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ブイ・フォー・ヴェンデッタ Ⅲ



『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月24日

12時40分

ドンテカ村内



 魔族の襲撃に晒される砂漠の村の中を、ルビィたち3人は駆けていく。

 劣勢の者達が執る一般的な手段として――静かに、音を立てないように、発見されないように、しかし決して緩慢にならず駆けていく。大きな通りは避け、建物の外壁に貼りつきながら村の中心を目指す。騎士と密偵の3人のコンビはさながら熟練したアサッシンようだ。

 小柄で足音を消す術に長けたルビィが先行し、危険か安全かの判断を行う。その次に気配を消すことに長け、いつでも魔法を行使できるようにしたスコルピオがカバーする。最後尾は重層鎧に身を固め、中距離に強力な攻撃手段を持つフリード。役割は万が一のときの退路の確保だ。

 宿と酒場の僅かな隙間に身を潜めたルビィは慎重に姿勢を低く、大通りの様子を伺う。


 村の入り口から続く大通りは凄惨な様相を極めていた。夕刻ごろにユノと共に通った通りだ。

 一見して静かに寝静まっているようにみえるが、ばらばらに壊れた木組みの屋台や横倒しになった馬車。首輪と紐だけが残された犬小屋。扉が開いたままになっている酒場や、宿の窓から何かを引きずったとおぼしき黒い痕――血痕が夥しく残っている。

 そのくせ目立つ場所に人間の亡骸が一切転がっていないのがひどく不気味だ。


(死体を処分しているのか?騒がれないように?)


 少数が大勢警備のいる敵地に潜入し、邪魔な敵を殺したあとに発覚させない為に死体を処分することはある。しかし、襲撃した魔族たちは大通りの様子からみても大きな、統率のとれた集団だ。チームワークのある集団が、夜陰に乗じてたいして兵士も駐留してないような村を制圧するのに死体を処分する必要性は薄いはずだ。

 そもそもこのドンテカは主要国から離れた中立村。もしも運のいい誰かがケイブリスに逃げ込み事態を知らせたとしてもまとまった数――まともに魔族を滅ぼせるだけの集団が救援に来るのは早くて明朝だろう。

つまり、村を襲撃している魔族にとってここは「狩場」であるはずだ。どれだけ騒がれようが抵抗されようが全て滅ぼしてしまえば気づかれる要素さえない。


(ただ単に几帳面なだけか――それとも別の意図があるか)


 敵に几帳面もおかしいなと、苦笑しながら後衛のスコルピオとフリードと呼ぼうとしたその時、ルビィのから見て正面の大通りを挟んだ建物、ロードスギルドの支部から黒い人影が出てくる。

 人より一回り大きい、ルビィは慌てて背後の2人に静止、警戒の合図を送る。


 3人はそのときようやく――襲撃してきた魔族の姿をはっきりと見た。


 ルビィの印象として、それは“兵士”だと思った。人より一回り大きい体躯に猿のように長い腕。大きく膨らんだ太股にはひとめで筋肉が詰まっているとわかる。対照的に足は鳥のように細かった。

 装備は「魔族学」の教本の挿絵でみた“隊伍を組む魔族軍兵士”よりかなり軽装だ。魚燐のような板金の胸甲鎧に、穂先が螺旋状になった奇妙な黒槍。もっとも奇妙に映ったのが二枚の内側に反り返った板を組み合わせたような兜だ。バシネットに似ているが、頭の天辺にあたる部分は保護されておらず、先程窓の外を這いずっていたのと同じ光沢と透明感をもつ黒い塊が覗いている。目にあたる部分の覗き穴は6つ。

 その奥から人間ではありえない大きさの、黄色く発光する瞳が覗いている。

 その瞳を視たとき、やはり恐怖が心の底から湧きあがってくるのを感じた。

 説明不可能の原始的な恐怖。

 チェスならばポーンに値する“兵士”でさえ足が竦むような重圧を感じる。

 人間の脅威――魔族。


(姉さまは、勇者は、こんなモノと闘っていたのか……!)


 “兵士”は周囲を警戒するように見回したあと、穴ぼこだらけになった人間の亡骸を引きずって出てくる。ギルドの制服姿、女性だ。

 顔は絶叫の形でゆがみ、光のない目がルビィをじっと視ているように思えた。

 魔族への怒りと手のだしようがないことに憤りを感じながらも、ルビィは「兵士」の観察を続ける。

 “兵士”は単独のようだった。

 ギルドの女性職員の亡骸を引きずりながら、大通りを奥に村の中心に向かって歩いていく。血が砂まじりの土と混じっていいようのない不快さを放つ黒い筋として残る。よくよく見れば宿の窓や酒場の扉から続く血の線も村の中心へと続いているようだった。

 

「死体を集めて、何をしているんでしょうアレは」

 スコルピオがルビィの横に並びながら疑問に首を傾げる。最後尾を固めるフリードが腰の剣とピストルを保持しながら声を低く呟く。

「村の中心にあるのは……役場だね、この村で一番大きい建物のはずだよ」

「そこを死体置き場のかわりにでもしてるのか?クソ、救援を呼ぶのが難しくなるな」

 スコルピオの提案したライトボールでの連絡には高い建物が必要だった。屋上のある4階以上の建物。平屋の多いドンテカでは該当する建物は尖塔のある役場か、監視塔のある衛兵詰め所のみだ。

 しかしこの魔族が軍団で、知能の高く統率のとれた精鋭兵となると――既に衛兵詰め所は制圧されている可能性が高い。よって少しでも遭遇する危険性が低い役場を目指していた。

 吐き気やら怒りやらを意図的に無視してルビィは冷静を保つ。意識してそうしていないと、胃の中身をぶち撒けそうな気分の悪さだった。

 死者は、たとえ生前がどんな悪人であっても安らかに葬られるべきだ。生前と変わらぬ姿に整え、ドンナーの元へ上がる際にも恥ずかしくないように正装し棺桶に入れられるべきだ。死者を辱めるような行いをルビィの感情は許すことが出来ない。


 一矢を――報いるべきだ。


 どこか気だるげに女の亡骸を引きずる「兵士」の背中を見つめ“アンテローズの赤薔薇”は口を歪めるように嗤う。

 ルビィの「冷静」はそう長く続いたためしがない。


「密偵、何か魔法による加護を、フリードは発砲を控えて私についてこい」

「加護といっても色々とありますが……何をするつもりで?」

 明らかにわかっている口調で怪しげな笑みを浮べてスコルピオが尋ねる。

「決まっている、アイツを殺る」

「馬鹿な!ルビィ、考え直してくれ……魔族は人間より遥かに強大だ!ボクたち3人程度じゃかないっこない。戦闘は避けるべきだ!」

 かっ!と音を立てて石造りの壁が粉塵を上げる。フリードの一言にルビィが拳を叩きつけたのだ。



「臆病者!」



 ルビィは静かに、しかし確かな怒りを篭めてフリードを叱咤する。突然の剣幕に黙ったフリードにルビィは赫怒を滾らせる。



「いいかフリード、わたしたちは騎士だ。主君に忠誠を誓い、弱きを助け悪しきを罰する。その勤めは神聖で、どれだけ国が腐敗しよーが大貴族どもが肥太ったブタだろーが関係ない。“それだけ”はなにものにも犯されず、そして“それだけ”しか私たちに意義はない!」



