは、いいことなんだよね)


 でも、とアリカは口に出して呟く。祈るように


(――傷つかないで、ほしいな)


 好きな人が前に歩き出したという期待。先の見えない不安。

 アリカの縦長の瞳の中には、緩やかに太陽を覆い隠す雲が浮かんでいる。




『月』の暦1065年

天候:曇り 8月16日

12時23分――神を信仰するものならば食前の礼拝をするべき時間

大陸馬車103号(ドンテカ発王都ランバルディア行き)



 ユノは大陸馬車に揺られながらセリア――聖女にして王姫、セリア・ランバルディア・イヴヴァルトから送られてきた手紙を読み返している。

 手紙には封筒と同じく上質な便箋が2枚。もうひとつはロードスギルドから発行される『王命通知書』だ。不変を象徴する伝説の植物であるロードスの葉が描かれ、その下に重要かつ決して抗命してはならない書類であることを表す印が捺されている。

 文章はたった一行――『王命により契約を無期限に停止する』


(契約)


 ユノはその二文字を――いくらかの苦味と共に想起する。

「勇者でありながら魔族に組して英雄たる騎士を殺害」言うまでもなく大罪である。

 ユノの主観では食い違いがあるものの結果は変わらない。過去の過ちは覆らない。

 本来なら、神罰として王都でもっとも残虐かつ苦痛を味わう方法で処刑されていただろう。

 しかしユノには、どんな考えであれ助命を求める「みんな」がいた。

 その結果が契約だった。


 “死がその身を滅ぼすまで無償で戦いに赴くこと。”


 魔王が倒されその王民たる魔族の大半が地上から姿を消したとはいえ、この大陸は平和ではない。

 魔王が放つ魔力で凶暴化したモンスター。ゲリラ活動を続ける魔族軍兵士。誑かされユノと同じように魔族を助ける反乱者。戦場の狂気から帰れず、無差別に死を撒き散らす狂戦士たち。

「反逆の勇者」が死ぬ場所などたくさんあった。

 この2年間で何度死に掛けたことか――あまり考えるのはよそう。感情がコントロール出来なくなりそうだ。


 白い便箋を開く。


 親愛なるユノ、そして「向月ゆの」へ


 あなたがお父様と契約を交わしてから2年の歳月がなりました――

 王宮のほうは相変わらず慌しく私も最近ではお父様の政務を手伝っています。

 あなたや皆と会えない日々が続いていますがあの頃とは違う。目に映るものすべてを美しいと感じられるような、そんな日々を送っております。


 今回の突然のお手紙には戸惑われていると思いますがどうしてもあなたに伝えたいことがあるのです。


 王宮ではあなたの2年間の功績を通して少しづつではありますが、あなたに対する意識が変わりつつあるように思えます。

 もちろん未だにあなたを神罰に基づいて処断すべきであるという声もありますが――たしかにあなたの罪はあなたの頑張りによって少しづつ許されていると思えるのです。

 そこで私とお父様の間で話し合いをして――あなたにひとつ頼みごとをしたいと思うのです。

 この手紙では他人の目に触れるおそれがあるため書きません。

 あなたには是非ランバルディアの私のところまで来て、直接話しを聞いて欲しいのです。

 ギルドには既に通達して契約を停止してあります。


 最後にいつまでも頑固なあなたへ――


 私もみんなもすでにユノのことを許しています。

 当時はみんな魔の気配と戦場の空気で心が荒み、あのようなことになってしまったのです。

 この2年間わたしたちは幾度も、夜も昼も話し合いお互いの過ちを認め合いそして前を見て進むことを決意したのです。

 あとは、ユノ――あなただけなのです。あなたが誰よりも罪を重く受け止め、交わした契約以上のことをして自分を死に追いやるような莫迦な真似をしているのをわたしは知っています。

