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『月』の暦1065年

天候:曇り 9月1日

20時30分

 

暗き瀑布と化した砂の海。

 その波間に潜む無数の黄色く光る瞳を持つもの達――ミズガルズの兵士達。

はじめにユノ達に襲い掛かったのは彼らが手に持った刃ではなかった。

 無数の手から放たれた黒光りする拳大の塊。

 雲の切れ間から差し込む光がそれが何なのかを知らせてくれる。

 フリアエだ、とアリカは大きく眼を見開いた。

 金属の塊にルーン文字を凝縮し、衝撃で発動式が開放されるよう細工した、魔術師たちの工芸品。

 ギルド学校の授業で眼にしたことがある。

 先生役の魔術師がこれは大変危険なものです。と前置きした上で校舎の離れに建てられた木人形に投げつけた。

 こん、と軽い音を立ててフリアエは木人形の胸部に当たって地面に落ち――甲高い音と空気の破裂と共に人形はばらばらに吹っ飛んだ。

 

 その危険極まりないフリアエが、木の人形をばらばらに吹っ飛ばす死の工芸品が、アリカの頭の上にある。

 重力に引かれて、落ちてくる。

緩やかに回転しながら、ゆっくりと――アリカにはそう感じられるじれったさで確実に落ちてくる。

 あれが地面に落ちれば、私は死ぬ。恐らく、骨ひとつ残らないくらい確実に。


 だが、そんな運命は、伏せたアリカの横に立つ「勇者」が許さない。


「させない」


 その静かな呟きの後に、アリカの視界の外でユノが小さく何かを唱える。

 アリカはそれが何なのか知っている。

勇者に与えられた特権、それを発動するワーズワース(力ある言葉)

 強烈な違和感が周囲に満ち、一瞬で霧散する。

 

(ああ、今、止めた)


 ぼと、ぼと、と重い音がアリカの伏せた砂の大地から断続的に聞こえてくる。

 それはさっきまでアリカとユノの頭上にあり、いままさに2人の命を奪わんとしていた爆弾フリアエだ。

 だがその妖術――魔族が使うのだから魔術や魔法ではなく妖術が使われている筈だ。の刻まれた表面には1本ずつ、まるではじめからそこにあったかのように細く鋭いスローイングダガーが突き立っている。

 爆弾フリアエは表面に刻まれたワードが傷つけば発動しない。


 考えるまでもなく、アリカの横に立ったユノがやったのだろう。

 その証拠にさっきまで棒立ちだったユノは大きく足を開き、何かを制するように左手を横に伸ばしている。

 おそらく、ダガーを投げたのだろう。

 時間を止めて、頭上に無数に放り投げられた爆弾フリアエの位置をしっかりと確認して、静止した的を射抜くように


「アリカ、暫くそこで伏せていて」


 ユノはぎりり、と横にいたアリカに聞こえるほど大きく身体を漲らせ、弾かれたように魔族の軍団に突進する。

 速い、水に例えられるほど柔らかな砂海の上には速すぎる突進。

 ユノの身体を包むポンチョが、大きく、鳥が翼を広げるように舞い上がり、それに釣られるように彼女の二つの腕もまた広げられている。

 雲の合間から覗く月が蒼くその姿を酷薄に染めあげている。

 右手に“ニザヴェリルの魔術銃”が逆向きに握られ、斧のような形状の銃把が冷たい輝きを放っている。

 左手の“グラーベルの鉄篭手”もまた同質の、触れる全てを拒絶するような冷たい光を宿している。


 迎え入れる形になった魔族とユノの距離が瞬く間にゼロになる。

 激しい衝突の音に、アリカは息を呑んだ。


「●△××!!!」


 鮫のような大きな顎を持つ異形がおぞましい叫びと共に剣を振り回しながら突進する。

 人間の戦士ならば到底捌ききれないような豪腕で振るわれる死の一撃。

 その一撃をユノはいとも簡単に篭手で打ち払いながら押し返し、ぶおんと風の唸る音を鳴らしながら銃把を振りぬく。

 強烈な打撃に鮫の異形は吹き飛ばされ、仲間を巻き込みながら倒れる。

 ユノは塊になったその異形の群れに低く跳躍しながら銃把を振りかぶり――巨大な轟音と共に鮫の異形に叩きつける。

 柱となって舞い上がる砂に、肉片を含んだ血しぶきが混じる。

 辛くも仲間の身体から這い出した異形がユノに対し決死の攻撃を仕掛けるが、それもまた同じように篭手に阻まれ、槍のように打ち出された打突に胸の“黄色く光るもの”を砕かれる。

 びしゃっ、と粘性のある青い血が砂を汚す。

 ショッキングな光景だ。しかし月の光がその色彩の全てを蒼く染め上げているせいか、間近でそれを見るアリカにそれほど衝撃を与えなかった。


くる、と視界の中でオルゴールの人形のようにユノが回転する。


振り向きながら前に大きく足を踏み出し、左手をぶん投げるように袈裟懸けに振るう。次の数瞬、少し遠くで様子を窺っていた4人の異形が身体を大きく震わせて後ろ向きに倒れこむ――リザードマンの血が流れたアリカにはなんとか見える。

ユノのクロースアーマーには以前愛用していたレザーアーマーと同じように肩口にポケットがついている。そこには中指の先端から手首ほどの長さの鋭く磨かれたスローイングダガーが収納されている。

ユノのしたことは動作としては単純。先程と同じ要領でそのポケットから4本のダガーを抜き出し放っただけだ。

ただそれは“力の加護”を受けて銃弾の何倍もの威力とスピードを伴っている。

その4本がまるで昔から決められていた約束事のように異形4人それぞれの頭へ吸い込まれ、そこに装着された奇妙な眼鏡ごと刺し貫いたのだ。


あれがもし自分に投げられていたら――きっと何の抵抗も出来ず死んでしまうのだろう。


視界の中で再びユノが回る。

直立から膝を落とし足を軽く開き前傾姿勢。

視界の中で横を向いていたユノが正面に――アリカの方を一瞬向く。

そして左足を後ろに開いて直立。今度は逆に横向き。


次の標的は近かった。

いつからそこに居たのかわからなかったが、ユノのすぐ後ろに骨のように細く、長身の魔族が斧のような剣を振りかざしていたのだ。

危ない、と思う暇もない。

ユノは身体を回しながら左手を“ニザヴェリルの魔術銃”に添えて両手持ちにして上に勢いよく差し上げる。

そこに狙い済ましたように斧剣の刃がぶつかり、鈍い金属音と火花と共に激突してその一撃がそらされる。

下からの大きな衝撃に骨のような魔族が後ろに体勢を崩した。

ユノはその魔族が体勢を崩し空けた空間を埋めるように伸びあがり、その頂点でぱ、と両手を広げて“ニザヴェリルの魔術銃”を放り投げる。

そしてその体勢から大きく腰を落として――同時に掲げた手を下ろして、大きく広がったポンチョの中から垂れ下がった剣帯から剣を抜き放つ。


砥石を金属で擦ったような鞘走りの音。

ぐしゃ、と骨の砕ける音と水っぽい破裂音を混ぜた音がアリカの耳の奥に残る。


肉厚の刃を身体に生やして息絶えた魔族をユノは一瞥して、見もせずに“ニザヴェリルの魔術銃”を空中でキャッチする。

そして器用に手の中で回転させ、アリカの視界から見て奥に銃身を向けて引き金を引く。

空気の抜ける間抜けな音と共に“ニザヴェリルの魔術銃”が上にぶれる。月光の中で煙が幽霊のように踊る。


「△●××@◎!!!!?」


アリカの視界からは暗くて見えないが命中したのだろう。聞くに耐えない悲鳴が後姿になったユノが立つ場所の奥から聞こえてくる。

そしてもう一発。銃がまた間抜けな咆哮をあげる。

同じように魔族語の悲鳴と微かな激突音。命が消える前の断末魔。

ユノはまるで何事もなかったかのように銃を軽くあげて二つに折れた“ニザヴェリルの魔術銃”から落ちるリングを地面に落とす。

鉄のリングが砂の上に落ちる頃には空円筒を地面に落として新たな魔術円筒を装填している。

 一連の動作を終えたユノがこちらに振り向く・・・・・・その表情はどこまでも平坦だ。


(怖い、怖いユノさんだ。)


