バード・ストライクⅠ
ぱちり――とユノが瞼を開けた先はまだ暗闇の中だった。
どうやら自分の身体は柔らかな布か何かの上に寝かされているらしい。
ユノは眠りについたまま、自分の状態をチェックする。
クロースアーマーとアンダーウェアは脱がされ、顕わになった胸と腹に薬品の匂いがする包帯が巻きついている。
アリカが持ってきたものだろう。
胸元から手を差し入れ、包帯に覆われた上半身を確認する――大きな負傷はなかったらしい。火傷と裂傷の跡が薄っすらと残っている程度だった。
ユノは息を吐き、包帯が解けてしまわないように胸元を抑えながらゆっくりと身を起こす。
寝かされていたからなのか背中がずきりと痛み、顔を顰める。
闇に眼が慣れた先に見えたものは、一言で言えば砂で出来た半球状のドームだった。
広さは数人が寝転がれるほどで、その中心には魔術だと思われる光が焚き火のように燃えている。
砂で出来た天井にはなんの補強もされていないが、中にいる人間を生き埋めにすることなくの屋根を形成している。
エルムトの魔法使いが使用する重力操作の魔法の応用だろう。
魔術の光の向こう側には横長の細い窓が作られ、そこから覗く月明かりにユノは月色の瞳を歪める。
(おかしな、夢を見た)
自分の過去が飾られた博物館。
記憶を見せる扉の群。
その中から覗く、鎖で吊るされた見覚えのある凶器達。
エレベーター。
そして「オーディン」と「ロキ」との邂逅――そこで知らされた冗談のような神々の計画。
魔族と人とを戦わせ、最終戦争に立ち向かえる戦士を作る荒唐無稽な計画。
この世界はその実験場――戦死者の館ヴァルハラ。
(なんとなく予想はついていたけど……この世界は北欧神話の世界なのね)
トールという名前の方が有名であるが、この世界の主神ドンナーはワーグナーの歌劇の中で語られるトールの別称だ。
そして夢の中の2人が語った名前――オーディン、ロキもまた神話の中に登場する有名な神の名前そのものだ。
今まで思いださなかったのが不思議だが、魔族達の名乗る「ミズガルズ」という名前も北欧神話に登場するものだ、
その意味は中央の囲い。普通の人間が住む「中つ国」の名前だ。
魔族が人間であれば、この世界の「人間」は一体何なのか――笑える話にはなりそうにない。
(爆撃機、ヴァルキリー……ラーズ、グリース)
「オーディン」と「ロキ」に聞いた単語を反芻する内にユノは、と夢の中で自分に起こった出来事について思い至る。
封じられた“勇者の加護”の解放と、ふたつみっつと追加された未知の加護の感触。
確かあの老人はなんといっていたか――自分の中にいるヴァルキリーが持つ力。
ユノは慌てて眼を閉じ――“勇者の加護”の変化を確認する。
“勇者の加護”の状態を確認する作業は簡単なものだ。
眼を閉じて念じると瞼の裏側に星のように煌く光が浮かび、その光の内側を覗きこむことによって加護の情報を読み取ることが出来る。
ユノが最後に確認したのは1年以上も前の話だ。
ユノが意識を集中すると瞼の裏側に見知った星の図版が陽炎のように浮かび上がる。
最後に確認したその時にはドンナーからの天罰か、それとも別の要因か3つある力の内、1つが光を失っていた。
失われていたのは――形勢が不利な時に逆転の切り札となってくれた強力な加護“天罰の招来”
その光が――ユノが覗いた今は煌々と輝いている。
(本当に戻っている――それに)
瞼に浮かびあがる光の数が3つから6つに増えている。
揺らめきながら輝く“世界の静止”と“死の行進”そして“天罰の招来”の、3つの光の裏側に未知の光が灯っている。
恐怖のような興奮のような落ち着かない気分を抑えながら“見せろ”とユノは念じる。
ぐるり、と天体の立体図が回転するかのように、既知の3つの光が遠ざかり、未知の3つの光が近づいてくる。
