セリア・ランバルディア・イヴヴァルトについて
『月』の暦1065年
天候:晴れ 8月27日
9時2分
ランバルディア国王都・王城リーンベルネ――アルヴィース元老院
アルヴィース元老院。王城リーンベルネの敷地内に存在するその巨大な議会堂は国の中心ともいえる場所である。
王族諸侯とそれに仕える宮廷貴族。また、何かの事情により召還された領主や騎士などが国の運命を左右する政について議論をかわす。重要な政治の舞台である。
本来なら常に喧騒と議論が巻き起こるその場所に、今は不気味な沈黙が満ちている。
「騎士団長イスラ・ウルズ・アンゴーシュ。顔をあげよ」
「……はっ」
円形の議会の中央――そこで跪き、騎士の礼を執っていたイスラはゆっくりと顔を居並ぶ王族の面々に対して顔をあげる。
イスラの表情にはいつもの飄々としたおちゃらけもなく、身なりもパリッとした儀典用の鎧を身につけている。
肩口から伸びる青い外套も大仰な飾りのつけられた膝当ても普段のイスラならば「邪魔」と言って憚らない。
だが、王侯貴族の居並ぶここでは身に着けてなければならない。特にイスラのように冒険者から貴族に成り上がったものにとっては重要なことだった。ドレスコード(服装規定)といえば聞こえはいいがその実は身なりや立ち振る舞いで自分がその発言に耳を入れるべきか、聞く耳を持つべきか判断しているだけだ。人は人をパッケージで判断する。それはどの時代や世界でも変わらないことだ。
円状に造られた大理石の議席は人で満たされている。
中央の小さく隔絶された広場に佇むイスラ、前方の高見席に居並ぶ王族諸子――現国王アヴェル・ランバルディア・イヴヴァルト。
第一王子アルステッド。第二王子ギネスそして王女にして神の巫女であるセリアが豪奢な椅子に座りイスラの方を視ている。
現国王アヴェルは「戦神」と呼称されるその鮮烈な気性らしく、己で仕留めた獅子の毛皮をなめしたマントを羽織り、金の鎧を身に付け、巨大なグレートソードを杖のように床に立ててそこに腕を乗せている。
野性味溢れる、だがどこか気品を感じる顔立ちには針のような口髭をたくわえている。
その横の席に着席するアルステッドとギネスはよく似た顔立ちの、しかし対照的な性格の双子だ。
第一王子アルステッドは父の影響を色濃く受け継いだ、ランバルディア王族らしい性格の持ち主。
激情家な気質を持ち、喧嘩早く。戦に関することが好き。現在軍事に関わる政務を指揮しているのもアルステッドだ。
それに比べギネスは非常に穏健な性格の持ち主として育った王子である。
花や詩を愛し、芸術に感心を持つ。どちらかといえば今は亡き女王シェーラの影響を受けた気質といわれている。
アルステッドが第一継承者として認められている今、ギネスは国の文化や芸術に関わる内政に積極的に関わっているようである。
本人としても王の器としてふさわしくないと認めており、王もそれを受け入れている。
アルステッドは父とよく似た鎧を身に着けて堂々と座り、ギネスは膝の上で手を組んで縮こまるように座っている。対照的な図柄だ。
そしてギネスの左側にこの場で唯一の王女、セリアが楚々と、不安げな様子で座っている。
セリアの背後には侍女ウルスラが影のように付き従い、主人の様子を心配げに伺っている。
そしてその王族たちと対面に、もしくは対峙するように円形議会の席全てに貴族諸侯の面々がひそやかに囁きあいながら座っている。
「それではイスラよ、ドンテカで目にしたことを話してみよ」
先程と同じ声――アヴェルが広い議会内に響き渡る声でイスラに命じる。
それに対しイスラは再度頭を垂れ、事細かにドンテカの出来事を報告した。
報告の内容は軍の調査と部下たち――ルビィとフリード、そして“詩の蜜酒”に属するスコルピオの証言を元にしたものだ。
8月23日の深夜、寝静まったドンテカに魔族の軍勢が出現――村は大きな騒乱の痕跡なく、何らかの計画によって村の機能が麻痺させた状態で襲撃が行われた。犠牲者は村の人間と観光者、冒険者を含めた数百人――ここで貴族から大きなどよめきが起こった。
ひそひそとなにやら囁きあう貴族を尻目にイスラは報告を続ける。
ほぼ同時刻に村の離れに暮らす勇者ユノの邸宅を魔族が襲撃――村内と邸宅周辺の魔族の死骸の数から比較するに、勇者ユノを殺害することが今回の魔族側の主目的と見られる。
そしてその数刻後、村内において魔族の集団と交戦中のルビィ一行はユノ邸から「巨大な火柱と閃光」があがるのを目撃する。
