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 彼は俊敏だった。


 自分の上を歩く不注意な愚か者を鋭く知覚し、すぐさま身体を膨張させる。


 筋肉の膨張によって圧縮され機能を制限されていた臓器が目を醒まし、そしてその中に残ったわずかな水分が彼の体中に充満する。

 彼は自分の意志で“ひもの”になることができた。

 学んだわけではない。生まれたときから出来る、彼の得意技だ。


 重い砂の中を、自由に水の中を泳ぎ回る魚のように移動する。

 向かう先は決まっている。上だ、浮上だ。彼の最大の武器である聴覚が未だ獲物が彼の上にとどまっているのを報せてくれている。

 足音の軽さからして小さな獲物だ。まだ生まれてまもない迷いインベルか、それとも食べるところは少ないが逃げ足が遅くてとろい「ニンゲン」とやらか。

 なんでもいい、早く食べたい――彼はこの一ヶ月なにも食べていなかった。

 乾いた粘土のように硬直し小さくなった胃が膨らみ、口腔の奥から唾液が分泌される。

 乾きで縮こまった舌がこれから得る味覚を想像して悦びうねり、彼の上顎にびっしりと生えた、奇麗にならべられたナイフのような細長い歯をべろり、と舐めて濡らした。

 ぶぉぉぉぉ、と肺を通じて特徴のある鳴き声が彼の喉から発せられる。


 それは攻撃、あるいは捕食のための突撃の合図だ。



 その攻撃は、ルビィにとってそれほど予想外にあったわけではなかった。

 持ち前の高いコンセントレーションで研ぎ澄まされた耳が、足下の砂中から発せられる奇怪なうめきを確実に捉え、位置を特定させていた。

 ルビィは身をわずかにかがめ、後ろ腰の剣帯から半抜きにしていた双剣を素早く抜き放つ。

 細かくさらさらと小さな粒でできた砂の上を危なげなく踏みつけ、跳躍し、下から来る相手を待ち受ける。


(来たっ!)


 そう思うが早いか、足下の砂から粉塵とともに奇妙な姿のモンスターが現れる。

 長い時間観察できたわけではない――肥え太った芋虫に丸い目と昆虫のような細い触角をつけ、きわめて人間によく似た口をくっつけたらそんな生物になるかもしれない。悪趣味な造形だ。

 ブリーワーム。砂海に生息するたちの悪いモンスターの代表格の一匹。そいつの姿を冒険者向けに定期発行される「怪物誌」で見たおぼえがあった。

 ブリーワームは耳を塞ぎたくなるような奇怪なおたけびと共に、ルビィの頭に囓りつかんと砂の中から跳躍してきた。


 ルビィは左足を引き、勢いおく半身をそらしてブリーワームの跳躍から身をかわす。鼻先を奇怪な芋虫の青ちゃけた表皮の色と不愉快な臭いが通り過ぎていく。額から汗が吹きでる。

 にやり、とルビィは無理矢理気味に笑みを浮かべて恐怖を噛みつぶすと、まだ空中に滑空したままのブリーワームの胴体に勢いをつけて斬りかかる。鋭く磨かれたショーテルの片われが怪物の胴に食い込み、堅い表皮を易々と切り裂いて柔らかい肉を深く抉る。

 ぎゅいいいいいいい、とこれもまた耳を塞ぎたくなる悲鳴と共にブリーワームが空中で身をよじる。緑色の体液が飛沫をあげて砂の上に落ち、攻撃の成功にルビィは今度こそ確信の笑みを浮かべ、追撃に入る。


