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ケイブリス、ドンテカ



『月』の暦1065年

天候:晴れ 8月22日

13時10分

城砦都市ケイブリスの一角



 盗賊団の襲撃から一夜、ユノ達3人の姿は城砦都市ケイブリスにある。

ケイブリスでは闇市場が盛んだ。ランバルディア国法で定められた商売に関する法律、例えば刀剣取り扱いの許可やマジックアイテムの販売制限。国外人に対する税率法。4年前の戦渦のさなか兵士や騎士の遺品、あるいは研究対象にある魔族側の様々な軍制品の売買の禁止――それが全部、この街では存在しない。

悪名高い奴隷市こそないものの、他の場所では見つかれば即お縄の商店が半ば公然として存在している。

都市には当然中央から派遣されてきた役人官使がいるものの、街を戦前――古くは2,3度前の魔王侵攻のときから牛耳るマーケットギャングによる“手厚い”歓待を受けて骨抜きになっているのが現状だ。

貴族という人種が実質取り仕切るこの国の癌が垣間見える光景だ。

市民を守る義務があるものや、ランバルディアに忠誠を誓う者は憤るべき現状ではあるが――それが生活に直結していたり、とても便利であったりとするとそうも言っていられないのも真理だ。

特に望む望まずに関わらず、人の常道から外れてしまったような人間にとっては。


「えー、ミスリル材用オイル1個に官給メシ3缶…あとはペラ酒1瓶にチーズが1塊。占めて300マルクだね」

「200でどう?」

「値切る気かいお嬢ちゃん…250」

「200じゃ駄目?300はちょっとフッカけ過ぎ、傭兵団でも雇うつもり?」

「話にならんね、250、これ以上は負けんぞ」

「じゃあこれは?」


白髪の少女――ユノはポンチョの中から一枚の金貨を取り出す。ランバルディアで使われているマルク貨幣ではなく隣国、魔法使いの国エルムトで使用されているシージ貨幣と呼ばれるものだ。

それまで値段交渉をしていた闇市雑貨の店主、髭を生やしたヒスシー人(メルカトル大砂海の北側に住む遊牧民族)の商人の目が輝く。


「ほ、ほ、お嬢ちゃん!そりゃもしかしてシージじゃないのかい?」

「そ、5シージ貨幣、200とこれでいかが?」

「うーん巧いなぁ、お嬢ちゃん…いいよ、持ってきな!」

「ありがと」

「また頼むよ!」


ほくほく顔の商人に薄い笑顔を浮べながら別れたユノは、約2人分の冷たい視線に晒される。

可愛いバックを嫌々背負ったルビィと、テントなどの大荷物を背負わされたフリードだ。


「おい…」

「あの…ユノさん」

「ん?どうしたの?」

「シージって取引禁止だよな?つか持ってたらそれだけで牢屋行きだよな?」

「正しくはエルムトへの渡航許可かつ商業権を持つ人間以外です、政商とかそういう」

「ああ」

合点がいった、といった顔でユノが頷く。


 隣国、という要素もあるものの魔王という大陸全体の脅威が存在していない時分、ランバルディアと魔法使いの国エルムトの間は険悪だ。

そもそもエルムトはかつてランバルディアに仕えていた魔法使いたちが独立して出来た国だ。ユノはあまり事情は詳しくないものの、当時の魔法使いたちを統括する大賢者ルグナーソスがランバルディアに愛想を尽かし、弟子の殆どを引き連れて行ったのだという。

そして当時未開の大地だった東部にエルムトを築いた。

当然ランバルディアの王族とルグナーソス率いるエルムトは戦争状態に入った。


しかし、エルムト領土となった東部の偉大なる龍族の存在や、長年ランバルディアに聖域の森を脅かされ続けてきたエルフ達の結束があり、魔法使いたちが抜けて国力が落ちたランバルディアはエルムトをそう簡単に押し潰すことが出来なくなった。