そこまで聞き、アルステッドが凛とした口調でイスラに問う。
「襲撃した魔族の詳細については?」
「はッ、残留物から察するに大戦中期より現れた特殊軽歩兵の一団であると見られます」
「……あの連中か、ウルタールでは煮え湯を飲まされたわ」
アルステッドが吐き捨てるように言う。
ウルタールとはアリストピアの東側に広がる大きな湿原の事だ。都市奪還のため東側から湿地を渡ろうとした兵団が次々と泥中に潜んだ魔族軍兵によって引き摺りこまれ、あえなく潰走した作戦だ。
東側に展開した軍を指揮していたアルステッドにとって苦い過去の思い出だ。
その一件から騎士学校の『対魔族戦訓』に「魔族と対峙するときは常識と楽観を捨てよ、でなければ己の命を投げ捨てることになる」という一説が付け加えられたのも記憶に新しい出来事だ。
「続けよ」
アヴェルに命令され、イスラは報告を続ける。
魔族の一団をかわしたルビィたちは勇者ユノと合流するため邸宅に移動し、そこで「巨大な火柱と閃光」が邸宅一帯を粉砕する目的で使用された魔法的攻撃であると認識――しかし包囲網を形成していたスラッド兵の一団を巻き込む形で炸裂したその呪法には不可解な点も 多く、魔術師団の調査が現在進行している。
また、邸宅周辺を包んだ炎は魔術で生み出されたものと解析され、魔族以外の勢力が介入した可能性も否定出来ないと見ている。
イスラはそこで一度言葉を切り、現在は正規軍とドンテカに近い辺境領軍が防衛基地を作り、周辺調査と警戒活動を行っていると報告を締め括った。
「質問があります。よろしいでしょうか?」
貴族側の席から声があがった。イスラの背後の席だ。
聞き覚えのあるその声に来たか、と声に出さず吐き捨て王に伺いを立てる。
アヴェルは無言で、ただ手を振って促す。
背後でどよめく声。衣擦れ、誰かが席から立ち上がったようだった。
「感謝いたします王陛下――お聞きしたいことはあの勇者、ユノ・ユビキタスの今後についてです」
「今後、とは?」
それまで沈黙していたセリアが顔を上げ、震える鈴のような声で意味を問いかける。
凛とした声だが表情には不安が募っているにが見てとれた。
貴族席からの質問者――テレンス・ナルヴィ・エランシア公爵夫人が王に負けずとも劣らない声量で発言する。
「そのままの意味ですわ、これまでは……まぁ、何度か不幸な出来事が重なったとはいえあの勇者は“契約”の奉仕のためにわが国の領土内に留まる形となっておりました。数多くの諸侯の反対を押し通す形で……」
(不幸な出来事?どの面が言うんだか)
イスラは顔には出さず心の中で吐き捨てる。
エランシア公爵夫人はアライサム・ナルヴィ・エランシア――2年前の惨劇でユノに命を奪われた騎士の母親だ。
ユノが拘束され、王都へと戻ってきたときに半狂乱でその護送馬車に近づこうとした、被害者のひとりとして印象深い貴族の1人。
息子を永遠に奪われた哀れな母。そのときまでは彼女はそういった人物として受け止められていた。
その後、この元老院で開かれた懲罰法廷に召使に抱えられて現れた夫人は、まるで命を奪われた20人の騎士たちの怨念が憑いたかのようにユノの処刑を求めた。同じように自分の騎士や親族を喪った貴族をまとめあげ今では「排斥派」と呼ばれる派閥のリーダーとして国会でユノの厳然な処罰を望み続けている。
それについてはイスラは侮蔑を抱かない。奪われた者が奪った者を攻撃するのは当然のことだ。
しかし、この女はこれまでの2年、明らかにやりすぎた。
擁護者の王都郊外への隔離、邸宅の3度に渡る「不審火」、国中の商店間でいつの間にか決められていたユノ・ユビキタスへの売買禁止令、高額で出され続ける「白髪の女の首」を求めるギルド依頼の数々。
数えるのも馬鹿馬鹿しいユノとその身辺の人物を狙った襲撃者の数々。
その全てがこの女の采配によるものだ――巧みに痕跡を消しながら。
(復讐する時、人はその人間と同列である。誰の言葉だったか。)
彼女の「復讐」のために何人の人間が不毛な争いに巻き込まれ、地位や名誉を失ったか。
しかし罰することは出来ない。彼女の賛同者の支持と、その役職の重要性を考えれば。
エランシア公爵夫人は声高に続ける。
「ですが今回の出来事でまたあの勇者は定住の地を失ってしまいました。それも、わが国を含めた多くの国に愛されてきたドンテカを犠牲にして……死んでしまった民のことを思えば哀れでなりませんわ」
