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ブイ・フォー・ヴェンデッタ Ⅰ



 あの日から、私はすべてを喪ってしまった。

 富も名誉も領地も、私を信頼して付いてきてくれた者達も。

 そしてわたしの――私のすべてを築いてくれたあの人も

 人形のように、唯々諾々と操られるまま生きてきた私を解放してくれたあの人を。

 負け続けの私の人生に、手を差伸べてくれた私の天使を


 身体が熱い、燃えるように

 まるで体内に詰まった五臓六腑が溶岩に変わってしまったようだ。

 実際にそうなのかもしれない。私はもはや人間ではない。


 人は、国は私を責めるだろうか?

 きっと責めるだろう、私は責め立てられ絞首台の上でドンナーに慈悲を乞わされるのだ。

 自分ですら思う、私の所業は正気ではないだろう。

 しかし、私の中の何者かが囁くのだ――燃え盛るような黒い怒りを篭めて。


 彼奴らが、ドンナーが、貴様に何をしてくれたというのだ?

 貴様は長年彼奴らの為に尽くしてきた、身体をすり減らし心を折り、文字通り粉骨砕身で尽くしたろう。

 私と貴様は同じものだ、いまさら謙遜することもあるまいて?


――しかしそれで一度でも貴様は相応の報いを受けたか?


 あの人を、己の全てを賭けて自分のものとしたあの人を喪った貴様に、彼奴らは何をしてくれた?ドンナーはどんな慈悲を与えてくれた?

 あの肥えた太った豚共は貴様になんと言った?幾ばくかの金を渡してこう言ったのではなかったか?

 哀れんだフリをして、好色そうな唇を歪ませて。



――■■■君。きみの心の穴は天使たちが癒してくれるだろう、地上に舞い降りた天使たちがね



 彼奴らは何も理解しようとしなかった、貴様の悲しみも、あの人がどれだけ貴様にとって大事であったかを。

 貴様のかけがえのない物を、言葉で汚された怒りも。

 答えられぬか?哀れな、哀れな私よ!



 燃やせ、燃やしてしまえ


 我が身体と同じように。

 燃やせ、焼き尽くせ――体温を喪失したあの人の為に、火を灯せ。

 全てを燃やしてしまうのだ。燃やして燃やして、あの人のいる天上まで熱を届けるのだ。

 冷たい雨の中、震えるように亡くなった哀れなあの人を、貴様の熱で包むのだ。

 地上にある全てを暖炉にくべてしまえ、燃やせ、燃やせ、灰にしてしまえ!



 報いを与えるのだ。

 あの人を喪わせた国に

 貴様を理解せず、何も与えてくれなかった貴族どもに

 そして


 そして、あの人を煉獄に突き落としたあの女に。




『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月22日

18時50分――ドンナーが瞳を閉じる時間

砂海入り口の村――ドンテカ



 ドンテカはこの大陸で唯一、死の領域である砂の海の恩恵を受けた村だ。

 もともとはヒスシー人との部族抗争に負けた遊牧民族が拓いた村だったらしい。ろくに耕作もできない砂まじりの大地に、乾ききった気候。

 厳しい環境の中、日々を生きていくことすらままならない遊牧民族たちは部族の安寧の為に近代国――ランバルディアやエルムト、西部の今は亡きアリストピアと交渉を行った。

 それはメルカトル大砂海で生きる民族たちの様々な生活の知恵、横断のノウハウ、生物についての知識などの、部族の根幹ともいえる全てを開示し、売り渡すこと。

 それは大博打だった筈だ、知識は複製され、研究により明快になる。大国の智者たちがそれらの知識を集積してしまえば元の、部族たちは必要なくなる。

 しかし、その博打は成功した。3国はそれぞれ規模は違うものの部族の知識に見合った対価を提示した。商業での優遇、他部族からの庇護、魔術による土壌の改善――村は繁栄し、現在では主要国の何処にも独占されない、独立した中立村となっている。

 西部が魔王の支配から解き放たれたここ2年では旅行者向けの宿や露天。仕事を求める冒険者が集まり、活気に湧いている。



「身分証明をみせ……てめぇか、死んでなくて実に残念だ」

「そりゃどうも、夜分遅くまでご苦労さま門番さん」



 ドンテカ入り口の検問――フードを脱いで顔を見せたユノに、門番の兵士が不快げに顔を歪めた。

 この掛け合いももうだいぶ慣れっこになっている。親しみとは全く正逆の侮蔑に近いものだが、ユノは涼しげに眉ひとつ上げない。

 門番の兵士はふん、と不満げに鼻を鳴らすと、白髪の少女の後ろに従う騎士2人――いきなりの一言に吃驚としているルビィを見やる。


「あー……失礼しやした、そちらの騎士様方は?」


 ルビィが一瞬気後れしたあと「堂々たる騎士」に可愛らしい顔を整えて、進み出る。手には騎士の身分を示す証明書を持っている。


「ランバルディア守護騎士団のルビィ・ギムレット・アンテローズだ。従者はそこの自由騎士フリードリヒ・ヴァイセン。このユノ・ユビキタスと任務を共にしている」


 年相応ではない凛としたルビィの口上に門番の兵士が佇まいを直し、敬礼する。


「はっ!確認しやした。それではどうぞお通り下さい……ドンテカへおいでくださいやして感謝の極みでありやす」

「宜しい」


 満足げに頷いたルビィとフリード、最後にユノが村の門をくぐる。

 と、ゲートの脇に退いた兵士がユノに、ユノだけに聞こえるように呟く。


「また殺すのか、アバズレめ」

「お生憎」


 前だけを向いてあしらうユノの後ろ姿を、けっ、と悪態をついて門番の兵士が睨みつける。





「嫌われているのだな、貴様は」

「……まあね」



 ユノ達3人を、まるで死神か伝染病の病人でも見たかのように村人が避けていく、親らしい女が遊ぶ子供の手を引き、家の扉を閉め、ござを敷いて干物などを売っていた老人が何かの魔よけのような動作をユノに向かってしている。酒場のラウンジで屯する冒険者たちがバカ騒ぎを中断し、腰の剣に手をやりながら鎮まりかえる。

