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勇者だった少女

『月』の暦1065年

天候:快晴 8月14日

(時刻記載なし)

砂海入り口の村――ドンテカ

ロードスギルド冒険者待合所


 

「あなたがユノ・ユビキタス?あのユノ・ユビキタス、よね」


 灼熱の太陽の下、どこか猜疑の感情を含め、女は話しかけた。


 冒険者とその腕を買うものたちの寄り合い所――ロードスギルド冒険者待合所は人でごった返している。

 待合所のテーブルで酒を酌み交す者。談笑する商人の連れ合い。自分の腕を大声で売り込む傭兵。それを囃し立てるあばずれな娼婦。その手にもった煙管からは妙に甘ったるい香りのする紫煙が立ち昇っている。

 そのむせかえるような広場の片隅に、小さな少女が座っていた。

 古びた壁の残骸に身を預け、行き交う人の群れをじっと見つめている。

 その視線が何か魔力でも発揮しているのか――それともべつの何かがあるのか、少女が座る広場の一角はまるでエアポケットのように避けられている。少女1人だけだ。 

 女が声をかけたのはその少女に対してだ。

 それは決して好奇心や慈悲、あるいは好色な願望を持っての行動ではない。

 女と少女はここで逢う約束をかわしていた。

 冒険者と依頼人。少女と女。



 ユノ・ユビキタス――そう呼ばれた白髪の少女はじろりと、黒目がちの双眸で女の顔を見た。


 冒険者の同盟『ロードスギルド』から送られてきた依頼書と女性の顔を見比べる。

 気の強そうな女性、というのが第一印象だ。貴族の証である赤毛にしみ1つない白いフード付の外套。首元には銀製のペンダントがかかっている。

 右手にはミスリルらしき金属で造られた魔術杖を持ち、大きな旅行カバンを左手に提げている。

 月のように蒼白い光を閉じ込めた瞳が羊皮紙の依頼書と目の前のフィオナ・ベルを交互に行き来する。

 その視線を嫌がるようにフィオナは顔をそむけた。


(フィオナ・ベル――王都魔術大学大学院所属、赤毛、切れ長の双眸、魔術師の杖を所持。同行者なし、女性冒険者を要望)

 似顔絵との一致を確認すると依頼書をポーチにしまい、壁に手をついて立ち上がる。

 少女が身につけたポンチョがわずかに風に揺れた。


「ええ、そうです。お待ちしておりました。フィオナ・ベルさん」

「・・・・・・代理人ということではないのね?」


 顔をこちらからそむけたままフィオナは尋ねる。

 ユノはその冷たい――しかしなんとも気遣いのある言葉に心の中で笑った。

 そして、その言葉に少女にしては低く、掠れたハスキーな声で返答した。


「私の名前を騙ったところで、メリットなんてなに1つありませんよ」

 ユノの返答に女性――フィオナはわずかに眉間をゆがませ、硬質な声音で吐き捨てた。 

「……自分のことを把握しているようね、短い間だけどよろしくお願いするわ」


握手もしないまま、近くの立ち木に繋げていたドラゴンに飛び乗る。


「これまでの足はどのように?」

「ケイブリスから大陸馬車で、悪いけれど新しく騎乗竜ランドドラゴンを調達するお金はないわね」

 一瞬、フィオナの言葉に羞恥が見て取れた。大陸馬車、そして騎乗竜ランドドラゴン

 そのどちらもあまり貴族層が足として利用しない通行手段だ。それを両方利用し、片方を調達する資金がないとなると、あまり貴族としての矜持を気にしないか、前大戦で没落した貴族ということになる。