 アリカは心の中でそう呟き、なんとか震える身体に力を入れて上体を起こす。

 辺りはいつの間にか静かになっていた。遠くにはまだ幾つも気配がするが――不利を悟って攻撃の手を一時止めたのかも知れない。

 びく、と何度かアリカは身体を震わせながら立ち上がる。

 

「アリカ、大丈夫?」


 ユノの声はいつも通りだ。それが逆に怖い。

 アリカにとってユノの戦いの場に居合わせるのはこれが初めてではない。

 ユノをつけ狙う暗殺者やモンスターなどの戦いに巻き込まれることはこれまでも幾度かあった。

 だが怖い。そう慣れるものではないのだ、戦いの緊張感と死ぬかもしれないという恐怖。

 戦いの恐怖を忘れ、如何に効率良く目の前の生きた障害を突破するのか、それをゲームのように無表情に楽しむ“怖いユノ”は。


 アリカはいつだったか――ユノに戦うことが怖くないんですか、と聞いたことがある。

 それにユノは慣れちゃったからね、と笑って、とても信じられないという顔をしたアリカにこう言った。


「アリカ、人は戦っているとね、ある日突然なにも怖くなる時が訪れるの・・・・・・もしかしたら戦いだけじゃなくて何にでもそんな瞬間があるのかも知れないけど、頭の片隅でぽん、と音がして身体の震えが収まるの。それまではずっとずっと怖い。怖くて、何度も泣きそうになったよ。」


 何故か恥ずかしげに頬を掻きながら記憶の中のユノは笑う。


「その瞬間は人によって千差万別みたいでね、100回戦って音がする人もいれば2回や3回で怖くなっちゃう人もいる。そのどちらが善いのか悪いのかわからないけど・・・・・・人にはいつかそんな風になるときがくる」


 ユノさんはいつ怖くなくなったんですか、とその時――ほんの軽い気持ちでアリカは聞いた。

 その瞬間をアリカは今も後悔している。

 平坦な、人形のような顔、それとは間逆の感情が渦巻いた瞳、薄く笑った口元。

 同じように恥ずかしげに頬を掻きながら、突然現れた“怖いユノ”はこう言った。

 わたしは怖くなくなったんじゃないの、楽しくなってしまったの、と。


「――え、ええ。大丈夫です」


アリカは数拍送れて返事をかえし、首を左右に振って辺りを見回す。


「あの、もう終わったの?」

「まだだよ、先触れが終わったに過ぎない」


 がしゃ、と騒々しい音を立ててユノは“ニザヴェリルの魔術銃”を肩に背負い、ポンチョを跳ね除けて幾つかの魔術円筒を腰のポーチに移す。

 普段使っている魔術円筒より一回り大きい鉄製リング付きの対魔術円筒だ。

 ポーチに円筒を移し終えると、手に持った直剣を試すように何度か軽く振るう。

 その剣は今着ているクロースアーマーと同様に新しく揃えたランバルディア軍の剣だ。

 もともと使っていた直剣は炎の巨人との戦いで使い物にならなくなってしまったのだ。

 両刃の刃は肉厚で頑丈そうな拵え。剣に素人なアリカから見てもそれは華美さや装飾性ではなく如何に実戦で長く使うかを意識して作ったものだとわかった。

 それを右手に構え、左手は無手。

しかし左腕自身が“グラーベルの鉄篭手”と呼ばれる神の武器だ。


「アリカ、平気?」

「は、はい」


 剣の先端から滴り落ちる青い血を見てアリカは思わず倒れそうになるが、腹に力を入れて持ちこたえる。

 その様子を見てユノは心配そうな面持ちになるが、アリカが「平気だ」とメッセージを篭めて首を縦に振ると後ろを向き歩き出す。

 テントの方向だ。

 大股で早足に歩くユノに数拍遅れ、アリカが追従する。


「よし・・・・・・それじゃあルビィ達と合流しましょう。恐らくあちらにも襲撃があるでしょうしね」

「ええっ!そんな・・・・・・みんな大丈夫なんですか?」


 アリカが悲鳴を上げる。

 それにユノは淡々と前を向いたまま言葉を返す。


「しばらくは大丈夫な筈よ。ルビィはまだ未熟さが拭えないけど強力な剣士だし、フリードも同様。スコルピオ・・・・・・アイツはよく分からないけど魔法使いというだけで能力は信頼に足るわ」


 スコルピオの言葉を思い出す――僕はね、あなたを助ける為に、この任務に志願したんですよ。

 その言葉に虚飾の色はなかった。

 何から自分を助けるのか、この旅で何が待ち受けているのか、何故それを知っているのか。

 様々な疑念は拭えないが、今しばらくは信用して背中を預けてもいいだろう。


「わかりました。それじゃあ、あの、ユノさん。私はどうすれば?」


 周囲を警戒しながら前を歩くユノにぎゅ、と胸元にメイスを抱いてアリカはそう尋ねる。

 ユノは一度何か言いかけたが、それを首を振って飲み込み、アリカに指示を出した。






「アリカは私の後ろで“眼”になって頂戴。奇襲は避けたいの」


 アリカはその指示にすぐ納得の意を示し、ユノの背中を守る形で立つ。

 リザードマンとのハーフたるアリカは純粋な人間に比べて遥かに優れた視覚を持っている。

 単に視力が良いというものではなく――物体のもつ熱を視ることが出来るのだ。

赤外視インフラビジョンと呼ばれるそれは、この大陸においてリザードマンが屈指の戦闘種族として敬意を持って扱われる理由のひとつだ。

夜の戦闘において視界の確保というのは何よりも重要視されるべき事項だ。

明かりを使えばそれは解決できるが、それでは夜の闇という自分の姿を覆い隠す頼もしい鎧が使えなくなる。

だから一切の明かりを使うことなく昼以上に明瞭な視界を確保できる赤外視インフラビジョンとは人にとって素晴らしい能力なのだ。


「あまり張り切り過ぎないで・・・・・・今はなにが視える?」


 アリカの金色の瞳が爛々と輝いている。

 瞳孔が常より細くなり、爬虫類の特徴が強く出ている。


「私の前方には何も、ユノさんの前方には多分モンスターの影が集まってるのが見えます!」

「わかった、ありがとう」

 

 歩を進めながらユノはアリカの視界から得た情報を元に考える。

アリカの眼にはおおよそ“ぷれでたー”のような体温が光として認識出来る世界が広がっている筈だ。


(モンスターはあいつらが呼び寄せたキャンプと私達を隔てる壁か、それではこいつらは?)


