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『月』の暦1065年

天候:晴れ 9月1日

14時00分

メルカトル大砂海フレッド・ディビス二十四番渓谷



――――ぐしゅっ、と何かが潰れる音が、砂海の空に響いた。



 ルビィは朦朧とした意識のなかで、突如視界を遮るように現れた銀色の腕を見ていた。

 否――その表現はきっと正確じゃない。篭手だ。ドンナーの象徴たる雷と、太古の植物が刻印された無骨な篭手。

 その篭手が、それに包まれた腕が、ルビィにとどめを刺そうとしていたサイクロプスの顔面に突き刺さっている。

 生ぬるい液体と肉片が、ルビィの頬に降り注いだ

 視界の隅でさびた棘付きのハンマーがゆっくりと砂の上に横倒しになり。

 それと同時に、遠くの方にいたサイクロプスが変わり果てた姿で倒れ伏しているのは見えた。

 いずれも一撃で、身体のどこかに穴を空けられて即死しているようだった。


(なにが、起きて――)


呆然とするルビィの耳に、掠れた女の声が囁かれる。


「さあ、起きて」


 まるで猫の子でも掴むように首当ての襟首を持たれてルビィは引っ張りあげられる。

 喉が締まってルビィは奇妙なうめきを漏らした。

 引っ張りあげられて立たされた背中に人の感触があった。自分と同じか、それより少し大きな人の像。

 ルビィはその正体を横目で見た。


「――こんなところで死んでる場合じゃないでしょう?」


 ルビィを死の一撃から救ったのは、ユノだった。

 絵の具で染めたような白髪に風にはためくことなく垂れ下がったポンチョ。赤と白のツートンカラーの防護服。

それらには点々と赤い液体が、血が趣味の悪い絵画のように散りばめられていた。血色の悪い、人形めいた白い顔にも――一瞬ルビィはドンテカでの「それ」を想起し、肝を冷やしたがそれは全て返り血なのだとすぐに気づいた。

犠牲者の血。

彼女自身は無傷だ。


「ゆう、しゃ」

「大丈夫?」


 ルビィがなんとか頷くと、ユノはルビィを膝枕するように寝かせ、後頭部をへこませたケトル・ハットを取り払った。

 髪の中でまとめられていた赤髪が広がり、その先端から鮮血が滴り落ち、砂を黒く汚す。

 それを視てルビィは気が遠くなった。自分の血だ。

 血、生命の証、身体の中を流れる川、心臓を動かす燃料。涸れれば死ぬ、命が無くなる。

 身体の奥が凍るのを感じた。

 怖い、命を失うのが、怖い――女が流血に強いなど嘘だ。

 自分の血が流れて平静なままいられる人間などいない。


(駄目だ、混乱している――)


 脳震盪で鈍くなった耳には微かにユノが「頭を守っていたのは幸運だった」「そうじゃなかったら割れていた」と呟くのが聞こえた。


「動かないで、大丈夫。少し痛いだけよ」


ぱち、と留め金を外すような音が頭上で聞こえ、次の瞬間にルビィの視界がかすかに薬品の匂いがする布で覆われる。

何も声を出せないでいる内に手際よくその布はルビィの頭をぐるりと包み込み、出血を抑える。

 ぎゅ、と頭が圧迫される。

 その瞬間、熱い水に漬かったような感覚だった後頭部が鉄の棒を頭の中でかき回されたような痛みを発する。


「―――――!!!」

 あまりの痛みにルビィは声のない悲鳴をあげて身をよじる。

「動かないで」

 無常にも目の前の勇者はその身体を抑え、応急処置を続けるようだった。


「痛い?死ぬほど痛い?」身体を抑えるユノの言葉にはどこかおちょくるような色が混ざっていた「その痛みに感謝することね……痛いのは死んでいない証拠だもの」


 何を言っている、と言い返そうと思ったが再度襲ってきた痛みの波にルビィはぐぅ、と呻き、身体を抱える。

 その後も、ユノは応急処置を――受けてる側のルビィからすればわざと痛みを長引かせているようにしか思えなかったが。続け、あとの本格的な処置はアリカに任せる心づもりのようだった。