 そう珍しいことではない。戦争は否応なく人の何かを奪いとる。

 彼女はその被害者で、そしてその地位に甘んじることなく、矜持を保ち続けているのだろう。

 矜持を失った人間は恥ずかしがらない。

 ユノは特に気にすることもなく日よけのフードを頭にかぶる。

 白色の絵の具で染めたような白髪が外海と隔離される。


「わかりました、掴まってください・・・・・・足元に気をつけて」

「1人で乗れるわ」

「掴まって」


 手をフィオナに差し出し、一息に引っ張り上げる。外見にそぐわない腕力に驚いたのか少しだけ動揺した気配が伝わってきた。

 そのままギルドの待合所を後にし、ほど近い関所で手続きを終えて村を出る。

 村の門を一歩くぐるとそこはもう砂の海、人を拒む埒外の領域だ。

 抜けるような青空に白い太陽に照らされ輝いているようにも見える白い砂漠。

 それが視界いっぱいに広がっている。


「・・・・・・壮観ね」

「来るのは初めてですか?」


 答えはない、忘我か無視かの判別はつかない。

 ユノは前に向き直るとランドドラゴンの胴を蹴る。

 馬のようには嘶かずただ緩やかに加速していく。

 無言の内に『メルカトル大砂海横断の護衛依頼』がスタートした。



 砂漠――太陽と熱く焼けた砂が支配する死の世界。その広大と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい大きな身体は、ちっぽけで脆弱な人類など易々と飲み込んでいく。

 海――未知の深遠を雄大な肉体に内包して横たわる、やはり死の世界。

 水に溺れて死ぬか、それともその下に潜む得体の知れない生物のディナーになるか、人にはその予想も出来ない。

 このふたつに限ることはない。山、川、森――人が人の惰弱さに気づき文明を築いた時点から人を取り巻くあらゆる自然は凡て死の世界となりえた。

 それでもその二つが合わさった世界は一等に危険を孕んでいる。

 見渡す限りの砂海の下には多様にして恐るべき生態系が築かれている。


「―――あれは何?」

 ドンテカを出発して大体8時間、背後からはじめて声がかかる。

 警戒の表情で砂海を見るフィオナを一瞥し、突如出現した砂の津波を見やる。


「心配することはありませんよ、あれは小さめなモンスターが群れで砂中を移動しているんですよ――ああやって大きな津波のようになって、跳躍と潜行を繰り返して大型モンスターの捕捉を難しくしているらしいです」


 周囲に響き渡る轟音を立てながら砂の津波が遠ざかっていく。

 さらさらと細かい砂の波間に平たい頭を持った蛇が飛んでいるのが見えた。

 パラ・カカ。トビウオのような生態を持つ比較的温厚な気質のモンスターだ。

 群れを刺激することがない限りこちらに襲い掛かってくることはないだろう。


「本で読んだことあるわ――確か、砂渡りだったかしら?」

「博識ですね、メルカトル大砂海の名物風景のひとつですよ」

「ぞっとしないわね」

「少しスピードを上げます。舌を噛まないように気をつけて」


 メルカトル大砂海の名物風景ひとつ―――『砂渡り』

 その幻想的ともとれる光景は近くに大型モンスターが存在しているという目安でもある。


『月』の暦1065年

天候:快晴 8月14日

(時刻記載なし)

メルカトル大砂海中間中継地点『ギルドベースキャンプ』


 焚き火にくべられた木の音だけが、夜の砂海には望ましい。

 夜の砂海は日中の灼熱と対になるかのように気温が下がる。

 日が翳り、太陽がその姿を地平線に隠すと灼熱の砂漠が一転して極寒の海と化す。

 この気温の極端な上下動がメルカトル大砂海の危険度を「最高」と位置づけている理由でもある。

(今日はオーロラは見えないか)

 夜の砂海の唯一のとりえ――ビロードに散りばめたような満点の星空を眺めながらそんなことを考える。

 予定通り横断コースの半分を消費し、夜間はギルド設営のベースキャンプで休息を摂っている。

 頑丈さがとりえのコテージが二組と焚き火用の石組みがひとつ。

 残りは過去に利用した冒険者達が思い思いに残していった雑多な物品が転がっている。

 ユノは火の番と夜警をし、依頼人であるフィオナはコテージの一室で眠りについている。

 時間短縮のため危険なルートを通過してきた為、同業者はいないようだ。

 恐らく他のベースキャンプは冒険者と隊商、その他多勢でおおいに込み合っていることだろう。あまり善くない意味で

 冒険者を統括するロードスギルドは冒険者同士の相互扶助を奨励しているものの、現実問題として様々な場での同業者争いは絶えない。

 小さな諍いからお互いの個人攻撃にはじまりどちらかの逆鱗に触れ、そして腰の得物を構えて決闘――そんな馬鹿馬鹿しいトラブルからクライアントを守るのも重要な仕事のひとつだ。