それでも領土を巡って幾度かの小競り合いがあったものの、200年周期で訪れる魔族の地上侵攻で協力せざるおえない関係と、研究者色が強い魔法使いたちの厭戦志向により、近年では「仲が悪い」と捉えられる程度の関係になっている。

といっても、それは国家間の関係で市井の人間が気軽に行き来できたり、商売をしにいける状態ではない。外交関連の役職に就く貴族や何らかの王命を帯びた騎士、もしくはランバルディアの為に取引を行う特別な商人に限られている。

それ以外の人間がエルムトの貨幣――シージを持っていたら禁止取引の疑いかスパイ容疑で牢屋行きだ。


それが此処、ケイブリスになると話が違ってくる。闇市場でそういった法律は一切通用しない。街を取り仕切るマーケットギャングの采配が法律だ。

この2年でシージ貨幣はおおよそ10倍以上の価値で取引されている。エルムトでパンと水1瓶が買えるか買えないかの値段が、ここでは中品質の魔術が付与された剣一本の価値まで跳ね上がる。


あのヒスシー人の商人もうまく立ち回ってギャング相手に儲けるだろう。


そんなにエルムトの金を集めてどうするのか、と思うが――まぁ、何かの悪巧みに使うのだろうとユノは他人事のように思っている。


だからこんな発言もできる。



「便利でいいじゃん」

「貴っ様…騎士の目の前で公然と違法を…!!」

「そもそもボクたちがここにいる事自体マズそうですよね」

「ま、そうだね…移動しようか」


 

 明らかに納得していないルビィと、疲れた顔のフリードを連れてユノはケイブリスの大通りを歩く。

ケイブリスには四つの大通りがあり、それら全てが街の中心部――市役所や神殿などの行政区に繋がっている。

大通りからは毛細血管のように横道が派生しており、迷路のような構造をしている。街の区画は大きく分けて商店や宿酒場が連なる商業区、街の運営に関わる行政区、雑多な人間が住む居住区、バディア(娼婦街)や、賭博場のある歓楽区に分かれている。


どこもかしこも喧騒で溢れかえっている。


煉瓦で造られた建物に、細かく入り組んだ石畳。

大通りは直線ではなく、緩く蛇行を描いて造られており、外部から侵入した敵に惑わす為のつくりらしい。

通りには時折堅牢な鉄扉が開かれたままになっており、有事の際にはこれで区画を封鎖する造りになっている。

手押し式ではなく、ルーンで自動に閉まる仕組みになっているようだ。

ユノはがやがやと賑わう大通りのひとつ――“剣楯”通りの中で、2人にそっと告げる。



「上、見て?」

「上?」

ルビィがくい、と頭上を見上げる。

「上っていうか、ほら、前方の陸橋」

「人がいますね、通りの人間を監視しているように見えますが」



フリードが眼を細めながら言う。大柄なこの騎士には見えたようだ。

前方の建物と建物を繋ぐアーチ状の橋の上に黒い服に身を包んだ人影が3人見える。

布で顔を隠し、性別までは分からないが、それぞれ帯剣し行きかう人ごみを尊大に腕を組んで眺めている。

ルビィもその姿を見つけ、怪訝そうな顔でユノに問う。



「あの3人か?あいつらがどうしたというんだ?」

「このケイブリスを取り仕切っている奴らの私兵。憶えておくといい、真ん中にいる奴の腕に注目」

「?」


ルビィとフリードが視線を動かす。中央の黒服の露出した腕にタトゥーが彫ってあるのが見えた。鎧を着た3人の人間が並んだような図案。その下に「×」が装飾的に記されている。2本の短剣が組み合わさっているように見える。