 「よいしょっ」

 その掛け声とは裏腹にユノは軽々とルビィの身体を背負い、砂の渓谷を歩きはじめる。

 天辺にあった太陽はいつの間にか、まるで砂の大地を歩く唯一の人間と勇者を見守るかのようにその背中を照らしている。

 強烈だった日の光が、少しだけやわらぐ。

 その光の中をユノは無言で歩く。


「……ふがいないな、私は」


 しばらくの沈黙ののち、ぽつりとルビィがそう呟く。

 その言葉には自虐が含まれていた。

「喋らないほうがいい、傷に触るわよ」

ユノは淡白にそう答える。血糊に汚れたその顔にはもう「闘い」で得た興奮はない。

 しかしその言葉を無視して、ルビィは押し殺すような声で言葉を吐く。


「……私は騎士だ。主に忠誠を誓い、民を守り、国と世の平穏の為に戦う――民を、戦えぬ人を守る。それを為す者だ。そしてその一団を束ねる者でもある」


守護騎士団第6隊隊長、ルビィ・ギムレット・アンテローズ。

騎士隊長というのは家柄や功績だけでなれるものではない。

実力と前者ふたつに加えて「騎士」という者に対する考え方によりその役職を拝領する。

 「騎士」であることを驕るものや、その地位を利用して民を圧しようと考えるものには決して就くことは叶わない。


「本来ならわたしは、誰よりも前に立ち、誰よりも最後に倒れなければならない者だ……そうしなければ守ることなど出来ない。」

「……」

「これまでは、そうしてきた。そうしてきた、つもりだった」


 ユノは弱弱しくなるルビィの声音を聞きながら、リーンベルネで閲覧した彼女の履歴を思い返していた。

 自由騎士から真の貴族へと成り上がった「戦いの家」アンテローズ家の三女。最少年の守護騎士隊長。無法者やごろつきから恐れられる苛烈にして華麗な双剣使い“アンテローズの赤薔薇”

 それらの称号は決してパッケージだけのものではなく、記録された彼女の実績は輝かしく「無敗」だった。

生まれ、育てられ、戦士として訓練を受けて騎士となり、それを束ねる者になり――その過程には一度も敗北の二文字は存在していなかった。彼女の心の内はどうであれ。


「だが、今の私はどうだ――とんだザマだ」吐き捨てるようにルビィは呟く「誰よりも早く傷つき、倒れて……怯えている」

 ルビィの身体は震えていた。数瞬前の死の危機と恐怖が身体に現れている。ユノのポンチョを掴む指先も強く、白くなるほど握り締められて震えている。

「・・・・・・こんなことで、こんなところで倒れ、死にかけていて。私は魔族となど戦えるのだろうか」

「・・・・・・」

ユノは瞳を閉じ、暫く沈黙してから口を開いた。


「くだらない」


 少女が顔を上げるのが判った。

 ユノはそれに構わず、静かに、砂海の熱い空気に溶け込ませるように静かに言葉を吐く。


「思い悩むだけ無駄だわ、そんな事」

ユノは息を漏らすように笑う。

「ねえ、ルビィ。あなたは、何がしたかったんだっけ?」

「……何?」

「あなたの目的は、一番の目的は……魔族を倒すなんてことだったの?」

 ルビィが息を呑むのが分かった。ユノのポンチョを掴んでいた手が緩み、離れていく。

 その動きを眼で追いながら、ユノは静かに続ける。

「些細なことでしょう?そんなこと。そんなもの“過程”でしかない。そうじゃないの?」

「貴様は……!」

 ルビィが声を荒げる。前を向き、月のような蒼白い瞳の中に砂海を映しこんでいるユノにはその表情は見えない。だが推測することは簡単だった――少女は激怒している。燻ぶった焚き火の炎がもう一度再燃するように。

 ユノはそれを感じ取って、どこかおどけるように言葉を続ける。

「そう、それでいいのよ。ルビィ、思い出しなさい。今、あなたがどうしようもない弱音を吐こうとしている私は」

 ユノの脳裏に「あの日」の光景が再生される。血のような雨と熱い泥、金属鎧に滴る不愉快な水の感触、そして――一対の双剣を手に、顔面蒼白でこちらを見つめるルビィそっくりの女性の姿。

 その唇が戦慄くように震え、何かを言おうとしている。ユノにはそれが何を言っていたのかもう思い出せない。


「あなたの姉を、ダイナ・ギムレット・アンテローズを殺したのよ」

「……!」

 衝撃があった。ルビィがユノを突き飛ばしたのだ。

ユノは隣の赤髪の少女に視線を向ける。

 予測どおりルビィの瞳には、いや、その小柄な体中に怒りが満ちていた。純粋な、どこまでも真っ直ぐな突き刺さるような怒り。瞳の中で蒼い炎が燃えていた。


「わかっている……!そんなことは、わかっている……っ!!!貴様などに言われなくても、貴様などに!!!」


 搾り出すように声を荒げてそう言い、ルビィは自分の足で歩きはじめる。

 ふらふらと、水のように細かな砂に足をとられそうになりながらも、歩いている。

 ユノは遠ざかるその姿を見て今度こそ小さく――ルビィへと向けた時とは違う種類の笑みを浮かべた。

 