 ほとんどモンスターや盗賊と同じような扱いだな、とユノの小さな後ろ姿を見やりながら自由騎士――フリードは独りごこちた。

 フリードは特にユノについて特別な感情を抱いていない、怨みもなければ親愛の情もなくほとんどこれまでの仕事相手や、同胞の自由騎士たちと同じ程度の親近感があるのみだ。

 ユノにしても同程度だろう。おそらく戦闘に関しては一定の信頼を得られていると思うが、ほとんどルビィの付属品くらいの認識だろう。それについて特に不快に思うこともない。



 しかし、この現状を見て――フリードは少しだけ不安に似た感情を得た。



 たしかに彼女は罪を、とても許されないような罪を冒しただろう。しかしそれはもう2年も過去のことで、その間“契約”によってかなりの償いがされている。

 フリードはユノに同行するにあたって、少しだけ彼女の2年間の足跡を調べた。

 魔王のマナで凶暴化したままのモンスターの討伐。世の混乱に乗じて跋扈する盗賊団の殲滅。諦め悪くゲリラ活動を続ける魔族軍の討伐。彼女と同じく、何かの理由で魔族に組した内通者の特定と排除。

 どれだけ優秀な冒険者や騎士でも、過去にそれだけの冒険をし、生き延びた人間はいないだろう――生還し、功績を立てる者は。

 それなのに、彼女は全くといっていいほど評価されていない。直接、親族を殺されてしまった者達は良いだろう、殺された20人の騎士の中には国の重要な位置にいる人物や家長も居た。心の喪失だけでなく、実質的な損害を受けた家も多かったはずだ。

 しかし、直接関係のない――とどのつまりフリードのような、全く助けられるばかりだった人間が声高に彼女を批判し、石を投げるのはフリードの、国に対しての敬意やドンナーへの信仰を除いた視点からすれば集団の力を借りた暴力だ。

 暴力は人を磨耗させ、ときには爆発させる。

 もし、ユノ・ユビキタスが爆発してしまったらこの国はどうなるのだろう。



(ま、ボクにどう出来る話でもない、か)



 彼女の火薬を湿らせるのはフリードの役目ではない。親友らしいセリア姫や、これから逢いに行くという「ハーフリザードの女性」

 人の感情に疎いフリードの予感ではあるが、我が愛しのルビィもまた、ユノ・ユビキタスという“兵器”を人間のままにする要素かも知れない。

 我ながら――最低の発想だ。


「……何を視ている、フリード?」

「ん?」


 周りの状況が気に喰わないのか、横を歩くルビィは少し不機嫌だ。猫科の肉食獣をおもわせる双眸を歪ませ、同年代の少女より比較的凛々しい眉を寄せている。

 口元は苦い薬を意図せず飲み干したような感じだ、侍女のウルスラに怒られてるとき、こんな表情をしている。他者への憤りの表情。


「ユノさんは、今の現状をどう思っているんだろうと思ってね」


 前方を威風堂々と――少なくともそう見える白髪の勇者に聞こえない声で返す。

別に聞こえたところで何かが起こるとも思えないが。何の気なしにそうした。

 ルビィはその言葉を聞いてじっ、と覗き込むようにフリードの顔を覗き込んだ。

 しばらく、フリードが黒兜の下で正体不明の居心地の悪さを憶えるくらいの長さで、思い直したようにかぶりを振って前を向き直る、フリードはその一連のルビィの様子に首を傾げるばかりだ。






 ユノは周り全ての色々な視線を、いつもの様に無視しながら歩く。

 はじめこそとても辛く、悲しかったことを憶えているが、人は慣れる。戦場ではじめ死の恐怖に怯え泣き叫ぶばかりだった新兵が、先に死んだ戦友の亡骸を、眉根ひとつ動かさず盾にして戦い続けるベテラン兵士に変わるのと同じだ。成長であり麻痺、人によってはそれを欠損と呼ぶかもしれない。

麻痺か欠損か?それは当の本人にはまったくどうでもいいことなのだ。

 壊れていても果たさなきゃならない目的があれば、心臓が止まらない限りは人は生きていなければいけない、ユノはそう思っている。


 ドンテカの外れに続く道を歩くユノの今の関心は――おそらくユノの自宅で待っているはずのアリカのことだ。

 ユノは剣の振り方は知っていても、自分を慕って、これまで支えてくれた人間への別れ方を知らなかった。どう言えばいいのだろう?どう言葉を使えば、彼女を傷つけずに別れを切り出せるだろう。