それは見知った“勇者の加護”とは少し違うように思えた。
“勇者の加護”が赤々と燃え盛りながら煌く炎の塊であるのに対して、未知の加護の方は稲妻が球状に固められたような青白い光の塊だ。
魂というものが姿を持っているのなら、こんな形かもしれない。
(これがラーズグリースの力?あの老人、オーディンが話していた)
初めて聞く名前の筈なのに、妙に懐かしい感じがするのは何故だろう。
ユノはゆらゆらと揺れる魂を見つめるうちに奇妙な郷愁感を感じていた。
ずっと遠くにあったものが戻ってきたような、生き別れた人物と再開することが出来たような――そんな胸が詰まるような感覚に苛まれていた。
不思議な感覚に若干の戸惑いを覚えながらも、ユノは意識を集中させて「ラーズグリースの力」を覗きこむ。
(これは……)
光を覗くと、ルーンが浮かび上がりその力の性質と守るべき制約をユノに伝える。
同時にそれを発動する「力ある言葉」がちらちらと光を発しながら舞い踊る。
(――あの2人が味方っていうのも、信じられそうだわ)
ユノは全ての力の性質を読み終えると、瞼を開けてふうっ、と息を吐く。
新しい力には面倒な制約がつくものの、巧くその条件を呑み込めば戦いはかなり有利に進めることになりそうだった。
一体自分が「ロキ」と「オーディン」のどんな計画に巻き込まれているのかは確かに気にかかるが――今それを考えても仕様のないことだろう。
(とりあえずは、現状の把握が先――かしらね)
ユノは胸元の包帯を抑えたまま立ち上がり、自分が着ていた装備の行方を探す。
何をするにしたも丸腰のままは不安だ。
今の状況だって、それが善いのか悪いのか知らないとどう動いていいのかわからない。
「……ああ、お目覚めですか、ユノ・ユビキタス」
ユノがきょろきょろと自分の周囲を見回し、手探りで衣服を探していると闇の中から声がかかった。
それはエルムトの魔法使いスコルピオの声だった。
別に隠れていたということではなく――「かまくら」の窓の横に膝を抱えて座り込んでいたらしい。
ユノはどうにも締め付けの緩い包帯をさらに意識的に押さえつけながら、スコルピオを見て言葉を返す。
「……ずいぶんと疲れているように見えるけど、苦労をかけたのかしら」
スコルピオは笑みを浮かべていたが、ずいぶんと消耗しているように見えた。
焦げ茶の髪はぼざぼさで、頬が少し扱けているように見える。
眼の下の隈も黒々した色をはっきりと浮かび上がらせている。
「まぁ、それなりに――吹き飛ばされたあなたを拾い、アンテローズに引きずり回されてこの砂の城を作ってから休んだ記憶がない」
「――それは災難」
そこでユノは会話を一度切ると、スコルピオ以外の仲間がどこにいるのか「砂の城」の中を探した。
闇に慣れた眼はあっけなくその姿を見つける。
「砂の城」の壁際に寄り添うようにしてルビィとアリカ、そして少し離れてフリードが座り込んで眠っている。
毛布に包まれてみえなかったがルビィとフリードは包帯と湿布だらけで、ずいぶんと憔悴しているように見えた。
アリカは眼に見える外傷すらないものの泥のようにルビィの肩に頭を預けて寝込んでいた。
ルビィの眉間が少し歪んでいる。もしかしたら肩が重いのかもしれない。
加減知らずの愛撫に耐える猫の様な表情だ。
「……仲のいいこと」
ユノは口元を歪めて小さく笑い、しばらくルビィとアリカの顔を眺める。
その表情は羨ましいような、悲しいような――不思議な表情だ。
しかしその表情はスコルピオがぽつりと発した問い掛けによってすぐさま引き締められる。
「夢の中は……いかがでしたか」
なんでもないことのように発せられたそれは――ユノの頭の中をざわつかせる。
(何故?何故知られている?)
(どこまで?どんな秘密を握られている?)