(そう、それでいい)


 ユノは心の内で呟く。


(私たちの間に信頼関係なんて必要ない――敵のままでいい。)


ふと視線を向けた太陽が、雲に隠れようとしていた。

 世界がわずかな時間だけ熱を失う。ドンナーの瞳が閉じられる。


(敵のまま強くなって、魔族も魔王もみんな一緒に片付けて――そして終いに)


 そうなれば、ユノは必要ないものとなる。

この世界の危機は去り、少なくとも200年は平穏でマトモな人間の世の中が訪れる。

 勇者は神の遣いではなく過去の英雄へと立場を変え、多くの人に慕われながら永い寿命が尽きるまで生きていく――大切な誰かが逝ってしまった後も、異世界にたった一人だけで。

 ユノはそんなふうにはなれないし、なりたくもない。そんなことはまっぴらごめんだった


「私を、殺して」


 その呟きは、砂の海に落ちて消えていった。



『月』の暦1065年

天候:曇り 9月1日

19時32分

メルカトル大砂海中間中継地点『ギルドベースキャンプ』


 日が地平線の向こうに姿を隠し、世界が闇に包まれる。

 その移り変わりと共に灼熱の砂海は徐々に温度を下げ、厳寒な荒海へと姿を変える。

 それに耐えて次の朝日を迎えるため、人は着込み、食べる。

 そこには普通の人間も、神の加護を受けた超人にもなんら違いはない。


「さー、みなさん!出来上がりましたよー!」

 半人半獣の少女、アリカがにこやかに笑みを浮かべながら天幕から出てくる。

 防寒用のコートの上に定食屋の娘、といった風情のエプロンと、可愛らしくデフォルメされた猫が刺繍された厚手のミトンを身に着けている。

アリカが運んできたのは湯気を立てる大鍋だ。

ユノは、ん、と返事をしながら“ニザヴェリルの魔術銃”の手入れを中断する。

地面に敷いたブランケットの上に取り外した銃身を置く。歪みひとつない綺麗なパイプの痩身には、無数のルーンが刻まれている。

ミスリル材用のオイルで汚れた手を布で拭き取り、大鍋を運ぶのを手伝う為に立ち上がる。


「いい匂い・・・・・・メニューは?」

「インベルベーコンとカボチャのシチューですっ!」


暗闇を照らすような焚き火の周りにはめいめいが思い思いに砂海の一夜を過ごしている。

スコルピオはユノと同じように火の番をしながらビブリオを読み、何事かを地面に置いた羊皮紙の帳面に書き込んでいる。

フリードとルビィは焚き火から少し離れたところで何かを話し込み――正しくは苛々としたまま無言のルビィにフリードが気遣って話しかけているようだ。

あまりのその必死さに横目で見つめていたユノの頭には「犬」という言葉がぼんやりと浮かんでは消えていた。


「あ!ほ、ほらほらルビィ!ご飯だってよ、お腹すいてるだろう!?ね、ルビィ!!」

「……わかってる、大きな声を出すな」

「あ、よし!ルビィが5時間ぶりに喋ってくれたっ!!よしよし行こうさあ行こう」

「引っ張るな……クソ、頭痛い……」


 アリカと同じく防寒用のコートを着込み、頭に真新しい包帯を巻いたルビィがフリードにずるずると引きずられてくる。

 サイクロプスにやられた頭の傷はアリカの“治癒”で跡形もなく消えたものの打たれた衝撃はそのまま残ったようだ。

 ユノとスコルピオは自分で皿にシチューを掬い、対面に座ったフリードとルビィにアリカが皿を渡しに行く。

「はい、どうぞ!」

 焚き火を挟んだユノの対面に座ったルビィにアリカがシチューの入った皿を渡す。

「・・・・・・ああ」

 仏頂面でその皿を受け取ったルビィだったが、空腹と横に定位置のように腰掛けたフリードの熱い視線に耐え切れずに掻きこむようにシチューを食べだした。そんな横でアリカがにこにこと笑っている。