そういって夫人はレースのハンカチで目元を拭う。しかしその瞳から涙が流れていないのは誰にもわかることだった。
「そうだ!」
彼女の座る席の近くから賛同の声があがる。
夫人を中心とした「排斥派」が陣取る席だ。
「あの者がいるだけで民が危険に晒される!」
「そもそもあの者が魔族を手引きしたのではないか!?」
「ご友人だからといって今回の出来事は看過出来ませぬぞ!姫!」
ざわざわと議会の貴族たちが騒ぎ出す。
と、その「排斥派」の主張に対して反論する声がイスラの左側の席から巻き起こる。
「その議論は今回の問題に関係ない!今はこれからのことについて話し合うべきではないか!」
「そうだ!場を弁えよ!この世の一大事かもしれぬのだぞ!」
「姫を侮辱する発言を取り下げよ!今すぐだ!」
一見まともな意見をあげる彼らにもイスラは不快げに頬を歪める。
(いいカッコしいが。手前らが欲しいのはセリアの寵愛と発言力だろうが)
「排斥派」と真っ向から対立する派閥――「擁護派」と名付けられるのが彼らだ。
基本的には戦場で配下や親族、自らの命を助けられた貴族や軍人を中心として構成されているものの、本当に純粋に恩義を感じてユノを擁護しているのはごく一部だ。おおよそはユノ・ユビキタスのきっての友人であり聖女であるセリア姫のお膝元に近づくためだろう。
もっとも「排斥派」と違い何らかの不都合なアクションを起こさないだけまだ信頼がおける派閥といえる。
「姫!ご返答を!」
「姫っ、王陛下、お答え下さい!」
「姫、気にすることはありませぬ」
「姫ッ!」
議会は完全に泥沼と化している。大勢の貴族が好き勝手に対立派閥を罵り、口々に困惑するセリア姫へと滂沱に言葉を投げ掛ける。
その不毛な流れを止めようとどの派閥にも属していない貴族が宥めようと立ち上がり、混迷の様相をさらに悪化させていく。
まるで子供の喧嘩。だが情けないことにこれがランバルディアの実情だった。
――かんっ!
突然轟いた雷鳴のような音に、アルヴィース元老院の全ての時間が止まる。
その音を響かせたのはイスラの目の前の高見席、その中央。今まで沈黙を保ち貴族たちを睥睨していたアヴェル自身だ。
太く、傷跡が無数に残る腕がグレートソードの柄を握っている。杖のように持った剣の鞘先で地面を打ち鳴らしたのだ。
静まりかえった議会内にぱらぱら……と砕けた床の破片が落ち、イスラの足元に転がる。
鞘の一打ちで議会内の動きを止めたアヴェルは傲然と、静かな声音で囁くように言葉を発する。
「鎮まれ」
「…………」
沈黙ののち議会の全てが動き出す。言葉を発するものは誰もいない。
わずかな衣擦れがあちこちで響き、そのうち全ての貴族が行儀よく着席する。
イスラは拍手喝采でもしたい気分だった。
アヴェルは沈黙を取り戻した議会の中を見回すと満足そうに頷き、横に座るアルステッドに何か耳打ちした。
鞘打ちにも眉1つ動かさなかった豪胆な王子は力強く頷き、椅子から勢いをつけて立ち上がった。
そして朗々たるバリトンで円形の議会全てに演説をはじめる。
「話はわかった。その方たちの抱えた心配も確かにわかる。重要で、些末なことではない。」
その言葉に排斥派の貴族たちが頷く。
「だが、よいか!今回の出来事は奴らの復活の狼煙だ……既に耳に入れている者も多かろう。ドンテカでの出来事を皮切りにランバルディアの中で数多くの魔族とその信奉者が発見された!永きに渡る人魔戦争が終わり、我々が最も気を緩めている時を狙ってだ!」
ざわ、と貴族の内でまた動揺の波が広がる。知らないものは怯え、既に耳に入れているものは顔を強張らせた。
「奴らは小賢しくも敗走を演出した!偽の魔王を立て、我々人間の油断を誘いもっとも柔らかい時期を食い破ろうと算段したのだ!まるで肉が腐るのを待つハゲワシだ……だが一部の慌て者が抜け駆けをした、それがドンテカだ」
おおお、と軍人を中心とした貴族から怒号が上がる。魔族に対しての怒りの声だ。
アルステッドは高見席を舞台として、右から左へと全ての聴衆に投げ掛けるように声を響かせた。
「これが平原の、人対人の戦ならば致命的な誤りだろう。伏せた兵とその剣先は“その時”まで完全に、何の痕跡も違和もなく隠しておかねばならない。でなければ騎兵の蹄か、歩兵の銃列に塵芥のように食い破られるだろうからな。もはや勝利の笛は永遠に鳴らぬ。だが相手は魔族。忌々しく、おぞましい――そして決して油断してはならぬ我らの仇敵だ!!!」
