第5話「火と影、あるいは始原の咆哮」
まだ夜明けには早いはずだった。
だが、黒煙と赤光が西の空を染めていた。
王国軍斥候隊の一人、リオ・アドラーは丘の陰に身を伏せながら、唇を噛んだ。
燃えているのは前線の補給拠点――リェンの小村だ。
そこに潜んでいた魔族が、ついに異常な力をもって襲いかかってきた。
「……これが、“魔”の力かよ……」
燃え盛る村を見つめながら、リオの手は震えていた。
剣も、弓も、戦術も、何の役にも立たなかった。
目撃したすべてが、理を超えていた。
⸻
最初に現れたのは、影だった。
村に射し込んだ月明かりのもと、細い影がぬるりと動いた。
それは生き物のように地を這い、ひとりの兵士の足首を絡め取ると――
次の瞬間、彼は宙に引きずられ、壁に激突し、意識を失った。
「な、何が……!」
「影だ! 地面の影が動いて――!」
混乱する兵たちの中に、すっと立つひとりの少女がいた。
漆黒の布をまとい、瞳だけが赤く光る。
彼女の名は、アル=ネフィル。異能《影縫い》の使い手。
彼女の動きに合わせて、影は鞭となり、鎖となり、矢のように突き刺さる。
「戦い」とは呼べない。一方的な捕食だった。
次に現れたのは、火の男――セラ・ウルス。
「焔よ、我が言葉に応えよ」
静かに詠唱されたその言葉のあと、村の中心に“火”が降った。
それは燃える、ではなかった。生きていた。
火は音もなく這い、壁を舐め、兵の武具を溶かし、叫びを飲み込んだ。
彼が使うのは、古の継承魔術――《焔の継承者》。
火が意思を持つように動くその様子に、兵たちは「火を恐れた」のではない。
「理解を拒絶した」のだ。
「撤退しろ! このままじゃ全滅する!」
叫んだのは隊長だろうか。それすら分からない。
リオは命からがら逃げ出した。
その背後で、第三の影――巨漢の魔族、ゴルド=ラムザが、
崩れた城門の鉄材を丸ごと引きちぎって喰らっていた。
⸻
リオが王都に戻ったのは、数日後のことだった。
憔悴し、焼け爛れた腕を抱え、彼はただ一言こう報告した。
「……奴らは、“魔”です。
火を操り、影を裂き、鋼すら喰う。
人の兵では、敵わない……!」
⸻
その報せは、すぐに王国評議会と聖堂に伝わった。
そして皮肉にも、勇者レオニス・ヴェルトの名が再び呼ばれることになる。
「ならば――この“選定の剣”が、応えよう」
次なる光と闇の衝突は、既に予兆として波打っていた。