(この男は何者だ?何故、今夢の話をした?あまりにもタイミングが良すぎる)
(尋問だ、尋問して洗いざらい吐かせろ)
頭の中のざわめき――分裂した自分の思考を押さえつけながら、対面に座るスコルピオを睨みつける。
ユノの月のような瞳の中に移ったスコルピオは、眼をそらさない。
不安になるほど真摯に、ユノを見つめている。
ユノは低く、普段から低い声をことさら低くして恫喝するように問いかける。
「……何を、知っている?」
スコルピオの瞳は揺らがない。
ユノと同じくスコルピオも声を低く抑えて問い掛けに答える。
「……夢を介して、あなたにコンタクトする存在がいること――そしてそれが、この世界の神であるということも」
「何故知っている?」
ユノは問い掛けながらも視線を素早く巡らせ、武器になるものがないか探す。
しかし偶然か――それとも意図的に遠ざけられているのか、ユノの視界の中に武器は見えない。
その事実に舌打ちし、篭手に包まれた左拳を握る。
「誤解しないで欲しい。僕はあなたを脅かす存在ではないし、彼らと同じように味方でありたいと考えている」
「それなら答えて――あなたは何者?」
「現時点では答えることが出来ません」
スコルピオがそういい終わるがはやいか、砂で作られた要塞の中にどしん、と重い音が響く。
疲労が濃いのか、眠りにふけるフリード、ルビィ、アリカの3人は誰も眼を醒まさない。
「っ……」
「ふざけるなよ、魔法使い――握り潰すぞ」
スコルピオの答えに激昂したユノは魔術の灯を飛び越え――密偵の少年に馬乗りになり、左手で首を締め上げている。
苦しげに呻く少年の鼻先にユノの白い髪がさらさらと流れる。
魔術の灯が壁に描くそのシルエットは秘め事を行う恋人たちのようだ。
「もう二度目はない。答えろ――おまえは何者で、何を、知っている?」
接吻するような距離で放たれたユノの問い掛けにスコルピオは答えず、右手をユノに見えるように上げる。
そこに握られているのは短刀――しかし刃はスコルピオ自身に向いている。
「僕は、あなたの知らないことを、知っている。そしてそれを提供する意思がある。しかし、それら全てを話すのは……あなたに、知らせるのは、非常に危うい。非常に危険なこと、なんです。」
スコルピオは顔を紫色にしながら、苦しげに言葉を続ける。
「全ての真実を、今のあなたに、伝えるのは、いけない。伝えてしまうと、あなたが、あなたが……今度こそ本当に壊れてしまう。だから、伝えない……僕が何者であるのかも同じ――もし、この意思が受け入れられないなら、この短刀で僕を殺して下さい。」
その一言にユノは虚を突かれたように沈黙した。
睨みつけるように近づけていた顔を遠ざける。
スコルピオは苦しげに笑った――自分に敵意がないことを示す為に。
ユノはそれを左手の力を緩めぬまま、わずかに不安さを滲ませた見下ろす。
そしてどこか呆然とした口調のまま、呟く。
「……本気?」
尋ねられたスコルピオは返事をせず、ただ見つめ返す。
スコルピオの瞳は揺らがない。
ぐぐぐ、と蛙が潰れたようなうめきを涎と共に吐き出すスコルピオは、ユノの瞳を――ただ真摯に見つめ続ける。
そして――
結局……ユノは折れることにした。
スコルピオの首から力を抜き、しかし馬乗りの体勢になったままで疲れたように語り掛ける。
「……それじゃあ、教えて――今、私に必要な分だけを」
「ありがとう……ございます」
スコルピオは何度か咳き込み――口の端から垂れていた涎を拭って自分の知る情報を語り始める。
「僕が知っているのは……この世界は神々が“巨人をも倒す人間”を作り出す為に生み出された戦場と呼ばれ、ヴァルハラと呼ばれていること――そしてその中に人々を守り先導する為にヴァルキリーという守護者がいたこと……そしてあなたの中に眠るヴァルキリーが最後の1人であること――」
「夢で聞いた話と同じね――最後のヴァルキリーとは?他のヴァルキリーはどうなってしまったの?」
「ヴァルキリーは転生を繰り返す存在です。人々の間に溶け込むには神ではなく人として生まれ変わらざるおえず、死んで生まれてと転生を繰り返す内に魂に瑕が入り、最期は人々の間に散らばって……力となったと聞いています。このヴァルハラの人間に……例えばアンテローズ家のような、生まれながらに戦いに長けた人間が生まれるのは彼女たちの力が要因とされています。」
ユノは思わずルビィを見た。
ううん、とルビィは苦しげに寄りかかるアリカの頬を手で押し退け、なんとか快適に眠ろうと苦心している。
「……勇者もまた、その力の一部を受け継いだ人間であると言われています」