真紅の外套を手で打ちはらい、アルステッドは拳を握った。
「諸君!戦の準備を!もはや杞憂の余地は欠片もないことは明白。諸侯はすぐさま領地を防衛体制に移行し、兵力を再結集せよ!王軍ならびに首都の防衛体制も第二種警戒域(王都およびその周辺市村の要塞化および軍隊の無期限駐留)に移行!取れうる手段を尽くして魔族の襲撃に備えよ!」
再び大きな歓声があがる。アルステッドの軍からの支持は絶大だ。
イスラは黙して、冷静に周囲の観衆を見つめる。この中央の広場はそういった観察に適していた。
昂ぶり、轟々と高鳴る貴族の中で明らかにその決定を、いや己の主張をふいにされて悪感を持っている者達がいた。
それは「排斥派」のメンバーだ。
特に王の高見席の正面に陣取るように座ったエランシア夫人は悔しさと苛立ちを隠しもせず憎憎しげに王族を、とりわけセリア姫を睨みつけている。そして隣に控えていた従者らしい男に扇子で口元を隠して何事か囁くと用は済んだとばかりに退席し、元老院を出て行った。
幾人かの「排斥派」のメンバーも後に続くように出て行き、そのうち中央の席には無関係な貴族が残されるばかりになった。
『イスラ様、聞こえますか』
耳元で、正しくは耳に付けた“対話”のピアスから周囲の歓声と怒号を無視して声が届いた。
イスラが高見席の方を見上げるとウルスラが頷いた。
『姫様が密に相談があると……来て下さいますね?』
『アバンチュールのお誘いか?そりゃ嬉しいね』
『ぶん殴りますよ、イスラ様』
イスラの悪意のない軽口にウルスラは冷徹な無表情で答えた。
『月』の暦1065年
天候:晴れ 8月27日
15時45分
ランバルディア国王都・王城リーンベルネ――礼拝堂の一室。
こんこんこん、と控えめなノックが部屋の中に響く。
石造りの壁に天蓋のあるだけの簡素なベッド。その脇に置かれた椅子に座っていたセリアは読んでいた小説から目を離した。
「確認を」
ウルスラが一礼し、1歩前へ出る。
壁際に控えていたウルスラともう1人、カタリナは視線を合わせて扉の向こう側にいる人物に声をかけた。
ウルスラが扉の左側にたち呼びかけ、右側にはカタリナが鋭く磨かれたレイピアを持ち、いつでも不埒な侵入者に対して攻撃を行えるよう控えている。王族の女性を警護する侍女は武術と魔術に秀でた魔法戦士であるのが常だ。
特にカタリナは王陛下の近衛兵と対等に渡り合う実力の持ち主であり、信頼のおける防衛者としてセリアの側に仕えている。
「どなた様であせられますか?」
ウルスラの問いかけに男の声が答える。
「守護騎士団団長イスラだ。花束も首飾りもないが姫様にお取次ぎ願おう」
「姫」
短い言葉で指示を仰ぐのはカタリナだ。
女性にしては低く、重圧を与える声をしている。天使のような外見からは想像できないその低くどすの効いた声が彼女の特徴だ。
セリアは椅子から立ちあがると本をテーブルに置き、立ち上がった。
「通しなさい……お待ちしておりました騎士イスラ」
セリアがイスラと繋がりを持つようになったのは幼少の頃――まだイスラが貴族ではなく自由騎士として戦場にいた頃の話だ。
その時には既に魔族が地上へと這い上がり、アリストピアを闇と禍々しい妖気が覆う暗黒の大地へ変貌させてしまっていた。7年にわたる人魔戦争の最初期、各国の旗を掲げた全国連合軍とミドガルズオルムの金の旗を掲げた異形の魔族軍がメルカトル大砂海を挟んで対峙し、激突の時を今や遅しと睨みあっていた頃だ。
まだ巫女として見習いだったセリアはアヴェルと亡き母シェーラに連れられて前線の陣中見舞いに訪れた。
王の訪問に沸きかえる兵士と騎士たちがセリアは嫌いだった。
その頃のセリアはまだ精神的に幼い――絵本や伝記絵巻を好んで読み、それに感化される子供だったからだ。
死を恐れずに悪いドラゴンに立ち向かう騎士なんていなかった。みんな強がっているだけで眼の奥で死に怯えていた。
病気で元気がない子供のために仲間と一緒にラッパを吹き、沈んだ町を明るくする兵士たちなんていなかった。いつとも知れぬ激突の時のため、みんな必死で槍や銃の手入れをしたり、家族に手紙を書いていた。
平和を愛する優しい王様なんて居なかった。血のような夕焼けの下、長い髪を振り乱して人と国のために、恋人と王のために死ね、勇敢な戦いの果てに死ねばドンナーはその御許を開いてくれると叫び続けていた。篝火の炎が空に立ち昇り、兵士たちの殺気にも似た熱意を一緒に空へと持ち上げていた。