 後の始末は簡単だった。

 砂の上に落ちて激しく身をよじるブリーワームの尾のほうを足で踏みつけ拘束し、砂中に逃げ込まれるのを防ぐ。

 そしてあとは双剣のもうひと片われを勢いよく突き刺し、手首を回して捻る――傷口を広げる動きだ。

 ぎゅいいいい、と断末魔を上げ、一度だけ勢いよく芋虫の胴体をそらしてブリーワームが息絶える。

 ルビィはショーテルを怪物の胴体から抜き、緑色の体液を剣を振って散らすとはっ、と鼻先で笑った。


「……たいしたことないな!」


「そうかしら?」


 突然背後から聞こえた声にぎょっ、としてルビィは振り返る。 

「まぁ、確かにそうね。ブリーワーム、この砂海の中では一番雑魚。砂の中に潜んでその上を通りかかった生き物を引きずりこむ卑怯生物。」

「……驚かすな」

 いつの間にかドラゴンから降り、ルビィの背後に立っていたユノにジト目でルビィは言った。

 ユノはその言葉に応えずにこり、と口の端をわずかに笑みの形にする。

「二人とも、大丈夫ですかっ?」

 白髪の頭の背後に、こちらを心配そうにみつめて大きな声で安否を確認するアリカとフリード、スコルピオの姿が見えた。谷に立ちこめていた砂の霧がわずかに薄くなり、視界がよくなっている。

「大丈夫よ、でもこっちは足場が悪いからまだ動かないで」

 ユノが振り返りアリカの声に答え、そしてもう一度ルビィへと月色の瞳を向けた。


「一番の雑魚とはいえ、やはりたいしたものだわ。コイツに頭を食いちぎられる冒険者はおおげさな例えだけど、星の数ほどいる」


「褒められた気がしないな」


「褒めていないもの、ルビィ。今から少しだけ授業をするわ」


 ユノは笑みを深め、だらりと下げた手を剣の柄にかける。ルビィはそれがこの勇者の戦闘態勢だと知っていた。

 自然に、意識することなくルビィは双剣を十字に構え、上体をかがめる――それがルビィの戦闘態勢だ。

「何だ?今ここでるのか?」

 ルビィの挑発めいた言葉にユノは答えない。笑みも変わらない。


「砂の海の掟その一、雑魚に構うな。」


「何?」


「この言葉はある種のモンスターたちの習性の危険と対処法を説明している。対処法であって、解決法ではないのは、もしこの掟を破るような真似をしたら、もうそれだけで“詰み”であることに起因している。」

 ごごご、とどこか遠くで遠雷のように何かが震動するのをルビィは感じ取った。

「いったい……何だ?」

「ブリーワーム。別名砂海ウジ。きわめて狭い範囲のテリトリーでのみ活動し、それ以外ではほとんど地上で目にすることはない。危険度は砂海基準では最低。しかし要注意度は星二つ。つまり<何があってもこれだけは守れ>レベル」

 後半のユノの言葉をルビィは聞いている余裕はなかった。

 砂でできた谷全体が鳴動している。まるで大地全体が生き物の体の上になってしまったかのように。

 その震動の正体をルビィは知覚していた。谷の中だ、砂で形成された谷の表面がぼこり、と盛りあがり、ユノとルビィを囲むようにしてゆるい線を描いている。線はひとつではなくみっつ、よっつ。それ以上だ。

「その理由はブリーワームの体液から発せられる特徴的な臭いと死肉をある種のモンスターが強く好み、誘引するためである。つまり、まぁ」


 谷を包む鳴動の中、目の前の勇者が小首を傾げる。

「雑魚に構うな、つまりその意味は雑魚に構うと強いのがわんさかやってくる。つまりそういう意味なのよ、ルビィ」

「……言ってる場合か!」


 どん、と強い衝突音が連続して起こり、それと共に周囲の谷の壁が突き破られる。細かい砂が瀑布のように広がり落ちる。

 にわかに濃さを増した砂の霧のなかに、無数の黒い影が穴から這い出してくるのをルビィはその目で捉えた。

 その大きさと数にルビィは双剣を構えたままなす術なく固まり、周囲を見回す。

 狼狽するルビィを置き去りにしてユノは戦いの準備をはじめる。

 背中から“ニザヴェリルの魔術銃”を引き下ろすと、トップブレイク式の機構を作動させる。

 しゃりん、とミスリルと鉄が擦れる涼やかな音が連続して響く。装填された魔術円筒は2発とも“炸裂”空気を破裂させる初歩的な攻撃魔術だ。

「ルビィ、今から視界を良くするわ。それがうまくいったら3人のところに走って、アリカとスコルピオを守りに行きなさい。寄り道してはダメよ」

「……わかった。勇者、貴様はどうするのだ?」

 ユノは手首を振って銃身を真っ直ぐに戻すと、そのまま片手で正面に立ちこめる砂の霧目がけて照準を合わせた。

 もっとも、この魔術を発射する銃には照準器のような科学の産物は付いていない。あくまで照星が示す適当な位置にだ。


「お楽しみよ」


「……は?」


「ルビィ、私ね、この世界に来てその殆どが嫌なことばっかりだったの。ハイネやアライス、エレノアやセリア。それにアリカに出会えたことはすごく良いことだった。でもね、私にとってはこの世界は地獄そのものだったの」