 ユノがそれをぼうっ、と見つめていると横にいたスコルピオが耳打ちするように話しかけてきた。小さな声だ。


「ユビキタス、彼女と何かあったのですか」

 ユノはじろり、と半眼で横に座る少年の顔を見た。少女と見紛う美少年。そう言ってしまえる容姿を右眼の下に入れた蠍のタトゥーが台無しにしていた。

スコルピオはユノの視線を気にする様子もなく、これまた容姿に不釣合いな胡散臭い笑みを浮かべている。

人を安心させる気のない、謎めいた微笑みだ。

「別に何もないわ、あなたが興味あるような面白いことはね」

「おや、これは酷い。それでは僕がまるで噂好きのスパイのようではありませんか」

「面白い冗談ね、おひねりはいるかしら」

「いや、すいません。その左手に持ったダガーは出来ればしまって下さい。いや、振りかぶらないで下さい死にますから」

 はあ、と呆れたため息を吐いてユノは左手に持ったダガーで石のように硬いペテシャンサス(大陸に広く生息する無毒のヘビ。高い温熱性を持ち、寒冷地で重宝される)の干し肉をスライスする。本来なら炙ったり水で少しづつふやかしながら肉厚な刃物で突き砕いて食べる代物だが“勇者の加護”で強すぎる腕力を得たユノはバターのように切裂くことができる。

基本的に戦い嫌いなアリカに唯一褒められる異能の使い方だ。


「……それで?何を聞きたいのかしら」

しゃり、しゃり、とダガーで干し肉を切り分けながらユノはめんどくさげにスコルピオに話を促す。

スコルピオはへら、と笑った顔をわずかに引き締めるとさらに声を潜ませて言った。

「……ユノ・ユビキタス。僕は監視者としてあなたの監視を行っていた時期があった。その過程で、ある程度あなたという存在の能力と、してきたことを知っている。それを踏まえたうえで聞きたい」

ユノは黙したままダガーを動かし続ける。


「……今回の戦い、あなたに勝ち目はありますか?」

「――意味のない質問ね、やつらの戦力もわからないのに答えられると思う?」


 そっけなくそう答えると少年を拳を手の前に持ってきて笑った。


「ふふ、何も完璧な正答を求めているわけではありませんよ。単なる、雑談の延長だと思ってくださいよ、気楽なね」

「……その雑談には台本があるんじゃないの?あなたには」

「やれやれ、どうにも信用がないですね、僕は」


 そう悲しげなふりをしてかぶりを振るスコルピオを半眼で見つめながら、ユノは適当な答えを探す。

 探すまでもなく、答えることは簡単だ。私には無理です、ごめんなさい――そう答えることはすぐにでもできた。

 しかしそれはスコルピオの背後の人物、つまりはランバルディアの王ラヴェルのことを考えれば口に出来ない言葉だった。

 ラヴェルは冷酷で、残忍な――そしてこの世界では数少ない「勇者」という存在になんの感慨も抱かない男だ。

 もしユノが、勇者という「ランバルディアの武器」が自分に逆らえばすぐにでもユノを抹消しようと動く筈だ。

 黙って殺される気は毛頭ないが、そんな状況に進んで首を突っ込もうとするほどユノは自暴自棄なわけじゃない。


 そんなことを考えながらもユノの思考はスコルピオの問いに答えようとしていた。

 まず事実として――ユノは人魔戦争で戦場を駆け回っていた「向月ゆの」より弱くなっている。確実に。

 そう感じる理由は様々だ――まず勇者という存在の強さの元である“勇者の加護”が封印されている。

 『世界の停止』やドンテカで炎の巨人と戦ったときに歌った『死の行進』――歌い続ける限り無敵となることができる。は過去に与えられた能力からすれば残滓にしか過ぎない。

 今のユノに残されたのは加護の力による再生能力と怪力。そして前者のふたつの能力のみだ。

(そして、武器がない)

ユノに与えられた勇者の武器――『勝利の剣』は強力な魔族殺しの武器であり、心強い相棒だった。

『加護の地』を守護する神官たちからすればそれはナオキに与えられた『ラーヴァテイン』や『フリッグの外套』ケンヤに与えられた『グングニル』より数段位の低いものらしいが――ユノにはそんなことに興味はなかった。

『勝利の剣』も同じくユノの手元にない。深くは知らないがスヴァルトアルフヘイム――ダークエルフたちが棲もう隔離された世界に封印されているという。

今こうして魔族たちとの戦いに赴いたユノの手元にない理由は――考えるまでもない。


(そして……これが一番の理由)


それは、ユノが「向月ゆの」ではないということだ。

特別な意味があるわけじゃない。ただ、自分は違う。「向月ゆの」ではなく、ユノ・ユビキタスなのだ。

人の為に傷ついて戦って、「勇者」という人間に向けられる期待に無思慮に応えていた「向月ゆの」は2年前のあの村で死んでしまった。

自分はもはや勇者の「向月ゆの」じゃない。かつて勇者だった少女の残骸だ。

残骸は誰がどうしようと残骸でしかない。狂気が、諦観が、虚無が正気や熱意や希望を上回ることなどありえない。


「どうです?ユノ・ユビキタス。答えはでましたか?」


埋没しそうになる思考が横に座るスコルピオの声で引き戻される。

 焚き火の火に照らされた少年の瞳はきらきらと――好奇心旺盛な猫のように輝いている。


(どちらにしろ、答えはいつもそう)