幼いセリアにはそれがたまらなく怖く、そして裏切られたように感じたのだ。
でもそれを表にだすことはしなかった。小さな頃から「巫女」や「聖女」と言われ、その型にはまるように育てられてきたのだから。巫
女はただただ粛々とドンナーとその神々に祈りを捧げ、聖女は常にたおやかに微笑まなければいけないのだから。
だがそんなセリアの悲しみに気づいた男がひとり、そこにいた。
――ほぉ、この国の姫様はじつに器用であらせられる。アリストピアの大劇場でも見られない名演ですな
――何を言っているのですか?わたしはどこの舞台にも立ったことなどありませんよ。
――嘘笑いは、嘘泣きよりばれるのが容易いのですよ、小さな聖女さま。
イスラは当時とほとんど変わらない軽い笑いを浮かべてセリアの対面に座る。
「それで姫様。この俺に今度はどんな用件を申し付けるつもりで?」
「騎士イスラ、姫様に失礼だろう」
表情の少ない顔に眉間を寄せてカタリナが言う。
「いいのですよカタリナ、確かにイスラにはいつも様々なことをお願いしているのですから」
「……御意に」
ぶすっ、とした顔でカタリナが壁際まで下がる。基本的に表情が少なく人形を思わせるカタリナだが、その特徴に反して何を考えている
がとても顔に出やすい。
普段から権力や美辞麗句で塗り固めた貴族たちに囲まれたセリアにとってそれはひそかに癒されるポイントだった。
ウルスラはすでに壁際まで下がり控えている。
「――まずは、ルビィとフリードの様子は如何でしたか?」
ルビィ・ギムレット・アンテローズとフリードリヒ・ヴァイセン。
その2人をユノと共に向かわせたのはセリアの采配によるものだ。「戦いの家」と呼ばれるアンテローズ家の申し子のようなルビィとその脇を長年固めてきた優秀な自由騎士。そういった実績で選んだ面もあるが、セリアにとってルビィとフリードは騎士の中でももっとも信頼のおける人間だった。
まずはルビィ。彼女はとても純粋で、常に真っ直ぐを生きている少女だ。
セリアに近づいてきたときでさえ彼女は自分の目的をセリアに隠さなかった。ユノへの復讐のため。そのためにユノを知りたい。その真っ直ぐな瞳にはゆらぎも卑しさも悪意もなく、ただただ純粋で強烈な「怒り」だけが存在していた。
それはを非常識と思う反面、とても希有なことなのだとセリアは思う。
人はどうあっても憎み、欲望を募らせ心を凝らせる。どれだけはじめに崇高な目的を得ようと少しづつ──木組みの家具が湿気で腐っていくように人は自分の意志を歪めていく。環境に流されるままに。
そうなってしまった人間をセリアは何人も知っている。
(けれど、彼女はそうならない。そう、信じられる)
ルビィの心は鋼鉄だ。腐らず、容易くは折り曲がらず、全てのものに平等にその硬さを見せつける。
それはある意味、神の意識に近い。
神に仕える巫女だからこそ至ったその着想がセリアのルビィに対する信頼と敬意を深めている。
と同時に懸念することもある。
(いつかその強さが人や己を傷つけなければいいのですが……)
対して、フリードは常に変わり続ける人間だ。
柔軟といってもいい。あらゆる状況に適切に対応し、その場において好適な結果をもたらす。副官としてはこれ以上ない人物だろう。ルビィが鋼鉄のままいられるのも彼が緩衝材として周囲と彼女を調整していてくれるからだ。
……言ってしまえばルビィを周囲に溶け込ませるにはフリードが必要だということになるが、それ以外の点に関しても彼は信頼が出来る。
人魔戦争下において最前線で生き残り、自由騎士として任命されるその実績。その称号を裏打ちする能力と知恵の周りの良さ。
とても平民とは思えない、平民にしておくのがもったいないというのが悪気はないが口さがない軍人たちの評価だ。
(しかし)
セリアは彼に対しても懸念する。
フリードは何かを隠している節がある。ルビィとは違う、人間らしい、そしてどこか人間らしくないような不気味な隠蔽。
それが何を示しているのか、フリードが何を隠しているのかはセリアは分からない。秘密を持った人間を見抜くのは得意だが、セリアにはその箱の中身が何であるかは分からないのだ。
だが、同時にそれがルビィやその周囲の人物にとって脅威ではないということをセリアは感じている。恐らく彼自身の、彼の心の中の何かが問題なのだろうと、何も知らない彼に対してそんな風にセリアは見ている。
(これがいつもの取り越し苦労であればいいのですがね……)
「姫?」
カタリナが心配そうにセリアに声をかける。