「今日に限ってはそんなつまらない出来事も起こらない。退屈だけど、楽でいいかな」

 誰にいうでもなくそう呟き、マグカップに入ったシェルパティーに口をつける。

 煮立ち過ぎて葡萄の香りがとんでいたが身体は温まる。

 夜の砂海では身体を温めることは必須だ。


「ご機嫌のようね」


 焚き火の対面にフィオナが座る。白い外套ではなく簡素なローブに着替えている。

 細長く白い指で恐らく酒だろう――陶製のゴブレットをもてあそんでいる。


「ああ、起こしてしまいましたか」

「いいえ、勝手に起きてきただけよ」


 ユノの言葉を遠慮がちに否定し、フィオナは俯いたままゴブレットの中身を口に運ぶ。

 燃えるように赤い髪、知性と憂いをたたえた切れ長の双眸。

 その瞳が一瞬だけこちらに向き、口が開かれる。


「ねえ、ひとつ。疑問に答えてもらっても、いいかしら」


 ああ、この人も「それ」を聞きにきたのか、とユノは思った。

 表情に出さず、心の中で笑う。それはユノの得意技だった。

 

「どうぞ」

「どうして――裏切ったの?」


 フィオナの表情を窺う――怒りも、悲しみもユノの感性で見て取れる感情は浮かんでいない。

 少なくとも、魔術で消し炭にされることはなさそうだと、無味乾燥とした答えが頭の片隅に沸き出る。

 口の中に塩の味を感じながら、口を開く。


「正しいことだと、思ったからです」

「人を裏切って――魔族を助けることが?」


 非難の色はない。言葉は淡々としていた。


「彼らは子供まで殺そうとしていた、私にはそれが許容できなかった」

「だから殺したの?」


 ユノは今度ははっきりと顔に出して笑う。

 何度も何度も、「あの出来事」の引き起こした自分に投げ掛けられる問い。

 飽きもせずに今度もまた繰り返された問いに、ユノは答えるのに飽きていた。

 だからはぐらかすように言う。


「血に飢えていた」

「あなたが?」

「私と、そして彼らが」


言葉は少しづつ震え、最後には爆発した。


「それが言い訳になると思って?あなたは騎士を20人も殺したのよ!英雄たちを!自分の部下を!!」


フィオナは立ち上がり、怒りで双眸を染めて――すぐに何かを諦めたかのように佇まいを直し、コテージへ戻っていった。

ユノは口を歪めて、ただ焚き火の炎だけ見つめていた。

それでも手はすぐにでも抜剣できるように腰の後ろに来ていた。

無意識のうちに染み付いたその動作に気づいてユノは心底笑いたくなった。


(彼女が理性的な人物だなんて、ひとめで判るだろうに)


ああ、浅ましい。




ランドドラゴンが灼熱の太陽の下を駆ける。

ベースキャンプを発ってから数時間、幾度かのモンスターとの遭遇はあったものの運良く捕捉されることもなく乗り切れた。

手を翳して西の方角を見ればもう遠くに聳える山々と森林地帯が見て取れた。

もう馴染みの風景だ。

(大砂海をこんなに往復してる冒険者なんて私くらいのものだろうな)