 自分はこれから、長い冒険の旅に出る。その間、アリカを1人きりにしておくのは心配だった――ユノへ復讐の念を燃やす何者かが、魔の手を伸ばすこともありえる。

 ある程度の相手なら、金で雇われた暴漢程度や冒険者は大丈夫だろう。アリカはリザードマンという「戦闘種族」との半人だ。どれだけ本人の気が弱く、争いを好まなかろうと高い身体能力と生命力で乗り切ることが出来る。護身と逃走の心得はユノが教えた。

 冒険者に関してはある意味もっとも安全だ――彼女の今の職業はロードスギルドに所属するギルド便の配達人。どんな冒険者であれギルドの運営側を害せば即刻懸賞金付きになる。オオカミよりも鼻の効くバウンティハンターたちが速やかに掟を破った馬か鹿を食べにくるだろう。


 問題は、権力を持った復讐者――貴族の騎士だ。彼らには上記2者にはない権力という力がある。個人を言葉で服従させ、支配する力。1人ではどうにもならない力。

 ユノは大丈夫だ――セリアという強い「権力」を持つ友人が側にいる。しかしアリカには、アリカには何もない。故郷を捨て、ギルドの一端に所属する程度の地位。 この国で一番の重罪人、騎士殺しの勇者ユノ・ユビキタスと暮らす女性。



(ああ、ちくしょう)



 ユノはそこまで考え、今さらながら後悔に歯噛みする。

 やはり自分たちは長く一緒にいるべきではなかった、いつかの酒場でのあの日に冷たく突き放すべきだった。アリカは気は弱いが芯の強い女性だ、きっとユノと関わっていなければあんな安酒場なんてすぐに辞めてもっといい働き口を見つけ仕事して、人と出会って半人半獣なんて気にしない気概のいい男性と一緒になる――そんな未来があった筈だ。

 それを、ユノが狂わせてしまった。

 自分を取り巻く環境をもっと良く考えるべきだった。

 寂しさや怒りに惑わされず、自分だけの人生を生きるべきだった。

 そうすれば――こんな懊悩を抱えずに済んだ。



(後悔しても、仕方ないか)



 ぐ、と砂まじりの唾を呑み込み、俯いていた視線を上げる。

 村の外れにいくにつれ冒険者や旅行者で連日賑わう酒場や宿屋の灯が消え、寂しいばかりの砂中の村が姿をあらわす。

 石造りの老朽化した家屋が続き、中には魔族の侵攻で持ち主を失って瓦礫のままの家もある。たいていそういった場所には宿に止まる金もない野宿者や逢引する娼婦、禁制の薬で陶酔する集団が屯していたりする。ユノの住処はそこを越えた先だ。

 砂海の闇の中に、ぽつりとひとつだけ灯がついている。

 それを見つけたルビィがユノの横に並びながら呟く。



「あれが貴様の家か?」

「そ、静かな場所よ」



 ルビィが目を凝らすと、一見廃屋のような、そうでないような家が闇夜に浮き出てくる。

 小さな家だ。植物の蔓が絡まる石造りの外壁に修繕の痕が目立つ屋根、広いばかりの敷地は木の柵で区切られ、井戸と動物の皮や肉を吊るした狩猟台。キューザック(ドンテカの周辺に自生する薬草の一種。野菜としても重宝される)などが栽培されている畑が2面。

 横には農具と可愛らしいイラストが描かれた如雨露が転がっている。



「ウチの物置に似ているな」

「……そりゃどうも」


 半眼でルビィに振り返りながらユノは自宅の敷地へと入る。

 家の柵には獣脚型のランドドラゴンが縄に繋がれている。首には「タマ」と書かれた首輪が付いている。

「タマ」は身体を折り曲げて目を閉じて寝ている。ユノ達3人が近づくと眼を開けて煩げにこちらを見やった。

 ユノがその鼻先に軽く触れながら微笑む。


「ただいま、タマ」


 くるる、と特徴的な鳴き声を上げて「タマ」が少女の手にマズルの長い顔を擦りつける。親愛の印だ。

 飼い主と飼い竜の再会を果たすと――ユノはいよいよ、といった風に緊張した面持ちで家の扉に向かう。ルビィとフリードはそれに後ろから続いていく。フリードは飄々とした佇まいだが、ルビィは近くでは初めて見る「平民の生活」に多少興味を憶えてきょろきょろと辺りを見回している。



(……?)



 ユノは扉に近づき、正体不明の違和感を抱いた。

 何かがおかしい、衣服のボタンを掛け違えたまま着てしまったような感覚だ。ユノは扉のノブに手を掛けたまま、考える。

 自分は家を出たときに「タマ」をどこに繋げただろうか?

 場所は――合っている。ユノはいつも「タマ」を家の柵の前に繋げている。基本的にユノとアリカ以外に懐かない「タマ」はいい番犬にもなる。

 しかし、セリアから手紙が届いて、自分は歩いてドンテカの大陸馬車乗り場へ行っただろうか?確か「タマ」に乗って、ドンテカのランドドラゴン用の竜舎に預けたのではなかったか?