 周囲に倒れ伏す無残な――魔術円筒で爆砕した魔族たちの亡骸を一瞥する。

 形はかろうじて人型であり、新品の剣を腹に叩き込んだ背の高い魔族くらいしか高位のものはいそうにない。

 武器はまちまちだがナイフ状の短い刃物や片手剣で、軍装も防御力より機動力を重視した軽装鎧で統一されている。

 身のこなしもまた一般に前線に立つ魔族軍兵士のものではなく隠密に動く――スラッド兵に近いようにユノは思えた。

 また、旗持ち――魔族の軍団には士気を鼓舞する役目の兵士はおらず、妖術を仕掛けてきた魔族はいなかった。


(遠目から目立つのを避け、機動力がないソーサラーも編成に入れていない・・・・・・当てはまるのは奇襲部隊か)


 おおよそ襲撃してきた魔族たちの作戦はこうだろう。

 まずモンスターを操ってユノとルビィ達を分断し、戦力の結集を防ぐ。

 それとタイミングを合わせて、砂の中に潜ませた小隊に奇襲をさせユノを釘付けにする。

 そして足止めされて交戦中のユノにどこかに潜む本隊が突撃を仕掛けその物量で押しつぶす・・・・・・。

 単純だが少数のユノ達には充分に脅威となる手だろう。


(でも、侮ったわね?私、力の勇者なのよ?あの程度の数じゃあ前菜にもならない)


 “力の勇者”に与えられる恩恵は少ない。

 少なくとも今代の“力の勇者”たるユノには全勇者共通の生命力と、そして4つの“加護”しか与えられていない。

 だがそれを補って余りあるほどの――神の巫女たるセリアに言わせれば他の勇者の十倍近い怪力が与えられている。

 “力の勇者”とはその圧倒的な怪力と勇者特有の無尽蔵の生命力を生かしてあらゆる障害を駆逐する戦車タンクなのだ。

 他の勇者であれば迂回する、知恵を使って策謀を練る、有限の貴重な“加護”を消費して立ち回る。

 そんな状況を正面から打破することが出来る。それこそが“力の勇者”の本懐であり役割なのだ。

 それを人魔戦争のあいだずっと演じ続けてきたユノには「単なる奇襲」程度では何の問題にもならない。


 表情に出さずユノはまだ見ぬ襲撃の主犯を嘲笑う。

 視界の先で主犯は慌てふためいているだろう。

 襲撃の足がかりとなる奇襲部隊はあっけなく潰され、ユノは足を止めていない。

 残るは本隊とモンスターを操っている魔物使いたち。

 奇襲という絡め手を使うところから襲撃者の規模は大きくないと推測出来た。

 戦力として投入出来る兵が多ければ、それこそ夜陰に乗じてユノのいる内にベースキャンプに大規模な強襲をかければいい。

 そうすれば憎き勇者もその仲間も一網打尽にすることが出来る。

 それをしないということは襲撃者の軍団には勇者を真正面から斃せるだけの物量、或いは質がないと考えられる。

 数が足りないだけならば妨害に使っているモンスターをこちらに回すという手もあるが、そうすれば壁がなくなったルビィ達がモンスターの足跡と追ってこちらに辿り着くだろう。その結果は挟み撃ちだ。


 (この状況。せいぜい魔族の頭で出来ることといえば――)


「ユノさん!2時方向に中くらい3つ!8時方向に同じのが――」


 アリカの叫びが終わるより早くユノは肩口ポケットからスローイングダガーを抜き放ち、8時方向――左後ろへと振り向きながら投擲する。

 バスッ、バスッと鈍い打突音が連続して響き、砂の丘の上から2体の黒い影が崩れ落ちる。

 「黄色く光るもの」を貫いていることを一瞥して確認すると、2時方向――正面からこちらに向かって剣を翳して吶喊してくる魔族を迎え撃つ。


「◎×□△!!!」


 剣を振りぬきながら魔族の兵士が叫ぶ。

 過去に戦場の中でよく聞いた叫びだ。魔族語など知らないので意味はわからないが。

 頭の上に振り下ろされる剣を篭手で防ぎ、前に踏み出しながら剣を突き出す。

 防がれると察知したのか魔族は機敏に反応し大きく跳躍、距離をとって再びこちらに向かってくる。

 左右から時間差で短剣と槍――短く切り詰められ取りまわしをよくしたショートスピアが2体の魔族から突き出されてくる。


「っつ!」


 短剣の一撃をかわし、ショートスピアを身体を捻って回避する。そのまま体勢を低く落としながら槍の方の魔族に蹴りを入れる。

 下から胸に強力な打撃を受けた魔族は体勢を大きく崩してよろめく――骨を何本か砕く感触がしたが致命傷には至らなかったらしい。

 ユノはそれを確認しながら立ち上がると、最初に剣でうちかかってきた魔族の一撃を剣先で受け止め、密着しながら左拳を臓腑に突き立てる。

 ユノの拳の前に鎧の意味はない。“グラーベルの鉄篭手”の尖鋭な装飾が魔族の“黄色く光るもの”に突き刺さる。


「◎○△!!!!」


 おぞましい叫びを上げて崩れ落ちる魔族を捨てながら短剣の魔族と切り結ぼうとして――


「“刃の霧ぃ”!!!」


 アリカの叫び、否、魔術に足を止める。

 アリカが正眼に構えたメイスから白い煙の凝縮された球が飛び出し、こちらに飛びかからんとしていた短剣の魔族を包みこむ。

 濃い霧と化した煙の中から無数の刃物がぶつかりあうような音と、戸惑ったような魔族の奇声が聞こえる。


 “刃の霧”

 かく乱魔術に分類されるもののひとつ。

 人ひとり分を包み込む霧を発生させ、その霧に包まれた対象をマナの刃で切り刻む魔術だ。

 強力な術のように聞こえるが、あくまでもその威力はかく乱らしく低く、少々の切り傷を対象に与える程度だ。

 だが不意打ちでその魔術を受けた者はパニックに陥り行動不能になる。

 主にかよわい女性が暴漢から身を守るために考案された魔術だが、その有用性から実践に赴く魔術師の中で愛用するものも少なくない。


(なかなかいいチョイスね、アリカ)