どうもぼうっ、としているように見えたらしい。はっ、とあわててセリアは目の前のイスラに意識を戻す。
イスラは「いつもの」事情を知っているのかにやにやと、決していやみにならない口調で軽口を叩く。
「またお得意の心配症かい?心配姫」
「ええ、またですね」セリアは苦笑する。
ウルスラが心配げに眉根を寄せる。カタリナはその横でイスラに対して隠す気もない敵愾心をぶつけていた。
「まぁいいさ、あの2人に関してはそこまで心配いらねぇよ。アンテローズはガキだが一応曲がりなりにもひとつの部隊を率いてるし、フリ
ードのお守りもあるしな。ま、国に帰ってくるころにはアンテローズがガキから女になってるかもしれねぇが……」
セリアはその意味がよくわからず首を傾げる。
その後ろではレイピア片手にイスラに斬りかかろうとするカタリナとそれを必死で止めるウルスラの姿がある。激しい動きだがほとんど音を立てていないのは彼女たちの優秀さ所以だ。
「騎士フリードは隊長権限を受け取ってくれましたか?」
「断りようがねぇだろう。略式だが正当な手続きをふんで執行部と騎士会の諒解を得たんだ。まぁ、それがなくとも姫様のハンコだけで充分な理由になったろうがね」
「……やはり少し強引でしたでしょうか」
「なに、構うことない。権力は必要なときに必要なぶんだけ使えばいい。それに姫様はこの国の姫様なんだ。誰も彼も文句なんか言えるはずがねぇのさ、表向きではな」
「……」
押し黙るセリアにイスラは表情を消して、静かに呟く。
「後悔しているのか?自分がただの聖女じゃあなくなったことが」
「いいえ……そうではありません」
「言いたいことはハッキリと言った方がいいぞ、姫を、セリアを“そう”した原因は俺にもあるんだからな」
イスラは懐かしそうに己の動かなくなった片足を撫でた。
セリアはランバルディア王国の王女であり、神の託宣を聞く巫女だ。それと同時に貧困や疫病に苦しむ人々に手をさしのべる。その救貧
活動の象徴である「聖女」だ。かつての母が同じくそうであったようにランバルディアの王女として決められた道を歩んでいる。
だがセリアにはこれまでの「聖女」とは違う。決定的な違いが、心の奥底にあった。
――この世には、希望なんて存在しない。神の救いも、癒しも、ただ頭を垂れて乞うているだけでは永劫訪れない。
それを学んだのは人魔入り乱れる戦場の中でだ。父の反対を押しきり、勇者たちの供についたセリアは陰惨たる戦場を見た。幼いころに垣間見た幻想の崩壊の、その続き。
人は魔族を殺し、魔族は人を殺す。どこにも慈悲など存在しない。人が人であることを忘れて牙を剥き出し、獣のように吠え立てる。
なんとも“平等”な世界。
目の前で兵士がモンスターの顎に噛み砕かれ、破片を撒き散らす光景を目にしてセリアはそれまでのあらゆる常識を失った。
けれど、それは絶望ではなかった。自分のそばに、ユノやナオキたちがいたからだろうか。
――希望が存在しないのであればどうすればいいか、救いが、癒しが、慈悲が己の矮小な身に降りてこないのであれば、どうすればいいか。
本格的に動きだしたのは戦争後だった。ユノの事件とその騒動が行動を急がせた。
セリアは残留した魔族を倒すために西部に残ったナオキたちに別れを告げ、単身ランバルディアへと舞い戻った。
当事のランバルディアは誰もが疲弊しきり、激しい攻防の爪痕や負傷した国民が溢れかえっていた。
セリアは時同じくして帰還した兄弟たちへの挨拶もそこそこに、生き残ったヒーラーやなんらかの回復術を持つ冒険者や国民をかき集め、救貧活動を組織した。
ここまではこれまでの聖女と同じだ、人を救う。
セリアはその過程で――救済と引き換えに様々な知識と、そして人脈を得た。国民のご意見番。耳の聡い商人頭。裕福ではないが民に慕われた地方領主。独自の交易ルートを持つ武器商人。人と共に生きようとする酔狂なドワーフの鍛冶士。暗殺を生業とするアサッシン。
これまで何の関わりもない。普通に「聖女」として生きていれば決して交わりようのない人々と出会い、契約した。
対価は様々だが契約の内容はただひとつ「セリア姫に尽くせ」
知識。情報。人材。物品。技術。暴力。
王族という地位を介さない。ただ一個人同士の対価ある奉仕契約。
それはセリアの望む「救い」に必要なものだった。
──この世界に希望がないのなら、作ればいい。救いも癒しも慈悲も、あらゆる権力を使って、作ってしまえばいい!