「あの図案は一種の警告。あれの場合「私は騎士を3人殺しました」ってサインね」

「騎士を」

「…殺した?」

「そ、まあ本当に貴族階級の騎士なんて殺せばどうなるかは眼に見えてるから、金も領地もない騎士くずれでしょうね」

「噂には聞いている盗賊騎士、といった手合いか」



 ルビィが忌々しい、といったふうに吐き捨てる。

騎士とは粗暴な盗賊やモンスター、ときには魔族といった脅威から人を守り、仁義を尽くす。

王侯貴族からは信頼され、平民には尊敬される一種の聖職といってもいい。

しかし長きにわたる魔族との戦争の中で、領主も領地も失ってしまった騎士というのが多く現れ――その多くは復讐の意志に突き動かされてエインヘリャルに志願し、死んでいくか、平民として荒れ果てた国の復興に参加していった。

しかし怪我や病気などで最前線から引き離され、死ぬことも希望を見出すことも出来なくなってしまった者も多かった。

彼らに残されたのは「自分が騎士」であるという名誉とやり場のない怒りのみ。そうなってしまった者の何割かは王国から離れた地方に潜み、村や行商人や冒険者を盗賊同然に襲い金品を強奪している。

ルビィもその何人かを自分の手にかけたことがある。もはや言葉も理屈も通らない。名誉と金、生と死に憑かれてしまった欲望の権化だった。同じ騎士としては憐れと思うが、自分の名誉と金の為に関係ない無力な平民を虐げるのは許せなかった。



「そう、それでも示威としては充分という事ね、平民であれ貴族であれここでは皆同じ――そう言いたいらしいわね」

「…随分と詳しいな、勇者」


憤りを秘めたルビィのその一言にくすり、とユノは眼を閉じて笑う。

背後の2人には見えないが、その笑みは空虚さを孕んでいる。世の中の苦味を飲み干したような、年相応では決してない笑み。



「2年間大陸中を歩き回ったもの、色んな、そう色んなモノも見えてくる――望む、望まずに関わらず、ね」



ルビィには前を歩く白髪の勇者の背中が、いつもより一層小さく見えたような気がした。




 旅装品の補給を終えたユノ達は大通りを横に逸れた比較的衛生が良さそうな飯屋に入る。

家族経営らしいこじんまりとした店だ。それなりに流行ってるのかちらほらと客がいる。

庶民の飯屋に入るのがはじめてなルビィが多少戸惑いを見せたが、フリードがさりげなくフォローして特にトラブルは起こらない。

が、盗賊団襲撃のときに何か感じることでもあったのかルビィが少しフリードを警戒しているように視える――むしろ戸惑いとも呼ぶべきか。



「ルビィ、その料理はシエラ(大陸で主要な香草の一種。爽やかな酸味をもつ)が入ってるからやめておいたほうがいいよ…どしたの?お腹でも痛い?」

「い、いや大丈夫だフリード……子供か私は!?」

 