 それならなんで――「タマ」はここにいる?アリカは、「タマ」に1人じゃ乗れない。





「――――ッッシィッ!」




 心臓が急速に萎み、一気に爆発するように増幅する。同時に、圧縮された酸素が激流のように2つの肺に流し込まれ、奇妙な音がユノの喰いしばった口から漏れる。

 世界が不可思議なまでにスローに視えている。

 ユノは“グラーベルの鉄篭手”で目の前の扉をブチ破ると、姿勢を獣のように低くして半ば転がるように自宅へと入室する。ばらばらになった木片が虫の死骸のように散らばる。

 手は自分でも気づかないほど無意識に腰の剣を抜刀していた。

 視線だけを動かして、自分の家――否、今や敵地になっているかもしれぬ部屋を睨みつけた。

 ユノの右目は広くもない室内の右側を確認した。

 木造の室内に丸いテーブル、椅子が二つに食器棚と流し台。

 ユノの左目はそれ以外の全てを捉えた。

 月明かりが差し込むカーテンの開いた窓。机、棚。ベッド――そこに横たわったアリカと、側に佇む黒い人影。

 その人影に対して、ユノは誰何の声を挙げなかった。それは無意味な問いだからだ。家主の許可なく、わたしの家へ足を踏み入れたものはみんな「敵」だ。

「敵」へのリアクションはひとつしかない。



「!!!!!」



 声にならない言葉を発しながら、ユノはその人影目掛けて跳躍する。

 低い体勢からの天井ぎりぎりへのジャンプ。猛禽類の飛翔。

“グラーベルの鉄篭手”に包まれた左手は手の平を広げ、すぐさま「敵」の動きを捉え、頚骨を握りつぶそうと前に押し出されている。

 右手はまるで弓か、それとも投槍でも構えるかのように引き絞られている。

 ぎりり、と背筋がなめしたての革を擦ったような音を立てる。

 そこに握られているのは弓の弦でも槍でもなく短く、太い刀身を持つ直剣だ。封印された“勇者の武具”に代わって手に入れた名もない剣。魔術の輝きも、戦士の心を奮わせる逸話もないが、並み居る敵の素首をたたっ切るには充分な武器。

 逆手に構えられた剣の先には「敵」の脳天か心臓を突き立てられるよう力が篭められている。

 暗闇の中の「敵」が、自然な動作で壁際まで下がる。手には短い棒のような物が握られ、影になった顔が何ごとか呟くのをユノの耳は聞いた。



(詠唱――魔法使い!!!)



 意外なほど若い声が「力ある言葉」を紡ぐ。



「エクスリブリス・コルタナ五篇断章。シルバーチェイン」

「!!」



 次の瞬間、ユノは空間から現れた鎖に絡めとられ、動きを止められる。

 現れたのは「魔法」で造られた鎖だ。銀色の燐光を発している。鎖はまるで知性を持った蛇のようにユノの五体を拘束し、空中に縫い留める。

 ぎりぎりと金属の感触を持つ鎖にユノはクッと呻く。

 それを視て、魔法使いの「敵」は杖を下げる。



「ご連絡なしに訪問したことは謝ります、ですけど」



 ハイトーンな、声。

「敵」の顔が月明かりに照らされて顕になる。

 若い、ほとんど少年といってもいいくらいだ。幼さを残す顔立ちに切れ長の瞳。髪は典型的な大陸人のこげ茶だ。前髪はかなり長く、ほとんど隠れているといってもいい。

 被服は示し合わせたような黒一色、痩せぎす気味の身体を黒のローブで隠し、何かの図案が刺繍された襟巻きをしている。刺繍糸に光沢のある糸を使っているのか月明かりを反射してきらりと輝いている。

 手に持った杖は取り回しの良さを重視する魔法使いが好むタクト型の魔法杖だ。

「魔術」の媒体として使われ易いミスリルではなく、若木を加工した杖だ。

 恐らくエルムト領内のエルフの森にしか生えない「エーテル樹」の枝だろう。

 選ばれた魔法使いしか使えないその材質を杖としているということは――この魔法使いはエルムトの魔法使いでもかなりの上位者となる筈だ。



「突然殺しに掛かるのはいかがなものでしょうねぇ?ユノ・ユビキタス」

「……魔法使いが何用だ!アリカに何をした!!!」



 ユノの怒りを篭めた誰何の声に、少年はやれやれとかぶりを振る。

 背後でばたばたと音がした。ルビィとフリードがユノを追いかけて部屋に入ってきたのだろう。

 双剣を抜く金属音と、ピストルの劇鉄が上がる音がほぼ同時に響く。



「勇者!そいつは敵か!?」

 ルビィが鋭い声をあげる。

 その横に並ぶフリードは両手でピストルを保持し、すぐにでも撃てる体勢を整えている。

「エルムトの魔法使い……!」

 フリードが緊張気味に呟く。魔術の素養のない平民にとって、魔術師や魔法使いは畏怖の対象だ。それが戦闘に赴くものになればなおさらだ。

 戦場において魔術師はただの平民兵士の20人分。魔法使いならば60人に匹敵する戦力となりうる。



「あー……待った!」



 ユノ達3人の殺意を向けられた魔法使いがどこかおどけたような口調で「降参のポーズ」をとる。

 ぽとりと魔法杖が落ち、床に軽い音を立てて転がる。



「どうも誤解があるようだから言っておくが、僕は味方です味方、ランバルディア王からあなたの旅に同行するよう申し付かった者です」

「……王陛下から?」

 ユノが拘束されたまま疑問の声をあげる、まだその視線は警戒を孕み、ベットの上で眠っているようにみえるアリカとその横に佇む魔法使いを焦燥まじりに見つめている。

「ええ、ちなみにこちらのアリカ嬢には何もしちゃいませんよ、僕はあなたより早くコチラに着いたので家の方で待たせてもらおうと思ったんですよ」少年は手を顔の横でひらひらと振りながらそう嘯く。「忍びこんだのは申し開きがないですけどね」