 それはとても悲しくて、わたしにはつらいことなのです。

 罪を忘れろとはいいません。ただ、みんなに向き合って――共に前を向いてほしいのです。


 はあ、と息をついてユノは便箋を封筒にしまう。


 重い、とても重い内容だった。そしてそれは刃のように尖っていた。

 その手紙に描かれているのは確かに赦しだろう。ユノが犯した罪に苦しんでいることを理解し――受け入れてくれる。

 しかしユノには手紙の主セリアの広げた腕に飛び込むことは、できない。

 もし純粋に罪に苦しんでいるのならいい。己の犯したあやまちを心底反省し、どんな言葉にも真摯に向き合い、贖罪をし現状を打開する方向を向いていけるなら


 ユノは違う。自分は心の底で「自分は悪くない」――そう思ってしまっている。


(なんで私が責められなきゃいけない?)

(私は私の正義で行動した。一方的に罪だと押し付けられた)

(何故子供まで殺す必要がある?人でなければ何をしてもいいの?)

(私の命令を無視したのはあいつらだ。殺されても当然じゃないの?)

(死ぬまで戦え?それは結局死ねってことだろう!)

(そもそも私は勇者なんてやりたくもなかった!)


 ああこれはいけない――黒々としたナニカが腹の奥底から溢れて湧いている。普段は色々な重石で蓋をした壷。目を逸らしたくても叶わない感情。


 憎い 憎い 憎い 憎い


 がたん、と馬車が揺れる振動ではっ、とした。同時に自分が息をしていなかったことに気づく。腹の底から膨れ上がった感情が形を得て肺を圧迫したかのようだ。

 息を吸う、にがい。

 馬車に備え付けられた窓から外を見る。もう王都が近い。


(来て、しまった)


 王都ランバルディア――この大陸における現在唯一の王制国家であり一大強国である。

 広大な農作地と豊富な鉱山を背景に近代的な装備を整えた常備軍を持ち、勇者率いる国を超えた魔王討伐軍「エインヘリャル」も多くがランバルディアから選出される。堅牢さと壮麗さを兼ね備える都市は「戦乙女の都」とも呼ばれることがある。

 しかしその繁栄を極める王国の王室は――退廃的な側面が見え隠れする。

 その原因のひとつは「戦の優るものが第一後継者」という信仰からくる王族の内政不振。

 軍事力にばかり目が向くせいかそれ以外の重要な案件がふいにされ易い、とユノは聞き及んでいる。くわしく見聞きしたわけではないが中立地帯であるドンテカにまで噂が聞こえるあたりあからさまなのだろう。

 もうひとつは貴族――内政下手の王族に代わりその臣下たる貴族が政治を主導する形なっているが…そこは貴族の独断と専横の場であるという。耐えかねた王民が王族に訴えを申し出ても貴族は言葉巧みに王族を騙し、また違う形で利益を自分のものとする。

 戦うことにしか興味のない王族とその目を盗んで民の上で舞踏する貴族。

「こっち」に来てから2年で得た印象はそんなものだ。


『麗しの王都ランバルディアー到着にございます…次回も大陸馬車のご利用をお待ちしております』


 馬車が王都正門の停留所に止まる。

 大陸馬車は「あっち」でよく利用していた「こうそくばす」によく似ている。

 王都からどこかへ旅立つ人間がより集まって自分が乗るべき馬車の到着を心待ちにしている。馬車を運営する組合員が、大声と身振り手振りで客をたくみに誘導し馬車に人を押し込め、剣を背負った冒険者も豪奢な服の商人も、粗末な服の労働者風の家族も平等かつ迅速に馬車に乗車させられていく。トラブルも頻発するが足の踏み場もない喧騒と屈強な衛兵によってすぐさま騒動は喧騒に消えていく。

