第1章 | パート1: サプライズ満載の夜
ありがとう
その夜、ジャカルタの空は厚い雲に覆われていた。星も月もなく、ちらつく街灯の光だけが今にも消えそうに瞬いている。
空気を震わせるような騒音が響き渡り、遠くでは学生たちの群衆が声を張り上げていた。
「生活必需品の値下げを!」
「腐敗した政府はもううんざりだ!」
「国会議員の給料引き上げなんて認めない!」
その声は太鼓の音と演説の叫びに混ざり、古びたビルの谷間に反響していく。
俺はただ道端に立ち、遠くからそれを見つめていた。彼らが訴えることが分からないわけじゃない。ただ…すべてに疲れてしまっただけだ。
心の奥で小さくつぶやく。
――いつになったら、この国から抜け出せるんだろう。
深くため息をつき、群衆から離れるように歩き出す。
今夜、俺が向かうのは大学でもカフェでもない。俺にとって唯一安心できる場所――行きつけの漫画屋だ。
ガラスの扉を押し開けると、紙とインクの独特な匂いがふわりと鼻をくすぐる。
棚には色とりどりの表紙が並び、まるで手招きするかのように輝いていた。ここだけが現実を忘れられる場所。
足を止め、新刊コーナーに目をやる。
「やっと出たか…」と小さく呟き、思わず口元が緩む。
その瞬間、明るい声が耳に届いた。
「おっ、兄さんもこのシリーズ好きなんですか?」
振り向くと、二人の青年が隣に立っていた。
彼らの姿は奇妙だった。まるでサーカス団員のような衣装――えんじ色のベストに高いシルクハット。こんな場末の店には不釣り合いなほど目立っていた。
「へぇ、偶然だな。世の中って狭いもんだね」
「だよなぁ。こんなマニアックなの読んでる人、滅多にいないし」
俺は気まずく笑って答える。
「まぁ…最初から追ってるからな」
二人は楽しそうに頷き、作品について熱く語り始めた。
俺も話を合わせようとするが、妙な違和感が胸をよぎる。
視界がぼやけ、声が遠のいていく。
耳鳴りがし、舌は痺れ、目がかゆくてたまらない。反射的にこすったそのとき――
「兄さん、大丈夫ですか?」
一人が目の前で手を振る。
だが俺の体は力を失い、ふらつくばかり。
――ドガァンッ!!
店の天井が大きく揺れ、轟音とともに埃が舞い上がった。外からは悲鳴が響き、どうやらデモ隊の混乱がここまで及んだらしい。
だが、不思議なことに俺の体には痛みがなかった。
重さも苦しさもなく、むしろ軽い。視界は黒く塗りつぶされ――
気がつくと、俺は別の場所に横たわっていた。
石畳の道。冷たい夜風。
車も叫び声もなく、聞こえるのは虫の音と木々を揺らす風の音だけ。
「ここ…ジャカルタじゃない…」
目の前に広がるのは古いヨーロッパの城のような建物。街灯の代わりに灯るのはランタン。
通りを行き交う人々は見慣れないローブや衣服をまとっている。
呆然と座り込む俺。
どれほどの時間が経ったか分からない。心臓の鼓動は収まらず、ただ空虚なまま時が流れていった。
三十分、いやもっとかもしれない。
そのとき――声がした。
「あなた…この街の人じゃないですね?」
顔を上げると、目の前に中学生ほどの少年が立っていた。
整った顔立ちに漆黒の髪、そして宝石のように輝く青い瞳。
その視線は優しい微笑みを浮かべながらも、不思議な威圧感を放っていた。
長いコートに白いマフラー。暗闇の中でも彼の姿は際立っている。
「えっ…俺は…?」
言葉が詰まる俺に、少年は薄く笑みを浮かべた。
「僕の名前は――南カイト」
「どうやら、あなたは間違った場所に迷い込んだようですね」
唾を飲み込む俺。
これは悪夢なのか、それとも――想像もしなかった冒険の始まりなのか。
私のストーリーは面白かったですか?もし面白ければ、定期的に更新してフィードバックをお送りしますので、もっと頻繁に更新できるようになります。