「何故王陛下がエルムトの魔法使いを派遣する?もっとマシな嘘をついたほうがいいんじゃないか」フリードが呟くように言う「杖を捨てるだけじゃなく頭の上に手を当てて後ろを向くんだな、じゃないとおまえの脳天をブチ抜くぞ」

「そりゃ怖い」

 フリードの脅迫まじりの警告に魔法使いの少年はぶるっと震え上がるような子芝居をしながら素直に従う。

「おい、勇者の拘束も解け、変な真似をすればおまえの頭と胴体が今生の別れを告げることになるぞ」

「はいはい、ああ怖い怖い」

 少年が頭の上で手を振るとユノの拘束が解かれる。鎖は銀色の煙と化し、溶けるように消えていく。どすん、と見た目に似合わない重さで着地したユノは真っ先にベットの上で眠るハーフリザードの少女に駆け寄る。



「アリカッ」

 肩を掴み揺する。重力に従ってアリカの豊満な胸がぽよんぽよんと揺れた。その光景を目の当たりにしてルビィが少年に剣を突きつけながらも自分の胸と見比べ、眉根を寄せる。

 圧倒的な戦力差だった。

 ひとしきり揺すられた少女はうーん?と眼を擦りながら覚醒する。

「あーユノさんだー、おかえりなさいー、むにゃ」

「アリカッ、大丈夫?怪我は?このくそったれに変なことされてない?」

「くそったれってそんな下品な言葉使っちゃ駄目ですよーむにゃ」

 がくんがくんとユノに揺すられながらアリカが暢気そうに返事をする。

 ユノはその様子を見てようやく安堵の表情を浮べる。

 心底泣きそうだった。異変に気づき、家の中に突入した段階からユノの脳裏では 最悪の事態――この少女の死か「それよりも酷いこと」がぐるぐると駆け巡っていた。

 安心でへたり込みそうになるのを抑えながら、ユノは表情を変えて魔法使いの少年に向き直る。


 少年は無抵抗だ。頭を上で組み、ルビィに剣を突きつけられながらフリードに乱暴に身体検査をされている。優れた魔法使いらしく予備の杖が2本に魔術ルーンが刻まれた短剣が1本、あとはローブの懐から魔法使いが「魔法」を行使するのに必要な蔵書ビブリオが出てくる。黒蛇皮で装丁されたシンプルな表紙には「コルタナ五篇断章」と記されている。「魔術」にも「魔法」にも素養のないユノは詳しくは知らないが「コルタナシリーズ」と呼ばれるビブリオは七篇からなる物語調の術書で、五大元素を操ることが主流な魔法の中では少し毛色の違う――魔術に近い性質を持つ呪文が多く記されているらしい。

 これは勇者の1人にしてエルムトでも有数らしい“ビブリオマニア”アライスの薀蓄から知ったことだ。

 その当時はファンタジーの王道たる「魔法」が使えないことに拗ねていた為、そんな薀蓄はほとんど聞き流していたような状態だったが。

 ユノはぐ、と“グラーベルの鉄篭手”に包まれた左手を前に出しながら少年に近づく。



「……目的は?」

 少年がフリードに身体をまさぐられながらも涼しい笑みを浮べる。

 うさんくさい笑みだ、とユノの中の「冒険者」が警告を発する。

「これは尋問?まあいいや、先程いったようにユノ・ユビキタス、僕はあなたの旅に同行するように命ぜられた。詳しくは王宮にお問い合わせ――」

 ユノの拳が少年の腹に突き刺さる。かなり手加減した一撃だ。

 がふ、と苦悶の呼気を吐きながらも少年は笑みを浮べている

「つっっ……失礼、セリア姫の報告をお聞きになられた王が不安になってあなたとこちらの騎士方お2人のお目付け役を送ることを決められた。あくまでも王宮上位者とギルドの信用できる幹部にしか今回の話は伝わっていませんよ」

「証拠がない」

「そこの隅に転がっている鞄の中を見てください、王命通知書が入ってる」

 ルビィとフリードが顔を見合わせ、フリードが部屋の隅にひっそりと置かれていた鞄を手に取ってくる。開けてひっくり返すと雑多な旅装品に混じり見覚えのあるロードスの葉が描かれた書類が出てくる。

「王命によりユノ・ユビキタスの護衛と監視を命ずる」フリードが月明かりを頼りに書類を読み上げる。

 その間アリカはというと見覚えのない人物たちと、突然の緊迫した状況にベットの上できょとんとしている。いつものネグリジェを着ている所を察するに本当に今の今まで寝ていたのだろう。


「フリード、どう見える?」ルビィが鋭い視線のまま訊ねる。

「透かしが入っていますね、少なくとも“これ”は本物のようです」

 ロードスギルドで発行された書類には全て特殊な加工によって「透かし」が入っている、偽造対策だ。

 ユノはそれを聞き、目線を少年に戻す。

「なるほど、証拠があるのはわかった。しかし“あなた”は何者?なぜエルムトの魔法使いがランバルディアの王命を聞く?」

 それは当然の質問だ、とばかりに少年が頷く。

「自己紹介が遅れてしまいましたね、僕はスコルピオ、家名はありません。あなたと同じ首輪のついた冒険者で、この任に就くまではエルムトへの諜報活動を行っていました」

「エルムトへの諜報――まさか“詩の蜜酒”の者か?」ルビィがはっとしたように声をあげる「存在自体知っているものは少ない筈だ」

 ユノが無言で、視線だけでルビィに問いかける、ユノはその単語を知らなかった。

「ランバルディア所有の密偵団の名だ。前王陛下がさる大貴族の不正を暴くために結成した組織だが、噂じゃ組織員の何人かがその大貴族との繋がりを持ってしまい全員処刑されたと聞くが」