 王都からどこかへ旅立つ人々と入れ替わりになるようにユノは王都に入っていく。大抵の人よりも背が低いユノにとってはこの時間は不快以外のなにものでもない。

 ドンテカとは比べ物にならないほどの喧騒さと明るいエナジーに辟易しながらも中央に聳えるランバルディア王城――リーンベルネの方向へ歩いていく。

 喧騒のなかへ消えていく白髪の少女の背中を、風船を持ったピエロがじっと見ている。

 泣き笑いのように化粧した顔のまま、道化服の襟元についた「何か」に向かって呟いた。


『道化より――灰かぶりの王都入りを確認。繰り返す灰かぶりの王都入りを確認。状況を移行せよ』


 子供と母親が風船をもらいに寄ってくる。するとピエロはいつものようにサーカスの興行があることをひょうきんに報せながら子供に風船を手渡した。




『月』の暦1065年

天候:曇り 8月16日

13時40分――昼が終わり各々が仕事に戻るべき時間

王都ランバルディア王城リーンベルネ



 バラックの訓練場の土を、鋼のブーツが躍る。

 その華麗な足捌きの持ち主はまだ年若い――十五前後の少女だ。

 貴族を表す赤毛はあまり手入れされず後ろ頭にひっつめている。蒼い双眸に引き結ばれた小さな口元。その頬に残る大きな刀傷がなければ、城下の吟遊詩人あたりが美貌を褒め称える詩でも歌っていたかもしれない。

 ブーツと同じ鋼の首当てに鉄の輪を連鎖して造られたリングメイル。軽装を重視しているのか細いしなやかな腕は二の腕まで露出されている。

 グローブに包まれた両手には特徴的に湾曲した細い剣が上段と逆手に握られている。

 長さの違うそれを巧みに操り、まるでダンスでも踊るかのように訓練相手の黒い甲冑の騎士に剣戟を加えていく。

 上段の振り下ろし――逆手の首を狙ってのなぎ払い――瞬時に持ち替え、股間から天辺まで流れるようなスラッシュ。


 その瞬間、少女は猫のようにしなやかに空中を伸び上がっている。

 相手役の甲冑の騎士も巧みな剣技で少女の剣を捌いていたものの最後の一撃に耐え切れず剣を弾き飛ばされる。

 そして打つ手のなくなった甲冑に騎士が剣を突きつけて――勝利の宣言。


った!」

「はい、られました」


 ひゃー、とその姿に見合わないコミカルさで甲冑騎士が手を上げて降参する。

 その騎士の様子に少女は満足したようにうむ、と頷くと剣を腰のベルトに吊り下げる。


「いやぁ、ルビィなんだか今日はいつにも増して気合入ってるねぇ」

「当たり前だ!」


 間延びした口調で少女――ルビィに話しかけたのは黒甲冑の騎士だ。

 やれやれとフルフェイスのヘルメットを脱ぐとそこには浅黒く、健康的でいかにも人の良さそうな青年の顔が覗いた。汗ひとつかいていないその顔には見る人を安心させるような笑みが浮かんでいる。


「今日こそ姉さまの仇を討つ!私はそう心に決めているのだ!」

「いや、まずいんじゃないかい?相手は勇者だろ?姫様のご友人だぞ」

「わかっている…だから殺しはしない」


 ぐ、と周囲に聞こえるくらいグローブに包まれた拳を握り締め、決然とルビィは呟く。その目には炎が燃えさかり、今にもその「仇」を燃やし尽くさんばかりだ。


「だから!」

「だから?」

「半殺しにする!!」

「決然ということじゃないよねルビィ」

「もうそろそろ到着する頃だ…ゆくぞついてこいフリード!弔い合戦だ」

「ねえ聞いてる?僕の話、ちょ、痛いからひっぱらないでよ痛い痛い」


 どこかずれた雰囲気のある――親子のような身長差の2人の騎士。

 騎士団の期待のルーキーにして双剣技の使い手ルビィ・ギムレット・アンテローズ。

 そのお転婆な振る舞いに付き合わされる人のいい平民騎士、フリードリヒ・ヴァイセン。

 その2人の登場により、物語はひとつ進んでいく。


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