「勇者が?でも、私たちはドンナーに力を受けた筈――」
「ええ、しかしドンナーが力を与えるのはヴァルキリーの力をその魂に宿したもののみ――あなたも、ナオキ様も、ケンヤ様も、この世界から伝播したヴァルキリーの力を受けて、この世界に選ばれたのです」
スコルピオはまるで託宣を示す神官のような口調だ。
「……続けて」
「最後に残されたヴァルキリーは、神々との連絡員としてヴァルハラに留まる筈でした。転生せず、この世界に降り立ったときのまま……しかし――今はあなたの中に存在しています」
「ヴァルキリー……ラーズグリース。何故彼女は私の中に?」
「その顛末については、申し訳ありませんが……伏せさせて下さい。ただ今言えるのは、彼女はあなたを助けようとしているということと、夢の中に現れた神2人――オーディンとロキは彼女とのコンタクトを望んでいることです」
「彼らは何者?何故ラーズグリースと話したがっている?」
「本人たちから聞きませんでしたか?まぁいい、彼ら、いや、オーディンはこのヴァルハラを管理していた者です。現在はヴァルハラの不振を理由に管理権を剥奪されています」
「現在は剥奪されている――では今は誰が?」
「オーディンの息子――あなたたちの世界では雷神トールと呼ばれている神、ドンナーです」
ユノは驚き、目を見開いた。
ドンナーの名前がここで出てくるとは予想していなかったからだ。
「ドンナーはあなたの世界にも伝えられているとおり、荒々しく粗暴であるものの非常に偉大な神です。しかしこと戦い、そしてラグナロクのこととなると……過激な行動を起こします」
ユノは無言で話を促す。
「……ドンナーはこのヴァルハラに過剰ともいえる期待を抱いています。あなたの世界の技術や知識が、勇者という存在を伴って現れるのが魅力的に映っているのでしょう……そしてそのことが発端となり、オーディンとの間で諍いが起こった」
「……オーディンはこの世界のバランスを保とうとした?」
「その通り。あなたの世界の技術・知識は確かに非常に強力な兵器を生み出します。しかし、過剰なテクノロジーの流入は世界にあってはいけないものを生み、最終的にヴァルハラそのものを滅ぼしかねないとオーディンは危惧していました」
「しかしドンナーは違った」
「そう、外の世界からのテクノロジーを呼び寄せることを渋るオーディンをドンナーは排斥し、自分の思うとおりにヴァルハラを動かすようになりました……それが4年前、あなたが召喚された当時です」
「ドンナーは一体なにをしたの?」
「より強力な敵を――あなたの世界から魔族に、呼び寄せたのです」
「……まさか」
「はい。今代の魔王は……人間です」
搾り出すようなユノの声に、スコルピオは言葉少なに答える。
ユノはスコルピオから視線を外すと、上体を上げて天を仰いだ。
最低の――あの「村」で起こったことを眼にしたのと同じくらい最低の気分だった。
魔王は……今こうしてドンテカを滅ぼし、砂海に自分たちを縛り付けている魔王は、自分と同じ人間だった。
ユノはまだ目の前の密偵を信用し切っているわけじゃない。
しかし、もし今語られたことが真実で――自分の仲間たちがその人間と戦っているのなら。
(最低だ。笑い話にもならない)
これじゃあ、自分たちは出来の悪いゲームの駒だ。
神様たちの都合で盤面に並ばされ、事情も知らぬまま、抓みあげられて他の駒を弾き飛ばすただの駒だ。
それが自分と同じ人間だろうとお構いなし。
選択権もない。
自分の意思などなんの関係もない。
「……ドンナーに排斥されたオーディンはロキ――この世界に自由に出入り出来る手段を持った神と協力して、ヴァルハラを取り戻そうとしています。あなたとあなたの中のラーズグリースの助力を得て」
「尻拭いに協力しろってわけね……あなたもオーディンと同じ言い分?」
「いいえ――あなたは被害者だ。オーディンに付き合う必要はない。しかし……」
「しかし付き合わなければ魔王によってヴァルハラは滅ぼされる……うまく出来てるわね」
嘆息し、ユノはスコルピオの上から立ち上がる。
ユノを見つめるスコルピオの視線には憐憫が浮かんでいた。
「――僕は心の底から、あなたに同情します……ユノ・ユビキタス」
短刀を持った右手を下げて、スコルピオは静かに言う。
ユノは頭を垂れると、左手の篭手で顔を覆っている。
「こちらの都合で呼び出され、なんの関係もない戦いに巻き込まれ、その中で傷つき、囚われ、迫害され……いまこうしてこの場にいる」
スコルピオは衣擦れの音を響かせながら手をついて立ち上がり、篭手で顔を覆うユノの足元で跪く。