心の中でアリカに賞賛しながら、ユノは白い霧ごと包まれた魔族を切り裂く。

奇妙な苦鳴のあとに白い霧は消え、残るのは上半身を大きく切り裂かれた魔族のみ。

あとは簡単だ。

最後に残された槍の魔族は2人の仲間が倒されたとみるや逃走しようと背中を翻したが、ユノが投げはなったスローイングダガーで物言わぬ骸と化す。


「他に策でも用意していない限り進軍を遅らせる為に死兵を出す・・・・・・襤褸を出すのが早いのよ」


そう独りごこちるユノにアリカが駆け寄り、お怪我はありませんか、と勢い込んで叫ぶ。

ユノは大丈夫よ、と笑みを見せて小さく返し、声を低めにするように注意すると何事もなかったようにアリカを連れて歩みを再開する。


ベースキャンプから1000ラウン付近のユノとアリカ――その遥か頭上を異世界の天使が航過していく。



『月』の暦1065年

天候:??? 9月1日

20時42分――この記述が正しいのか判断しようがない。

場所不明――海底であることは確か。


 暗い部屋の中に、ミズガルズの国王――チヒロが座っている。

 玉座のような椅子の前には「光る箱」が机の上に置かれており、接続された無数のケーブルが部屋の暗やみの四方に植物の蔓のように這い回っている。

 チヒロはニヤニヤと薄気味悪い――しかし蟲惑的な笑みを浮かべて「光る箱」に注視し、その横に影のように黒いドレスに身を包んだデアシュが付添っている。

 完璧な姿勢と立ち振る舞いはよく訓練された侍女のように見え、同時に機械仕掛けの人形のようにも見えた。


「んふふ、まるでゲームみたい・・・・・・見てデアシュ、あの子がまた敵を倒したよ」


 嬉しそうに指差した「光る箱」の表面には――恐ろしく透明度の高いガラスのような物体を通してある光景が映し出されている。

 白黒の、ほんの僅かに緑が混じった画面を通した動き続ける砂の大地にそこをひた走る二つの白い影。

 片方は背中に長大な銃を担ぎ、もうひとつの白い影の手を引いている。

 引かれている方の白い影はかろうじてローブを着た背の低い女性であることがわかる。

 白いのっぺらぼうの顔にふたつ――眼だとわかる部分がひと際明るく輝いている。

 「彼女達」が走り去る後方には発光する白からグレーになった点々と無数の影が倒れ伏し、砂の大地にロールシャッハテストのように不規則なシミを飛び散らかしている。


 「光る箱」の画面の中央に記された黒い十字――同じく黒い鍵括弧かぎかっこに四方を囲まれた――表示がふたつの白い影を追って動く。

 その動きはチヒロの右手に握られた奇妙な平たい物体によって操作されているように見える。


「愚かな先王の手下が出した死兵をほとんど片付けたようですわね・・・・・・ベースキャンプまであと700ラウンといったところでしょうか?」


「そうだね、そろそろこっちも準備しないと・・・・・・でも残念だなー。もっと上の高度がこの子の本当の居場所なのに」


 ちょっと拗ねたようにチヒロが口を尖らせる。そうしながらも二つの黒い双眸は画面に表示される情報を絶え間なく広い続けている。


「仕方ないですわ。これ以上高く飛んでしまうと龍族の夜警に見つかってしまいますもの」


「ちぇっ、舞台に上がろうともしない高慢種族のクセに。マナの樹に核でも落としてやろうかしら」


 ふてくされたように呟くチヒロを核とはどのようなものか皆目わかりませんが、と前置きしてデアシュが優しく宥める。


「お戯れを。龍族を刺激するのは良策ではないのでしょう?それに」

「わかってるよデアシュ。龍族とエルムトは一心同体。流石に今の時期に二つも勢力相手取るのは正直キツイわ」


 それに「おじいちゃん」の出番がなくなっちゃうしねー、とデアシュは軽く笑い、右手で画面を操作する。

 チヒロの手の動きにあわせて画面の中心は左下に動き、人間の休息地――ベースキャンプを映し出す。

 ベースキャンプは緩い傾斜の砂丘に囲われた窪地に設置されており、合計六つほどのコテージが縄と鉄杭で比較的硬い地面の上に連なって固定されている。

 中心には白く揺れる光――焚き火と思われる光源があり、そこの周囲には3つの人間のシルエットが、ベースキャンプを包囲する無数のモンスターのシルエットと相対している。


「うふふ、頑張ってる。」


チヒロが不気味に笑う。

 画面の中で3人の人間が数の上回るモンスターと戦っている。

 湾曲した双剣を持つ小さなシルエットが猫科の獣のように戦場を飛び回り、軽々とモンスターの肩や背中に着地しては2本の剣をナイフとフォークのように器用に使って首ったまを掻っ切っていく。首を失いが倒れたモンスターそのまた次へ、一見自由奔放で向こう見ずなその動きを長身のシルエットが剣を振るい、銃で撃ち斃しながら守るように追従していく。

 その2人の騎士に追いすがるモンスターの死角から亡霊のような魔法使いのシルエットが現れ、様々な魔法を使って息の根を絶やし、決して攻撃の手を己に向けぬよう巧みにモンスターの群れを避けてまた闇へと消えていく。

 チヒロは驚嘆したように軽く口笛を吹いた。

 3つのシルエットは完全な一個の生物のようだった。

 一見無鉄砲に動き回る小さな騎士のシルエットは戦いの場を掻き乱すトラブルメイカーであり、追従するふたつのシルエットの頭脳。

 小さな騎士の足跡を辿るように動く銃と剣の騎士は、頭脳を守る剛健な肉体であり、触れる全てをなぎ倒す2本の凶暴な腕。

 そして最後尾に続く神出鬼没なシルエットは、後顧の憂いを打ち払う用心深い尾であり、折れないしなやかな脚。

 「勇者の従者」としてはなんの不満もない、人間の中でも最高位の戦士達だろうと賞賛出来る。


「すごい強いねー、デアシュ。デアシュはこの3人相手に勝てる?」


 眼をきらきらと輝かせ、こちらを見つめる王に困ったように頬に手を当て笑いながらデアシュは答える。


「状況にもよりますが簡単に、とはいかないでしょうね」


 控えめにそう言い「ですが」と普段は細い眼を見開きながら静かに笑みを深くする。

 黄色く輝く眼の中にぐるぐると得体の知れない光が蠢いている。

 それは自らの尾を追いかける蛇のように見える。


「この者たちは私と私の軍勢には決して勝てませんわ――私がチヒロさまの騎士である限り」


 その言葉にチヒロは「不思議の国のアリス」のチェシャ猫のような笑みを浮かべると、逸らした視線を光る箱の画面へと向ける。

 黒い真珠のような瞳には何も映らない。何の感情もない。


「・・・・・・まぁいいや、デアシュ喉が渇いたから何かお茶でも――っと、あらら」


 へにゃ、と感情を移さぬ瞳のままチヒロがだらしない笑みを浮かべる。



「思ったよりも早く役者が来ちゃった・・・・・・開演を急がないとね」




「はあぁッ!」

 裂帛の気合と共に振るわれた双剣が、空中に飛び上がり身体を拘束しようとするアーマースコルピオンを二つに断つ。

 粘液質の血液が地に落ちるよりも早くルビィは振り向くと、背後から飛び掛ってきたスカベンジャーを斬って落とす。

 ぎゃん、と悲鳴――声だけは普通の犬。の泣き声をあげたスカベンジャーが汚らしい内蔵をぶちまける。

 口の中に異物を感じて吐き出すと飛び散った肉片が入っていた。

 ルビィは唇を歪めて口を拭うと次の獲物を求めて視線を巡らせる。


「ルビィ!まだ平気かい!?」


 フリードの声が前方から聞こえる。だがその姿は夜の暗闇と無数のモンスターのシルエットに阻まれて見えない。

 だが、ルビィの呼びかけのあとに聞こえる剣が骨肉を絶つ音と、おぞましい獣の悲鳴が、フリードが健在であるということを教えてくれている。

 ルビィは大声で答える。


「まだ大丈夫だフリード!だが数が多すぎて辟易してきたぞ!!」

「それはボクに言われても困るな!弾の数よりすくなければいいけどっ」


 そう言葉を返すうちに3発の銃声が響き、ルビィもまた2匹のスカベンジャーを仕留めている。

 「しっかりとどめを刺す」「背後に仲間がいることを忘れない」と学習したルビィはモンスターに遅れをとることこそないものの、その物量に圧され気味になっていた。

どおん、とどこからか砂の壁が突き破られる音がする。新手のモンスターが現れた音だ。

ルビィはその音にうんざりだ、と蒼い双眸を歪ませ、横合いからサイクロプスが振り下ろした斧を避ける。


「おい、密偵!何かこの状況を打破できる魔法とかないのか!!」


砂に突き刺さった斧の持ち手を足場に一息で駆け上がり、サイクロプスの首を一閃する。

血しぶきをあげて倒れるサイクロプスの上に着地し、念入りにトドメの一撃を刺す。


「あったらもう既にやっているに決まってるでしょう!エクスリブリス・コルタナ五編断章。クルーエルピアッサー!」


 どこからか――ルビィの位置からは見えないが、スコルピオの叫びが返ってくる。

 同時にルビィの右後方のモンスターの集団が魔法の槍で貫かれて次々と空中に持ち上がる。

そして実に残虐極まりない光景だが――その槍から勢いよく無数の針が飛び出し、瞬く間に穴ぼこだらけの死骸を量産する。

いい趣味してる、と不快げに口の中で呟き、ルビィは足元に寄ってきたバンジャナギアの頭を蹴り砕く。

 おおよそ周囲のモンスターは片付いた。

 だがまだまだ襲撃の終わりは見えない。

 また新手のモンスターが――もう10かそこらを越えた襲撃の波がこちらに向かってくるのを認めると、助走をつけて飛び、適当な――主に背が高く、人型のサイクロプスの肩に着地する。

 モンスター達は餌を投げ込まれた犬の群れのようにルビィに群がり、襲い掛かってくる。

 ルビィはその攻撃を跳躍しては回避して捌き、集団の注意を完全にルビィ1人に向けさせる。

 その集団の無防備な背中をフリードが銃と剣で1匹ずつ確実に仕留め、最後にキャンプ内の遮蔽物に姿を潜ませたスコルピオが魔法で一網打尽にしていく。

 数珠繋ぎの防衛網。

 ルビィ達はモンスターがキャンプを襲撃してから数十分そんな不毛な戦いを繰り返している。

 身体の疲労はピークに達しつつあった。


(くそっ、勇者は何故戻ってこない!)


