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生活の終わり


『月』の暦1065年

天候:快晴 8月17日

(時刻記載なし)

砂海入り口の村――ドンテカ

村外れにひっそりと佇む小屋



(おまえのせいだ)


(おまえのせいで、我らは)


(裏切り者)


(許さぬ、許さぬぞ小娘)


 ユノは疲労困憊している。

 それは足元に絡みつく泥と、着慣れない金属鎧のせいだ。

 雨も酷い。そもそも雨とはこんなにも血生臭いものだっただろうか?

 顔に降りかかる雨はどこか赤い色を帯びているような気がする。

 血のような、雨。

 背後に忍び寄る気配に、振り向きながら剣を振り下ろす。

「勇者の加護」によって必要以上に強化された剣の一撃が、槍を構えた騎士を一閃する。

 槍ごと切り裂かれた騎士は悲鳴すらあげず、泥の中に崩れ落ちる。


――ああ、剣が重い。


 ユノは一足に跳躍すると斧を構えた騎士と、それに守られて弓でこちらを狙う騎士に肉薄する。

 力任せに振り回される斧を篭手で払いのけ、刺突。

 そのまま絶命した騎士の身体を盾にして強引に弓を持った騎士に近づく。

 振動、矢が放たれたのだろう。鉄の鎧と筋肉はそうそう貫通しない。

用済みになった「盾」を捨てると距離を開けようと後退した騎士を押し倒し、剣の 柄で殴る。

 がん、だか、ごん、だか小気味のいい音を立てて兜がひしゃげる。

 生暖かい泥だか血だかが顔に飛んできて気持ちが悪い。


――シャワーが浴びたい・・・シャワーって何だったっけか


 何か大事なものだったような気がするが、と首を傾げながら立ち上がる。

 ああ、それにしても、とユノは泥にまみれた大地を歩きながら考える。


(あの子たちは逃げれたかな?逃げて、出来れば生きてて欲しい)


 雨に紛れて近づいたのか、軽装の騎士が猫科の動物を思わせる跳躍と共に剣戟を入れてくる。二刀流。コンビネーション。

 連続で振るわれる刃と刃を剣と篭手を使って受け流す。


 なかなか手強い。


 少しでも隙を見せれば致命的な一撃をもらいかねない。

 足元のぬかるみと身体を大地に縛りつける鎖のような雨。この悪条件がなければ状況はもっと目の前の騎士にとって有利に動いていただろう。

 ふっ、と下からの風を感じて咄嗟に上体をそらす。反応できたのは間違いなく幸運だった。次の瞬間に見えたのはブーツに包まれたつま先。

 危うく首の骨を折られるところだった。

 姿勢を落として身体をねじりながら騎士のふともも付近を裏拳で一撃する。鉄と鉄の擦れあう音が響き、騎士が体勢を崩す。その頃にはユノは腰を落としたまま泥の上で体勢をたて直し騎士に身体ごと突進し、剣を首に突き刺す。

 骨を突き砕く感触がいやに手に残った。

 騎士はびくん、と1度だけ大きく震えるともう動かなくなった。

 荒い息を吐いて、騎士の身体を泥に横たえる。


 重い体。汗で滑る剣。血のような雨。熱い泥。

 何もかもが不愉快で、最悪だった。


(おまえのせいだ)


(おまえのせいで、我らは)


(裏切り者)


(許さぬ、許さぬぞ小娘)


(ああ、クソ、うるさいな――自分たちが悪いんでしょ)


 がしゃ、がしゃ、がしゃ、がしゃ、鉄の擦れあう音がする。

 雨を通して伝わるその音はユノとその周りの死体を包囲するように近づいている。

数は特定できない。少なくとも20よりは多い気がする。

 ひとりきりのユノにあるのはどうしようもなく重い体と鈍器と化した剣のみ。

 もう何もかもたくさんだとユノは思った――剣を投げ捨てて跪けば楽に逝けるだろうか?

 それとも、十字架にでも架けられて火炙りにでもされるだろうか


「――――ユノちゃん」


 とても懐かしい呼ばれ方をした。誰だろう、そんな呼び方をするのは

 いつの間にか雨が止んでいる。体の重みも、プレートに束縛される圧迫感もない。そのかわりに胸が痛かった。

 きゅう、とこみあげるような逃げ出したくなる痛みがユノの薄い胸の間で火傷のように熱を発している。


「――どうして、こんなことを」


 懐かしい声!懐かしい顔!二度と聞きたくもない!