それは――主に傅く従者のように見えた。
「僕の正体などなんでもいい……何か、出来ることをいって下さい。」
はっ、と嗤い、ユノは何かを拭い去るように左手で顔をなぞり腰の横へと降ろす。
その顔には狼狽も悲しみもない。
自分の意思を貫き通す少女の顔があるだけだ。
「同情はいらないわ――情報を、現在の状況を教えて頂戴」
たとえ何を知ったところで――今やることに変わりはない。
目の前の障害を粉砕するしかないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スコルピオはユノが意識を失ってから今までの状況を説明する。
吹き飛ばされる直前の記憶しかないユノと違い、スコルピオは全てを俯瞰できる場所で状況を見ていたらしい。
ルビィが“アレンダールの死神”にとどめを刺そうとした直後、正体不明の「何か」が空に現れた。
雲の合間から現れた大きな鯨のようにも鳥にも見えるそれは、腹の横側から砲弾を放ち、ユノたちを狙ったようだ。
目測を誤ったか、それともわざとなのか、砲弾はユノとルビィのすぐ近くに炸裂し大きな砂柱と爆炎をあげた。
これはユノも憶えている。
何か恐ろしい気配を感じて咄嗟にルビィを突き飛ばしたユノの近くに何かが突き刺さった。
その次の瞬間にはユノは膨大な衝撃波と熱を伴う光、そして砂に混じって炸裂した鉄の破片によってずたずたに切裂かれ、焼かれながら宙を舞った。
そして砂の上に叩きつけられ、ルビィが無事なのを確認してから意識を失った。
(あれが爆撃機の攻撃か――直撃したらひとたまりもなさそうだわ)
スコルピオの報告は簡潔そのものだったが、話を聞くうちに今現在どんな状況にあるのかユノは理解できた。
ユノはスコルピオに助け出され、セリアに治療されたこと。
空飛ぶ爆撃機はしばらく空中を旋回していたが、ルビィ達がランドドラゴンに乗って逃げ出した矢先に攻撃を繰り返してきたこと。
その攻撃は直撃こそしなかったものの爆風で乗っていたルビィとフリードが負傷したこと。
機転を利かせたスコルピオが魔法で砂の城を作り、その中に逃げ込んだ途端に攻撃の手が止んだこと。
そして――未だに爆撃機は自分たちの頭上をゆっくりと旋回しながら飛び回っていること。
「ご覧になりますか?まだこの上を旋回している」
スコルピオが横長の窓を指差し、ユノに促す。
ユノは胸元を抑えたままスコルピオの横に座り、外を覗きこむ。
ちょうど旋回する途中にあるのか――「爆撃機」の姿を眼にすることが出来た。
遠く離れた地上からでもうすぼんやりシルエットが確認できる限り、それはかなりの巨体を持っているようだった。
そのシルエットは鳥によく似ていて、また、磔にされた人のようにも見えた。
アーモンド型の胴体に、その脇から取ってつけたような直線的な翼。その翼から生える謎の風車のようなもの。
尾翼にあたる部分からは直線的な両翼をそのまま小さくしたような翼が生え、その姿は鰭の生えた巨大な魚のようにも見えた。
首のようなものはなく頭もない。これが磔にされた人のように見えた正体だろう。
(なるほど、あれは確かに――この世界で作られたものじゃなさそうね)
ユノには航空機の知識などないからどんなものなのかはわからなかったが、間違いなく「あちら」で作られたものだろう。
この世界に過去「あちら」の知識を持った人間が召喚されているとはいえ――空飛ぶ機械を作った国の話など聞いたことがない。
ドワーフならばその可能性も考えられないこともないが、彼らは少なくとも数世紀以上人間と同盟を結び味方をしてくれている。
その技術の重要性が高いことから常に完璧な防備に守られている彼らが魔族に技術を奪われたり、技術を流出させることはあまり考えられないことだった。
(確か――魔王が召喚、いや造ったと言われたっけ)
ロキとオーディンの話しを思い出しユノは思考に耽る。
その情報が正確ならば、確かに今ここにあの飛行機があるのも話としては解る。
……しかし腑に落ちない。
魔族は確かに人とは違う独自の技術を発展させ、その力を戦争において脅威として振るってきたと伝えられている。
妖術にしろ、3年前に現れたスラッド兵にしろ、何らかの技術の発展によって生み出されたものだ。
しかし深海に住まう生物であるという認識上、航空機のような、本来この世界にありえるべきではないハイテクノロジーのものをすぐに運用できるとはどうしても思えない。
あれがユノの知る飛行機と同じであれば操縦者が居るはずだ。
そして観測手や砲手などの専門的な知識を持つ存在が居なければ運用は不可能のはずだ。
魔王はそれすらも可能な存在なのか?