 ユノはスコルピオの挑戦的な瞳に応えるように、口の端を上に歪ませる。


「やってみなければ分からない」

「……」

 遠くにはアリカとフリードが何やら楽しげに喋るのが聞こえる。

 ぱち、と火の中の薪が爆ぜた。

「何が待ち受けてたって、どんなことがこの先で起こっていたって、私は前へ進むことしか出来ない」


 前へ進む、それは比喩ではなかった。

 ユノはもうドンテカでアリカと暮していたような――そんな場所には戻れない。

 それはユノやアリカの心の問題ではなく、人とユノとの間の問題なのだ。

 ドンテカに建てられた家――あれが実質、ユノが最後に住むことを許された家だった。

 ユノは“契約”で冒険者として暮らす2年間の間で3度自分の家を焼き払われている。

 それは今回のような正体不明の存在の仕業ではなく、親族を殺された復讐者。要は人間の仕業なのだ。

 テレンス・ナルヴィア・エランシア公爵夫人――エインヘリャルの騎士の一人、ナーフ・エランシアの母親。

 ユノは復讐者の中で唯一彼女だけを覚えている。

 ユノが檻に囲まれた馬車で運ばれている間も、ラヴェル王の元で裁判にかけられている間も、セリアが“契約”の書を持って人々に嘆願している間も、彼女だけが血の吐くような金切り声で処刑を叫び続けていた。

 ユノはその時以外彼女と遭ってはいない。しかし冒険者となったユノの耳には聞こえてくる。

 “エランシア公爵夫人が同じ境遇の貴族たちを組織し、灰かぶりの勇者をその手で血祭りにあげようとしている”

 そんな場所に、そんな人間がいる世界に、自分の居場所などない。

 それはただ一人だけ“灰かぶりの勇者”に友人として接しつづけてきたアリカも同じことだった。


「……逃げることは出来るのではないですか?彼女を――アリカ嬢を連れて誰もあなたのことを知らない。誰もあなたを捕らえられないところまで逃げて平穏に暮せばいい。少なくとも、あなたならそんなコトは容易なのではないですか?」

「・・・・・・セリアや、他のみんなを裏切って?」

 ふ、とユノは空気を吐き出すように笑う。

「もう、そんなことは出来ないのよ――ツケを溜めすぎた。自分のした事と、自分のしなきゃならないことを先延ばしし過ぎた……もう、たくさんなのよ、過去から眼をそむけることも、逃げることも」

 ユノはそういい終え、立ち上がる。

 少し喋り過ぎたと思ったのだ――自分の心の内を、目の前の密偵に。

「どちらへ?」

「少し夜風にあたってくるわ。何かあったら呼んで頂戴」

 その言葉にスコルピオは特に引き止めることもなく頷いた。

「わかりました。」

 無言でユノは頷きかえし、側においていた“ニザヴェリルの魔術銃”を手にとって踵を返す。


「……ユノ・ユビキタス」


 しばしの沈黙のあと、背を向けたユノにスコルピオが呼びかける。


「何?」

「これは、杯の蜜酒でもエルムトの魔法使いでもない、僕だけの言葉です――」

「・・・・・・?」

 何がいいたいのか分からず、ユノは振り向いたままの姿勢で首を傾げる。

 スコルピオは焚き火の方を向いたままでその表情は見えなかった。

「もちろん、信用してくれとか何かをしてくれとか、そんなことは言いません……僕とあなたはどうにも悪い出会い方をしてしまいましたからね」

 薄暗い自分の部屋。ベッドに横たわる守るべき友人。その横に佇む素性の知れない黒い影。

 それはどんなに甘く見積もったって、味方や信頼できる人物と出会うようなシチュエーションではない。

 その時のことを言っているとかと思い、ユノは黙って次に続く言葉を待った。

「僕はね、あなたを助ける為に、この任務に志願したんですよ。あなたの旅に続き、監視をするという任務にね」

「…………そうなの?」

「少し苦労したんですよ。その任務が“杯の蜜酒”の内部でおおやけになったときには既に誰が行くのか決まっていましたからね――名前は忘れましたが、非常に有能で、愛国心に溢れた魔術師でしたよ……あなたに対してだって一定の理解は持っていたようですしね」

「それで?」

「正面から話をしてもこれは自分に与えられた任務だからと突っぱねられるのはわかっていましたから・・・・・マジメでしたからね、彼。だからその、少しばかり言うことを聞くようにしてもらったんですよ。組織のアジトがどこにあるのか忘れちゃうような方法でね・・・・・・あ、誤解しないで下さいよ。けっこうみんな使う手なんですよ。まぁそのお陰で組織内はいつも殺伐としたムードなんですがね」