 独り言のようにユノは語る。ルビィはそうして語る勇者の横顔から目が離せなくなっていた。

「でも、そんな地獄のなかで、私はひとつの楽しみを知ってしまった。「あっち」に居てはきっと一生わからなかった。私だけのお楽しみ」

「それは一体――」


 ぱん!と強い破裂音がルビィの平衡感覚を一瞬狂わせる。

 横に立つユノの左腕がL字に折れていた。左手に握られた魔術銃。その延長線上にある銃口からたなびく煙で出来た細い線。

 いつの間にか円筒が発射されたのだとルビィはそれを見て知った。

 ばふ、と正面の霧が急速に、爆発するように晴れる。その中心には役目を終えた円筒が転がっている。

 もう一回、横で破裂音がする。2発目。摩擦で出来た白煙の線を引きながらだめ押しのように“炸裂”が空気を爆散させる。

「!!」

 その奥――霧の向こうに見えた異形の群を確認する。


 その群はまるで「怪物誌」を代表するたちの悪いモンスターの博覧会だった。


 ブリーワームなど比べものにならない大きさを誇る砂海の大蛇ドゥーラー。

 鎧のように堅牢な甲殻と巨大で鋭い尾針を持つアーマースコルピオン。

 牙に強力な毒を持ち、噛みついたものを決して離さない死の巨大蟻、ヴァンジャナキア。

 砂の海付近に生息する不潔で狡猾な一つ目の亜人。サイクロプスの集団。


 てんてんばらばらな、生態系も何もかも無視したモンスターの大群が確かな敵意を持ってこちらを睨みつけていた。


 ルビィは思わず横にいる勇者を見る。

 先程の言葉をそのまま実行に移していいのか――自分はここにいなくても平気なのかと。

 そして、自分のその行動をルビィは後悔する。


「あはっ」


 ユノは笑っていた。

 目を細め、まるで今からとても楽しいことが待っているかのように、笑っている。

 月によく似た瞳には戦いの高ぶりも、傷つくことへの懸念も、死ぬことへの恐れも何もない。

 そしてその笑みを――ルビィに見られていたことに気づいたのか、それとも「そういうもの」なのか、一瞬にして引っ込め、いつもの飄々とした少女戦士の顔に戻った。

「さあ、行って。ここは私が引き受けるから」

「……!」

 ルビィは声もなく頷き、逃げるように踵を返す。

 反抗も反論も、嫌悪すら沸かなかった。まるで魔法に掛けられたように、ユノの言葉に従う。

 跳躍するように走る。柔らかい砂だまりを踏むような真似はしない。

 砂の霧はほとんど晴れていた。2発立て続けに撃ち込まれた“炸裂”の影響だろう。強力な爆風が谷に停滞する砂混じりの空気を残らず追い出している。

 太陽が砂の上にルビィの影を色濃く作った。

「ルビィさんっ!」

 ハーフリザードの女が助けを求めるように叫ぶ。

 アリカ、フリード、スコルピオもまたモンスターに襲撃されていた。


(……今は「あれ」を考えている暇はない!)