(ドンテカに現れた火の巨人。あれも、何かがおかしかった)
エリーゼの恋人だった男――今にして思えばその存在は奇妙なものだった。
火の恐れる魔族が何故、火を使う巨人――それを模した何かを生み出すことが出来た?
何故、あの巨人はナオキに託された宝剣「レヴァンテイン」に似た剣を持っていた?
そして何故――ヴァルハラの人間が魔族と結びついた?
(それは――)
今回のユノ以外の勇者の失踪も含め、奇妙な出来事が幾つも目の前に転がっていた。
しかし今は情報が足りなさ過ぎる。
今は目の前にいる敵を倒す方法を探らなければ。
「おそらくあれ――あの物体の目的は我々をこの砂海に止めて消耗させるのが目的だと思います」
スコルピオはそう言って、ユノの眼を見た。
爆撃機の目的については――スコルピオが考える通りだろう。
先の襲撃と合わせて、飛ばしているのは魔族であるということも。
この砂海で行われた襲撃の目的は「時間を稼ぐ」ことだろう。
西部に潜伏する魔族達がどの程度の勢力を有しているかは定かではないが、ユノ達をこの砂海で抹殺するつもりであればもっと大きな軍隊が襲撃に加わるか、最初に爆撃機を飛ばしている筈だ。
おそらく西部において現在何かの作戦が進行中で、まだその展開に時間を要するのだろう。
だからこそ妨害には打ってつけなモンスターとそれを使役する一軍にユノ達を襲わせた。
しかしそれでは足りないと判断して――援軍を送った。
強力な火砲を備え、空を飛ぶ強力な援軍。
「スコルピオ、あなたはあれの対処法を考え付くことが出来る?」
スコルピオは唐突なユノの疑問に眼を見開いたが、ううん、と考えてから気楽に首を振る。
「エルムト出身の僕から言わせてもらえば、竜族にお願いするくらいしか考えつきませんね」
「竜族ならばあれに対処できると?」
「恐らく……詳しい速度など知りませんが、ワイバーンや竜に比べてずいぶん遅いように見えるし、あまり小回りも効かなさそうだから同じ空を飛ぶ存在であれば斃せる可能性があるのではないかと」
「あなたが観察してるうちに、あいつが高度を上げたり速度を上げたことは?」
「……恐らくないかと。僕たちを追う間もあいつはずっと同じ速度に見えたし、あれ以上高度を上げたら竜族の夜警のいる空域に引っかかると思います」
(竜族の夜警――そういえばそんなものもあったわね)
ユノはふむ、と首肯する。
「スコルピオ……この辺りの地図はある?」
「もちろんあるし、現在の場所に印も付けてある――何か有効な手立てでも思いついたので?」
スコルピオが懐からがさり、と羊皮紙の大判の地図を取り出し、ユノに渡す。
ユノはその問いの答えないまま月明かりを頼りに地図を覗きこむ。
現在地とみえる場所は赤い鉛筆でぐるりと丸がつけられていた。
ユノたちが休息していたギルドベースキャンプからドラゴンの駆け足で30分ほど離れた場所だ。
ユノはその距離を指でなぞると、羊皮紙にインクで描かれた「ある場所」までの距離を計算する。
幸運にもユノの思い描く場所はだいぶ近い場所にあった。
「……どうなんです?」
スコルピオが興味津々といった風に地図を覗き込み、続けてユノを見つめてくる。
祭りの屋台でおもしろい出し物でも見つけたかのようなスコルピオの様子に、ユノは薄く笑う。
「明日の朝話すわ――それよりももう寝たら?不寝番なら代わりをするから」
「いや、そんなことをあなたに頼むわけには――」
「寝なさいよ。明日あなたが充分に動けなければ、私が困るのよ」
特に気をきかせたようなつもりもなかったが、ユノのその言葉にスコルピオは感動したような顔をした。
「それならお言葉に甘えます……」
素直な子供のようにスコルピオは肯き、窓から離れた暗がりで丸くなる。