 齢15の少女騎士は朗々と語る。静かに、鋭い刃のような静謐さを篭めて。

 それは前時代的で、暴論で、理想論だった。

 騎士はたしかに誇り高いものだ。王に、領主に仕え忠誠を誓い、弱くあわれな民の為に命を懸けて剣を振るう。

 しかし全ての騎士がそんな崇高な使命を守ってるわけもない。

 身持ちを崩し盗賊行為に走るものもいる。商人や大貴族に飼われ、領民を脅すものもいる。民がモンスターや賊に脅かされているというのに自分の城に籠って遊興にふけるものもいる。権力と富は人を容易に変える。

 彼らが“意義”を放棄したのは、地位と金を得て守るべきものが増えてしまったからだ。

 自分の領主。自分の領地。自分の家族。自分の領民。自分の命。

 得たものがあり過ぎて、結果として弱くなり、傷つくことを恐がるようになったのだ。

 しかし騎士としての誇りがあるから――それを満たすために権威は振るう。

 それがランバルディアの騎士の実情。

 しかしそんな現実やしがらみをばっさりと切り捨てて――ルビィは理想を語った。

 理想的な、古臭い騎士の姿を、ここにいるべき騎士の姿を。

 弱きものを助け、悪しきものを挫く。それだけの存在。

 姫を助けるために、たった一人で悪いドラゴンをやっつける童話の中の勇者。



「民を守る。それだけしか意義のない私たちがこの場にいて、なんでビクビクしている必要がある?遥かに強大?敵わない?関係あるものか!」



 ルビィは2人に背を向けたまま、腰に交差するように差したショーテルを引き抜く。

 薔薇の紋様が刻まれた刀身が月明かりにわずかに煌く。

「それにっ」

 その小さな背中は異様なまでサマになっていた。

「敵う、敵わないなんて、結果が決めるものだ」



「本気、なのか」



 フリードがひどく眩しいものでも視たように目を細め、問いかける。

 それにルビィはにやりと、素敵な笑顔で答えた。

「もう分かっているだろう?私はいつだって本気だ」

右手のショーテルを逆手に持ち替え、静かに、砂を踏みしめる音すらさせず大通りへと出る。



(貴様らが勇者へ復讐するというのなら――私は殺された民の想いを代弁してやる)





 (いいね、イカレてる、僕好みだね)

 紅顔の美少年――そう形容されてもおかしくない相貌に、どうしようもなく胡散臭げな笑みをスコルピオは浮べた。

 アンテローズ家の少女騎士。ルビィの主張はやはりどれだけサマになっていようと感情的な暴論だ。稚拙と言ってもいい。なんの論拠も持たない主張は、子供が駄々をこねているのと変わらない。

 しかし生まれてからこのかた享楽的に生きてきたスコルピオにとって、そっちの方が好みだ。自分にない「もの」は好ましい。

 それにエルムトの実践派魔法使いとしては、どれだけ自分の魔法が魔族に対して通用するのか、というのはなかなか得ようのない命題だ。

 故郷を長く離れていようと、なかなか魔法使いの根幹にある「知識の探求」を忘れることはできない。

 そもそも密偵という後ろ暗い職業になったのも外の世界への興味からだ。

 自由は、いや、縛られていないということは素晴らしいことだ。

 音もなく先陣を切るルビィとその横をカバーするフリードの背後につきながら、スコルピオは「魔法」を唱える。要求されたモノとは違うがなかなか役に立つはずだ。



「エクスリブリス・コルタナ五編断章。アイアンヴァイト」



 聴覚が鋭敏なのか――“兵士”がこちらを振り向くのが視えた。肝が冷える。

 汗が噴き出る。しかしもう魔法は唱えられ、2人の騎士は剣が充分に届く距離まで吶喊している。



「○△@<O!!!??」



 異様な魔族語の悲鳴が上がる。それはきっと驚愕と鋭い痛みを感じてだろう。

 アイアンヴァイトは奇書「コルタナシリーズ」の中でも相当エグイ部類に入る魔法だ。本来なら尋問などの目的に使われるそれは――両肩、両腕、両足の位置に鋼鉄のトラバサミが突如として現れ、瞬きを許す暇もなく、容赦なく「顎を閉じる」

 魔法で創られたトラバサミはちょっとやそっとの力ではビクともせず、マナを用いて空間に固定しているので動かすことも出来ない。

 不意打ちという条件下で、反撃も許さないという状況になるとこれ以上なくイイ魔法だ。


「なかなか面白い魔法だ!褒めてやる密偵!」


 猫のように伸びやかに、ルビィが跳躍する。なんの魔法も使っていないというのに助走だけで20ラウン近い“兵士”の頭上を越えた。

 狙うは魚燐の鎧とバシネットに似た兜の隙間――生物ならば急所の集合点である首だ。


(固い!?)


 首を狙った一撃は大成功だ。振り向いた“兵士”の首の中心に寸分たがわずショーテルの刃が突き刺さる。しかし予想外に固い手ごたえがあった。筋肉(あるか知らないが)が人間より遥かに発達しているのかもしれない。

 蒼い血が夥しく溢れる――しかし、死なない。痛みと怒りに身を悶えさせ、今にも拘束を破りそうな勢いだ。

 ルビィはくう、と呻きながらぎりぎりと刃を深く食い込ませる。気を抜けば刃が滑り落ちそうになる。このまま両断すればさすがに即死するだろう。右手のショーテルを“兵士”の肩に突き刺し、振り向きかけの背中にルビィが張り付く形になる。首の半分まで刺さった左のショーテル。肩に刺さった右手のショーテル。足場は“兵士”の背中と固定されたトラバサミの上だ。