 ユノの目の前に「彼」が立っている。さらさらの黒髪、やさしげな目。細いがけしてひ弱ではない体を不思議な光沢を見せる鎧が隠蔽している。

 あいもかわらず似合わないマントが揺れている。勇者らしい、と言うと困ったように笑っていたっけな

「彼」はいつもの通りに、誰にでも優しく平等な視線を悲しみに歪ませて。

 今にも泣きそうな――捨てられた子犬のような表情でこちらを見つめている。


「気づいてあげられなくて、ごめん」



 ユノは臆面もなく悲鳴をあげて――意識を失った。



「うわああああああっ!!!」


 がば、と身体を覆っていた布――のようなものを蹴り上げて、その反動で何か固い床のようなものにしたたかに身体をぶつけた。

 心臓が早鐘のように鳴り響いて、視界が明滅している。歯の根も合わず、どこか頭の中の冷静な部分が「脳みそが危険な物質を分泌し過ぎています、沈静すべきです」と自己診断を下していた。

 無意識に腰の後ろに手を回している。通常ならばそこに護身用の短剣を差している筈だが

――ない。その事実だけでユノはパニックになっていた。


(武器だ、冷静になるには武器が必要だ。)

「あ、ユノさんおはよーっス」

「・・・・・・!?」


 突然の声、推測するに女性の、声。位置はユノの正面で大股2歩分の距離。

 敵かそれ以外か、そんな判断は働かなかった。ひたすら獣のような動きで顔すら確認しないまま突進し、押し倒す。

 首元を狙った右手は目測を誤ったのか何か柔らかくて暖かいものを掴んでいた。


――ふにゃあっ!?


 ずいぶんと間抜けな悲鳴だ・・・・・・と、そこまで動いてからユノはぴたりと体の動きを止めた。


「いやん♪ユノさん朝から大胆ですねー・・・でもわたしもユノさんも女の子だし、もっとお互いを知ってからこういう関係になった方がいいと思うんですよ、両親への挨拶も済ませてないですし」

「・・・・・・どうして私の部屋にあんたがいるのよ」

「そりゃあ、郵便配達人ですし」

「入ってくんなよ、なおさら」


 散らかった小屋の中心で、豊満な胸を鷲掴みにしたまま半人半獣の女性アリカとユノは夜這いのような姿勢でそんな会話をしていた。




「はい、コーヒー」

「……ありがと」

「もっと可愛らしく感謝してください」

「嫌」


 ハプニングから数分後、当たり前のように家に居座ったアリカは日課といわんばかりにユノの文の朝食を作っている。手馴れた様子でスクランブルエッグを作るその姿に通い妻という言葉が浮かんできて背筋がぞっとした。


「~♪」


 機嫌よさそうに料理をするアリカをぼんやりと見つめる。

 アリカ・マイルズ。リザードマンと人のハーフ。亜麻色のふわふわとしたセミロングに大きな金色の瞳。瞳孔が縦長で見る人によっては怖いかもしれない。いつも笑みを浮かべた口元からは尖った牙が見え隠れし、口の中は染めたような青色だ。

 背はユノより高く(大抵の人はユノより高い)豊満な胸と引き締まったウエストが男性には魅力的かもしれない。身体のところどころに生えた緑色の鱗さえなければどこかの金持ちのぼんぼんでもつかまえて公爵夫人にでもなっているだろう。


 ユノとの経緯はじつにくだらないものだ。


 村に武器の修理にいった時に酒でも飲もうかと思いたち近場のバーに足を踏み入れた。ユノの顔を知らないもののねっとりとした視線と知ったものの警戒の視線に苛々としながら席に座りエールを注文――しようとしたさいに背後から悲鳴が聞こえた。

 バーという場所は基本的に暇を持て余した冒険者や傭兵が多く溜る場所だ。特に近場にメルカトル大砂海という大きな「金」が転がる場所には腕もたつが自尊心も強い連中が多く集まる。

 そういった連中の中には馬鹿騒ぎと迷惑行為を履き違えている輩が時としている。

 そんな連中にバーの隅に連れ込まれ今にもウェイトレス服を脱がされかかっていたのがアリカその人だった。腕を押さえ込まれ、胸を揉みしだかれている。必死に抵抗しているもののパンツを降ろされるのも時間の問題だろう。

 助けて!と叫んでも誰も助けようとしない。

 アルコールに酔っ払い過ぎて耳が悪くなってたり、賢明にも無関心に一瞥したり、好色そうな視線を向けてにやにやと口角を歪ませたり、その日に限ってはそんな連中ばかりだった。