イスラはこのセリアの絵図をこころよく支えた。
他人の秘密を感じとるのは得意だが、悪意には気づけないセリアにかわって付き合う人間を選別した。
後ろ暗い世界の人間たちとの交渉方法を覚えさせた。
説得とは時にはピストルや短剣を突き付けながらやった方がいいと教え示した。
セリアはもはや聖女とは呼べない人間になった。助けを求める人々に差し伸べる手の後ろ手には短剣が握られていた。赤子を優しく抱く
その腕の中には毒薬が隠されていた。それが振るわれるのは民に対してではない。
様々な理由を持った、善悪関係なくセリアの救いを邪魔するものたち。
牙を持った聖女。それが今の自分。
「いえ……自分で決めたことですから」
「──そうか」
イスラは髭の薄い顎をなでて目を細める。
「さて、そろそろ本題といこう。何をしたい?何を望む?」
「ウルスラ」
セリアの呼び掛けにウルスラが動き、祈祷具が収められた棚からひとつの箱を取り出した。
およそ80ラウン四方の小さな箱だ。材質は魔術を通しにくいアダマンタイトを加工したもので、表面に刻まれた盾の紋章が堅牢さ象徴
している。
ウルスラは一礼しイスラとセリアの間のテーブルの上にその箱を置き、魔術を唱える。
「"解錠"」
宙に描いたルーンを指先に纏わせ、ウルスラは箱の表面を複雑な図形を描くようになぞった。すると箱の内側できん、と涼やかな金属音が鳴り、ゆっくりと箱の蓋が開いた。
箱の内側の、赤い布地に乗せられたものを見てイスラはほお、と声をあげた。
「ラタトスクの耳飾りか、しかも見たことのない。新型か?」
「ええ、ニザヴェリルのドワーフたちに拵えてもらいました」
ラタトスクの耳飾り、というのはドワーフの国ニザヴェリルで製作されたマジックアイアムだ。
遠く離れた場所に魔術を介して声音を伝える通信用の品だ。この技術はドワーフの専売特許というわけではなく、イスラがウルスラと話したような"対話"を刻みこんだピアスなり耳当てや帽子は高等階級を中心に普及している。
だがその能力には大きな開きがあり、ラタトスクの耳飾りは極端な高低差がなければ大陸の端まで声を届けることが出来る代物だ。
セリアが新たに制作新型はその能力にくわえ、使用者同士の視界を共有──音だけでなく映像を伝えることが出来るようになっている。
「これを早急にユノに届けて下さい。手段は問いません」
「ああ……そうか、あいつは受け取らなかったんだっけか」
「ええ…あの子は、ユノは自分に溜め込むひとですから」
ウルスラが箱を開けた時とは逆順になるように図形を描き、箱の仕掛けを"施錠"する。
「すぐに俺の部下に運ばせよう……他には?」
「──スヴァルトアルフヘイムへの扉を、開いて下さい」
「!」
イスラはその発言に軽く眉をあげ、驚きを示した。
ごく短い時間、セリアの背後に控えるウルスラに視線で問う。女神のような侍女はわずかに表情を固くしたが、理解の意を示した。
「それではあいつをフェロー島に?だが時間はあまり執れないぞ。それに、万が一排斥派に露見すれば確実に動乱が起きる」
「いえ、イスラ。思い出して下さい。あの世界の成り立ちを──」
その言葉にイスラはしばし考えを巡らし、はっとする。
「成る程!考えたな……扉はひとつではないということか。」
「ええ、そうです。あの場所であれば、あの"触れてはならない"森であれば誰も怪しむことはないでしょう」
「そうだな──しかし」
セリアが目を伏せる。
「ええ……わたしは、またあの子に」
セリアはその続きを言葉に出すことなく、何かを振り切るように首を降った。
髪の色と同じ、金細工のように繊細な睫毛が悲しみに震えていた。
「……あの子にまた試練を強いてしまいます」
イスラはどのように任務をこなすか、それには何が必要かをセリアに伝えると、幾つか下らない軽口を叩いて部屋を退出していった。
「ウルスラ、今夜は誰も部屋に入れないで頂戴」
「かしこまりました。姫様」
ウルスラは恭しく一礼するとセリアの部屋から退出していく。扉から出る一瞬ウルスラの顔に気遣いの色があったことをセリアは心のうちで感謝しておく。
セリアは扉をそっと指でひと撫ですると、踵をかえして礼拝堂の窓から外を見た。
一面に広がる森に、遠くの街並み。太陽がそろそろ1日の仕事を終えて地平のむこうへと横たわろうとしている。
城と街を隔てる森は黒々とした影にかわり、街のまばらな灯りだけが世界に取り残されている。
綺麗な景色だ。国の1日が穏やかに過ぎ去ろうとしている。平和な夕刻。
少し前まで、この窓からは焼け落ちた家々から立ち昇る煙が見えていた。
二度とこの景色を壊させはしない。セリアは心の内でそう固く誓う。
その為にはどうすればいいか。
──とにかく、今はたくさんの人を集めなければ。
人はひとりでは何も出来ない。たとえいくら巨万の富や財宝に囲まれていても周りに人がいなければ何も出来ない。
人が必要なのだ。
人と人のつながりが。一本の糸は脆弱だがそれが集まり繋がれば剣の刃でも断ち斬れない強い布になる。
「だから、お願い。無事で帰ってきて……」
ケンヤ、ナオキ、ハイネ、アライス、エレノア。
そして、ユノ。
ただ流されるように己の運命を受け入れるだけだった自分に、最後まで寄り添ってくれた勇者たち。
その「みんな」が今や危機の中にいる。
それを助けるために、最後に残った友人もセリアは死地に追いやってしまった。
(でも、待っていて──私は助けて見せる)
セリアは窓に背を向ける。
(私がみんなを守ってみせる。私の、私なりの方法で!)