「~~~~○×◎□*!!!!!!」



絶叫を“兵士”があげる。四体がトラバサミで拘束されているとはいえ身体を捩ることは出来る。ルビィは振り落とされそうになる。

 そこにフリードがロングソードを振るいながら肉薄する。狙うはこの“兵士”の得物らしい錐状の槍。武器を落とせば反撃されたときのリスクが低くなる。

 と、フリードの一撃が“兵士”の手首に触れるか触れないかしたとき、突如として“兵士”に急激な変化が現れる。

「ヤバイ!2人とも早く離れて!!」

 スコルピオが叫ぶ。「霊感」が危険を告げていた。

 変化は急激だ。



「くっ!?」

「うわぁっ!」



 筋肉隆々の“兵士”がまるで高温で溶ける硝子のように――液体状の塊へと姿を変える。

 拘束されていた四体は、糸を引きながら黒い粘液となってトラバサミから逃れる。スコルピオはチッと舌打ちし、有効な手段を模索する。

 滴る油のように大地に落ちた塊は宿の外壁で視たスライムのようなものと同じだ。

 変形能力を持った魔族。

 唐突に足場を失ったルビィが落下する。しかし頭から落ちる真似はせず、落下しながらも上体を後ろにぐんと逸らせ、空中に固定されたトラバサミを蹴って一回転し、体勢を崩すことなく着地する。

 そして間髪入れず後ろへ跳躍する。そうしてなければ塊から飛び出た黒い触手のようなものに拘束されていた。



 「っ!?フリード!!!」



 重層の鎧を着込み、速さに劣るフリードは捕まった。黒い鎧に包まれた腕と腰に触手が絡みつく。鎧がぎしぎしとへこんでいくのが判る。ばきん、と装甲のどこかが音を立てて割れた。

姿勢を低くし歯を食いしばってなんとか引き摺られるまいとフリードは耐える。

 そうしているうちに嘲るような魔族語の声と共に塊から新たに数本の触手が生える。嘲笑うように、フリードの顔のすぐそばで静止した触手は、みるみるうちにその先端を硬質化させ、あの錐状の槍に似た形をとる。


(武器を狙ったのは――無意味だったか)


 ルビィが叫ぶのが聞こえる。冷静さを失っている。今この瞬間、騒ぎを察知されることはとても致命的なのに。

 フリードは冷静に、きしむ身体と頬に当たる槍の穂先の感触を無視してじっ、と塊を観察する。

 そう、恐怖などしている暇はない。あの地獄のような戦場でもっとも大切なだったことは「恐れない」ことだった。恐れは、判断を鈍らせる。踵をかえして逃げていったものから死の舞踏に加わっていった。

 だから、フリードは「仮面」を被る。

 恐怖など感じない心が欲しい。氷のように揺らぎのない心が欲しい。塊の放つ生臭い腐臭を隔てる仮面が欲しい。頬に当たる針の感触を遠ざける仮面が欲しい。



 欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。

 欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。



 願望は、欲望は、人に「仮面」を造らせる。目的を達成するために。



 痛みと焦燥で凍り付いていた脳が熱を放ちはじめる。

 かつての戦場で過ごした時間が氷解し、思考の海へと流れ出る。



 フラッシュバック。

 不吉なあけの空。

 立ち昇る黒煙――本隊は壊滅した。

 黒い汚泥の混じった大地。

 骨のような怪鳥に啄ばまれる同胞の亡骸――まるでもずのはやにえ。

 湿り腐った匂いのする沼地。

 先発していた騎馬隊が目の前で骨も残さず消滅する。爆音。魔族語の嘲り。パニック。

 暗転。

 包帯にまみれたランバルディア義勇兵が、塹壕の暗がりの中で寝そべるように座っている。多くの兵士も疲れきり、その男と同じように土の壁に身体を預け、眠りこけている。

 魔術の光を封じ込めたランプが、男のぎらぎらとした異様な眼を照らし出している。



 “いいか?気は確かか?しっかりと耳の穴かっぽじってよく聞けよ同志ヴァイセン。俺ぁ今日の夜にはあのクソったれ共と心中にいかなきゃならん。だからこうして貴様のケツを叩けるのもこれが最後だ”



 記憶の中で――同じ義勇兵の制服に身を包んだフリードが頷く。

 目の前の男と同じように栄養失調でやせ衰えているが、眼だけは異様な光を放っている。



“魔族どもは恐ろしいな?俺ら人間様と同じくらいい頭を持っていて、そのくせ肉体は強靱極まりない。そりゃあ普段棲んでる場所が海の底だ。知ってるか?海の底ってぇのはすごく「重い」んだ。人間じゃあ動くことすらままならない。そりゃあ強くなるってもんだ――でもな”



 男が自分の眼の上をとんとんと叩く。

 にやにやと笑うその男の名前を、フリードは思い出せなかった。

 新兵同然で戦場に送られたフリードの世話を焼いてくれた男。



“俺にぁあ小難しい理論はわからんが、奴らにはどうしようもねぇ急所があるんだ。勇者のお1人、ケンヤ様が発見されたらしいが…・・・光だ。ヤツラの身体にある「光る部分」を探して狙え、そこがヤツラの心の臓――潰せば確実に死ぬ。それさえわかってりゃ、ヤツラを殺すか、殺されるかの対等な立場まで引き摺り降ろせる”



 がしゃ、がしゃ、と奇妙な光沢を持つ金属で造られた鎧を鳴らしながら、騎士達が塹壕の入り口から入ってくる。疲弊した雰囲気が漂う塹壕の中でその集団――エインヘリャルたちはひときわ異彩を放っている。そのなかの1人が懐から巻物を取り出し、大声で兵士の名前を読み上げる。彼らと共に“死にゆく”兵士たちの召集だ、拒否権は当然ない。

 名前を呼ばれた兵士が1人また1人と疲労した体を引き摺って戦列に加わっていく。

 しばらくフリードと義勇兵の男はその様子をじっと見ていたが、ある名前が呼ばれたとき、男が諦観の色を滲ませて笑う――呼ばれたのだ。



“じゃあな、同志――今の教え、ゆめゆめ忘れるなよ”



 フリードの意識が4年前の戦場から、現在まで巻き戻る。


 半透明の塊の中に、子供の頭ほどの大きさの眼球がある。

 黄色く発光している。 はっきりとフリードを視ていると認識できる。心臓が凍りつくような禍々しさを「仮面」で無視する。


(眼球――光ってる、な)


 周囲の全てを無視しながら、フリードは腰のホルスターに手を伸ばす。時間がゆっくりになっているのを感じた。1秒が1分に。


(試す価値は、あるな)


 かちり、と撃鉄を親指で降ろし、弾層が回る。

 震える手を気合で抑え、ピストルを塊の眼球に向ける――ぶよぶよとした塊の膜に突き破るような勢いで銃口を押しつける。眼球が虚ろな銃口を凝視し、瞳孔が窄まる。

 