フリードは一貫して出会った当初、もしくは副官としてルビィに付いていた今までと同じ、気弱な好青年のままだ。

盗賊を一方的に追い詰めた冷徹な表情はそこにはない。

ユノはそんな微妙な距離な2人を尻目に料理を注文する。

数刻も経たないうちに、湯気を立てた皿が腕っぷしの強そうな女将の手で運ばれてくる。

「なんだそれは?」と、聞いたのはルビィだ。興味津々といった表情でユノが頼んだ料理を見つめている。

ちなみにルビィとフリードが頼んだのは王都にもある鶏肉とチーズのパエリアだ、仲良くエールをジョッキで頼んでいるあたり警戒しきれてない。



「ん?マンドラゴラと茸のアイリース風炒め」

「マンドラゴラって…」

「毒草ですよね?わりと危険なタイプの」

「調理方法による、それに私にはどんな毒も効かないよ」

「“勇者の加護”か、便利なものだな」



“勇者の加護”は主神ドンナーに与えられた勇者だけの特権だ。

それは盗賊襲撃のときに見せた『世界の停止』だけに限らず様々な恩恵が与えられている。

ユノの身体はどんな毒も受け付けない。一般的な薬物による毒から魔術・魔法による毒。モンスターの持つ生体的な毒。

魔族が使うソーサリーによる毒。あらゆる毒が効かない。

毒だけではない、命を刈り取るような呪法や精神を操る洗脳の類も効かない。

この特性にはこれまでかなり助けられている――戦争中も戦争後も。



「勇者、そろそろいいのではないか?」



エールのジョッキを傾けながら、ルビィが呟く。

天井に吊るされた魔術の照明を入れた硝子瓶がチリチリと音を立てている。

店内は全体に埃っぽく、砂の香りがする――メルカトル大砂海近隣の街はどこもそんなふうだ。



「何が?お勘定?」

「誤魔化すな、そろそろこの旅の目的を教えろ」

「冒険者ユノ・ユビキタスと共に任務に同行せよ、期限不明。目的不明。確かにそろそろ教えてもらいたいですねぇ」

フリードがパエリアを切り分けながら喋る。



 ふむ、とフードの下でユノは考える。

そもそも何故この2人に任務、セリアの願いのことを伏せたかというと、王都の貴族連中の耳に入るのを避けるためだ、貴族の大半はユノの存在を認めていない。

常に監視の目を張り巡らせ、恐るべき悪事に加担している証拠か魔族と裏で通じている様子を血眼になって探している。“契約”ですら逃げられないほどの罪人であることを証明しようとしているのだ。

流石に2年も経てばそういった「動き」は緩んだものの、一時期はかなり辛かったことを憶えている。常に何者かの気配を感じ、生活の全てを観られ続けている不快感。

少しでも何か不用意な行動をしたら殺されてしまうかも知れない焦燥感。セリアの助けやアリカの存在がなければ、本当にユノは勇者でも魔族でもない「なにものか」に変貌していただろう。


今回の行動も貴族たちのそういった「動き」を活性化させる危険があった。

何せ魔族に加担していた人間が魔族軍が残留する西部に行こうというのだ、目的を知らない人間にしてみればその残党と「何らか」のコンタクトを執ろうとしているのだ、と解釈されても仕方ない。そういった出来事はこれまでもあった。

それは聖女セリアの真摯な説得で止められてきた。しかし、今回はそうも行かない。旅の目的が目的だ。

「勇者が消えた」などと知れ渡れば大変なことになる。


召還された当初のユノは知る由もなかったが、「勇者」の存在はこの大陸の大きな精神的支柱だ。

魔族とは人にとって対抗すらままならない恐るべき存在。実際に雑魚を除いた魔族の大半はただの騎士程度では相手にならない。「聖」と「火」の属性を魔術か魔法によって強化した武具で身を固め、戦いへの恐怖心を薄れさせる“エインヘリャルの加護”を受けて、ようやく立ち向かえるような存在だ。

それらをいとも簡単に屠っていく「勇者」は英雄ですらなく、神の使いだ。主神ドンナーが遣わした救済の顕現――勇者として召還された当人たちの気持ちはどうであれ、そんな認識だ。

だからこそ、それが裏切られたときの反動も、恐ろしい。



「誰にも漏らさない?」



小声で、対面に座る2人に顔を寄せる。

ルビィは片眉をあげ、フリードは「うへぇ」といった表情になった。当然だろう、と言う顔と重大なことに首を突っ込んだ、という表情だとユノは解釈した。



「はじめにいっておく、この話を聞いたらもう完全にあんたたち2人は一蓮托生。もうしばらく国に帰ることもできないし、場合によっちゃ永遠に帰れない。途中で逃げ出すことも出来ない、私が殺すからね、まだ仮定の話だけど」

「……」

「げぇ…」

「仮定の話だけど、あんたたち2人はもしかしたらランバルディアが、国の根幹がねこぞぎブッ壊れていく騒動の、いちばん中心になっちゃうかもしれない…まぁ、全てが徒労なら、ただ“灰かぶりの勇者”と仲良くしたって貴族会の査問に掛けられるくらいで済む」