 アリカの叫びに応じず、歯噛みしてルビィは「跳ぶ」。全身を折り畳むようにかがみ、助走と体中のばねを最大まで引き出した跳躍。赤髪の少女騎士は宙空にいる間だけ猫になる。

 しなやかにサーコートに包まれた体をひねり、体重を乗せ、アリカのドラゴンを包囲するモンスター――口ばかり大きい棘だらけの痩せた犬。の1匹に刃を叩き込む。

「グギャッ!!!」

 クリーンヒット。アリカのケープの裾を引きずりおろさんばかりに食いついていた1匹の頭が割れる。

 着地してから右、左とルビィは視線を巡らす。

 ランドドラゴンがユノ、ルビィのを含めて4頭――アリカはユノと同乗だ。

 それを円を描いて取り囲む「犬」が確認できるだけで10匹。アリカ周辺に4匹。フリードとスコルピオの周辺に6匹。まだ居るはずだ。


 ルビィは叫ぶ。

「フリードっ!そっちの状況はっっ!!!」

 ぱん、と軽い炸薬の破裂音の後にフリードが答える。

 ランドドラゴンの手綱を巧みに操り、片手には黒く光るピストル。まるで『帝国騎士物語』の挿し絵にでも出てきそうな勇ましい姿だった。

「3匹殺った!残り6!!だけど素早くてなかなか銃で狙えない!!」

 再び発砲音が鳴り響き、まるで自分が次の番だとでもいうかのようにスコルピオが少年の声で叫んだ。

「アンテローズ!こいつらの名前はスカベンジャー。でかいモンスターの食べ残しを漁る掃除屋!個は弱いが数が多い。チームワークと体の棘に注意!麻痺毒を持っています!!!」

「解った!!密偵はフリードをサポート!このすばしっこい犬っころの足を止めろ!!!」


 そうやりとりしている間にも犬――スカベンジャーはルビィと騎乗したアリカ目掛けて突進してくる。

 まるで対人用に訓練された軍用犬のようだ。ドラゴンには目もくれず正確に、執拗にルビィとアリカだけを狙ってくる。

 人対犬の攻防は忙しないものとなった。

 ルビィはとにかく走り回り、包囲するスカベンジャーの群れを挑発してアリカへ行く数を減らす。

 その試みは成功し、6匹にくわえてフリードを襲う群れから離脱した2匹をルビィ自身に引きつけている。合計8匹。

 顎まで裂けた口を開いて突進してきた1匹を足を使って叩き落とす。追撃、とどめ。もう1匹が腕を狙って噛みついてくる。剣を振って牽制。ひるんだところを追撃。空振り。背後から忍びよっていたさらにもう1匹を振り返りの勢いと共になぎ払う。頭と顎の今生の別れ。グッバイ。

 そこにもう1匹が突進。跳躍して避け、全体重をブーツに乗せてストンプ。頭蓋骨を砕く。


「ルビィさん、新手です!2匹!同じやつ!!」


「くそっ、きりがないな」


 背後に守るアリカが叫ぶ。アリカもまたどこからか取り出した飾り気のないメイスを振るってルビィが誘導しきれなかったスカベンジャーを迎撃している。その細腕からは想像できないような力強く容赦のないスイング。