「その通り!ですけど全員が始末されたわけではないんですよ、王陛下は人材というヤツの重要性を知ってるお方だ。使えそうな何人かは死んだコトにされて市井に紛れて密偵家業をしてるんですよ、御国の為にね」

 少年がにへら、と胡散臭い笑みを浮べる。これまで闇に隠れて見えなかったが黒く大きな眼の下に黒い蠍のタトゥーが入っている。

 純粋に趣味が悪いとユノは思った。

「それとおまえがエルムトの魔法使いであることはどう結びつく?」

 目ざとくフリードが質問する。素性は確かになったが何故エルムトの魔法を使えるのか説明されていない。

「それは――言っていいのかな?コレ……僕がエルムト側の密偵だったから、ですよ」

 沈黙が降りる。

「ま、ヘマをして投獄されていましたがね――処刑寸前で“詩の蜜酒”のお誘いがありましてね、僕は国への忠誠よりも自らの生を選んだというわけです」

 その芝居がかった口調に正義感の強いルビィがおおいに顔を顰める。

「おい、どうするのだ勇者、コイツを信用するか?」吐き捨てるようにルビィが続ける「私としては今すぐにでも斬り捨てたいところだ」

 ルビィとフリードの視線を受け、ユノは考える。

「とりあえず一時保留――アリカが、怖がってるから」

 戸惑いの中に怯えの色を含ませはじめたアリカに気を使い、疲れと安堵を滲ませながらユノはそう呟いた。



「さあキリキリ歩け、スコルピオとやら」

 ルビィがフリードを引き連れ、スコルピオと名乗る少年に軽く剣の腹を押し当てながらユノの自宅を出る。去り際にルビィが振り向きユノに言う。

「勇者、とりあえず私たちは街の方の宿に泊まる。それで構わんな?」

「分かった、明日の明朝6時にここへ――」

 ユノは壊れた戸口の前で頷く。完全に目の醒めたアリカの「また扉を壊しましたね?」という痛い視線を背中で感じながら、それをやんわりと無視する。

 去り際にルビィに剣を突きつけられ、横をフリードで固められたスコルピオがユノに振り返る。

「ユノ・ユビキタス、無断であなたの家に侵入したことは重ねて謝罪します。ですが今回のことで“あなたが側にいないアリカ嬢”がどれだけ無防備か、実感されたのではないですか?」

 ユノは視線を鋭くし、しかし言い返す言葉がないことに歯噛みした。

「実際、あなたが到着するまでに僕はこの街に1日逗留していましたが、その間に3度ほど“同業者”に遭遇しましたよ――貴族側のね」

「……それで?」

「一部、この家へ何らかの工作を仕掛けていたのがいましたんでね、僭越ながら始末させて頂きました。今頃パラ・カカかドゥーラー(砂海に棲む巨大なサーペント)の団欒でも養ってるころでしょうよ」

「…………感謝する」

 ユノは小さくそう呟く。

 意外だと思ったのか少年は目を丸くしたが、意外と人好きのする笑みを浮べかぶりを振る。

「いいえ、お礼されるほどではありません。とにかく、僕の言いたいことはアリカ嬢を、あなたの大切な友人をここに1人で居させることだけは、やめた方がいいということです。あとギルドが彼女を守るという幻想は捨てたほうがいい、上位の幹部陣や高貴な方々は“あなた”のことは批判擁護含め注視しているがアリカ嬢には何ら価値を見出していませんよ」

「…ずいぶんと詳しい」

「一時期はあなたの監視もやっていましたからね、あなたと彼女の関係もある程度知っています。それを踏まえて言いますが、アリカ嬢を大切に思っているのは他でもないあなたと――あなたのカワイイ泣き顔がみたくてたまらない貴族の一部ですよ、まったく逆の意味ですがね」

 そう一息に喋り、胡散臭げな視線がわずかに真剣な色が帯びる。

「姫様を頼ることを僕はお奨めします。人間関係を品評するような言い方をしますがあなたとセリア姫の結びつきは万金にも代え難いものです。決して裏切りのない関係という意味で――彼女もその輪の中に加えた方がいいと、差し出がましいかもしれませんがそう忠告します」