「…それ嫌だな」

「どっちにしても悪い方向にしか転がらないってことですよね、それ」

「そ、聞く?」

「私の意志は決まっている」

「異存はないです」



ユノは2人からいちど身体を離し、店内を見回す。

木造のカウンターとテーブル。壁に掛けられたタペストリに時計。昼を少し過ぎて客はまばらだ。ユノたちから遠く離れたカウンターに2人。テーブル席に4人。

さきほど料理を運んできた女将はキッチンに引っ込み、店員は――鉄製の水差しを持って客を回っている三つ編みの少女くらいか。

この店を経営している家族の娘だろう、女将と髪の色が同じだ。

間諜と思しき人間の姿は見られない――彼らはある意味、わかりやすい。

ユノは乾いた唇を舐めてから、話す。



「2人はセリアと私を除いた勇者――ナオキやケンヤとの面識は?」

2人は顔を見合わせる。フリードは首を振って答えた。

「ミルニル家のハイネならば騎士学校で先輩だった、がナオキ様やケンヤ様とは…直接お見かけしたのはエインヘリャル出征の際と、ご帰還の際か、前者では貴様も居たな」

「そう、まあ2人ともほとんど知らないという事ね、てゆうか私は呼び捨てなのね?」

「様づけして欲しいのか?」

「…背中に氷を入れられたみたいになりそうだから、やめとく」



ユノはすう、と息を吸う。言葉を発するのに少し勇気が必要だった――この事実を伝えるだけで、二人の人間の運命を変えてしまうかもしれない、と畏れがあった。

しかしどちらにせよこの2人には言わなければならない、もし「最悪の事態」となったならばユノ1人では太刀打ちできないのだから。




「私以外の勇者が、この地上から消えた」



沈黙。



沈黙。



まず、口を開いたのはフリードだった。好青年の顔は消え、冷静で火の通わない表情になっている。



「それは、比喩的な表現ですか?」

「ある意味、直接的だよ。セリアが定期的に行っていたラタトスクを使った“対話”の距離外にいる」

「ニザヴェリルの魔術道具には詳しくないですが、ボクの記憶だと――それは大陸全土まで通じるものです、よね」

「その通り」



はあっ、とルビィが息を吐いた。そしてすうっ、と大きく息を吸い込む。

「こちら」にその概念があるかは知らないが、それは深呼吸に似ていた。



「つ、まり、それ…は――」

「地に隠れたか、天に昇ったか、海に潜ったか?もしくは」

「死んで、しまわれた、ということか?」



ユノはじっ、と正面に座る少女騎士を凝視する。顔を俯け、テーブルの木目を睨むようにしている。衝撃と動揺、その他の様々なリアクションを精神力で自制しているように視えた。

この少女――ルビィ・ギムレット・アンテローズにとって「勇者」とは多くのランバルディアの人間と同じように、大きな崇敬の対象だったのかも知れない。

主神ドンナーに遣わされた、人を闇から光へと導き、人を魔族の手から救済する神に選ばれしもの、勇者。

4年前の「向月ゆの」は確かに勇者だったが、ユノ・ユビキタスはもうそんな重すぎる「責任」は背負っていない。いつかのどしゃぶりの雨の日に、騎士20人の命と一緒に棄ててしまった。



「そうとは言い切れない、何らかの事態でラタトスクが故障しているのかも知れないし、実際に地底や海に潜っている可能性もある。第一、魔王のいない魔族にあの4人は殺せない」

