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『月』の暦1065年

天候:晴れ 9月1日

7時38分

ドンテカ――ランバルディア国軍警戒基地


「……それじゃあ、これからのことについて話しましょうか」


ぼりぼりと白い頭を掻きながらユノは面倒くさげに呟いた。

 既に「巨人」との戦いでの負傷は完全に治癒し、服装も白の入院着から砂海の気候に適した装備に着替えている。

 破損した防具のかわりに軍の支給品を拝借した黒のアンダーウェアに白と赤のツートンカラーのクロースアーマー(防護服)。

 鎧というより厚手の服、といった代物だが灼熱の砂海で甲冑のような金属鎧を着るのは自殺行為だし、軽装のほうがユノは戦いやすい。

 装身具については変わらず“グラーベルの鉄篭手”とアニマルハイドのレギンス。剣帯とポーチのついたベルトを身につけ、武器の収納されたポンチョを羽織っている。

 背中には保存の利く食糧などを詰めこんだデイバックと“ニザヴェリルの魔術銃”を背負っている。フリードが回収してくれたらしい。

 もともとの装備が砂海向けのものだ。大きな変更はない。

「これから?何か話しあうことがあるのか?砂海を越えて西部へ向かうのだろう?」

 何故かストレッチなどしながらルビィが質問する。ルビィも変わらず軽装のままだがチェインメイルの上から鎧の温度上昇を防ぐサーコートを着ている。胸の左側にはランバルディア軍の国章が刺繍されており「女騎士」の印象を高めている。

 くせっけの赤髪の上には、つばの広いケトル・ハットを被り、防塵用の眼鏡を帽子のへりに巻きつけている。

 どこの軍にもいる横流し屋の兵士から買い取ったものだ。

「これからのこと、というか」

「?」

「その、自己紹介が必要だと思わない?」

「……そうか?」

 ルビィの疑問符にユノはきまりの悪い顔をした。

「わたし、こいつの名前知らないわ」

 びし、とユノの篭手に包まれた指が黒衣の少年に突きつけられる。

「えっ」


 その言葉にショックを受けたのは諜報組織“詩の蜜酒”の密使、スコルピオだ。

 ドンテカ襲撃のさいに陥ったマナの渇望からも回復し、しっかりと自分の足で立っている。

 スコルピオも家に忍び込んでいたときの服装と変わらず黒のローブと黒の襟巻きだが、その上から厚手の外套を羽織っている。

 今ここ――軍基地の裏門前にいる人物では一番暑苦しそうな服装だ。

 しかしローブの材質が薄手のわりに丈夫なのにくわえて“冷却”のルーンが服の裏地に縫いこまれているらしく、暑さを感じていないらしい。

 ショックを受けた密偵の後ろにはどこからか調達してきたランドドラゴンが3騎、柵に紐で繋がれている。

「そういえばユノさん、家での一件以来。スコルピオと会っていないんですねぇ」


 何か納得したようにぽんと手の平をフリードが叩く。

 フリードもまた特に変わらず錆止めが塗布された自由騎士の黒甲冑だ。

甲冑というと暑苦しそうなイメージがあるが、フリードの身につける型は胸部と腰、大腿部の保護を重視して設計されたもので、腕部や膝下は取り外し可能の簡便なものになっていて、重量はあるが通気性は悪くない。

 ルビィと同様にサーコートを羽織れば少なくとも太陽と加熱された鉄の暑さに蒸し殺されることはない。

「ああ、そういえば、それもそうか」

 納得してストレッチを続けるルビィ。あまり興味はない模様だ。

「それにみんなアリカのことはあまり知らないでしょう?これから長い付き合いになるのだし、必要だと思うわ」

 そう言うユノの後ろに、どこかもじもじとした様子で白のブラウスと暗色のロングスカートの上から薄手のケープを羽織ったアリカが様子を伺っている。ケープはロスクヴァのヒーラーたちが譲ってくれたものだ。

「……連れて行くことに決めたのですね、ユノ・ユビキタス」

「ええ――今回の一件は私に復讐したい連中をもう一度騒がせかねない。どこかに残すより、私といたほうがきっと安全だわ」

 ショックからいちはやく立ち直ったスコルピオが静かに言い、ユノもまたそれに目を細めて呟いた。

「その根拠は?」

「私が守るから」

 その迷いのない発言にスコルピオはにや、と胡散臭げな笑みを浮かべ、成る程といった調子で頷いた。


 ユノは背後のアリカをうながし、前へと進ませる。

 居並ぶ騎士と魔法使いの3人にアリカは何故か緊張していた。

 そもそもアリカは人見知りな気質の持ち主だ。昨日までは状況が状況だけにそのあたりに気が回らなかった。

(ああ、どうしよう。ルビィさんこの前のことやっぱり怒ってるのかなぁ?)