「へえ」

 ユノは生返事を返す。それ以外になかった。

 “杯の蜜酒”の内部事情に興味はないし、どう聞いても面倒な話を聞いているようにしか思えなかったからだ。

「まぁそんなこんなで幾つか内部工作して書類改竄なんかもして――僕は彼に成り代わって今ここにいるのですよ。報告なんかは彼の文体を真似して送っています。バレたら縛り首でしょうね、僕は」

 そう言っては、ははは、と軽く笑うスコルピオをユノは呆れた視線で見つめる。

「何故そうまでして?一体何がしたいの?」

「僕は、彼では出来ないこと・・・・・・僕にしか出来ないことをしにきたんです。あなたに対しても、あなたがこれから直面するであろう出来事にもね」

「・・・・・・・・・・・・いったい何を知っている?」

 ふふふ、とスコルピオはわざとらしい調子で笑う。顔は既にこちらを向いていた。

 だがどんな顔をしているかわからない。焚き火の光が顔に暗い影を落としていた。

「今、あなたに話してもただのたわごとにしか聞こえません・・・・・・ただ、僕があなたの旅についていくことで、状況は利のある方向に傾いていく、それだけは、確実です。」

「・・・・・・やっぱりあなたは信用できないわね」

 ユノは首を振り、焚き火から離れていく。

 これ以上何を聞いてもはぐらかされると思ったからだ。


「いやぁ・・・・・・すいませんね。僕は、僕はこんな煙を撒くような話し方しか出来ない――そんな人間なもので」

 ぽつり、とユノが去ってからもスコルピオは言葉を続ける。

 その瞳には焚き火の赤い炎と、それを挟んで話を続ける3人の姿が幻のように浮かんでいる。

「ただ、僕は、僕だけは」

 その瞳が細まり、次第に何も視えなくなる。暗闇が世界に降りてくる。


「あなたを助けなければならない――それだけは、真実なのですよ。ユノ・ユビキタス」




『本隊、応答せよ。こちらスペクター、応答せよ』


 ゆるく、煙のようにたなびく風に揺らされながらも、その声は明瞭に相手に届いていた。


 ユノ達が今夜の寝床としたキャンプから離れた――小高い丘がある。

 それは例に漏れず砂で形成されたもので、高く積みあがっていた砂山が風に永く晒されて薄く広がったものだ。

 その丘は渓谷の谷間にあるキャンプからは視認することは出来ず――その上に何があるのかも知る術はない。

 何者かが広大な砂の丘に同化ように腹這いに横たわり、闇の中からキャンプの様子を伺っていた。

 その人物の手首には怪しく輝く球を嵌めた機械が装着されており、それが遠くに離れた何者かに通信を送っていた。


『本隊、聞こえるか、応答せよ』

『聞こえている。間違えているぞスペクター、我らをもう本隊と呼ぶな、これからはリーグ(同盟)と呼べ』

『諒解、失礼しました。応答せよ、リーグ。状況に変化あり』

 闇に隠れたその人物は、ふ、と笑いを声に含ませ大きく輝く黄色い瞳を歪ませた。

『報告せよ』

『目標が動き出しました。奴一人だけ、光のない方向へ去っていくのが見えます。』

『気づかれたのか?』

『いいえ、そういった様子はありません。油断しきっている、まるで太りすぎて動けなくなったクラゲみたいだ。』

 彼のその“人間にはわからないジョーク”にぐはは、と粗野な声で笑いが起こった。通信先の人物の笑い声だ。

『いいぞ、諒解した。貴様はそのまま偵察を続けろ。キャンプに不審な行動がないか見張っておけ・・・・・・全員、聞け!』


 闇に包まれた砂海に、古びた伝声管を通したような声が響き渡る。

 それは人間には聞こえない。闇に潜む彼らだけに聞こえる声だった。


『リーグ、今こそ襲撃の時だ。我らの真実の任務が今このときより始まる。アグニ、ヴァールターは隊を率いてヤツを包囲せよ。ドニ、イーブラーはモンスターを集めろ、ありったけ、キャンプの連中が骨ひとつ残らないくらいにな。そしてわたし、テレザの隊がヤツに対してチャージをかける。あとは諸君、臨機応変に行動せよ、以上だ。』