ユノがその姿を見つめ、しばらく窓の外を眺めるころには小さな寝息が聞こえるようになった。
まだ付き合いは短いが――ユノにはどうにもスコルピオという少年がどんな人間なのか、掴めそうもなかった。
はじめに見たときは鼻持ちならない、うさんくさいスパイだった。
次に――ドンテカでアリカを渡したときには、仲間を想う熱心な魔法使いに見えた。
その次は焚き火の向こう側で陽炎のように揺れて微笑む亡霊だった。
そしてその次は得たいの知れない秘密を隠した何者か。
今の今まで話していたスコルピオは――単なる知識欲旺盛な少年にしか見えなかった。
くしゅん、と小さくくしゃみをして、ユノはかぶりを振って窓の外に向き直る。
他人の心の詮索などしている暇はないし――自分には不得手だ。
(それよりも――)
ユノは頬を引き締め、砂の上に広げられた地図の前に座る。
ピースは揃った。
スコルピオの報告から得られた敵の性質。
自分の中に新たに現れたヴァルキリーの力。
そして現在の位置。
あとは――どうやって実行するかだ。
(無茶な作戦になりそうだわ……楽しくなってきたかも)
くつくつと――自分の中に眠る「戦いをこよなく愛する不定形」が笑うのを感じながら、ユノは作戦を練り始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
チェスの盤面のような市松模様の机の上を、白い指が鳴らしている。
小指から人差し指へと、ちいさな波を描くようにリズミカルに硬質な机をかたた、と音を立てて鳴らしている。
その指の持ち主は小粋な角度に小ぶりな王冠を戴いた――ミズガルズの王チヒロだ。
チヒロは黒い隈に縁取られた眼を瞬きもせず、小さくつるりとした顎で何かを咀嚼しながらじっと目の前を凝視している。
目の前にあるのは光を放つ鏡を組み込んだ箱――PCのモニターだ。
市松模様の机の上を半分占領するようにして置かれているそれには、半球状の奇妙な物体――マウスと、表面が賽の目に区切られた板――キーボードが細いコードで接続されている。
モニターの後ろ側からはチヒロの腰回りはありそうな太いケーブルが無数に接続され、床の上を樹海の木の根のようにあまりそう広くない部屋を縦横無尽に這い回っている。
ケーブルの一部は、天井から鎖で吊るされた得体の知れない球形の物体に繋げられ、内側に満たされた蛍光色のゼリー状の液体を沸騰させている。
その液体が放つ光で照らされた部屋の中は――さながら悪い夢のようだった。
ケーブルが這い回る床の間を節脚動物のようなモンスターがぎょろぎょろと目玉を動かしながら走り周り、墓石のように積み立てられた本をあちらこちらへと運び続けている。
黒塗りの壁には狂気じみた繊細さで書かれた無数のメモ書きが乱雑に貼られ、その一部が蒼い燐光を発して己の存在を主張している。
天井は存在しなかった――妖術かそれに類するものかで空間が隔絶され、暗く淀んだ深海の水面が生物の内臓のように蠢いている。
その闇よりも暗い海中には奇妙な形状の海洋生物が泳ぎ周り、時折「手」を水面に押し付けては部屋の中の景色を見つめて泳ぎ去っていく。
それらの悪夢の中心に座るチヒロの後ろにはマネキンのような無機質染みた女――デアシュが微動だにせず控えている。
「……」
メルカトル砂海の上空に“創りだした”AC-130の最初の砲撃から数時間が経過していた。
勇者が砲撃で出来たクレーターから救助され、魔法使いが砂山に“砦”を作って立て篭もってからはさらにその数倍の時間が立っている。
その間チヒロは椅子の上から身じろぎもせず、執念深い狙撃主が標的を待ち構えるようにずっと監視を続けている。
市松模様の机に塔のように乱立したゴブレットやボトルがその時間の長さを表わしている。
「……ねえ」