 たら、と首筋に汗をかきながらアリカは内心で半泣きになる。

 ルビィはストレッチをやめ、じっと睨みつけるように目を細めてアリカの方を見ている。

 ……だがこれは親しい人物――例えばフリードや親兄妹。騎士団の部下ならばわかることだが睨みつけているわけではない。

どちらかといえば興味があることや好ましいものを見ているときの表情だ。もともとの目つきが鋭いせいもあって誤解されがちな難点だった。

「ルビィ、目つきが鋭くなってるよ」

「ん?ああ、そうか?すまない」

 アリカが萎縮していることに気づいたフリードがやんわりと注意し、ルビィは特に気にすることもなくぱち、と目を開ける。

 ルビィとフリード。2人と関わっているものならば1日に数回は見る光景だった。


「えっと、アリカ・マイルズです。見ての通りリザードマンとの半人で、一応ギルド所属でヒーラーをやっています」

 よろしくおねがいします、とアリカは頭を下げ、3人も各々それに答えた。

「使える魔術の系統は?回復術だけかい?」

 フリードが威圧しないようつとめて軽い口調で尋ねる。

「あ、回復術がいちばん多いですけど逃走・かく乱系のルーンも組めます。例えば“眩まし”とか“羽音”ですとか」

「へえ、珍しいですね。魔術師、特にヒーラーなんかはひとつのルーン系統に偏りがちと思っていましたが」

 そうスコルピオが言う。


魔術というのはルーン文字を媒介として事象に働きかける方式だ。

どのような効果を及ぼすかは文字の意味とその組み合わせによって決定される。魔術師はルーンの意味とその組み合わせを正確に把握し、マナを対価にルーンを世界に発現させる。これが正当な発動方式だ。

 その特性上、同じ文字から開始される術が必然的に習得しやすく、また咄嗟の状況に発動する魔術を変えられるアドバンテージも大きい。

 だがそのアドバンテージを優先するあまり、使用者が自身の能力を狭めてしまうという問題もありがちだ。

 もっともヒーラー(癒し手)のような専門性の高い魔術師であればある程度は使用ルーンの偏りも許容されているのが現状だ。


「そうですかねぇ?同じことをスクールの先輩にも言われましたけど……」

 うーん、と人差し指を口につけてアリカが疑問符をあげる。

「でも、ほら、どうせなら使えるものが多いほうがいいじゃないですか。ねぇ?ユノさん」

「うん、そうだね」

 言葉少なくユノが頷く。冷静な表情と口ぶりから無関心なようにも見えるが、どこか得意げな響きがそこにあった。

 気弱で臆病なアリカに対して様々な防衛の心得を教えたのは他でもないユノ自身だ。


――戦うより逃げろ、常に周りの物を利用せよ。


――持てる手段は可能な限り多く、決して「特化」するな。ひとつの手段に執着することは手段の封鎖に繋がる。


――そして、高い能力や技術とは時に人をどうしようもないほど慢心させる。そうなるくらいならば中庸な能力と技術を多く持て。


――そのほうが、生き残れる。


それをなぞるように魔術のスタイルを整えてくれたハーフリザードの友人にユノは心の内で満足感に似た感情を持っていた。

「なるほど……それじゃあ僕も自己紹介を……」

 スコルピオが大きく頷き、自分の番だとばかりに進み出る。

「よし、それでは自己紹介も済んだし出発するとしよう。勇者、手ほどきはいつしてくれるんだ?」

「そうね、ギルドベースキャンプに着いてからにしましょう。アリカ、ちょっと地図を出してくれない?」

「はい!これですね。えーっと、一番近くて広い。それに人の滞在も少ないとなると第16ベースキャンプがいちばんいいですかねー」

「それじゃあそこで」

「うむ」

 スコルピオの言葉を完全に無視してユノとアリカ、ルビィは素早くこれからの旅程を決定すると、ランドドラゴンに飛び乗って裏門からメルカトル大砂海の関所の方へとたずなを向けてすでに走りはじめている。ユノとアリカが一騎に乗り、もう一騎にしがみつくようにルビィが騎乗しているのが見える。王都では馬の方が騎乗動物として主流であり、騎乗竜に慣れていないのだろう。