「喰らえ……!」



 どん、どん、どん、と重い銃声がたて続けに鳴った。押しつけて放たれたその音は遠くまでは響かない。

 黒っぽい液体に阻まれて弾道は見えなかったが、眼球が大きく痙攣するのをフリードは視た。

触手の拘束が急に弱まり、フリードは後ろに倒れる。

それと共に身体が後ろに引っ張られるのを感じた。

ずっと背後の誰か――ルビィが触手と引き離そうとしていてくれたらしい。


「っフリード!大丈夫か!?」


 顔を覗き込まれる。息がかかるほどの距離にルビィの顔があった。

 大きな蒼い瞳が不安に揺れている。顔はくしゃくしゃに、なりふり構わない様子だ。

 「仮面」が脱げる――それまで無視していた痛みがまとめてやってきた。

 それでもなんとかいつものように笑みを作る。


「ボクは大丈夫っ、あいつは」

「殺ったみたいですよ、騎士フリード」


 痛みに明滅する視界の中、スコルピオが屈んで塊に触る。

 あぶない、と警告しようと思ったが塊の半透明の液体が青黒く濁っているのをみてフリードは全身を弛緩させた。あれは血だ。魔族の血は蒼い。

 つんつんとスコルピオが指でつつくがもう塊は動かない。


 「……死んでるみたいですね、目を潰せば死ぬ、と」

 「眼、じゃない。ヤツラは光ってる部分が弱点なんだ」

 「フリード!……やるじゃないか!立てるか?」

 嬉しそうなルビィにばしばしと肩を叩かれてフリードは間抜けな悲鳴をあげた。

 狙ってるんじゃないかと思うくらい的確に痛いポイントを突いてきた。

 「痛たたたたた!やめっ、そこが特に痛い!」

 「痛みを感じるなら大丈夫だなっ」

 なんとかルビイに肩を貸されながらフリードは立ち上がる。少しくらくらするが骨も折れてないし、出血もない。

 かなり痛むが致命的なダメージはない。

 フリードが痛みを堪えていることに気づいたのか、ルビィがばつの悪い顔をする。

「……見通しが甘かった、すまない」

 それを聞いてフリードは笑う。ルビィが謝るなんて珍しいことだ。






『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月24日

2時15分

ドンテカ村内



 他の魔族との遭遇を恐れて早々にその場を退避した3人は目標の建物――村役場がすぐ視える距離まで来ていた。

 そこにいくまでにいくつかの“兵士”の集団を遣り過ごした。予想通り統率のとれた集団。リーダー格とそれに従う数匹で構成された軍団だ。

 鍛え抜かれたランバルディアの正規兵たちには劣るだろうが、人の魔族のポテンシャルの違いを考えると明らかな脅威だ。どうやら10単位で固まって動いているらしい――人間の軍隊と同じ単位。分隊だ。

 魔族はルビィたちが仲間を殺したことをなんらかの手段で察知したようだ。かなり危ないところまで追い詰められた。


 しかしなんとかルビィたちは一度も捕捉されることなく、生き延びている。


 ルビィたちはこの1時間で、持てる技術と一生分の運の良さを使っただろう――この魔族、通称“兵士”は知能は高いものの、視力は良くないらしい。

 特に液体状に変化した状態。通称“ブヨブヨ”になると顕著だ。

 頭上のすぐ上を這いずる“ブヨブヨ”にルビィは緊張で吐きそうになった。

 また、スコルピオの魔法と「霊感」にかなり助けられた。先程の「アイアンヴァイト」やユノに用いた「シルバーチェイン」身体の動きを遅くする煙を発生させる「スロースチーム」も有効だった。魔族は強い光に弱い性質を持つため連絡に使う予定だった「ライトボール」も幾度か使った。

 しかし、スコルピオは役場近くに行き着くまでに相当量のマナを消費したようだった。

 3人の存在と隠れてるおおよそ場所が感知されてる「チェックメイト寸前」の状態では他に手段のとりようがなかった。

 途中でスコルピオがマナ切れで立てなくなり、フリードが背中に担いで行動している。

 それまでに追跡の手を撒けたのは幸いだった。

 

 ドンテカの役場は3階建ての屋根に風見鶏をつけた尖塔が立つ建物だ。アーチ状の入り口を通ってすぐに大きなホールがあり、村で集まりがあるときの集会所として使われているらしい。モンスターなどが村を襲撃した際の避難場所も同様だったのだろう。

 

 「村の人間すべて――殺されてしまったかもしれんな」


 ぎりり、と歯噛みしながらルビィが吐き捨てる。

 役場の周辺が殺戮の舞台になったことは明白だった。魔術灯に照らされた地面には欠損した人体の一部や内蔵がごろごろと転がっている。死体を引き摺った血のあとはやはり役場の中に続いていて、夥しい血の道筋が役場周辺の砂を赤黒く染めている。

 鉄が錆びたような独特の臭気が吸う空気の中に染み付いている。

 あと数時間もすればもっとひどい匂いが村中に立ち込めるだろう。

 地獄のような光景だ。

 嘔吐感を無理やり抑え、壁に身体を預けたスコルピオに話しかける。


「密偵、いけそうか?」

「……ええ、まあなんとか――でも戦闘では期待しないでください」

 マナの消耗がかなり身体に響いているようだった。顔はぐっしょりと汗で濡れ、眼の下にはほんの短い時間で大きなクマが出来ている。吐く息は荒く、相当な無理をさせたことにルビィの良心が痛んだ。

 この1時間で3人の間には連帯感が生まれていた。背中を預けた仲。風貌はかなり胡散臭げだが思っていたよりこの密偵の少年は誠実だ。

 少なくとも、王都の3歩歩けば待遇への不満を言い出すような宮廷魔術師よりは ルビィは好きだ。あの連中がこの事態に放り込まれても何も出来まい。


「わかった、少し休め……フリード、引き続き頼むぞ」

「了解ですよ、御大将」

 軽々とフリードがスコルピオを担ぐ。

 偵察を役割とするルビィは身軽なままだ。


(役場の前に2匹。見張り、か?)


