第35話 縁結びの木の怪(13)
サンダルを脱ぎ、左手に持つと裸足で旧校舎に足を踏み入れる。
昼間の熱を帯びた、ぬるい木の温度が足の裏から直接伝わってきた。ざりっとした砂と埃の感触もする。
昼間と異なり木造の旧校舎は闇が一層濃く見えた。廊下を照らす。
暗闇の中でギシギシッと音がする。
誰かが廊下を駆け抜けて行ったようだ。姿をみていないのに反射的に私は教室の中に誰かが入って行ったと思った。
学校の中に姿を隠したであろうモノにバレないように息を殺して恐る恐る旧校舎の教室の引き戸の影から覗き込んだ。
視界に入ったモノを見て私は呼吸が止まった。
教室の真ん中の席に……誰かが座っている。
窓から差し込む仄かな月明かりから黒いシルエットが見えたのだ。
幽霊かそれとも実際に生きた人間か……。分からない。確かにそこに肉体としてあるのだが、生きた人間の息遣いを感じないのだ。
このままこうしていても埒が明かない。私の見間違いでなければここにいるのは落合である可能性が高い。
私は勇気を振り絞って影に向かって声を掛けた。
「落合……さん?」
同時にスマホのライトで中心の席に照らす。
瞬間、人影は消えてしまった。
なんだ……私の見間違いだったのか。私は肩を落としてゆっくり教室の中に入った。木の椅子と机の香りと埃の香りがする。
誰かが座っていたであろう席を見下ろし、あるものを見つけて後退った。
「何……?これ……?」
机の上には昔の書物……恐らく当時の教科書が置いてあったのだ。普段は資料室に保管されているはずなのに。さっきまで誰かが使っていたかのように開いて置いてあったのだ。
自分の心臓の音が耳元に聞こえる。落ち着け……。いつもみたいに考察すればいい。
カタッ、と前方からチョークを置く音がして私は肩を揺らす。
スマホのライトで闇に同化した黒い黒板を照らした。
「……」
目の前に広がる光景に言葉を失う。冷たい汗が一筋、背中を伝っていく感覚が誰かに背をなぞられているように感じて全身に鳥肌が立った。
黒板に文字が書きこまれていたのだ。
殴り書きされたような、単語の羅列は不気味な存在感を放っていた。
『柔和』『男女平等』『従順』『女性の社会進出』『貞淑』『高齢出産』『夫二尽クシ』『良妻賢母』『キャリアウーマン』『純潔』『晩婚化』『妻ハ常二夫ノ命二従ヒ』『貧困』『子ヲ産ミ』『家事』『家ヲ守ル』……
全ての文字を確認し終える間もなく、ギシッと再び廊下を駆ける音が聞こえた。
慌ててスマホのライトを向けると落合らしき人影が教室を通り過ぎるのが見えた。
「落合さん!」
声を掛けても落合は反応することなく、通り過ぎてしまった。
再び黒板にライトを向ける。
「……っ!」
さっきまで白い文字で埋め尽くされた言葉は全て掻き消され、赤いチョークで大きくこう書かれていた。
『女であることの罪を思い知れ』
頭の中で別の声が聞こえてきたような気がして、私は頭を押さえた。
思い出したくない、男の憎しみの籠った声。
「落合さんを追いかけなきゃ……」
目をつぶって頭の痛みを和らげてから私は落合らしき人影の後を追うために廊下に出た。
ふふふ……。
すぐに複数の女の子の笑い声が聞こえた。廊下の奥まで照らしてみても人の姿はない。
廊下を一歩進むたびに色んな人の笑い声が聞こえてきた。
同年代の女の子の声だけではない。女性、男性……老いも若いもいろんな笑い声が聞こえる。
人を馬鹿にし、見下しているような気持ちの良くない笑い方だ。私はそれらの笑い声を振り払うように廊下を駆け抜ける。
走っている間、笑い声がどんどん近づいて来ているような感覚に襲われた。こういう場合、振り返るのは悪手だ。背後にいるモノに囚われてしまったら落合を追うことができなくなる。
前方にライトを当てるとまた落合が走り去っていく残像が見えた。
「落合さん!」
相変わらず私が呼びかけても反応はない。
落合と思われる人影は私に何かを伝えようとしているのだろう。そのために学校内を移動して私を怪異に鉢合わせるように仕向けているのだ。
だとしたら最後に行きつくのは……。
私はサンダルに履き替えると旧校舎を飛び出した。