 ルビィは重くなった身体をなんとか奮い立たせてモンスターの攻撃から逃げ回りながら歯噛みする。

 心の中でユノを罵りながらもその理由については見当はついている。

 このモンスターの襲撃は勇者たるユノと自分たちを離す目的だ。

 自分たちがここに足止めされている間にユノとそれを追っていったアリカは襲撃の主犯――魔族に奇襲をかけられ、集中攻撃を受けているのだろう。

 とにかく今は待ち続けるしかないだろう。

 勇者の――ユノの到来を願って。


(だがあいつは戻ってくるのか?死ぬことはないだろうが、本当に“私達”を助けにここに戻ってくるのか?)


 ユノと自分達には、隔たりがある。

 ルビィとフリードはあくまでもセリアが手配した助っ人であり、スコルピオに至ってはランバルディア王の得たいの知れない目付け役でしかない。

 ルビィもフリードもスコルピオもユノ個人との信頼関係などないに等しく――只の“任務”の繋がりでしかない。

 それに自分に至っては亡き親族の仇を討つと宣言した復讐者だ。

 信頼関係とはまさに間逆の関係だろう。

 それに対して、アリカは長年のユノの友人――少なくとも王国が知っている限りセリアを除く唯一の友人だ。

 彼女にとって必要なのは、助けるべきなのはアリカだけであり、自分たちはその限りではない。

 いてもいなくてもいい。死んでしまっても――過酷な旅についていけなかった。

 その言葉だけでセリアと王国への説明はついてしまう。

 それだけの関係だ。


 だから、もし、自分達の襲撃が避けられたなら――そのままここに戻らずに西に向かうんじゃないか?


 ぐるぐると突然頭の中に立ちこめた思考が、ルビィの感覚を一瞬鈍らせる。


「ルビィ!危ないっ!!」


 突然聞こえたその声にルビィは我に返る。

 時間の流れがゆっくりになる。

 ルビィの身体は空中にあった――サイクロプスの肩を蹴り、別のモンスターの上に飛び移る刹那。

 思考に夢中になっているうちに、自分の下に潜り込むように、大きな口が開いていた。


(ドゥーラー)


 肺が、空気を吸い込む音が聞こえる。

 ルビィは空中で、足を大きく振り身体のバランスを全力で前へと倒す。

 天地が逆さまになる。眼前をドゥーラーの砂まみれの鱗が勢いよく流れていく。

 がちん。

 歯と歯が衝突する音、それはルビィが辛くも捕食を免れた証だった。

 身体からどっ、と汗が噴き出る。

 もしもう少しでも反応が遅れていたならルビィの身体の半分は鋭く尖った牙に挟み込まれ、咀嚼され、この巨大な蛇の胃に収まっていた頃だろう。


 そう感じた瞬間に――ルビィの頭で何かが弾け飛ぶ。


 熱と鈍痛を発していた身体がルビィの感覚から消える。

 同時に頭がひどくクリアーになる。

 もう何も考えられない。思考の全てが、ただひたすらに身体の操作に傾注される。


 ルビィは身体を丸め、全身のばねを使って大きく一回転する。

 ぶれる視界の中で風景が高速で流れ、どん、と下からの重い衝撃を受けながら大地に立つ。

 たくさんの色の線を引きながら戻った視界には多数のモンスターが見えたが、ルビィは構わず腰を落とし、手の中の双剣を逆手に持ちかえる。


「なぁぁぁ、めぇぇ、るっ、なぁぁぁぁっぁぁぁぁああああああっ!!!」


 ブーツの底から走る電撃的な痛みに耐えながら、片足を軸に急速に反転――その勢いのままに、砂の中から胴体を晒したドゥーラーに渾身の一撃を叩き込む。


“!!!!!!!!!!!!”


 ぞぶり、と硬質な破片を砕きながらショーテルの歪んだ刀身は蛇の胴体に深く深く食い込み、頭上から言葉に出来ないおぞましい咆哮が聞こえる。


「ルビィ、そいつを逃がすな!!!」


 間欠泉のように吹き出るどす黒い血の雨に頭を垂れて耐えながらルビィはフリードのその声に了解の叫びを返す。

 突き立った刃に全体重を乗せ、激しくのたくる大木のような怪物の身体を押さえ込む。

 胴体の半ばまでショーテルの刃は埋まり、そこからあふれ出る血はしどどにチェインメイルを濡らす。

 ドゥーラーの苦鳴の間隙に何度もフリードのピストルの音が聞こえた。

 ルビィが刃を突き立ててドゥーラーの逃走を防ぐ内に一気に仕留める狙いだ。


「・・・・・・スターは僕が相手を!エクスリブリス、コルタナ五編断・・・・・・」


 スコルピオの声が聞こえる。

 おそらく魔法でルビィとフリードをモンスターから遠ざけているのだろう。

 背を向けたモンスターたちからなんの攻撃もない。

 ルビィはぎりぎりと刃を喰いしばりながら笑い、そのまま断ち斬らんばかりにさらに刃を押し込める。


「くそっ!短銃じゃ効果が薄い!ルビィ、まだそいつを押さえていられるかっ!!!」

「当たり前だ!」


 フリードの雄雄しい叫びが聞こえる。

 のたくる蛇の胴体越しに剣を片手に走り寄るフリードの姿が視えた。

 眼前に迫り来る騎士にドゥーラーが血を吐くような叫びをあげながら喰らいつこうとするが、フリードは易々と避けてロングソードを横薙ぎに振りかぶる。


「断ち斬れぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!!!!!」


 ぞぶ、ぞぶ、ぞぶ、とドゥーラーの胴体に二つの刃が食い込んでいく。

 逆手に握られた湾曲した双剣の刃。

 大木を切り倒すように叩きつけられたロングソードの肉厚な剣身。


“っ!!!!っ!!!!っ!!!!!!!!!!”


 ルビィの腕が徐々に裂けたドゥーラーの胴体に入り込み、固い芯の感触を捉える。

 その感触の反対側からこちらに強く突き進む力――ロングソードの刃がある。



“ばきん”



そんな音が聞こえて――ルビィは支えを失って強かに砂の上に投げ出される。

視界が赤く染まっていた。

恐らくルビィの身体も真紅に染まっているだろう。

砂の上に手をついて立ち上がると、上半身と下半身が綺麗に別たれたドゥーラーの亡骸が見えた。


「やあ、ルビィ・・・・・・感動の再会ってのはこんな感じなのかな?」

「・・・・・・知らん、ウルスラにでも聞け、あいつは物知りだからな」


 血を噴水のように噴出するドゥーラーの亡骸を挟んでフリードとルビィは軽口を叩き、立ち上がって新手のモンスターに備える。

 だがしかし――モンスターはまるで波が引くようにキャンプの中心から遠ざかりつつあった。

 さきほどまで狂い、暴れていたモンスターが波を引くように退散していく。

 眼を血走らせ、凶悪な棍棒を握り締めたサイクロプスや残忍な砂漠の殺し屋たるアーマースコルピオンがルビィ達に目もくれず素通りしていく。

 それはまるで魔法か何かに操られているかのようだった。

 ルビィとフリードは訝しげに眉根を寄せ、近くで同じように警戒の姿勢を取るスコルピオに尋ねる。


「モンスターが退いていく・・・・・・」

「何があった?」

「――わかりません」


 ただ、あれを、と緊張気味にスコルピオが指差す先にルビィとフリードは視線を動かす。


(人間?)