 その日の機嫌の悪いユノはバーのマスターに一瞥を向ける。

 枯れ木のような老マスターは人生とはそんなもんだとばかりに首を振るばかりだった。

 ぺっ、とつまみのオリーブの実を吐き捨てて隣で恐々とユノの方を窺っていた若い男女のワインボトルを拝借する。

 なにやら文句を言っていたようだが半眼で睨みつけるだけで沈黙してくれてありがたかった。

 そんなに広くもないバーをスタスタと渡りきり、まだ未開封同然のワインボトルの首を棍棒でも握るように持ち替える。

 あとに起こったことはシンプルだ――振り下ろされたボトルはパンツを脱がそうと背を向けていた馬鹿の頭を一撃し、顔を赤くして剣を抜こうとした胸のほうの馬鹿は股間を「パンシール卿のデイリーワイン」のラベルに描かれた濃い顔の貴族にキスされてバーの床に沈んだ。

 その後は後ろの方でおずおずとこちらを見やる若い男女にワインの代金を渡してバーは出入り禁止になった。ユノの廃人同然の生活で起こった――実に瑣末でくだらない1日のドラマだった。


 ただアリカの方にはどうも大きな出来事と認識されたらしく――「一生の恩人です!」と感謝された後にずるずると――唯一の友人ともいえるポジションになってしまっている。

 ウェイトレスからギルドの郵便配達人に転職した理由を問うと「プライベートでも仕事でもユノさんに会えるからです!」と返されてしまった経験がある。

 レズではないと思いたい。ただのリザードマン種族独自の性格らしい「強い人間には性別の関係なく敬意を抱く」というものであって欲しい。

 そうでないと困る。

 臆病なユノには「アリカってもしかしてレズ?」とは決して聞けないのだ。


「何か失礼なこと考えてます?ユノさん」

「気のせいでしょ」

「まあいいや――はーいスクランブルエッグとスープとパンですよー」

「ありがと」


 えへへ、と牙を見せて笑うアリカに簡素に礼を言うと朝食にとりかかる。特別旨いわけはないものの冒険の依頼をこなす以外は狩りか飲んだくれるかという暮らしを送っているユノにはとてもありがたいものだった。

 だが同時に「これでいいのか」とも感じている。ユノは王都の大半の人間からは「魔族に組して英雄たる騎士を殺害」した大罪人であり、「みんな」やギルドを媒介した王都とのある契約によりなんとか死刑を免れている身だ。

 そんな人間の横にはどんな人間もいるべきではないとユノは思う。ユノには勇者として与えられた力があるがアリカはか弱い女性だ、ユノに特別な悪意と復讐心を持つ者の中には彼女を殺すか汚すかすることでユノの罪を断罪すると考えるものもいるかもしれないのだ。先日のフィオナ・ベルのような理性的な人間はあまり多くない。

 そんな事になってしまったらもうユノは人間にも勇者にもなれない。きっと魔族よりよほどたちの悪い存在になってしまうだろう。

 しかしユノにはアリカを突き放すことが出来なかった。ユノに信頼の目を向けてくれる彼女。廃人同然だった生活を立て直してくれた彼女。絶妙な距離で接してくれる彼女。

 浅ましいことに――ユノはアリカのことが好きなのだ。


「あ、そういえばユノさん」

「――何?」

「あなたに手紙が来てるんですよ、それも珍しいことにギルド郵送ではなく普通の手紙!ユノさんも普通の文通相手とかいたんですねぇ」

「・・・・・・」


 否定する気にもなれずユノはアリカからその手紙を受け取る。かなり上質な封筒で、ギルドからいつも送られてくる粗雑な茶封筒とは明らかに違う。

 と、封筒の裏側に流麗な書体で書かれた名前を見てユノの手は固まった。

 テーブルを挟んでコーヒーを飲んでいるアリカに小さく訊ねる。


「アリカ」

「なんですかー?ユノさん」

「中身・・・・・・見てないよね?」

「さすがのユノさんでもその発言はどうかと思いますよぉ、郵便配達人の誇りに賭けて手紙の封は切ってませーん!」

「・・・・・そっか」


 懐かしい文字。確か「こっち」に来た後にみんなと一緒に習ったっけな

 真っ白で、どこか花の芳香が薫る封筒の裏にはこう書かれている。



 あなたの永遠の親友――セリア・ランバルディア・イヴヴァルトより


 ユノは今にも泣きそうな表情で、その手紙を見つめている。




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