 闇の中から返ってくる声がある、それは複数で、亡霊のような響きを持っていた。


『アグニ、諒解。行動ニうつル』


『ヴァールター、諒解。我らは奴ノ背後を取ることにしヨう』


『ドニ、りょぉぉぉぉぉかぁぁぁァァイィィィ、マモノ、イッパイ、イッパイ集めまぁぁぁぁァァァスゥゥゥゥ』


『イーブラー、諒解。ありったけ?ありったけ、ありったけ・・・・・・ありったけ!!!』


『テレザ、諒解。我らはリーグの為に!』


 砂を蹴立てて、しかし音を立てずに影たちが砂海を動きはじめる。

月の微弱な光に照らされたそのシルエットは奇怪なものばかりだ。

 三角の頭部を持ったもの、蛸の触手を髪のようにたなびかせるもの、手足が異様に長く、その全てに尖鋭な刃物をくくりつけて飛び跳ねているもの・・・・・・。

 しかし彼らには共通した特徴があった。

 それは彼らが見に包む服だ。闇をそのまま染みこませたような黒い、得体の知れない質感の軽装鎧。それらの肩には金と黒で配色された蛇が剣に絡みついたマークが記されている。

 それは彼らが頭部――おおよそ頭部と呼べる箇所にとりつけた奇妙な装置だ。二つの先が塞がった円筒に輪を付けたような代物、それは人間の技術にはない“光を遮断する眼鏡”だ。

 そして彼らの瞳は全て黄色に光り輝いていた。金色とは呼べない。人に不安と危険の感情を呼び起こす、警戒色としての黄色。


 それが鬼火のように砂海の中を動き回っている。幾つも幾つも。

 目的と意思によってひとつの方向へと迷いなく動いていく。数十の光の線を残して。


『そう、これこそが我らが真にとらればならぬ任務だ。回りくどい戦術やらなど不要・・・・・・そんなものは軟弱者がとるべき術よ、そう、人間のような』


 闇に潜む群れの中心に一際大きな影があった。黒い軍装に身を包んだ、馬に乗った騎士。

 しかしその背中からは阿修羅のように長い手が6本飛び出し、二つの剣と二つの盾、そして二つの通信球を握り締めている。

 その異形な騎士の影が、砂の海に潜む影たちの・・・・・・リーグの首魁のように見えた。

 爛々と輝く一対の黄色い瞳が闇の中に浮かぶキャンプを捉え続けている。

 言葉にならない怒りと復讐の意思を篭めて。


『さあ、先王と共に死んだ友たちの仇を執ろうではないか、諸君。行動を開始せよ』





年数・日時共に詳細不明

ミドガルズオルムの領域、あるいは封印された海淵



「へぇー、なになに、なにそれいつの間にそんな面白いことになっちゃったの?ねぇ?」


『申し訳ありません、国王様・・・・・・っ!』


 そのフロアには多くの人物――異形の民、ミズガルズの魔族たちが立ち尽くしていた。

 その誰の表情にも焦りと緊張が見え隠れし、目の前にいる王――チヒロの言葉を恐れていた。

 チヒロ一人だけが玉座のようなデザインの椅子に座り、頬杖をついて笑みを浮かべている。

 その格好はいつもの黒いドレス姿ではなく縦縞の入ったパジャマにナイトキャップ。ベッドからそのまま飛び出してきたような格好だ。


「状況を説明しますわ、チヒロ様。砂の箱庭をご覧ください」


 立ち尽くすミズガルズの士官の間を縫ってミズガルズ軍第2軍団“レヴィアタン”の長、デアシュが現れる。


「あらデアシュ、どうしたの?なんか気合の入った格好しちゃって」

 チヒロは驚いた――ようなフリをしながらデアシュを指差す。

 そう指摘されたデアシュの身体はチヒロの側に控えていたときのドレス姿ではなく、戦闘服然とした黒い装束に包まれている。

 きめ細かな魚燐で作られた軽装のスケイル・アーマーに長い手足を包む光沢のあるアンダーウェア。

 その後ろ腰に奇怪な形状をした小剣が束になって挟みこまれ、さらには妖術を施したとおぼしき巨大な剣を背中に担いでいる。


 それは“レヴィアタン”魔族軍の最精鋭だけで編成されたエリート集団の戦士の軍装だ。

 