 そう言って、スコルピオは前へと向き直る。痺れをきらしたルビィにふくらはぎを蹴られたのだ。

「痛っ、ま、それじゃ本日のところは失礼します。一夜語り明かしてどうすべきか考えるといいんじゃないかと思いますがね」





 ルビィとフリードそしてスコルピオが去り、虫の音だけが夜の帳に響く。

 ユノは一度息を大きく吸うとゆっくりと家の中の――ベットに腰掛けてこちらを見やるアリカに向き直る。



「アリカ」

「ユノさん」



 どこか茫洋と、お互いの名前を呼び合う。

 アリカは静かな日常が戻ってきたことに一瞬安堵した表情を浮べたが、すぐに不安をその顔に滲ませた。


「その、ただいま、アリカ」

「おかえりなさいユノさん、その、今の方々は?」

 少女の縦長の瞳孔を持つ瞳が不安に揺れている。

「王都の騎士と、魔法使い。騒がしちゃってゴメンね」

 ユノは笑顔を浮かべながら部屋にひと組しかない椅子の片割れに座る。

 重いポンチョは脱ぎ、テーブルの上に載せた。

 沈黙が降りた。

 アリカはいつもと違う雰囲気の、何か重大な決め事をしたと見えるユノの表情に戸惑いと不安を覚えている。いつもの通りただ冒険から帰ってきただけならば、何の気なしに土産話がはじまったり、旅先で見つけた珍味や酒なんかを酌み交す平和な時間が訪れる。

 しかし今日のユノは表情は固く、手はズボンの横を掴んでいる。

 幾ばくかの躊躇の後に、乾ききったユノの唇は言葉を紡いだ。



「また、旅に出ることになった」



 旅。聞きなれたはずのその言葉にアリカは違和感を憶えた。

 ユノはいつも旅をしている。ギルドから依頼を受けたり、時には自発的にふらりとどこかへ出かける時もある。

 だから目の前の白髪の少女はいちいちアリカに言うことはない。長引いても一ヶ月かそこらで、そんな時はギルドの配達をこなしながらも今度はどんな冒険譚が聞けるのか楽しみにするのが日課になる。

 それなら、今にも目の前で泣いてしまいそうな少女のその言葉は、なんなのだろう。



「長い、旅になるんですか」

「……わからない、旅がいつ終わるのかもココに帰ってこられるのかもわからない」

「そんなの、いつものことじゃないですか」

 アリカはベットから腰を上げ、ユノの対面に座る。殺風景な部屋の中、月明かりとランプだけが光源だ。

 ユノはそれを聞いて、何かを言おうとした。けれども言おうと思う言葉が見つからないのか、それとも多すぎるのかわからず、苦悶している。


 ユノは別れる為にドンテカへ戻ってきた。スコルピオ――密偵の少年に忠告などされなくても、このドンテカにアリカを残したままにするのは危険なことだ。

 ユノが蛇蝎のごとく嫌われているのと同じでアリカはこの街では変人扱いだ。ギルドの配達を終えては町外れの「騎士殺し」の家に入り浸るハーフリザードの女。

 ギルドの配達人という立場がなければ街の荒くれ者や冒険者に手を出されてもおかしくない。

 それにユノの存在も大きかった。元勇者で大罪人のまるで正気ではないような冒険ばかりする狂った少女。そんな得体の知れない存在との関わりで彼女は、守られていた。

 それはユノ自身もそしてアリカも自覚していることだった。

「きっと、生きて帰ってもここに帰ってくるのは、すごく後のことになる、わたしは、そう“みんな”に、会いにいくんだ」

 それは嘘で、真実だ。

「前に、進むんですね、ユノさん」

 アリカが喜んでいるような、悲しんでいるような、どちらにもとれない表情をした。口元は笑っているのに、眼には悲しみばかりが漂っている。

 亜麻色の髪がひとふさ、顔の前に垂れた。

「いつまでも、待っていますよ」

「駄目だ」ユノは首を振る「わたしたちは、お別れしなくちゃならない」

「なぜ?」

「わたしたちは長く一緒に居過ぎた。私が殺してしまった人達の親族が、アリカまで狙ってる――これまでもそんなことあったけど、これから、私は側にいて守ってあげれない」

「ユノさんが、いなくてもわたし、大丈夫ですよ?」

 アリカが努めて笑顔で、そう言う。

「ユノさん、わたしねこの前ついにヒーラーの資格取れたんですよ、前にも話しましたよね?癒し系魔術師!これからは人の怪我とか、病気を治してお金もらえるんです!」得意げに胸を張る「すごいんですよ?魔術って、棒を振りながらルーン描いて呪文唱えたら火傷とかみるみる内に消えてくんですよ、わたし、才能があったみたいです」

 沈黙。

「だからユノさん、全然、全然心配いらないですよ、ていうか忘れられてるかもしれませんけどわたしユノさんより2つも年上ですからね!?自分1人で、生きていくくらい、なんのことないですよ!」

 

 

 がたん!アリカが立ち上がり、椅子が倒れた音だ。 

 

 

「だから!お別れなんて言わないで下さい!まるで今生の別れみたいな、もう二度と会えないみたいな言い方しないで下さい!」

「アリカ」

「旅!?いくらでも行けばいいですよ!ユノがここに帰ってくるまでわたしはギルドの仕事してヒーラーして月に何度かこの家を掃除しますよ、これまでと同じように!だいたいユノは自分に味方がいないいないって考え過ぎです!お金さえ払えばここにいる冒険者は幾らでも私のことくらい守ってくれます!それに貴族なんてあんなトロくて砂海をひとめでもみたことあるか怪しい連中に、わたしが捕まえられるわけがないでしょう!」

 一息で怒りを吐き出し、アリカは肩で息をした。疲弊している。手はぎゅうと固く握り締められ、ネグリジェに包まれた肩は震えている。身体のところどころに生えた緑色の鱗が赤みを帯びていた。興奮している証拠だ。