 月明かりを背後に受けて、キャンプを囲む小高い丘のひとつの影が見えた。

 男かも女かもわからない。

 ただ、その人物が馬に乗っていることだけは分かった。

 

(馬、だと?この砂海に?)


 馬は基本的に南部の生き物だ。

 その理由はこの大陸が地形的に馬が生きるのに適した平地が南部にしかなく、森林地帯の東部、1年のほとんどが雪に覆われた北部、乾燥地帯で荒地と砂海のある中央部、山岳が大多数を占める西部にはその姿が見られない。

 ある程度品種改良が行われ、それぞれの地勢に適合した馬はいるものの、それらの入手はほとんどの人々には金銭的に困難であり、この大陸に住む人間の足の9割はあらゆる地勢に適応するランドドラゴンだ。

 その馬が――それもこの大砂海のど真ん中にいる事自体が異質だ。


(ただ、分かるのは・・・・・・今のこの状況を作り出したのはアイツだということだ)


 ルビィは顔についた血を手の甲で拭いながら、人影から眼を離さぬまま体勢を整える。

 

「!」


 同時にルビィとフリード、スコルピオが息を呑む。

 人影が突然動き出し、ゆっくりと砂丘を降りてきたからだ。

 たったそれだけの動作で――その影は3人にとてつもない違和感を感じさせていた。

 全ての挙動が「おかしい」

 何かが、というわけでもなく、この場にそれが存在していること自体がおかしい。

 そんな脅迫めいた不安が、3人の身体を蝕み、底なし沼にはまったような不快感と閉塞を感じさせていた。


「何者だ」


 フリードがピストルを構え、誰何の声をかける。

 その声音は緊張に満ちている。

 これでもし、言葉が、人間の言葉が返ってこないのであれば――


『美事だ、勇者の従僕達よ』


 低く籠り、割れた声が聞こえた。

 それは耳を通してではなくもっと内側から――頭蓋の中から囁かれているような感触を持っていた。

 ゆっくりと――騎乗の人影が焚き火の光の中に入ってくる。

 黒い「鱗」で作られた鎧がてらてらと異質な輝きを放っている。


『人間風情と高を括っていた儂の失念か、それともこれもまた陛下を見捨てて逃げた因果に、世界が応報したか・・・・・・』


 “それ”は奇妙な風貌をしていた。

 房飾りのある黒色のヘルムを目深に被り、金で縁取られた魚鱗造りのコイフを顔半分を覆うように前で閉じている。

 わずかに見える眼は丸く、恨み凝った幽鬼のように黄色く光を発している。


『どうした?人よ?可笑しな顔をしておる・・・・・・我らが人の言葉を話すことを不思議と感じるか?』


鎧に覆われた肉体は人間では考えられないほど逞しく、重層な鎧のスケイルの上からでも隆起した筋肉が見て取れる。

 大きく膨らんだ胸甲には燦然と輝く蛇の紋章――ミズガルズの印章がある。

 龍の鱗のような構造の腕甲に包まれた腕は胴体に反して細く、しなやかな印象を受けるが――巨大な大剣を両手に2本持ったその姿は尋常ではない力を持った証だった。


『不思議とは、無知にして無思慮な者のみの言の葉よ。真実は・・・・・・此処にある。』


 そして“それ”に関してもっとも異質な点は――その腕が8本あるということだ。

 背中から生えた3対の異形の腕。

 翼竜の翼の如く広げられたその手には同じ意匠の大剣と攻守に優れた円形の盾が一対に握られている。



「8本の腕に大剣・・・・・・“アレンダールの死神”」


 愕然とフリードが呟く。

 ルビィもまたその名前に聞き覚えがあった。

 “アレンダールの死神”

 人魔戦争において人類側のもっとも大きな惨劇のひとつである西部アレンダール砦の虐殺。

 アレンダールは西に展開した砦の中でも非常に重要な戦力拠点であり、国中の兵士や騎士、腕利きの傭兵やエルムトの魔法使いが詰めていた。

 その砦が、そこにいた人間全てが一夜にして滅ぼされてしまった。

 命からがら逃げ延びたものもいたが、ひどく衰弱しており、ヒーラーたちの手厚い看護も虚しくみんな死んでしまった。

 生存者たちはみな一様に恐怖におびえ、うわ言のようにある言葉を繰り返していた。


“死神がくる。あの馬に乗った、死神がやってくる。8本の腕で、大剣で、みんなバラバラにされちまう”


 その魔族は魔王の近衛の将であるとされ、勇者たちの魔王討伐のあとにも同じ特徴をもつ死骸は発見されなかった。


『死神、か・・・・・・過ぎた異名よ。主の死を防げず、あとを追うこともできなかった愚かな将には』


 コイフの下で「そいつ」はくぐもった笑みを浮かべた。

 兜の下から覗く丸い瞳が上弦の月のように笑った。


「・・・・・・!!」


 圧倒的なプレッシャーを感じ、ルビィは総毛だった。

 濃密な死の気配が空気の代わりに満ち溢れ、呼吸が出来なくなる。

 それはルビィだけでなく――その横にいるフリードもスコルピオもまた同じだった。

 焚き火に照らされたフリードの顔には脂汗が浮いている。


『だが、そんな過去などどうでもいいことだ。魔族と人、生と死、血と肉、今宵この夜、儂が求めるのはただそれだけ』


 魔族――アレンダールの死神は静かに剣を構える。

 6本の大剣を前に、2つの盾を肩口に背負うように。


(来る)


 ルビィは恐怖にがちがちと震える身体をなんとか無理やり制御すると、双剣を構える。

 片割れを諸手に正面へと突き出し、片割れを逆手に身体に押し付けるように。

 アンテローズ家の双剣使い相伝の構え――常態ならばルビィに無条件に安心と勇気を与えてくれるその構えも、今はなんとも頼りなく感じる。

 まるでアリが龍に挑むかのような、壮大な無謀をしているように錯覚する。

 そしてその錯覚は――きっと真実なのだろう。

 ルビィはそんな思考を無理やり押しとどめ、地を蹴り疾走する。


「おおおおおおッ!!!!」


 二つの声が重なる。

 ひとつは自身、ルビィの声に、もうひとつは同じくロングソードを両手に構えたフリードの声。

 2人は恐怖を打ち払うように勇ましい鬨の声を上げながら、アレンダールの死神に剣を叩き込む。

 複雑な軌道を描くルビィの双剣と、力強く敵を叩き斬るフリードの騎士の剣。

 それが合わさればこれまで勝てなかった敵はなかった。

 どんな強者であろうと――人間ならば。


『ぬるいな』


 きん、と剣が弾かれる甲高い音と共に、ルビィは強かにうつ伏せに叩きつけられる。

 フリードも同じだ。何が起こったのか――死神の剣の間合いに入った瞬間に、2人は「地に伏せられていた」

 アレンダールの死神は騎乗のまま、悠然と地に伏せる2人を見下ろしている。


「っ!!」


 ルビィはすぐに飛び上がって体勢を立て直すと、跳躍しながら再び双剣を繰り出す

 跳躍からの打ち降ろし、袈裟斬り、斬り返し、素早く逆手に持ち替えて突き刺し、臓腑を狙った死角からの刺突。

 フリードも数瞬遅れてそこに加勢する。

 全身のばねを使った刺突。すぐさま剣を引いて振り降ろし、薙ぎ払い、回転斬り。

 それら全てが――ルビィとフリードの持ちうる業の全てが大剣と盾のわずかな動きで受け流される。

 全身の体重をかけたうち降ろしは盾で防がれ、地上に降りてからの袈裟斬りは振り子のように振られた大剣で払われる。

 ぎりぎり踏みとどまって、もうひと片割れで繰りだされた切り返しは剣のヒルトで受け止められ、突き刺しは虚しく中空を突き、その攻撃を囮として突き出された至近距離の刺突は、いつのまにか降りてきた盾に阻まれる。