 “兵士”は全て同一の形態をしている。屈強な肉体に魚燐の鎧、錐状の黒槍。奇妙な形の兜。どうやら全て自身の身体を変化させて形創っているらしい。

 役場の大きな入り口の前で首を周囲に巡らせながら警戒している。かなり長い間 ルビィは観察し続けていたが動きはない。


「ルビィ、どうする?」

 フリードが指示を仰ぐ。少し考えてからルビィは言葉を返す。

「厳しいが、倒そう。どのみち、あそこを越えねば勇者の家までいけん」

 役場は村の入り口から続く大通りを直進した広場にある。

 宿からここまでは建物が密集していて、隠れる場所が多かったが役場周辺にはなにもない。ランドドラゴンを留めておく竜舎と初代村長の記念石像があるのみだ。

 竜舎は幌つきの簡素な木組みでほとんど隠れる場所がないし、銅像にいたっては騒動のさなかに何かあったのか腰のあたりから折れてむなしい石の断面を晒している。

 “兵士”との距離はおよそ300ラウン。ルビィが全力で疾走して3秒ちょっとで到達できる距離だ。

 魔族にルビィたちが対抗できるか、という疑問は既になかった。弱点があり人、間と同じく死ぬ。倒すことが出来るという事実は確実に恐怖感を薄れさせていた。


「フリード、発砲を許可。右に回ってヤツラを銃声で引きつけろ」ショーテルを抜きながら前を睨みつける「私が横合いから殴りつける」

「了解」

「僕はどうします?」フリードの背からスコルピオが尋ねる「まだ2回ほどは使えますよ、魔法」

「却下だ、狼煙の火種を失いたくない。自分の身が危なくなったときのみ使え」

「わかりました、少し休みます」

 スコルピオが素直に頷く。


 すう、と息を吸い、ルビィは物陰から一気に飛び出す。

 役場の周辺に沈殿するように漂っていた血の匂いが、獲物を追い詰める獣のように疾駆するルビィに掻き乱され霧散する。ルビィはそれを音として聞いていた。聞こえるのは風が耳のすぐ横を通り抜けていく音と、砂を跳ね上げて地を蹴り飛ばす自身の足音のみ。

 2匹の“兵士”はまだ気づかない。

 目指すは下半身だけになった村長像だ。役場とちょうど直線状にある――ちょうどいい「踏み台」だ。

 それと同時にフリードもピストルを両手で保持し、中腰の姿勢を保ちながら移動する。役場の右側側面に回りこむような感じだ。

 そして“兵士”に向かってピストルを発砲する。静まり返った夜に響く轟音が3発。フリードの優れた猟師の眼はその内2発が“兵士”の身体に命中したのを捉えたが、この距離では全く効果はない。


(頼むよ、ルビィ!)


 2匹の“兵士”はフリードに気づいた。魔族語で罵りをあげながらフリードの方へと猛烈な勢いで接近してくる。異様に発達した大腿筋が生み出す脚力は相当早い。残り3発を撃ち切る前に槍が届く距離まで来てしまうだろう。


「……っ!!!!」


 2匹の“兵士”がフリードの方へ向かったのを視て、ルビィは思いっきり像を踏み台にして跳躍する。

 狙うは後方の“兵士”だ。

 

(狙うは光、それが奴らの弱点、フリードはそう言っていたな)


 “兵士”のみてくれで光っている部分は、兜からのぞく眼だけだ。

 激突するような勢いで後方の“兵士”の横面を蹴りつける。ルビィの蹴りは人間なら容易に骨を砕く威力だが“兵士”は大きくよろめくだけだ。

 しかしルビィにはその硬直で充分だった。

 着地すると素早く態勢を低く、大股に開いた足の間をくぐり抜ける。痛烈な一撃に襲撃者の正体を捕捉しようとした“兵士”は小柄なルビィの姿を見つけられない。その様子を視てルビィは形のいい唇を釣り上げる。

 “兵士”の無防備な背中にアンテローズの剣技を叩き込んでやる。

 鎧を着込んだ人間を想定した、急所を突くことに長けた双剣のコンビネーション。

 腰から肩口にかけての斜め上への撫で斬り、刺突、角度を変えてもう一度刺突、大きくよろめいた上体へ全体重をかけてのツインスパイク(二刀での逆手突き立て)

 蒼い血がルビィの半身を染める――だがこれで終わりじゃない。

 倒れた“兵士”に向けて追い討ちをかける。



「死ねえぇっ!!!」



 裂帛の、いや、怨嗟をこめた雄叫びと共に“兵士”の兜に包まれた頭部目掛けてショーテルの剣先を振り下ろす。

 どんな熟練した戦士であれ、眼で「敵」を視なければ戦えない。振り向いた先を狙った一撃。



「@×△$Ⅲ!!!」



 湾曲した鋭い切っ先は“兵士”の大きな眼に突き刺さる。おぞましい叫びが周囲に木霊した。冗談のように血が噴出し、思わずルビィは顔をそむける。眼に入れば間違いなく毒だ。

 しばらく狂ったように槍を振り回し、地面でもがき苦しんでいたが大きな痙攣と共に動かなくなる。


「殺った!」


 ルビィは叫びながら次――ピストルを構えたフリードと自分に挟まれる形になった“兵士”へ意識を向ける。

 恐らくこの“兵士”たちは魔族の基準では高等な部類に入る。仲間が倒されたことに動揺のそぶりも見せず、大きく横とびに跳躍する。挟みうちの形から抜け出すためだろう。

 間髪入れずフリードは残り3発の鉛弾を喰らわす。有効距離で放たれた射撃は“兵士”の五体を揺らしたが、急所へは届かない。こちらの狙いを悟ったらしく、槍を持っていない腕で顔を庇っている。

 そこにルビィが吶喊する。身体をしなやかにひねり、回転を乗せた重みのある縦一文字。

 “兵士”はそれを腕で受け止め、動きの止まったルビィに対し、カウンターの突きを繰り出してくる。長い腕から放たれる一撃は強力だ。頭をわずかに下げて回避したルビィの頭上のすぐ上をぶおっ、と唸るような音が通り抜けていく。髪を後ろで束ねていた紐が風圧でほどけ、ルビィの髪がばさりと下りる。無造作に切ったぼさぼさの赤い髪。頬にあたる髪の感触を煩わしく感じた。

 「槍」の前で「剣」が足を止めることは死だ。

荒々しく振り回される槍の穂先を必死で避ける。“兵士”は一対多の不利を悟ったらしく、役場の方へと後ずさりしながらルビィを懐に入れまいとしている。


「フリード!」

「はあっ!」


 そこにロングソードを抜き放ったフリードが強引に攻める。

 狙い済ました剣の振り下ろしは振り回された槍の中ほどにぶつかり、けたたましい音と共に火花を散らす。

 暴風のような槍の穂先が肉厚な鋼の刃によって地に射止められる。


「○×¥:*!!!!」

「おおおおおおっ!」


 ぎしぎしぎし、と空間が歪む錯覚をルビィは視た。

 槍を引き、目の前の敵から逃れようとする“兵士”と、動きを封じるフリードの拮抗――片手1本の“魔族”とスーツアーマーを含めた全体重を剣に篭めているフリードはそれでようやく互角だ。

 驚異的な豪腕。この鍔迫り合いは長くはもつまい。


(しかしその中断、高くつくぞ!)