「しかし、その確証もないから確かめに行く…そういった理由ですか」

「そう、他の人間には任せられない…最悪の事態であった場合に、ね」



フリードがルビィの肩に手を置く、それでいくらかルビィは落ち着いたようだ。



「後悔した?」



ふっ、とルビィが笑う。口元だけ歪めるような、少女には似合わない笑み。



「甘くみるなよ、勇者――しばらくは、退屈しないで済みそうだ」

「ははは…」

「フリード、あなたは?」

「ボクはルビィの副官ですからね、御大将が死地に向かうならそれに従うのが騎士の誉れ、ってヤツでしょう」



そのおどけた発言にユノはくすり、と笑う。

破天荒で、実直な少女騎士とその副官。ユノはほとんど実際に剣を交えて感じた実力だけでこの冒険に引っ張ってきた。性格は二の次の不安の残る人材。

しかしこの2人で間違ってなかったかもしれない、とユノは思った。





「それではこれからメルカトル大砂海を越えるので?」

「いや、その前にドンテカによる。砂漠の入り口の街で、あー」

「おまえの今の住まいがある場所だったな?」

「そ、前の家が燃やされちゃったからね」

「…」


 飯屋を辞したユノ達の足はケイブリスの西門へと向かっている。

西門に面した大通りは宿泊宿が多い、これから西部に旅立つ旅行者向けだ。

他にもロードスギルドの支部が設置されており、そこで冒険者が護衛の売り込みを行っているのが常の光景だ。

現在は特にメルカトル大砂海の護衛が需要があり、それ専門に装備を整えた冒険者などもちらほら見える。

ユノの服装もどちらかといえば砂漠向けのものだ、フード付きのポンチョは暑い日差しを遮るのに有効だ。

ユノはルビィとフリードを西門付近で待たせると、冒険者と旅行者でごったがえすロードスギルドの支部へと立ち寄った。



「ロードスギルドケイブリス支部へようこそ!ご用件は?」

支部は近代的なつくりをしている。魔術による“冷気”が常時掛かっていてひんやりとしている。暑い外から冷えた室内へと入ったせいでアンダーウェアの下で汗がふき出すのをユノは感じた。

冒険者と旅行者の間を縫ってカウンターへ近づくと、赤色の制服に身を包んだ受付嬢の女性がにこやかに営業スマイルを浮かべる。



「冒険者登録番号一〇二二五二一、大砂海の気象予測を知りたい」

「はい!気象予測ですね、少々お待ち下さい…登録番号…」



受付嬢の書面をめくる手が止まるのも、既に儀式のようなものだ。

戸惑いと恐れを浮かべながら書面とユノの顔を見比べる受付嬢にユノは半分うんざりしながら声を掛ける。勤めて優しい口調で、と試みてるが成功しているかユノには判断がつかない。