「…………」


 ざああ、と砂が風に吹き飛ばされる音がむなしくあたりに響く。

 得意げに進み出たままの体勢で固まったスコルピオの外套も同様に強い風にはためき、たなびく音をあたりに響かせている。

 横で黙々とコテージや飲み水の大瓶などをドラゴンの背に積み込むフリードにスコルピオはぽつりと尋ねる。

「僕、嫌われてるのかな」

 フリードは冷ややかに答える。

「第一印象が悪いんだよ、君」




『月』の暦1065年

天候:晴れ 9月1日

8時47分

メルカトル大砂海――関所



「通行規制――?」


 ランドドラゴンの背の上、白いフードの下でユノは呟く。

 視線の先には広大な地平線を有する砂海の淵にこびりつくようにぽつんと立つ木造の建物と、そこに掲げられた大きな看板。そして思い思いの旅装に身を包んだ人だかりがある。西部アリストピア領への帰還民、交易商、旅行者、冒険者、その他多勢。

 関所の門番と押し合い圧し合いする彼らの上には、白地に染めた木板の看板に強い調子で「通行規制」の文字が大きく自己を主張している。

「私たちには関係ないだろう。王陛下の書状がある。」

 ユノの横に並ぶルビィが遠く群がる人だかりを見つめて言う。

「懸念すべき点は、そこじゃないわ」

「何――?」

 ユノの指摘にルビィが疑問符をあげる。が、ユノはそれに答えることなくランドドラゴンから降りて関所に歩いていく。

 ルビィもそれに続き、アリカとフリード。そしてスコルピオは顔を見合わせた。

 ユノは通行止めに憤慨する人だかりを押しのけ、通り抜けて関所の出国窓口まで辿り着く。

 そこには辟易した表情でロードスギルドの制服を着た出国管理員の男が座っている。

 おおよそ出国できない理由を問い詰める旅行者の対応に疲れたのだろう。おせじにもあまり良いとはいえない態度で対応窓口に座っている。

「少しいいかしら?」

 フードを被った小さな少女とケトル・ハットを被ったもう1人に管理員はじろり、と無遠慮な視線を向ける。

「ここはお嬢さん方の遊び場じゃねぇぜ」

「何っ、貴様その口の聞き方は――」

 激昂して男に詰め寄ろうとするルビィをユノが止める。

 男ははっ、と嘲るような笑みを浮かべてぱたぱたと何かモンスターの羽を用いて作った扇で顔を仰ぎだす。

 完全に話を聞く体勢にないその態度にルビィが窓口カウンターに飛び掛らんとする。


「やめなさい」


“グラーベルの鉄篭手”で口を塞がれ、むぐ、とルビィは呻いた。

 不満げに視線で問いかけてくるルビィにユノは片目を閉じて「まかせろ」と合図を送った。

 一応それは伝わったようで、憤まんやるかたない表情で1歩下がった。

 ユノはとんとん、と窓口のガラスを叩いて職員の視線を向けさせるとにこ、と笑いかけた。

 髪の色はフードで陰になってわからない。窓越しで微笑んでいるのは悪意なさげなただの少女だ。

 どこか男性の「そういった願望」に答えてくれそうな魅力のある少女――そう見えるかも知れない。

 大人のようで、大人ではない。少女と女の境目にいる少女。

 その少女が意外なほどハスキーな声、しかしよく通る声で男に話しかける。

「冒険者登録番号一〇二二五二一、といえばわかるかしら」

「何?」

「わからなければすぐに照会してみればいいわ」


 にこにこと笑うフードの少女の、有無を言わせぬ口調に渋々と職員は受付机の下に収納されたフォルダから「冒険者名簿」を取り出す。

 そして指先を舐めると怪訝な表情で名簿と目の前の少女を見比べながら帳面をめくっていく。

 それほど時間はかからず男の表情が変化した。

目を見開き、日焼けで赤くなった顔を青くする。帳面の紙の端が強く摘まみすぎて音もなく破れた。

ユノはその変化を確認すると窓口のカウンターにこれ見よがしと左腕を乗せて寄りかかる。