 フリードの全ての攻撃も完全に読まれ、自由自在に動く8の腕に握られた剣と盾で全て防がれる。

 それに加え――死神はその場を1歩も動かない。

 ぶるる、と嘲笑うように、死神の馬が嘶いた。

 馬もまた、同じく黄色い目をしており、決して普通の馬ではない。


『どうした?人間よ、もっとだ、もっと打ちかかってこい』


 ルビィとフリードの不利を見たスコルピオが魔法で加勢するため、杖を構え、懐から取り出した蔵書ビブリオを手の上で広げ、詠唱する。


「望み通りにしてやる!エクスリブリス、調停の書・・・・・・!」

『貴様の相手はこちらだ、魔法使い』


風に乗って聞こえたその声に、スコルピオは身体を地面に投げ出して転がる。

それを回避出来たのは間違いなく幸運だった。

スコルピオが先程まで立っていた場所にびょお、ともびゅお、とも形容できない音と共に赤光の柱が突き刺さる。

柱が突き刺さった地面はどろどろの気味の悪い緑色の物体へと変わり、不快な匂いの煙をあげている。


(腐敗の槍――ソーサリー!)


 スコルピオは受身をとって素早く立ち上がると、光の飛んできた方向へと杖を向ける。

 そこにはいつのまにか黒い衣を幾重にも羽織った異形がおり――フードの中から覗く不気味に丸い眼が嗤っている。

 その手には奇妙に捻じ曲がり、得体の知れない装飾のついた長杖が握られている。


「ソーサラー・・・・・・!」

 スコルピオは歯噛みして呻く。

 人とは異なる魔法体系を自在に操る妖術使いはスコルピオのその声に答えず、ごぼごぼと泡を含んだような声で朗々と語る。


『場を弁えよ、魔法使い。戦いには礼儀というものがある――剣士には剣士が応え、射手には射手が応えねばならぬ。であれば貴様があの騎士たちとあるじの戦に立ち入るのはお門が違がかろうて?』


 しゃん、と長杖の先端に繋がった無数のリングが音を立てる。

 衣から覗く――フジツボの生えた死人のような腕に握られた杖がスコルピオの方へと頭を傾ける。

 その先に光が灯るのを視て、スコルピオは己が持ちうるなかで最も速く詠唱できる魔法を発動する。


「エクスリブリス、蜂の術書!空間爆砕!!」


 ぼん、と空気を叩く破裂音と共に、ソーサラーの立つ大地が爆発する。

 蜂の術書――エルムトの魔法使いならば誰もが一度は眼を通すシンプルな魔法術書だ。

 

『○××◎△!!!』

「蜂の術書!魔力の矢!」


 蔵書ビブリオ参照エクスリブリスせず――矢継ぎ早に魔法を発動しながら、スコルピオは走る。

 舞い上がった砂ぼこりから妖術の詠唱が響き、赤い光条がスコルピオを捉えんと無数に飛び交う。

 スコルピオはマナの酷使で重くなった身体に耐えながら、転がり、遮蔽物へと身を隠す。

 コテージの柱を妖術の光が削る。

 それに応えるようにスコルピオは杖だけを盾にしたコテージから出して魔法を詠唱する。

 当たることは期待していない。牽制だ。





「おおおおおッ!!」


 スコルピオがソーサラーと戦う最中――ルビィとフリードは絶望的な面持ちで死神と戦っていた。

 “アレンダールの死神”は、強すぎた。

 6本の剣を巧みに操りルビィとフリードの剣を捌いては強力な豪剣を繰り出してくる。

 その一撃はサイクロプスのような力任せのものではなく、確かな技巧と身の竦むような殺意を篭めて振るわれる死の一撃だ。

 これまで多くの剣士と刃を交えてきた2人であったが――死神はその全てを超越する技巧の持ち主だった。


(加えて、あの盾!あれさえなければ・・・・・・っ)


 雄叫びを上げながら打ちかかったフリードが吹き飛ばされるのを見ながら、痛む全身を引き摺ってルビィは立ち上がる。

 悠々と、騎乗の死神は6本の剣を持つ腕を広げ、盾を前へと突き出している。

 それが先刻打ちかかったフリードが吹き飛ばされ、ルビィもまた地に伏していた理由だ。

 一対の盾による堅牢な防御術。

 あらゆる角度、あらゆるタイミングから放たれる攻撃を防ぎ、痛烈な打撃と共に吹き飛ばす盾による打突。

 まるで出来の悪い生徒が教師の気が済むまでやり直しをさせられてるかのようだ。

 死神は自ら打ちかかってこない。

 こちらと己の力量を読み取っての行動だろう――手加減しているのだ。

 それについては腹立たしい限りだが、運が良い。

 もしアレンダールの死神が積極的に6本の豪剣を振るってきたとしたら、ルビィもフリードも一時と持たず切り刻まれてしまっているだろう。

 この慢心を活かさぬ手はない。


(勝機は・・・・・・ある)


 ルビィは切れて血の滲んだ口元を拭うと、同じく立ち上がり、剣を構えたフリードに視線を送る。

 視線にフリードが気づくのを確認すると、ルビィは簡潔に――アレンダールの死神に悟られぬよう手でサインを作る。


(気づいてくれよ、フリード)


 祈るような面持ちでルビィは素早くサインをフリードに送る。


“銃で”


 ルビィの指がピストルの形をとる。


“盾を”


 ピストルの先を死神に向け、中指を2回、円を描くように回す。

 二つある盾の暗喩だ。


“止めろ”


 ゆっくりと、意図がわかるように手の平を翳す。

 それを視たフリードは一瞬大きな鳶色の瞳を丸くしたあと、口元を引き結んで頷くのを確認して、ルビィは三度、駆ける。

 声は、出さない。

 恐怖を打ち払う必要はなかった。


 『ほう、恐怖を打ち破るか?人間の戦士』


 アレンダールの死神は余裕を持った動きで走るルビィを待ち構えている。

 6本のグレートソードが交差し、まるで刃の壁のようだ。

 下手に突っ込めばそのまま串刺しにされかねない。

 ルビィは地面の砂を洪水のようにぶちまけながら滑り、脚にあらん限りの力を篭めてジャンプする。

 地面を蹴って頭上に跳んだルビィと、アレンダールの死神の瞳が交錯する。


 かたや、獲物を前にした肉食獣のような。


 かたや、目の前に差し出されたプレゼントに喜びを抑えられない子供のような。


 重力に従って、自らに落ちてくるルビィを受け止めるように、盾が動く。


(今だっ!)