 フリードの頑張りに応えるように、ルビィは“兵士”の懐めがけて転がるように入り込む。空いた片方の手でそれを阻止しようと“兵士”が拳をルビィに放つがその直撃をユノや騎士団長イスラすら凌駕する反射神経が許さない。僅かな身体の浮き沈みでの回避。

 ガードを下げた“兵士”の頭部にショーテルの刃が迫る。


「ちっ!」

「うわっ!」


 “兵士”の姿が飴細工のように溶け、ルビィの刃とフリードの拘束を避けるように二手に別れる。

 腕全体の力で押し出した刃はむなしく空をきり、抑える相手を突然喪ったフリードがたたらを踏む。

 

(また変化した!厄介な相手だ!)


 二手に別れたまま逃げようとする“兵士”を追おうと駆け出したルビィだったが――急に首筋に奔った予感に足を止める。


「……囲まれてる」


スコルピオがフリードの背中で小さく呟く。

一瞬遅れてルビィの足元にどす、どす、どす、と錐状の黒槍が行く手を阻むように突き刺さる。


「…・・・時間切れか」

「畜生ッ」


 ぴちゃぴちゃ、と水気のある音を静寂に響かせながら、広場を複数の気配が蠢いている。気を抜けば気絶しかねないプレッシャーに3人の動きが止まる。

 ルビィは全身を硬直させ、眼だけで気配の数を数える。先程逃げた“兵士”をあわせて9――3人を包囲するように広がり、逃げ道を封鎖している。

 徐々に狭まる包囲網に、ルビィとフリード、スコルピオはじりじりと後退し背中あわせの形になる。

 闇の中に立像が5つ立ちあがり、鋼の擦れる音と共に3人の視界に視える範囲まで歩みを進めてくる。



 5匹の“兵士”



 絶望、の二文字がルビィの頭の中に浮かぶ。

 もとよりこの「最悪の事態」は覚悟の上だった。フリードに発砲させた時点でこの鋭敏な聴覚を持つ“魔族”たちに位置を察知されることは予測の範囲内だった。

 そのうえでの超短期決戦での奇襲――しかしそれは失敗に終わる。この“兵士”たちの実力を読み違えてしまった。


(たかが1匹倒した程度で、増長し過ぎた・・・・・・!)


 この状況を作り出したのは、自分だ。

 目の前で民を殺された怒りや、1匹をなんとか倒した程度の自信で判断が狂った。

 冷静に、ただ勇者と合流することだけを優先していれば迂回する方針をとっていた筈だ。

 ルビィは自分への憤りと情けなさで一杯になる。そう、昔からこうだった。どれだけ気をつけても、どれだけ注意を払っても途中でどこか過信が生まれる。

 うまくいけばいくほど自分の全能感に酔い、周りが見えづらくなる――それで幾つの失敗を犯し、足元を掬われただろう。

 城を発つ前のイスラの教えや、ユノとの稽古の中で得た心得を自分は全く理解せず、何も成長していなかった。

 ぶち、と唇を噛み切る。鉄の味が口の中に広がる。


「ルビィ」

 フリードが静かに、背中越しに語りかけてくる。3人とも視線は眼前に迫る“兵士”を睨みつけている。

「キミのせいじゃない。分が、悪すぎた」

「そんなことはない・・・・・・私が、もっと冷静でいれば!!!」

 ぎゅう、とショーテルを握る両手に力を篭める。

 心底情けなかった。判断ミスをした無能な上官を、フリードは罵りもせず逆に励ましてくれる。そんな心遣いが自分への劣等感で満たされた今のルビィにはとても痛かった。

「私が、間違えたんだ、わたしは」

「違うね」はっきりと、明瞭な口調でフリードが言う「ルビィは正しいさ、昔からね」

「え」

 くすり、と背後のフリードが笑う。どんな顔で笑っているのかルビィは知りたかった。

「イチャつきは、ヨソでやってくれませんかね、お二方」

 スコルピオがフリードの背の上で呆れたようにため息を吐く。ずっと黙り込んでいた密偵の少年をほんの少しルビィは忘れていた。

「い、いちゃついてなんていない!……何か、策でもあるのか?」


 じり、じり、と“兵士”たちが近づいてくる。奇妙な魔族語の嘲りと低い笑い声を響かせ、まるで魚が腐ったような悪臭を撒き散らしている。

 もし今この瞬間にでもこの“兵士”たちがその気になれば、ルビィもフリードも役場の死体の中に仲間入りだ。


「ライトボールを使います――頭上に打ち上げて、眼くらましと狼煙の両方を今やりましょう、運が良ければまた逃げ切れるかもしれません。ついでにケイブリスあたりの誰かが気づいてくれるかもね、とても注意深い誰かが」

「可能性は低そうだが・・・・・・ルビィ、やってみるかい?」

「運が良ければ、か――やらないよりは、マシか」


 すう、と深呼吸をしてルビィは気を落ち着かせる。“兵士”の持つ錐状の槍が今にも自分目掛けて刺さりそうだ。

 幸い、目の前の魔族たちはもう自分たちが「勝者」だと、目の前の獲物が抵抗を諦めたと思っている。兜に包まれた大きな眼が笑みの形に歪んでいるのが嫌でも解った。


「頼む、密偵――いや、スコルピオ」

「ええ、それではエクスリブリス・コルタナ五編・・・・・・」



スコルピオの静かな詠唱がはじまり、ルビィとフリードが背中合わせに、ただひたすら逃走に向けて全神経を集中していたその時。




―――――――西の空が、紅く燃え上がった。




『何が起こったッ!?』

『砂の箱庭、急激な負荷により不安定化しています!』

『報告する前に対処しろウスノロ!』

『ヴァルヴァロ分隊!エイス分隊!現況を報告しろっ!』


 魔術装置「砂の箱庭」を中心に据えた魔族軍の作戦室は俄かに混乱した。

 数刻前まで、作戦は順調そのものだった。ドンテカ村の人間の処理と施設の制圧、不確定要素の排除。今の今まで「砂の箱庭」で動きが丸見えになっていると夢にも思わない愚かな人間3人を嘲笑っていたところだ。

 激変が起こったのは今回の「V作戦」の目標――案件Y、つまり勇者ユノ・ユビキタスの住処だ。

 ソーサラーの妖術によって投入されたスラッド兵分隊のうち2つを村内で監視に当たらせ、それ以外の分隊5つで住処を包囲していた。

 デアシュ軍下の精鋭スラッド兵たちは目先の感情に囚われることなく、包囲された住処の中で息を潜める勇者ユノ・ユビキタスの逃げ道を奪うことに専念していた。

 その後、この作戦の要である“スルト”が投下され、勇者との一騎打ちを開始する。


 “新しき魔王”チヒロに率いられし、魔族軍の復讐の狼煙――それがV作戦の目的。

 しかし暗闇の空に立ち昇ったのは憎しみの狼煙ではなく、恐るべき熱と閃光だ。


 突然起こった巨大な「動き」に追いつけなくなり、文字通りサンドストームになり荒れ狂う「砂の箱庭」を前に、デアシュが普段のたおやかな物腰に想像もつかない凄みを聞かせ、静かに声を張り上げる