ドンナーの雷が刻まれた、無骨で少女に不釣合いな巨大な篭手がぎし、と脆い木造の建物をわずかに歪ませる。

重量級の恐竜がこの建物に身を預けたかのようだ。

「ひっ」

 男が小さく悲鳴をあげる。

「ルビィ、許可証を」

「あ、ああ」

 ぽかん、としながらルビィがユノの右手に王陛下の許可状を渡す。特別任務を帯びた騎士に渡されるそれは、ランバルディアおよびその従属国。

そして中立地域であれば自由に出入り出来る一種の魔法の鍵だ。

 この制度はランバルディア独特のものではなくエルムトやアリストピア、北のスコヴィヤでも同じような代物が存在している。

 ユノは窓口の硝子にがさ、と許可状を押しつけると笑いながら、しかし声だけは「冒険者」に戻しながら男に言う。

「私の名前は――面倒だから言わないけどだいたいわかるわよね?少し質問に答えてくれない?」

 男が冷や汗をかきながらぶんぶんと首を縦に振る。

「先ず、このランバルディア王の許可状がこの関所でも有効かどうかについて」

「……ゆ、有効です。通行規制下にあっても相違ありません」

 がさ、と許可状を背後のルビィに返す。もうこの書状に用はない。

「それじゃあこの通行規制の原因は?通行料もせしめてないようだし、しっかりと事情があるはずね?」

「は、はいもちろんでありあす」

 微妙に男の口調が怪しい。

 ふ、とフードの下で視線を緩めて男に話す。

「それじゃあ、その理由を説明して、ひとつの嘘も欠けもなくね」

 男は噛みながらも目の前の少女――その鉄の拳。そこの奇妙な光沢を持つ表面に映る自分の顔を見ながら説明した。

「は、は、は、はい。もちろんです。えー、このす、数日間。突然モンスターの凶暴化がか、確認されまして……今の時期であれば考えられない種類のやつらまで、と、突然人を襲いはじめたっていうんでぇ、上から一時の渡航見合わせの達しがでたんで、ご、ございやす」

「冒険者まで?すでに旅立ってしまった人間は?」

「ぼ、冒険者も同様です。とにかく猫一匹通らせるなと……渡航者はち、近場ならギルドの有志が連絡員として誘導。え、遠方に関しては、その」

「その?」

 ぎし、と“グラーベルの鉄篭手”の中で拳を握る。

「ひっ、その、特にこちらからは関知せず、場合によっては入国も許可しないと、そ、そう達しが出ています」

「王陛下がそのような事を……?何故そんな無体な真似を」

 冷静さを取り戻して管理員の話に耳を傾けていたルビィが不快感をあらわに呟く。


 確かにそれは非道だろう。自国の民を理由もなく放棄することになる――それが本当に人間であれば、だが。

(戒厳令が発令されたってところかしら。非正規戦力の自国への囲い込み、国民の他国への出流の制限。そして“ドッペル”諜報者の侵入防止、か)

 男の言うモンスターの凶暴化もまた事実だろう。

 この世界のモンスターたちは常体は普通の動物と変わらない生態をしている。

 本能のまま暮らし、食べ、寝る。そこには人間に対しての敵愾心もないし知性を感じさせる行動も存在しない。

 しかしそれがひとたび、ひとたび復活した魔王のマナ――西の空に瞬く間に広がった黒い世界の瘴気に触れると劇的に変化する。

 動物から異形に、生物から「敵」に。モンスターは優先して人間を襲いはじめる。

 ある程度人に慣れた種類ならば危険は少なく、すぐに沈静するらしいが――人の相容れない世界に棲む種類。たとえば砂海、渓谷。深い森林。そして海。そこに棲み慣れたモンスター達。それはもはやモンスター(怪物)とすら呼べない、伝説の中の魔物と化す。

 その変化に間違えようもないのだ。そして偽って人の流れを止める意味も。

(魔王は、生きている。ナオキたちが仕留め損ねた――?もしくは)