「だから、心配しないで、前に進んで下さい。きっと何もかもうまく行きます――悪い事の後にはきっと善いことがあります、世界はそういう風に出来ているんですから」

「アリカ……わたし、は」

 頬に冷たいものを感じた。

「ああほらほら、泣かないで下さいよユノさん……あ、そうだ今夜は飲みましょう?門出のお祝いです。題してユノ・ユビキタス友を訪ねて三千里!引きこもりの少女ユノが寂しくなっちゃってお供のポチと一緒に昔の友達に会いにいく感動巨編……イタッ、なんで叩くんですか」

「ばか、アリカのばか」

 ユノはもう目の前が見えなくなってしまった。恥も外聞もなく、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。なんとかそれを隠そうと顔を手で覆うが“グラーベルの鉄篭手”の金属は涙を吸収するには頑な過ぎた。テーブルにぽたぽたと塩辛い雨が落ちる。

「ああ、全くしょうがない勇者さんですね――ほら、ユノさんの好きな青ビアとオリーブの味ですよーすぐに茹でるんで待っててくださいねー」


 白髪の少女の嗚咽と、ハーフリザードの少女の優しい声だけが、どこか温かみを帯びて、ドンテカの夜に吸い込まれていく。






「ああ、感動的――虫唾が走るったらありゃしない」

 吐き捨てるようにそう言ったのは黒衣の少女だ。

 チヒロという「この世にそぐわない」名前の魔王。

 いつもより少し簡素なドレスに身を包み、人間の感性では不気味で得体の知れない装飾のソファに寝転がっている。

 艶かしい白い素足が、スカートの裾から太股まで露出している。

 少女の眼前には、妖術の操作が施された鏡が置かれていた。少女の美貌を映し出す為ではなく、それはどこか遠い、砂海の懐に佇む村の一軒家を映し出していた。

 遠ざかるそのビジョンを口ぶりとは違う楽しげな表情で見つめながら少女は指を鳴らす。

 暗闇の中、ふたつの青白い光源が現れた。それは奇妙な紋様の衣に身を包んだ魔族のソーサラーが生み出す光で、その横に1人ずつ魔族軍二軍団“レヴィアタン”を率いる魔族デアシュと、四軍団“ローレライ”の長プシュケが佇んでいる。


「状況は?」

 チヒロが言う。

 デアシュ――黒髪をサイドテールに纏め、ぴったりとした黒のドレスに身を包んだ女性が抑揚の少ない声音で答える。

「配置完了です、ご命令の通り我が軍精鋭のスラッド兵たちが作戦開始の合図を今か今かと待っておりますわ」陶製の人形のような顔が笑う「国王様の一言で全ての作戦が動き出しますよ」

 ふーんとつまらなさそうにチヒロは頷くと今度はプシュケに声を掛ける。

「プシュケくん、作戦Vはどういう手筈?」

 魔族の少年が気合まんまんに1歩前に出る。

「はっ!“スルト”の出撃準備完了しております!最終テストにも問題なく当作戦では十二分のポテンシャルを発揮できるものと思います!!!」

「声が大きいわプシュケ」

「はっ、も、申し訳ありませんチヒ……国王様」

 耳を押さえて可愛らしく文句を言うチヒロにあたふたとプシュケが謝る。それらをデアシュは糸のように細い眼でにこやかに見ながら、言う。

「ふふふ、それでは国王様、兵が今か今かと待っておりますので、合図のご用意をよろしくお願いいたします」

 そうしてデアシュはまるで闇に溶けるように消える。ソーサラーが唱えた転移術だ。

「あ、デアシュ待って……そ、それではこく、くっ、チヒロ様!私も行きます!」

「はいはーい」

 同じように闇に溶けていくプシュケにチヒロはぶんぶんと手を振る。手首に付けられた悪意を感じる形状の花のコサージュが揺れた。


 にっこりと、魅力的で退廃的な笑顔を浮かべ、チヒロは立ち上がる。

 ぺたりと黒い床に素足が着陸する。


「さー、それじゃあはじめましょうか!楽しい楽しい“嫌がらせ”のはじまりはじまり」


 やおらそう言って、チヒロはソファに屈んで備え付けられた収納スペースを開ける。その中には「こちら」では伝説の物質であるプラスティックで作られた薄いケースが幾つも収められている。

 本の様な形状のそれの表紙にはこの世界の技術では到底不可能なほど鮮やかな写真や絵が描かれている。

 DVD――「あちら」の世界でそう呼ばれるものだ。

「えーっと、どれだったかな?」

 乱雑に放り投げるようにしてDVDを抜いていく。目的ではなかったものは黒い床にばさばさと軽い音を立てて転がっていく。


『リリカルなのは劇場版』『エヴァンゲリオン』『妄想代理人』『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』『カリガリ博士』『マトリックス』『田園に死す』


 脈絡のないラインナップの「アニメ」や「映画」が床に散らばっていく。


「ああ、これこれ、あったあった!」

 1つのDVDを手に、チヒロは立ち上がる。

 赤を基調とした背景に、微笑みの仮面を被った黒衣の怪人が短剣をXに交差させている。

 その下には女優の顔と街並み、怪人の扮装をした群衆が斜めに描かれている。

 それを掲げるようにして持つと、異様なまでに綺麗な声音で「その題名」を読み上げた。






「ブイ・フォー・ヴェンデッタ」


 一度言葉を切り、付け足す。


「作戦かいしっ!」



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