ふ、と息を吐くように笑って、昨日と同じようにドラゴンに跨るフィオナを窺う。

昨日の怒りは微塵もない。ただ冷然とした表情で砂で出来た水平線を見つめている。

何を考えているのかなんて見当もつかないし、想像もしたくなかった。

ただ眠りについてるうちに消し炭にされないだけで充分に感謝に値するとユノはひとりごこちる。


「それじゃあここでお別れです」

「ここで?」

「ここから先は危険モンスターは一層されていますから危険はありませんよ」


ユノは大砂海を抜けたすぐ近くのキャンプでフィオナを降ろした。

ユノとフィオナ以外に人の姿はなく、まだ他の冒険者や隊商は到着してないようだった。


「ここからすぐに整備された街道があるので――そこを道なりに進めば最初の街、グレゴールがありますよ」

「そう、ありがとう・・・あなたは来ないの?」

「食糧も水も足りてますから・・・それに私にとっては街だって危険な場所ですから」

「・・・・・・」


フィオナは少しだけ哀れむような色を表情に浮かべて、キャンプの出口に歩いていった。

ユノは特に感慨も抱かぬまままたランドドラゴンに跨る。他の冒険者にあってもトラブルの元でしかない。すぐにドンテカに帰るつもりだ。

と、背後から声が聞こえた。


「・・・・・・私の兄は、騎士だった」


振り向くと、フィオナがキャンプの入り口でこちらに背を向けたまま立っていた。

表情は見えない。


「正義感に溢れて、優しい人だった。魔王なんていなければきっと民に愛される領主になっていた――そんな人だった。」

「・・・・・・」

「魔王に国を蹂躙されて、エインヘリャルに志願した。もう判るわよね?」

「――ベルガモンド・オーディニ・ベル卿」

「そう、あなたは、私の兄を殺した」


心は、動かなかった。

ただ無感動に彼女の肩が小さく震えるのだけを、ユノは茫洋と見つめていた。

腰に手は伸びない。


「私を、殺しますか?」

「いいえ、そんな意味のないこと私はしない。あなたに依頼をしたのも大学の研究の為だし、格安だったから――どの道私はあなたに叶わない。勇者に勝てる人間なんていない。」

「・・・・・・・」

「でも、これだけは言わせて」


肩の震えが収まり、赤髪の頭がこちらを向いた。

熱を伴った風がユノの銀の短髪とフィオナの赤髪の間を通り抜ける。


「生きて罪を償いなさい。私のような感情を持つ人間にも、モンスターにも殺されることなく、生きて生きて、うんと苦しみなさい

――もし自分で命を絶つようなことがあれば」

「・・・あれば?」

「あなたの死を徹底的に汚してあげる。死体も魂も遺されたもの全てをこれ以上ないくらい侮辱の対象にしてあげるわ、ベル家の総力をあげて」


そう一息で言って、フィオナはその美しい顔にほんの少し怯えを含ませた。自分の発言に自分で動揺している。

その表情を見てユノはどうしようもなくむかついた。

もし彼女に悪意だけがあったなら、ユノはいつも通りせせら笑って受け流すことが出来たのに。

フィオナは表面上冷徹な復讐者を装っているのに、はっとするほど無垢な怒りと悲しみが仮面から罅割れ、漏れ出していた。

それでもなんとか、言葉を返すことは出来た。


「それは、楽しみですね」

「それじゃあ、お別れね――もう二度と会うこともないでしょう」


フィオナが西の街、グレゴールの方角に歩き出す。

ユノはもう何も気にすることなく、逃げ出すように砂の海へランドドラゴンを走らせた。


(ああ、ちくしょう)


風が強く、砂と一緒になってユノの顔に吹きつける。

砂嵐の兆候だ。でももうそんなことに頭は回らなかった。

ただひたすらランドドラゴンの背の上で姿勢を低くし、耐えるようにして顔を下に向けて手綱に力を込める。


もうたくさんだと思った。

好きで勇者になったんじゃない。

好きで魔王に立ち向かったんじゃない。

好きで裏切ったわけでも、殺したわけでもない!


ちくしょう、ちくしょう、と声を押し殺して呟く勇者の1人――ユノを、灼熱の太陽だけが見ていた。


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