 ユノはカウンターから左腕を退け、口元に拳をあてて考える。

みし、と木造の関所が少し浮き上がった。

 男はもはや何もいえぬまま、脂汗を流して呆けている。

「お、おい勇者。そのあたりにしておいたらどうだ」

 ルビィが遠慮がちにユノのポンチョの裾を引っ張った。

「?、何が?」

「もう、聞きたいことは聞けたのだろう。早く出立すべきではないか」

「ああ、それもそうね」

 ユノは自覚なく窓越しに固まる男を見やる。満月のような瞳が男を貫いた。


「“もういいわ”」


 堰を切ったようにお助け、命だけはと叫ぶ男を無視してユノとルビィが関所を通り抜けていく。

ざわざわと騒ぎ立てる野次馬につられるようにやってきたアリカ、フリード、スコルピオがその背中に続く。

その表情は「?」マークで埋めつくされ、人の多さも手伝ってかアリカが目をまん丸にしてきょときょとと周囲を見回している。

ユノは畏怖と恐怖の視線を特に気にすることなく――自覚することすらなく先頭を進み、その少し後ろをルビィが半眼で追従していく。


(この勇者)


先頭を行く、時々ちらりと畏怖の視線を向けてくる野次馬を一瞥しては、不思議そうに首を傾げるユノにルビィは思う。

関所のゲートを越えた先には、何もない砂の地平線と天と地を分かつように広がった青空がある。

白い太陽が小さな小石ひとつにまで影を落とし、蜃気楼で霞む遥か遠くには全て砂で出来た波間が存在している。

その砂で出来た海を動かすのは風だ。強い、海を越え、山を通り抜けてきた西の風。

ざああ、と空に砂を運ぶその風は例外なく先頭にいる少女のフードも吹き飛ばす――白い、蒼く透き通った空にすら滲むことのない相容れない白色の髪。その持ち主がルビィとその背後の3人に小さく笑いかける。

その笑顔は純粋に綺麗だった、次の言葉がなければ。


「さあ、行きましょうか!死の世界に」

ルビィはなんとなく既に疲れを感じながら心の中でひとりごこちた。


(ドンテカでは嫌われてたというか、怖がられてたんじゃないか?)



『月』の暦1065年

天候:晴れ 9月1日

13時25分

メルカトル大砂海



 暑い。

 4時間ほど過ぎただろうか、太陽がちょうど頭上に昇ろうとしている。

 一番はじめの――ルビィがユノに魔族との戦いを教えてもらう予定のキャンプまで半分より少し前の距離だ。

 本来ならもっと早く砂海を横断できるルートがあるのだが、偶然かそれとも何者かの手管なのか凶暴化した砂海モンスターの群れがそのルートを遮るようにして大規模な移動を行っているらしい。ギルドの有志に連れられて砂海から誘導されてきた隊商たちの情報だ。

 その結果、最悪でも――砂海渡りの経験が豊富なユノによれば5日間はかかる行程を進まなければならないらしい。

(この太陽の中を五日間。それに夜は北国並みに冷えるのだったか……地獄だな、ここは)

 じりじりと皮膚を焼く太陽を首筋に感じながら、ルビィは帽子の下で呻いた。

 ふと砂一色の地面をみればケトル・ハットをかぶり、サーコートを羽織った自分の影がくっきりと。彩度の高い黒で焼きつけられている。

 (砂漠が暑いなど、わかっている筈だったのだがな)

 ランドドラゴンの背に揺られながら自嘲する。


 知識として知っていることと、体験して得ることは違う。どれだけ頭の中で「砂漠とは雨が降らず、乾燥しており草木も生えない環境。全体の総量として水分が少なく、気温の変動が激しい。そしてその激しさとは死ぬほど暑いか死ぬほど寒いかのどちらか、否、どちらもである」と知識として記憶していようと、実際にその実物に触れなければ正体をはっきりと掴むことは出来ない。

その行為の成功が個人にとって幸せなのか不幸せなのかという議論は別としてだ。

 眉間を流れる汗を拭いながらルビィは前を見る。


 メルカトル大砂海は非常に高低の激しい場所だ。

 大陸西部の沿岸から吹き続ける風が絶え間なく砂を運び、長い年月をかけて大きく緩やかな砂の山を形成している。もちろんそれは1つきりではなく数えるのも馬鹿馬鹿しいほど幾つも。砂で作られた緩やかな山脈だ。

 山脈があるということは当然谷も存在する。形成された山と山の狭間。今ルビィたちが隊列を作って横断しているのもまさにその谷のひとつだ。

 一番先頭を行く勇者――ユノによればそういった谷が横断ルートの目星になるらしく、冒険者などによく利用される谷には忘れられないように、他の谷と間違えないようにと名前がつけられているらしい。