「別になんでもいいから女子供を20人以上は大量に一方的に虐殺できる依頼はありませんか?と聞いてるわけじゃないでしょ?出来れば早くして欲しいのだけれど」

「ひっ」

どうも失敗してしまったらしい。受付嬢は目に涙を浮かべながら、後ずさるようにカウンターの奥へ消えていく。

とりあえず対応はしてくれるらしい。


待つこと5分程度、浅黒い長耳族のギルド職員が受け付けに出てくる。

制服の襟にロードスの葉のバッチが付けられている所を見るとこの支部の長だろう。

名前は知らないが、このケイブリスではもうユノと顔馴染みの人物だ。



「おまたせしました、ユノ・ユビキタス様。ご用件はメルカトル大砂海の予測情報でしたね?」

「そ、危険モンスターの目撃情報も合わせてお願い」

「畏まりました。こちらの方になります――代金の方はランバルディア本部宛で?」

「それでお願い、悪いわねいつも」

「相互扶助こそがロードスに組する冒険者の精神、当然のことで御座います」



亜人の職員が折り目正しく一礼する。



メルカトル大砂海の気象予測――巨大なサンドストームや砂霧などの危険な天候をまとめた帳面に目を通しながらユノは門の前で待つ2人へ歩いていく。





「それじゃ、お母さん。少し出てくるねー」

「あいよー!帰りに牛乳お願いね!」

「♪」



 ケイブリスの“剣楯”通りから少し外れた横道。そこを少女が歩いていく。

先程、ユノ達が食事をした飯屋の娘だ。三つ編みに健康的に日焼けした肌。三角巾とエプロンドレスが相まって素朴な印象を与える少女だ。

少女は上機嫌に鼻歌を唄いながらケイブリスの小路を歩いていく。

石造りの建物に囲まれた路地は日の光があまり入らず、建物と建物を利用して掛けられた洗濯物も相まって暗い影となっている。

少女はふんふん、と鼻歌を歌いながら路地の階段を小走りに駆け昇り、隣のブロックへと続く陸橋を駆けて行く。

すれ違う顔馴染みの露天商や同年代の少年をあしらいながら少女は少しづつ街の影へ影へと入っていく。

暗いながらも明るい印象があった小路とは違い、ケイブリスの裏道はどこか殺伐とした雰囲気を漂わせている。

建物の窓は割れているか、普請で塞がれていて時々何かを殴るような音や女の悲鳴が聞こえる。

すえたような匂いもする。その不快な匂いの正体は、短気でかんしゃく持ちな裏路地の住人が殺した犬の死骸だったり、街を取り仕切るギャングがなにかろくでもない理由で「おもてなし」した人間の末路だったりする。

幸いながら少女の入った裏路ではそんな裏社会の日常生活は行われておらず、生きてるのか、死んでるのかわからない乞食が階段の隅で蹲っているだけだ。

少女はそんな陰惨な裏路地をにこにこと駆けていき、ある1つの建物の扉を開けて入った。

建物の中は暗闇で、日も差さない。調度品はないように見える。

何もない窓ばかりの寂しい建物だ。



「やまー」

「かわー」



 そこに居るのは複数の人間だ。半裸の老人、黒い服を着た筋肉隆々のギャングの私兵、頭に籠を乗せた中年の女、少女よりも幼くヌイグルミを抱えた少年。

整合性のない、どこにも関連のなさそうな人間が建物の中で思い思いに座っている。

老人と女がサイコロとカードを使った遊びに興じており、ヌイグルミの子供は殺風景な建物の壁に石灰の棒で落書きをしている。

ギャングの私兵はマスケット銃を脇に抱えたまま、壁際に座って湿気た煙草を吸っている。

少女が建物の中に入ると、老人がにっこりと皺深い笑みを浮べて言う。



「それじゃあ定期報告会としようかのぉ」



 その一言の後の、変貌は異様だった。

虫の脱皮のように老人の背中が割れ、中から角を生やした乱杭歯の怪物が出てくる。

と、思えば屈強な私兵の男がまるで両側から見えない壁でプレスされたように細くなり、黒い布を纏った烏賊のような怪物と化する。

マスケット銃が砂の溜った床にばさ、と落ちる。

中年の女の身体がどろどろと溶けて籠に吸収され、酷くおおざっぱな造形の人面を貼り付けたクラゲにモーフィングする。

少年はほとんど変化しない。只、顔が巨大な鮫に変わっただけだ。

そして飯屋の少女はというと、人魚のような姿になっている。服も擬態の一部だったのか、三角巾を除いた被服が全て魚燐と化し、少女の下半身へと吸収されていく。

それぞれ個別に、異様な変形を遂げた彼らの共通点、それは黄色く光る眼と白い肌だった。

魔族――人はその姿を視て畏怖と恐怖を篭めて、そう呼ぶ。



「ええと、ソレデハ皆さんお疲レ様デス」

「ゲゲルル」

「オツカレ」

「オッツウ」

「ググルググル…」



それぞれが人語と奇妙な言語を混ぜた言葉で返答を返す。

老人に擬態していた“乱杭歯”がリーダーなのか、彼を中心に「報告会」は進行する。



「案件Yについて、誰か有益な情報ヲ得たモノは、イマスカ?」

「ナイ」

「グラグラ」

「サッパリでス」

「アタシ、アルヨ!案件Yノ、サ、サイジュウヨウ人物?がお店ニキタヨ」



飯屋の少女に擬態していた“人魚”が誇らしげに手を上げる。



「オ、ナイスナイス、報告オネガイしまス」

「ヌガヌガ!」

「コウイウ時って流石!ってイエばイインだっけ?」

「ググレ」



“人魚”が身振り手振りを交えて、彼女の“潜伏先”に来たサイジュウヨウ人物?について報告する。

人間の言葉と、奇妙な魔族の言語が交じり合ったそれを“乱杭歯”がフムフムと頷きながら羊皮紙の巻物に記していく。30ラウン近い巨体が身を屈めて小さな巻物と向き合う様は滑稽を通り越して異様ですらあった。