「全員、黙れ――冷静に対処しなさい」


 混乱の極地にあった作戦室が水を打ったように鎮まりかえる。と、狼狽するだけだった士官とソーサラーたちが我に返って己の仕事に戻る。


「砂の箱庭を復旧なさい」

『はっ、ただいま戻ります』


 数分もたたない内に「砂の箱庭」が安定を取り戻す。

 ざああ、と羽虫のような音を立てて蚊柱の如く砂が命を受けて動き始める。

 先程まで混沌として、崩壊していた箱庭の中が再び精密にドンテカを表示する。

 デアシュはいつもの細目から、爛々と輝く瞳を大きく見開いた。


「これは……」

『炎・・・・・・?』


 再現されたドンテカの西の端――ユノ・ユビキタスの住処が燃えている。

 ただの火事というレヴェルではない。それは魔族の軍兵が恐れてやまない人間の高位魔術師による“煉獄”や“業火”と呼ばれる戦略クラスの火炎魔術。

 エルムトとやらの魔法使いの「エクスプロージョン」

 気まぐれに人間対魔族の戦争に介入する龍族の「ドラゴンブレス」

 それらの「魔族にとっての脅威」に劣らない炎がユノ・ユビキタスの住処を中心に燃え広がっている。


『ウッ』


 じっと箱庭を注視していた士官が呻いた。それも無理はない。

 包囲網を形成していたスラッド兵の、鮮明に――爆発するように広がった炎から逃げ惑い、苦悶の形相で焼け死んだ亡骸を直視してしまったからだ。

 眼を見開いたままのデアシュこそ涼しい顔をしているものの、作戦室の他の者達は吐き気を堪え、蒼い顔をしている。

 現場に対して呼びかけを続けていたソーサラーが叫ぶ。



『デアシュ様っ、エイス分隊の通信球に反応あり』

「すぐに繋ぎなさい」

 デアシュの指示で作戦室全体に妖術通信球から声が届く。

『こちらエイス分隊っ、マザー!マザー!応答を願うっ!』

『何が起こった!?状況を報告しろ』


 「砂の箱庭」は未だに立ち昇る巨大な炎を再現しつづけており、精細な部分は判別ができない。

 この作戦室において状況を判断できるのはこの通信から聞こえる音だけだ。

 デアシュは通信に耳を傾けるが、炎が酸素を喰らって燃焼し続ける音と荒い呼吸を続けるスラッド兵の声だけで、他に何も聞こえない。

『あいつだ・・・・・・あいつはずっと“作り替えられたフリ”をしてたんだ・・・・・・今の今になって、正気を取り戻しやがった!!!』

 その言葉にデアシュが反応する。

「あいつ?あいつとは――“スルト”のこと?」

 表情の少ない顔に若干の色を滲ませながら、デアシュは言葉を待つ。全身の火傷と酸欠状態にくわえて火に耐性を持たないスラッド兵はもう虫の息だ。

 しかし彼は誇り高き“レヴィアタン”の一員として任務を果たした。



『“スルト”です!“スルト”が暴走しやがった!!!』




 あっははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!




 スラッド兵の必死の叫びの裏に、狂ったような笑い声が聞こえた。

 複数の人間の声を重ね合わせたような甲高く、若い男の声。

 それと同時に再び炎が燃え上がる音が聞こえ、慟哭と肉を焼かれる音と共にスラッド兵が息絶えるのが通信越しにわかった。

 「砂の箱庭」に再現された炎が揺らめき、爆心地の姿が垣間見える。

 炎と共に巻き起こった爆風で、何もかもが平らになっている。かろうじて見覚えのある案件Yの住処の屋根だけが、むなしくその亡骸を横たえている。

 その前に立つのは1人の男だ。無残にも炎で焼け崩れ、骨を晒したスラッド兵たちよりも一回り大きい。そのくせ奇妙なことに人間と同様の均整を保っている。

 巨人――かつてのウォーエイジに存在した伝説の種族を連想させる。

 何もかもが焼け爛れて灰になった大地の上で、1人腹を抱えて笑っている。


「うふふ」

『デ、デアシュ様・・・・・・?』

 突然小さく笑い声をあげた己の上司を、戦々恐々と士官のひとりは伺う。


 再現されたその俯瞰図を視るまでもなく、デアシュは状況を把握し冷静さを取り戻していた。

 見開いていた瞳をいつもの猫のような糸目にかえ、優雅に作戦室の士官たちに命令する。


「何も問題はありませんわ、各自粛々と仕事を続けなさい」

『し、しかしデアシュ様――』

「よいのです。彼らは、スラッド兵はしっかりとその任を遂げましたわ、家族に褒美をとらせなさい」


 了解、と狼狽気味に返事をして、士官が仕事に戻る。

 作戦室の中は緊迫気味の静寂に満ち、ようやく場が秩序を取り戻す。

 その中心で、糸目の女――そして魔族軍の冷静たる参謀はチヒロそっくりの笑みを浮べる。



「さあ、どうなるのかしら――どうか魅せてくださいな♪」





『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月24日

2時27分

ドンテカ外れ――燃えさかる炎の中



(熱い、熱いなぁ、誰かクーラーつけてよ)

(何?何があったの?怖いよ、熱いよ、どうして?)

(襲撃だ、武器をとって状況を把握し、次の攻撃に備えろ)

(アリカは?あの子はどうしたの?わたし、あの子、まもらないと)

(また燃やした?誰が?どこの誰が?どこの誰がこの私に喧嘩を吹っかけたの?絶対に殺す、間違いなく殺す、ころせ、ゆの、ころせ)

(もう眠ろうよ)


(煩いな、少し黙ってよ)


 分裂し、混乱した思考を、なんとか抑えつける。

 明滅する視界と茫洋とした頭、まるで全身を鉄の棍棒で叩きつくされたような痛みに耐えながら、ユノは起き上がる。

 がらがら、とそれまで身体を圧迫していた木材だの瓦礫が地に落ちる。

 その幾つかが身体に刺さっているような感触があったが、それに対してリアクションする余裕はユノにはない。

 失血で足がふらついたが、いつの間にか握っていた棒のようなもの――ニザヴェリルの魔術銃を杖になんとか踏みとどまる。

 ミスリルの表面は傷ひとつ付いていない。それがひどく非現実的だった。



(わたし、なにしてたんだっけ?)