 今もその名前はルビィの視界の端で自己主張している――フレッド・ディビス・二十四番渓谷。発見者の名前と番号をそのまま付けたのだろう。

 そういった名前なまえのついたプレートが1スロート(大陸のキロメートル単位、10000ラウン=1スロート)ごとに突風対策用のロープと杭で補強されて掲示されている。

 地図と照らし合わせれば遭難の危険もない。非常に行き届いた整備だ――これを施工するのに何人の人足が犠牲になったのか想像を禁じえないが。

(まあ、そんなことどうでもいいんだ)

 言葉に出すことなくルビィはかぶりを振る。


 ルビィは隊列の真ん中に入れられている。先頭からユノ・アリカと続き自分。そして背後にはフリードとスコルピオが二列に並んでランドドラゴンを進めている。この順番を決めたのはユノだ。

 ナビゲーターとしてもっとも経験豊富なユノは先頭を切り、次に経験があり救護役として重要なアリカが二番目。

 フリードは前大戦で砂海を渡った経験があり、スコルピオも特に問題なく周囲を警戒しながら歩を進めている。

 ルビィは真ん中――真ん中とは一番経験が浅く、守られるポジションだ。

(くそっ)

 もちろん、その判断が間違っているとは思っていない。

 だがルビィは悔しさを感じてしまう。

 何故事前に経験を積まなかったのか、訓練をしようと思わなかったのか。そんな言葉が脳みその中でぐるぐると回り続けている。

 もし先に経験があったのなら、実績があったなら「おまえ」はもっと認められているだろうに――頭の中で誰かがそんなことを言っている。

(しかし先を、未来を予測して経験を積むなんて、現実には無理な話だ)

 もちろん学習することは可能だ。前例に従って必要となる物事を頭の中に入れておく。必要になる技能を先に修得し鍛錬しておく。

 だがそれが全ての物事に適用できるとは考えられない。


 どこかの道を歩いていて、上から突然植木鉢が落ちてくるかも知れないから、それを回避するために訓練する。

 もしかしたらその植木に植えられた草が触れただけで死に至らしめる毒草かもしれないので毒に対する知識と解毒法を学んでおく。

 そしてもしかしたらその植木を落とした人物が実は太古の世界から蘇った古代人かも知れないので古代語を習得して話せるようにしておく。


 極端な例だが、結局はすべてに万全な体勢で挑むことなど出来ないのだ。想定できないことは常に存在している。

 人は万能にも全知にもなれない。どれだけ神に愛されようと、命運を握って、力を授かろうとも。

(それを頭で理解していても――)

 先頭を行く「勇者」の後ろ姿に目をそそぐ。

(私は、私の心はそれを期待してしまうんだ――)

 憎み、罵り、その素顔を見てしまっても。



「止まって!」

 突然発せられたその言葉にルビィははっ、とドラゴンの手綱を引く。

 言葉を発したのはユノだ。左手で後列を制止し、厳しい視線を前方に向けている。

「どうしたんですか、ユノさん!」

 ルビィの前方にいたアリカが大声で問いかける。背後ではフリードとスコルピオが目配せし、左右に散開した。

 ルビィもまた周囲を警戒しながらユノとアリカの横にドラゴンを進める。

「一体どうした?」

「……竜車だわ」

「何?」

「見て、竜車が倒れている。」

 ユノが前方に指差す。つられてルビィも目を凝らすと――峡谷は風に乗って舞い落ちる砂と谷を通る風に巻き上げられる砂のせいで視界が悪い。砂の霧とも呼ぶべきものが周囲に渦巻いている――そこには半ば砂に埋もれて竜車が横倒しになっている。


 竜車とは馬のかわりに大型の騎乗竜ランドドラゴンに車を牽引させるもので、馬の足が適さない地形や気候帯で輸送運搬を担っているものだ。馬に比べて速度や乗りやすさは劣るものの大容量の運搬に適している。殆どの用途は交易品の運搬だ。


「……モンスターに襲われたのか」

 竜車はかなり大きな物のように見えた。丈夫なインベルの皮をなめして作った幌に頑丈に組まれた木組みの胴体。車輪はかなり重量がありそうな鉄製だ。車を牽引していた筈のドラゴンはどこにも見当たらず逃げたか、モンスターの餌食になったのだろう。