 本人は意識していないかも知れないが、リザードマンという「種」の力がそこに発揮されていた。

 アリカが吹き飛ばしたスカベンジャーを踏みつけてとどめを刺しながらルビィは叫ぶ。


「アリカっ!何か今、この場で役に立ちそうなルーンを使えるかっ?」

「名前で呼んでくれて嬉しいですっ、でもそう言われても思い浮かびませんよぉ!」

 がぎんっ!と交差したショーテルとスカベンジャーの爪と牙が激突する。顔にかかる生臭い口臭に顔をゆがめながらルビィは叫ぶ。

「何でもいい、この不愉快な犬モドキに効きそうならなんだって歓迎だ!」

「あっ、犬っ!ええと、それならっ……」

 アリカの指が空中に文字を描く。金色に輝く光の線。振るわれ、文字らしき記号が完成するごとに溶けるように消えていく。

 全ての「規定されたルーン」を描き終え、世界がアリカに奇跡を使用する権利を与える。

「こんなのどうでしょうっ“獣除け”!!」

 アリカの持ったメイスがルビィを包囲するスカベンジャーの群れに「照準」をあわせ、魔術が発動する。

 ぶわ、と粘性のある紫色の液体のようなものが音もなく広がる――ルビィもその液体に巻き込まれたが何の感触も感じなかった。


「ギュワッ!!?」


「クゥンッ!」


「グゴアッ!!?」


 スカベンジャーに対しては効果てきめんのようだった。

 何かとてつもなく嫌な臭いのものを嗅いだかのように苦しみ、液体に触れるのを嫌がり逃げていく。

 ルビィは苦しみ悶える1匹にショーテルを突き刺し、アリカを賞賛する。

「やるじゃないか!これで残りの奴らを追い払えるか?」

「無理です!これ、すぐに消えちゃいますっ」

 言うが早いか、すでに遠くに逃げたスカベンジャーが戦意を取り戻してルビィに対して突進してくる。

 ちい、と舌打ちしてルビィは両手のショーテルを振るう。

(普通の獣なら今ので十分だろうが、こいつらはモンスター。しかも魔王の影響を受けている)

 魔王の影響を受けたが最期、それはもはや二度と普通の生き物には戻れない。戦い、喰らい、心臓が止まるまで人間を狙い襲う。

そこには躊躇いも恐怖もない。


「アンテローズ!おとり役をお願いします!」

スコルピオが叫ぶ。アリカと同じく騎乗で短刀を振るい、スカベンジャーを牽制している。

ルビィは思わず怒鳴り返す。しかしその蒼い眼は先んじて広く、逃げやすい地面を探して動きだしていた。

「何だ、何をするつもりだ!しょうもないことならおまえの襟首を掴んで引き摺り落とすぞ!」

「魔法で一網打尽にします!この醜い牧羊犬シープドッグどもには追い回す羊が必要です!できるだけ足の速く、簡単には食いつかれない羊がね!」

「なるほどなっ」

 即座に納得する。

ざく、と小気味いい音を立てて、ショーテルの切っ先が獣の痩せた腹を突き破る。ルビィの肩口を越えてアリカに食いつこうとした不埒者だ。

ルビィは剣を振ってスカベンジャーの亡骸を叩き落とし、フリードを呼び寄せる。

「フリード、私に代わってアリカを守り抜け!鞍に彼女を招待して差し上げろ!」

「了解っ!」

視線の先にドラゴンを馬のように乗りこなすフリードの姿がある。

 ドラゴンを片手で馴らし、早足で安定させたまま、こちらに近づいてくるスカベンジャーをピストルで撃ち抜いている。

文字通り竜騎兵(ドラグーン)だ。


アリカがフリードのドラゴンに飛び乗るのを確認すると、ルビィは双剣を打ち鳴らし、スカベンジャーの群れの気を引きつける。

「さあさあさあさあ!犬っころども、私が相手だ!ええ?どうした、私を捕まえみろっ!」

 ぐるる、と乱杭歯を剥きだしにして、スカベンジャーたちが唸る。

 はっきりした敵意が自分に突き刺さっているのをルビィは感じた。

「こっちだ!こっちだ!醜いクソイヌども、おまえらのゴートはこっちだぞ!」

 言うが早いか、ルビィは駆け出す。出来るだけ「狙いやすい」場所へ。


 それに釣られ、いつの間にか増えていたスカベンジャーの群れが嬉々として駆け出す。

 数は10を越えた。一度食いつかれたら命がない。ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。

 後ろを見る余裕はない。少しでもスピードを緩めたが最期、ルビィは背後の大群の遅めのランチになるだろう。

 履いた鋼のブーツが砂を蹴立て、踏みつける音、吐息。爪が砂を抉る音。短く荒い獣の呼吸。生臭い臭い。

 それがわずかな――しかし永遠に等しい感覚をもって、ルビィに流れる時間の全てになる。

 それ以外のものは認識できない。砂で形成された深く緩い傾斜のある谷も、無慈悲に降り注ぐ太陽の熱も、砂まじりの風も、今まさにルビィが大群を連れて遠ざからんとしている3人の仲間たちも、一枚も薄いヴェールを隔てて意識の外に放棄される。

 スカベンジャーからの命がけの逃走のさなか、確かにルビィはこの世界でただひとりとなった。



(怖いか?怖いのなら、もうあきらめてもいいんだぞ)

 アドレナリンで冒されたルビィの脳内で、誰かがそう囁く。甘い、停止を促す誘惑の声。

 それは自分の声だ。頭の中に反響して響く、ルビィ・ギムレット・アンテローズの声。


(足を止めて休めばいい、なあに痛いのははじめだけさ、あとは安らかに。ずっと安らかに眠れる)

 

(無理しなくていいんだぞ、おまえは弱いんだ。誰も責めやしない。それにほら、勇者だって近くにいるじゃないか)


 柔らかい砂だまりを跳躍し、避ける。直進するのをやめ、速度を落とさないまま緩やかに方向転換する。


(そう、いつもみたいに助けを求めればいい。いつも心の中で求めてたじゃないか――助けて勇者様って)



――――黙れ!!

