第6話「継がれし頁、あるいは世界の裂け目」
燭台の炎が、静かに石室の壁を照らしていた。
その奥、重たく閉ざされていた扉がゆっくりと開き、若き魔族の知者・ヴェリカが足を踏み入れた。
彼女の前にあるのは、封印されし古文書――《深語の書》。
代々ザル族の司録にのみ伝えられてきた禁断の書であり、今まさに、初めてその内容が解かれようとしていた。
ページを開く。そこに刻まれていたのは、神話とも科学ともつかぬ、太古の記録だった。
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「太初、世界は一つの“理”により保たれていた。
人々はその律に従い、大地に生き、大空に祈った。
だが、或る刻、空は裂け、大地は呻き、海は震えた。
その災厄を、人は《裂律》と呼んだ」
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ページをめくるごとに、気配が変わっていくのをヴェリカは感じていた。
それは、空気の重さではなく、知の重みだった。
「《裂律》はただの自然災害ではなかった。
それは、大気の組成を変え、重力の律を狂わせ、
万物の奥底に眠る“始まりの遺伝子”を呼び覚ました。
その結果、特異な共鳴を示した者たちの内に“異能”が芽吹いた。
彼らは人の姿を持ちながら、もはや“人”ではないとされた」
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ヴェリカはページに手をかけたまま、そっと呟いた。
「……やはり、力は“与えられた”ものじゃなかったのね。
もともと、私たちの内に眠っていたもの……」
異能――それは神の選別でも、呪いでもなかった。
太古からすでに組み込まれていた“可能性”。
《裂律》によって、それが引き出されたにすぎない。
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「だが、異なる者への畏れは、やがて差別へと変わる。
異能を発現した者たちは“裂かれし者”と呼ばれ、
村を追われ、血を否定され、そして……“魔族”と名づけられた」
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ヴェリカはそっと本を閉じた。
それは怒りでも悲しみでもなく、確かな理解に近い感情だった。
「誰かが悪かったわけじゃない。
ただ……違ってしまっただけ。
裂かれたのは世界でも人でもなく、“在り方”そのものだったのね」
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そのとき、文書の奥から一枚の羊皮紙が滑り落ちた。
封蝋には見覚えのある印――カイのものだった。
「世界は、まだ終わっていない。
近く、《第二の裂律》が訪れる。
君だけが、それを止められる」
ヴェリカの胸が、高鳴りを打つ。
死んだはずの少年の言葉が、世界の運命をまた動かそうとしている。
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一方その頃、王都の聖堂では緊迫した会議が開かれていた。
「異能の血を持つ者は、すべて排除すべきです」
「それは愚かだ。力を否定すれば、我ら自身の起源も否定することになる」
交わることのない声がぶつかり合う中、ただ一人、レオニス・ヴェルトだけが沈黙を貫いていた。
やがて、低く重い声で問う。
「……では、異能とは“罪”なのか?
それとも、“生きるための選択”だったのか?」