 二重にぼやけた世界を、ユノはぼんやりとした心地で見回す。

 一面の炎――それ以外の形容が思いつかなかった。

 自分は確か、アリカに泣きつき、まるで子供みたいに扱われた後に、一緒に酒を飲んでいたんじゃあなかったか?旅のはじまりを祝っての二人きりのパーティー。

 頑張って涙を止めようと思ったけど、止まらなかったな。

 アリカはやっぱりわたしにとって――



(ああ、そうだ、わたし)



 世界が音を取り戻す。

 明滅し、二重になっていた視界は像を取り戻し明瞭になる。身体の痛み、背中や足に突き刺さる異物の感触は全く変わらなかった。

 脳がばらばらの思考を繋ぎ合わせ、ようやく「ユノ・ユビキタス」の自我が戻ってくる。



(アリカ、アリカはどこ!?)



 そう、先程まで魔族に――恐らくスラッド兵が家の周りを取り囲んでいた。数刻前に事態を察知したユノは、散発的な攻撃を家を盾にして防ぎながら篭城して援軍――つまりルビィやフリードを待ち続けていた。

 ユノ単身ならばスラッド兵の垣根を越えることも可能だが、怯えるアリカを連れてはうまくはいかない。この2年間で人を守りながらの戦いなどとうの昔に忘却していた。

 血の少ない身体を引き摺り、半狂乱で周囲の瓦礫を掻き分ける。

 炎に包まれ、半ば炭と化しつつある木材や煉瓦は容赦なくユノの腕を焼いたが気にならない。ただ狂ったようにアリカの名前を叫びながら、少女の姿を探し求める。



 くひゅっ



 ユノの斜め後ろで、確かに小さな吐息の音がした――ユノは慌ててそこまで駆け寄る。足がもつれ、したたかに身体を瓦礫の上に打ち付けたが気にしない。

 廃材と化した家の下に、見覚えのある亜麻色の髪が見え隠れしていた。幸いこの一角は火の手が浅く、家具も原型を留めているものが多かった。

 しかし今はそれが邪魔だ。アリカを下敷きにしている。


「うああああああああっ!」


 呻きと共に家の梁と思しき材木を持ち上げる。“グラーベルの鉄篭手”で掴んだ部分がみしみしと音を立てて潰され、ゆっくりと宙に持ち上がる。

 ぱらぱらと黒い灰と火の粉がユノに降りかかり、銀色の髪を焦がす。

 ユノは歯を食い縛り、周辺を包む炎の海目掛けて投げ捨てる。ワイバーンが地面にまっさかさまに落ちたみたいな音と共に梁が火の海に沈み、瞬く間に燃え上がる。

 その他にも見覚えのある椅子や本棚、樽などをどかし、ようやくユノは下敷きになっていたアリカと再会する。

 よほど運が良かったのか致命傷になりそうな傷や火傷は見当たらない。

 ユノは久しぶりにドンナーに感謝した。


「ユ、ノ・・・・・・さ・・・・・・?」

「よかった―――!喋らないで、身体に障るから」


 苦しげな吐息とともにアリカが眼を開ける。艶やかな亜麻色の髪は灰を被り、羽織ったカーディガンの裾は細切れになっている。いつも身奇麗にしている普段のアリカとの落差にユノは歯噛みした。


「身体でどこか痛いところは?ない?」

 アリカが油汗を滲ませながら胸の下あたりを指差す。ユノがそっと触れるとひっ、と押し殺した悲鳴をあげて悶えた――あばらが折れている感触だ。深く折れても開放骨折でもない。リザードマンの生命力なら処置をすれば大丈夫だ。


「これなら、大丈夫――動かないで、すぐになんとかするから」

「ユノさ、ん」

「何?今何か当て木になるものを――」

 ぴた、と頬に白く冷たい手があたる。その感触でようやくユノは自分が顔に火傷を負っていることに気づいた。

 アリカは金色の瞳から一筋の涙を零し、呟く。

「わたし、許せない」金色の瞳の中にユノの汚れた顔が映りこむ「どうして、みんな壊しちゃうの?」

 アリカは悲しみと怒りに震えていた。世界の不条理さや厳しさといった「これまで付き合ってきた」もの達が、1つも許せなくなっていた。



 どうして、目の前の小さな少女はこんな目に晒されなければならないのか。

 どうして、こんなにも優しい少女にドンナーは手を差伸べてくれないのか。

 どうして、彼女の平穏は脅かされ続けるのか

 どうして、こんなにも肌が焼け爛れても、髪も燃えても、彼女は止まることも泣くことも許されないのか

 どうして、自分と彼女の生活は、ふたりの安寧は壊されてしまうのか。



「許せない、許せないの・・・・・・」


 そう、うわ言のように繰り返して――アリカは瞳を閉じた。

 沈黙が、炎の海の中に落ちる。

 泣きつかれたように眠るアリカを、ユノは身体に障らないように気を払いながら抱きあげる。

 そうして、ユノは誰ともなく呟く。



「そうだね、許せない、許せないよね」



 気を喪ったアリカを火の気のない大地の上に寝かせ、近くに落ちていたユノのポンチョを上に被せる。このポンチョには“耐火”の魔術が織り込まれている。火の粉程度なら防いでくれる筈だ。


「それは、あなたも同じ――?そこのデカブツ」


 ずん、と重い足音を響かせ、火の海を割って巨大な人影がゆっくりと進みでる。

 炎を身に纏い、怒髪天を衝いたその巨大な姿はウォーエイジに存在した“火の巨人”のようだ。

 その風体も古代の貴族が愛用した衣――トゥニカによく似た布の衣服を身体に巻きつけている。

 巨大、と形容しているがその姿は筋骨逞しい羅刹漢のような姿ではなく、楽士か芸術家のようなほっそりとした優男風だ。

 鼻筋の通った彫りの深い顔を怒りと笑いに染め、吐息の変わりに炎を吐いている。

 ほっそりとしているがユノと比べれば枝と丸太のような腕には輪のようなモノを嵌め、右手に儀礼で使うような巨大な剣を携えている。



「あなたがどこの誰か、魔族か?それとも人間か?それはわからない」

ユノは振り返り、瓦礫の中から拾った直剣をぶん、と一度振る。

 ぱっ、と灰と火の粉が舞った。

 腕をだらりと提げ、首を少し傾げた無防備に視える体勢。

 “グラーベルの鉄篭手”に包まれた左手はニザヴェリルの魔術銃を構えている。



「とりあえず言えるのは、これだけ」



 ユノはゆっくりと歩き出す。蟻と象のような炎の巨人に向かって、堂々と。



「私とアリカは、とても怒っている」



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