「そうだとすれば」

アリカが縦長の瞳孔を細くし、目を凝らしながら言う

「かなり大きなモンスターに襲われたみたいですねぇ」

 その推測は恐らく当たりだろう。ルビィは頷く。

 竜車の胴体の中ほど。貨物台が何か大きな力で圧縮されたようになっている。

今は砂に埋もれてみえないがそこかしこに木片や中の積荷が散らばっていてもおかしくない損傷の仕方だ。

そして、かなり広範囲に渡って渓谷の山肌に何か大きなものがぶつかった後がはっきりと残っている。まるで擦りつけるように。

ルビィはその時の様子を幻視する。


――巨大な「何か」がどこからか、渓谷の上からか、もしくは砂の壁を突き破って哀れな竜車の前に立ちはだかる。


――竜車の主が御者台から逃げる暇もなく「何か」はかまくびをもたげ、頭より大きく開く口でぱくり。竜車ごと咥えて持ち上げる。


――この獲物は飲み込むには大きすぎる。それなら小さくして少しづつ食べよう。「何か」は首を振る。振って手近な壁に叩きつける。


――しくじった。この獲物はあまり食べれる箇所がなかった。小さな生肉がひとつとそれより少し大きな生肉がふたつ。腹の足しにもならない。


 「……痛っ」

 気づけば手を強く握り締めていた。爪が手の平に食い込んでいる。

開いてみれば赤い痕がくっきりと折り曲げた指先の形についていた。

その指先が震えているのにルビィは気づき、かぶりを振る。

(ええい!怖がるなルビィ・ギムレット・アンテローズ!この程度で、まだこれぐらいで怖がるな!!)

ルビィは萎縮しそうになる心を奮い立たせ、ドラゴンから降り立つ。

ざくっ、と鋼のブーツが砂を踏みつけた。

「何をする気」

 ドラゴンから降りず、ユノがたずねる。

「こうして遠くから見ていてもラチがあかん。近寄って危険を確かめてくる」

「やめたほうがいい、まだ“アレ”をやった犯人が近くにいるかもしれない。囮を使うくらいには聡いわよ、ここのモンスターは」

「わかっている。だがずっとこうしているワケにもいかんだろう。迂回路もない」

 頭上のユノは沈黙し、その月のような瞳でルビィを見た。

 ルビィもまた強い光を湛えてその視線に対して返す。

 お互い、その視線に篭められた言葉はわかっていた。


 ――今この状況は危険よ、あなたはまだわからないだろうけど。痛い目を見たくなければおとなしくしていなさい。


 ――そんなこと、知っている。だがやらせろ。私にやらせろ。私に確かめさせてくれ。私の力を試させてくれ。


 数瞬の視線の絡み合いののち、ユノは仕方ない。と息を吐いてルビィを促した。

「……すぐには抜刀せずに半抜きで忍び足。歩く場所も中央ではなく少しはずれた、出来るだけ平坦な場所を選んで進みなさい」

「何故だ」

「何か両手が必要になったときに武器を失わなくても済むように。あとは地面の、柔らかい砂だまりにはモンスターがいる可能性が高い。」

「なるほど、憶えておく」


 ルビィは重心を低くすると、腰の後ろで交差した双剣の柄に手をかけ、刃を中ほどまで抜く。

 しゃり、と涼やかだが隠しようのない鋭さを秘めた金属音が小さく響き、ルビィの心を安定させる。

(大丈夫)

 じゃり、と砂を踏みしめて地面の確かさを感じながらルビィは心の中で呟く。

 背後を見れば「ニザヴェリルの魔術銃」を肩に預けたユノとおろおろとユノとルビィの2人を交互に見比べているアリカが見える。

 何故ユノがルビィと共に行かないか、そして何故ルビィが1人で先行したかわからないのだろう。

 そのもっと後ろにはこちらを見るスコルピオと隊列の背後を警戒し続けるフリードの姿がある。

(私は戦える)

 ざ、ざ、ざ、と砂を踏みつけながらルビィは1歩1歩進む。

 ぶわ、と砂まじりの風が吹きつけてくる。

 ルビィはその風から手で顔を守ると構わずまた1歩歩みを進めた。

 砂の霧が少しづつ晴れ、横倒しになった竜車が近づいてきた。


(私は、なにも、怖くなどない)


 ――そう心の中で呟くルビィの下。足元で「何か」が目を開けた。


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