 心の中でルビィは叫ぶ。

 脳裏に渦巻いていた「自分」の声が風に流されるように消えていく。

 しかし本当に風に流れてルビィの頭の中から放逐されたわけではない。

 ただ、今は聞こえなくなっただけ。それがルビィには悔しい。


 ルビィの世界が、時間を取り戻す。

 背後のスカベンジャーの群れはそろそろ追いかけるのに飽きたようだった。

 追跡役を数頭を残し、右に2匹、左に3匹と回り込み、ルビィを包囲しようとしている。

 その包囲網が完成すればルビィは終いだ。大きく裂けた口に不揃いにならんだ牙と爪で引き裂かれる。

 だがそうならないのをルビィは確信していた。もう終わる。そろそろこの追いかけっこはお終いだ。

 走るルビィの視界の端に、黒い外套をはためかせた密偵の姿が見えた。

 右手に杖を、左手に蔵書ビブリオを、少年の口が大きく開くのが妙にゆっくりルビィには見えた。


「いきますよ!アンテローズ――エクスリブリス・火のムスペルヘイムの作り方第6版。バーチカル・ファイアーボール!!」


 スコルピオの掲げた杖の先からぼ、ぼ、ぼ、と音を立てて人の頭ほどの大きさの火球が立て続けに燃え上がる。

 それはゆっくりと杖の先を浮遊すると、一定の高度に達した火球から天にむかって放たれる。

 その様子はさながら大砲の一斉発射だ。

 放たれた火球は5発。火の粉を尾のように引きながら、砂の谷の上空を高く越えて――ルビィを追うスカベンジャーの群れに舞い落ちる。

 


 炸裂!



 天から降り注いだ火球は地面に着弾すると大きな爆風を伴って拡散し、周囲に業火と衝撃を撒き散らす。

 「っつ!」

 爆風に背中を押され、ルビィは砂の上に転がる。衝撃で右手の双剣が弾き飛ばされ、細かい砂の水面に突き刺さる。

 「…………ッハア」

 スコルピオの魔法はルビィに追いすがっていた群れをきれいに吹き飛ばしたようだった。

 爆風で起こった砂塵の中にいくつもの――かつて犬の怪物だったものの亡骸が転がっているのを見てルビィは安堵に身体の力を抜く。

「ルビィ!」

「ルビィさん!」

 遠くから、といってもそれほど離れているわけではない。ランドドラゴンに騎乗したフリードとアリカがこちらへと来ていた。


「ご苦労さまですアンテローズ。見事なゴートぶりでした」


「……貴様、あとで少し殴るからな」


「なんで!?」


 フリードとアリカに続いて赤茶けた表紙の蔵書ビブリオを持ったスコルピオがルビィの側に駆け寄る。

 ルビィの半分冗談の私刑宣言にうろたえるスコルピオを無視し、ルビィは立ち上がる。

(まだひと段落だ、あいつの、あの勇者の支援にいかねば)

 砂の霧間に見えた群はおそらくこの死の砂漠でも一等にたちの悪いモンスターの集団だった。

 倦怠に包まれる身体に活を入れ直し、ルビィは自分の副官に命令を出す。

「フリード、悪いが2人を引き続き守っていてくれ、あの勇者がまだあっちで戦っている」

 汗をグローブで拭い、ルビィは砂の谷の西側。つまり今までの進行方向を指差す。

 ルビィの指差す先はまたも砂の霧に阻まれ、何も見えなくなっていた。

 

 ただ、ルビィには――何も見えないはずの砂塵の向こうで、誰かが楽しそうに笑っているような気がした。


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