──こん、こん。
と、なんの前触れもなく部屋の中に何かを叩く音が響く。
決して大きい音ではない。木材の強度を確かめるかのような、控えめなノックだ。
セリアは息を飲み礼拝堂の扉へ視線を向ける。
そちらにはウルスラとカタリナのふたりが扉番をしている筈だ。
何か緊急の用事かしら、と思うがすぐにその音が扉のノックではないことに気づく。
「窓から失礼……」
セリアがそれに気づくタイミングを図ったようにその声はかけられた。
すぐにその場を離れると、窓と挟むようにテーブルを動かしセリアは振り向く。
「女史からの手紙を預かっておりますゆえ……」
そう言って頭を垂れる人物は窓の外──6階建ての礼拝堂の宙に浮いている。
その人物の、男の姿は一種の警戒を招くものだった。
フェルトのような黒い外套を身体に巻きつけるように羽織り、頭と口元を布で隠している。
外套から覗く被服は飾り気のないブラウスに細いパンツ。裾と靴の間からみえるくるぶしは血の気のない白だ。
セリアはテーブルに置かれた短剣を鞘から抜くと、男に言う。
「入りなさい──伯爵」
「お招き頂き感謝の極みに御座います」
男が長い手を翳すとひとりでに窓が開いていく。
内側から掛けられた錠前もかちん、と音を立てて外れていく。
「それで、手紙はどちらに?」
「ここに」
男は黒猫のようにしなやかに窓から滑りこみ、セリアの足元にかしずく。
花の一輪でも差し上げるような手元にはいつの間にか手紙が挟み込まれている。
特に特別な印章があるわけでもない──数枚の便箋が収められた封筒。紙の質感は上等なもので一般の平民同士がやりとりをかわすものではなかった。
差出人の名前はマリエラ・クロフォード──セリアと契約をかわした内の一人だ。
「……確かに」
セリアはしばし指先で手紙を確かめてから男に受領の意を示す。
「フロイラン。対価を頂けますかな」
「はい」
一瞬の躊躇ののちセリアは右手に持った短剣を左の指先にあてがう。
それを見た男は眼を輝かせ、口元を隠した布を首に引き下げる。嬉しそうに開いた口から覗くのは、針のように尖った牙だ。
ヴァンパイア──男はそう呼ばれる種族のひとりだ。
「────っ!」
セリアは勢い良く右手の短剣を滑らせる。
鋭く研かれた刃は肉を切り裂き血管を傷つける。
赤い血が床の上に滴り落ちる。
男はそれを一滴も逃すまいと床に這いつくばりそれを啜った。
とても美味な何かを味わうように、長い舌で滴り落ち血を舐めとる。セリアはそれを眉根を寄せて、何かに耐えるように見守り続ける。
血を舐める男と血を与える女。
それは倒錯的な光景だった。
「美味にございました――では、善い夜を」
「……ええ」
血に充分に舌鼓を打った男は満足そうに夜の帳の中に消えていく。セリアは窓からその姿を追ったが、その時にはもう数匹のコウモリが月夜に飛んでいるだけだった。
ヴァンパイア、夜の貴族。彼もまた対価をもって契約した者のひとりだった。
セリアは何も喋ることもなく男から渡された封書を短剣で開く。指先の傷は魔術で癒した。
その中に入っているのは数枚の書類だ。白い紙に青いインクを使って描かれたランバルディア語の文章の羅列。
瞼を薄く開け、何度か躊躇したあとセリアはその文面を読み始める。
「……ああ!」
しばらく記録書を読み進め、次第にセリアは震えていく。手紙を読む手はこわばり、それでも読むをやめなかった。
文章が恐ろしいわけではない。身の毛もよだつような呪術の類が描かれているわけでもない。
それはあることに関する、確かな根拠を持った――レポートなのだ。
頭では理解していた。薄々目星をつけていて、それを確認するために“こう”した。
セリアは頭を抱えて天蓋のついたベッドの上に崩れ落ちる。
押し殺した聖女の叫びだけが微かに、冷たい石造りの壁の外に漏れることなく部屋のなかに満ちていた。
セリアの手から手紙がばらばらと落ちていく。
その文章の1ページめ。
――――そこには『解剖記録』と印字されている。