「茶化さないで下さいまし、チヒロさま・・・・・・ソーサラー、砂の箱庭を俯瞰図に」

『はっ』


 黒い衣に身を包んだソーサラーが呪文を囁き、円卓の中心に置かれた箱庭が生物のように動き始める。


『リンドブルムの魔物使いの部隊が独断で動きだしました――他の部隊は無力化、あるいはモンスターの群れによって行動を阻害されている模様です』


 砂の箱庭にはメルカトル大砂海の立体図と、幾つかのマークが再現されている。

 上から見下ろした形のそれには1つの火種――キャンプと白いマーク。そしてそれを取り囲むような動きをした緑色のマークが輝いている。

 白いマークは「勇者」、緑色のマークは命令を無視して動きだした「魔物使い」たちの部隊を示していた。


「魔物使い?ああ、出来るだけあの子たちの動きを止めておいてって頼んだ子達?なんで勝手に動いてるの?」

「彼らは先王たちの信奉者――つまりまだあなたのことを王として受け入れていない連中だったようですわね」


 それを聞き、ちらり、とチヒロは周囲の士官たちを見る。

 ヒッ、と声をあげて第1軍団“リンドブルム”の隊章を付けた者が身を固くした。

 それを特に気にすることなくチヒロはにやにや笑いながら砂の箱庭に向き直った。


「あー、そんな子達いたねー、もういなくなったと思ったのに――んで?どうすんの?」

「我々“レヴィアタン”の部隊が事態の沈静にあたります。数は少数、既に幾つかのスラッド部隊を現地に投下しております」

「ルナティークは?本来ならあの子がやるべきお仕事なんじゃないの?」

 ルナティークは第1部隊“リンドブルム”を率いる魔族の名前だ。魔族軍の正規部隊の長というポジションでもある。

 デアシュは淡々と、人形めいた表情のまま続ける。

「ルナティークは先王の近衛にいた男です。今回のようなケースでは信頼に値しませんし、何よりこのような状況では私の方が的確ですわ」

「まぁ確かにそうかもねー、デアシュってモロに暗殺ユニットだもんね。」


 コストが高いのが難点だよなぁ、と口の中で呟きながらチヒロは考えるようなそぶりを見せる。

 しかしそのうちまるで子供が面白い暇つぶしを思いついたような表情になって、微笑みを見せた。

 愛らしい、そして生きてるもの全てを魅惑するようなインモラルな笑みだ。


「デアシュー、私面白いこと思いついちゃった。部隊の進軍はなし。あ、でもスラッド兵はそのまま残しておいてね」

「彼らを放置するのですか?しかしそれではチヒロさまの計画が・・・・・・」

「大丈夫大丈夫、結果はデアシュがやることとそれほど変わりないよ。ただ過程がちょっと“たのしい”だけ」


 チヒロは椅子から飛び跳ね、円卓の前に降り立つ。羽根のように軽く、重力を無視した動きだ。

 突然の王の行動に士官たちは動揺し、後ずさる。円卓の近くにはチヒロ、デアシュだけが残された。


「混乱はね、もっと大きな混乱で押し潰されるの。もとの形がわからなくなるくらい――混乱していたことがわからなくなっちゃうくらい」


 チヒロが天に向けて手を伸ばし、ぱちん、と音を立てて指を弾いた。


「そうすれば誰も困らないし、誰も気にしない。だって誰もが自分が何をしていたかなんてわからなくなっちゃうもの。あとに残るのは結果だけ」


 静謐な砂の箱庭がざわざわと揺れ、巨大な波が生じる。

 箱庭を操作していたソーサラーが必死で制御するがなんの入力も受け付けない。

 その変化は現実で起こった、妖術を介さないチヒロの“力”で巻き起こった出来事だ。


『あれは何だ・・・・・・?』

『砂が宙に浮かびあがって・・・何かを作っていく』

『・・・・・・これが現実の出来事なのか?信じられない・・・・・・!?』


 ざわざわと混乱の波が群衆と化した士官たちに広がっていく。

 その輪の中で、ひとりだけ冷静にデアシュがチヒロに尋ねる。


「一体何を――今度は何を“お創り”になられているのです?」


 “砂の箱庭”の上空に浮かび上がったフィギアが幾度かの成型を重ね、その姿を現す。

 一対の、鳥ではない直線的な翼――それに取り付けられた4つの回転する羽の機構。そして翼の裏側に配置された奇妙なフォルムの物体。

 鈍重な鯨のような胴体からは凶暴な鮫の背びれと、それと直角になるように突き出た一対の小さな翼がある。

 顔にあたる部分には瞳は存在せず、虚ろな内部を保護する透明な何かが月明かりを反射している。


 それはまるでよく出来た模型のように砂海の上空をゆっくりと飛び、火種へと向かっていく。


「これが何かって?でもまぁ説明しても面倒くさいしなぁー、名前だけでもいい?」


くすくす、といたずらっこのように笑ってチヒロはデアシュに向き直る。


「これはね――人が作り出した何もかもまっ平らにしちゃう空飛ぶバケモノ。どんな人でも戦争に勝てちゃうお手軽チートユニット☆」


 轟、と闇を切り裂いて、怪物が空を航過していく。


「米空軍御用達、ロッキード社製局地制圧用対地爆撃機AC-130――別名“死の天使”」



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