 甲高い金属音が砂海の夜に連続して響く。

 フリードの構えた“黒騎士ピストル”から放たれた4発の銃弾は、正確に狙いを捉えた。

 空中に浮遊した状態のルビィ――の脇をぎりぎりで通り抜け、アレンダールの死神の盾を持つ2本に喰らいつく。

 だが銃声か、それとも自らに向けられる殺意に敏感に反応したのか、盾を持つ2本の腕はまるで関節がないかの如く恐ろしくなめらかに動き、盾で銃弾を受け止める。

 フリードはその防御を継続させるため――ルビィが宙に滞在したわずかな時間に、続けて2発の銃弾を放ち、空薬莢を捨ててすぐさま再装填する。

 その動きは機械仕掛けのように正確で無駄がない。

 間断なく打ち放たれる銃弾に、盾は射止められる。


「捉えたぞっ!!」


 ルビィは喜悦の笑みを浮かべながら、2本の剣に渾身の力を篭めて振り降ろす。

 アレンダールの死神が嬉しそうに笑う。

 剣士と剣士。

 種族や立場など関係なく、共有される――死と隣合わせの者たちが持つ悦び。

 立ちはだかる強敵と、自らに立ち向かう挑戦者への武者振るいの笑み。


『ハアッ!』


 湾曲した双剣とグレートソードの刃がぶつかり、火花を立てる。

 2本の薔薇の刃を6本の剣が受け止め、弾き返す。

 ルビィは大地に着地すると――追撃に振るわれた1対の剣の一撃を身を捩って躱わし、自らを突き刺さんとするもう1対の剣の切っ先を双剣の片割れで受け流す。

 押し潰されそうな威力に歯を食いしばって耐えると、身体を低く、地に這うように滑りこませ、死神の背後へと回り込む。

 死神の反応は素早く、騎乗で半身を捻り、追撃の一撃を振るう。

 だがそれはルビィの体を触れることはなく――ルビィは絶好の機会を得る。


「もらったぁあああ!!!」


 ルビィの足が、地面を蹴り上げる。

 向かうは半身を捻り、無防備な背中を晒した死神の身体。

 湾曲した1対の刃が砂上の月を受けて蒼く閃く。




だが――




『美事、美事な腕前よ・・・・・・若き人間の騎士。だが』


 ルビィの蒼い双眸が、大きく震える。

 時間が恐ろしくゆっくりになっていた。

 その瞬間、ルビィが認識できたものは少なかった。

 1対の湾曲した刃は確かに――アレンダールの死神の背中へと吸い込まれた。

 そして鋭利に磨かれた切っ先が鎧のスケイルを突き破り、肉に喰い込み、骨を突き砕き、致命傷を負わせる。

 その筈だった。


(避け、ら、れた・・・・・・?)


 その動きはあまりにも滑らか過ぎて、現実感がなかった。

 アレンダールの死神は自分に向かい来る切っ先を――完全に関節を無視した動きで身を捻りながら、上体を反らし、ほとんど切っ先が鎧の装甲の上を滑るほどのわずかな動きで回避した。

 それは決して幻ではない。ルビィの手に、固い金属を削った“痺れ”が残っていた。

 1対の双剣の刺突を避けた死神は悠々と、大仰に4本の腕を掲げ――宙に浮いたルビィの身体に振り下ろした。


「・・・・・・・・・・っ!!!!!」


 全てを理解した瞬間、ルビィの中の時間は正常に戻った。

 目の前には砂の海面がある。

 自分は倒れ伏している。


「・・・・・・があぁぁっ!・・・・・・ぐぅっ!!!」


 最悪だ、と誰かが頭の中で呟いた。

 体中が、爆弾に吹き飛ばされたみたいな痛みに悲鳴を上げている。

 息が詰まり、空気の変わりに声にならない呻きと、胃液を吐き出したルビィに変わって“じんじん”と悲鳴を上げている。

 意識を保っている自分を呪った――痛い、あまりにも、正気では、耐えられない。

 痛みに四肢も動かせず、ただ砂を掻くルビィを見下ろし、アレンダールの死神は静かに呟く。


『安心するがよいぞ、若き射手。おぬしの同胞は殺さぬ』


 その言葉に、まるで魔法を掛けられたかのように、フリードは動きを止める。

 ルビィが空中で“撃墜”されて、フリードの意識は真っ白になった。

 ただひたすら、無垢に、機械仕掛けの人形のように、ピストルを構えて、撃った。

 盾などもう関係ない。

 殺すなら頭だ。頭に打ち込めば生物は死ぬ。

 たとえそれが魔族であっても同じ、思考する生物なら死ぬ。

 だから、撃った。

 

 死ね、死ね、死ね、と銃口が煙を吐くたびにそう念じながら、フリードはピストルを撃ち続けた。

 だが、効果はなかった。

 盾が、銃弾を防ぎ続けている。

 それなら、もう関係ない。

 剣で斬る。

 斬って、斬って、斬って、斬って。

 たとえ自分がその倍以上斬り裂かれたって、斬って進む。

 ルビィを、自分をまだ人間にしてくれている少女を助ける為に。


 でも、止まってしまった。

 フリードは無表情のまま、剣の切っ先を振るわせる。

 その切っ先は、死神の背中に触れる直前で止まっている。

 先程までひどく自動的に動いていた身体が錆び付いてしまった。

 アレンダールの死神の声に――その中に潜む、圧倒的な殺意に。


(まるで――無力だ)


アレンダールの死神は馬から降り、彫像のように固まったフリードの横を通り過ぎる。

もうその眼には2人の騎士の姿は映していない。

近くのコテージで、人間の魔法使いと同胞のソーサラーが今も決死の魔法戦を繰り広げているが彼の関心もそこにはない。

彼の今の関心はこのキャンプにほど近い砂丘から発される――息の詰まるような戦いの匂い。

幾つもの同胞の命が瞬く間に引き裂かれ、潰されていくのを死神は感じ取っていた。


『ドニの気配を感じぬ・・・・・・早くも潰されたか』


 そう呟き、くつくつと笑う死神の横にどこからともなく影が現れる。

 その姿は影絵の人形のように現実感がなく、雲の隙間からわずかに覗く月光を受けてもなお黒いシルエットのままだった。

 ただ、その顔とおぼしき部分についた二つの丸い黄色い瞳――魔族の瞳だけが異様な光を放っている。


『ご報告申し上げます。我が盟主』

『ご苦労だった、スペクター・・・・・・どうだ?』


 スペクター、そう呼ばれた影のような魔族はくくく、と不気味に笑うと唐突に口とおぼしき部分から蒼い血を吐く。

 よく見ればその姿は満身創痍で――今もまだ生きているのが不思議なほど身体に傷を負っていた。

 だがそれを感じさせぬまま、高揚した口調で盟主の問いに答える。


『完全に負けです。我が盟主。最初の一撃で我が軍兵の2割が死に絶え、その次の瞬間にはテレザは右腕と片目を失い、ドニは鎧ごと“磨り潰され”ました。規格外も規格外、アレは人間というより・・・・・・化け物です』

『化け物、フッ、ククク・・・・・・そうか化け物か』

 アレンダールの死神は身体を震わせながら――柔らかい形質の砂の上に滑り落ちた部下の血にブーツを濡らしながらひきつったように笑う。

 揺れる身体にあわせて、がちゃがちゃと6本の剣が擦れて音を立てた。

 その震えはどんどん大きくなり、アレンダールの死神は笑いながら叫ぶ。


『そうだ、それでこそ!それが“善い”のだ!勇者、我ら魔族の天敵よ!!我が死の終わりは貴様がいなくては始まらぬ!あの女が描くような――くだらぬ絵図に命を散らすなど真っ平御免よ!!!我が死は、我らが価値は貴様の刃によって払われなくては!!』


 轟々と、風が呻き声を上げている。

 その風は常の砂海に流れる砂を運ぶ悠久の風ではなく、多くの戦いと死の匂いを乗せた芳しい風だ。

 戦場の空気。


『ではスペクター、また会おう』


 アレンダールの死神は傅いたまま死につつある同胞に言うと、剣を振り上げる。

 スペクターと呼ばれた魔族は血の混じった笑いを上げ、魔族の礼をとって言う。


『よき死を、我が盟主』


 剣が振り下ろされる。

 ぐしゃ、と濡れた音を立てて血の海に沈みこむ同胞に一瞥をくれると、死神は待つ。

 蒼い月に照らされた砂丘から――ひとりの影がこちらに来るのがわかった。

 影は小さな少女の姿をしており、唸る風に被服がゆるりとはためいている。

 その手には剣と、大きな篭手が嵌められ少女のシルエットを歪なものにしている。

 

 影の――少女の視線とアレンダールの死神の視線が重なる。

近づくにつれて大きくなるその気配を感じ、アレンダールの死神は笑った。


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