報告を聞いた“鮫頭”が満足そうに喋る、あどけない少年の声だ。



「ソッカー、以外ニハヤカッタネー、予想ヨリモ1週間ハハヤイヨ」

「グルグルゲゲル…予定ノ、立テ直シ、必要、オモウ」

「そうでスネー、デキレバ作戦Aノ発動ノ前に作戦Vも処理シテおきたイデスねー」

「V?Vってなんだっケ?」

「Vは、アレだよ!“復讐”」

「アー、国王様ノ考エタ作戦カー」



ぱんぱん、と“乱杭歯”が手の平を打ち鳴らす。その音でそれまで好き勝手に喋っていた魔族たちが黙る。

“乱杭歯”は満足したように頷く。



「ハイ、報告ありがトウございマした、ソレじゃあ今後の活動ヲ伝えまス」

「ハーイ!」

「ゲラゲラ」

「アイボスとレレルゾはココに残って、諜報の続き。エンヘソは西部、アーヴィーは王都の仲間と合流デ、任務にカンシテはそれぞれの隊長ノ命に従うコト、アトばれない、コレ最重要ネ」

「ゲゲルゲルゲル…了解、隊長ハ?」

「ワタシは案件Yノコトをプシュケ様にゴ報告にアガル…初メテ“アレ”に入ルミタイだからちょっと緊張スルね!」

「イイナー!ワタシもイキタイ!国王様ミテミタイ!」

「ゴラゴラ」

「潜伏先ノ後始末モ忘レルナヨー」



どこか気の抜けた漫才のような口調で、魔族達のひそやかな企みが進行していく。



「サテ、それじゃアそろそろ、解散トいうコトで」

「ゲゲルル…隊長、御武運ヲ」

「気合イレテイキマショー、国王サマと地上奪還ノタメニー」

「グルガグルガ」

「ハーイ!ソレジャあ…ミドガルスの御神とローレライの旗に誓ッテ!」



ざ、とそれぞれ形が大きく異なる魔族達が一斉に何かの礼をする。

人型に近い魔族は右腕を胸付けて、左の掌を右の拳に添えている。“クラゲ”や“烏賊”は触手をそう見えるように折り曲げていた。

“乱杭歯”が礼を解くと、腕を振って言う。



「じゃ解散デ」



 まるで時間が巻き戻るかのように異形が人間へと戻っていく。

“乱杭歯”が老人の皮を釣りズボンでも履くかのように着用し、スポンジを水で戻すように“烏賊”が傲岸不遜な面構えのギャングの私兵に膨れ上がる。“クラゲ”も同様に籠を乗せた物憂げな中年の女に戻り、少年はもはや鮫の面影さえない。

少女は顔の造作をにこにこと固定したまま、身体だけ人に戻っていく。

それぞれの魔族が“役割”に戻り、ケイブリスの住人をまた演じはじめる。

老人はよぼよぼと杖をついて表の扉から出て行き、それに少女と少年が続く。

物憂げな中年の女は楚々とした動作で散らばったサイコロとカードを籠にしまい、また頭に乗せて出て行く。

最後に残ったギャングの私兵が煙草を砂の上に落とし、裏の扉から――少女の入ってきた扉側から出て行く。

誰もいなくなった建物の暗がりに、大小様々な人間の髑髏が5つ無造作に並べられている。




奇妙で、恐るべき精度の擬態を用いて人の暮らしに溶け込んだ魔族達。

それは魔族軍第四軍団“ローレライ”諜報部隊――の、どこか滑稽で異様な集会だった。



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