画面から眼を離さないまま、チヒロは背後の従者へと声を発する。
「なんでしょうか、チヒロさま」
定型通りの、型で嵌められたような礼儀正しさでデアシュが返事をする。
まるで機械のようだ。
その無機質な――聞き慣れた返事に若干の不満を抱えながらチヒロは告げる。
「……わたしが何故こんな風にしているか、疑問に思ってる?」
「いいえ」
「何故、疑問に思わない?あの魔法使いが造った砂の砦の強度は平均的な地上の砦の城壁程度。対してこちらの武器は鋼鉄を組み合わせて造られた鉄の車を粉みじんに粉砕する威力があり、それを連発することが出来る――ならば、それをしない理由は?」
わずかな沈黙のあと、デアシュが主の問いに淀みのない口調で返答する。
「……殺すことを目的としていないから」
「――その通り」
チヒロはその答えに満足したのか、口の端を吊り上げ、くつくつと笑う。
しかしその数瞬後には笑みは消え、茫洋としたような表情に戻る。
「殺してしまっては、意味がないのよ。これはあくまでも“試練”で、起承転結の承に過ぎない……この程度、乗り越えてもらわなきゃ私が困る」
デアシュは黙したまま、喋らない――その必要性を感じないからだ。
今の主はそれを求めていない。
泰然とした王のように、そして小悪魔っぽく茶目っけと妖艶さを混ぜて語る主と、今の主は違うものだ。
普段が「ミズガルズの王」という仮面であるとしたら、今のチヒロはそれを脱いだ本当の姿。
天音チヒロ――ミドガルズソルムに召喚された1人の少女の姿。
それを知っているのはデアシュだけだ。
「私だって、本当はあなたに、そう、あなたにこんなことはしたくないんだよ?でも、でもしょうがないんだよ……これをやらなきゃ、私のシナリオは成立しないんだから」
静かに、喉から絞りだすように呟くチヒロの表情はころころと変わる。変わり続ける。
笑顔から苦悩へ。
苦悩から諦観へ。
諦観から絶望へ。
絶望から期待へ。
「でもでも……わかってる。私はわかってるよ。あなたならこの位の試練、乗り越えられるもんね?少し不安はあるけど、またあの時みたいにちゃんと乗り越えられるもんね?大丈夫。乗り越えられる……乗り越えて、私のゲームに参加してくれる」
まるで縋るかのような、語りかけるような独白は静かに収束していき、ぷつり、と電源が切れたように終わりを迎えた。
デアシュは反応しない。
チヒロも同じ――それ以上は何も喋らなかった。
「あ」
しばらくの沈黙の後に、唐突に声が転がる。
精神が病んだ人間のように茫洋と画面を眺めていたチヒロがそう呟き、眼を見開いてへらりと笑う。
PCのモニターに映し出された砂海の上に動きがあったのだ。
緑と灰色で構成された画面の中、白い――熱を発する物体が3つ砂を蹴立てて疾走するのが映っている。
獲物達が“砦”の中から動いたのだ。
「……我慢できなくて出ちゃった?」
悪戯が成功した子供のように嬉しそうに笑いながら、チヒロは机に乗せられたマウスに手をのせて動かす。
それに連動して十字と鍵括弧で構成されたAC-130の照準が砂海の上を滑る。
「それとも、もう準備が整ったのかな?はやいなぁ、流石だなぁ」
照準の中心は3つの影の内の先頭――小さな鎧姿の騎士とケープを着た女性の乗ったランドドラゴンの影を追跡していく。
「……期待を裏切らないでよ?」
チヒロの白い指がかちり、と軽い音を立ててマウスのスイッチをタップし――AC-130に搭載された25mmバルカン砲が、がりがりと音を立てて撃ち放たれる。
モーターの振動でわずかに揺れる画面の中で、着弾したとみえる砂海の海面が帯状に爆裂していき、先頭にいたランドドラゴンの影を呑み込む。
チヒロは攻撃の成功を確信し――舞い散る砂塵から踊り出る影に眼を見開いた。