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雨の方舟

作者: 幸京

その子は勉強や運動が出来ず、内交的で友達は少なく目立たない存在だった。

だがとても優しい子だった。校外学習で幼稚園に行くと、緊張していた園児たちからも慕われていた。その子の持つ優しい雰囲気が伝わったのだろう。

だからこそ、その子の通う中学校の校長は信じられなかった。

その子がナイフで同級生の首を切ったのを見たからだ。

職員トイレに行き、窓が少し開いていたので閉めようとすると、隙間からそれが見えた。

犯行現場からは結構離れていたが、校長はただ黙って窓を静かに閉めた。

校長は願った。発見が僅かでも遅れますように。その子が捕まりませんように。その子の人生が幸多きものでありますように。

その日、校長は帰宅すると絶縁した一人娘に電話した。出てくれるとは思わなかったし、携帯番号も変わっているかもしれない。大学を卒業して公務員となった娘が、お笑い芸人と結婚すると言った時には猛反対した。売れていない、もし売れたとしても芸人なんて苦労するに決まっている。娘のことを誰よりも思っているからこそ、だから初めて娘に手を挙げた。結局その娘と結婚した男は芸人を辞めて、タレントの事務所スタッフになった。娘と最後に会ったのは10年前、妻の葬式だ。娘があれほど号泣したのは妻だからで、自分の葬式では泣くどころか、列席すらしないだろう。コールが鳴り続ける。雨音は変わらず激しい。


彼は運転中に見たことが見間違えではなかったとニュースで知った。

ニュース内容は、首を切られた14歳の男子学生が体育館裏で死んでいるのを、明朝出勤してきた用務員が見つけた。被害者の母親は、当日に被害者から友人の家に泊まってくると昼頃ラインで連絡があったが宿泊先は聞かなかった。よく行く友人宅だと思っていたからだ。連日の大雨のため捜査は難航、凶器は見つからず目撃者はおらず、犯人はまだ捕まっていない。

彼は遠目で犯人の顔は見ていないが、制服で男子であると知っていた。必死にワイパーを動かす連日大雨の体育館裏、2人いた男子学生のうち1人が倒れた後、立っていた男子は振り返ることもなく、慌てている様子もなく、歩いてその場を離れた。

彼は帰社すると退職することを上司に伝えた。彼にはカメラマンという夢があった。もう一度、その夢に向かうことを決めた。あの男子が悪いことに間違いはないだろう。どんな理由があるにせよ人殺しはいけない。ただ何故か去り際のあの背中を思うと、あの男子が悪人とは思えなかった。あんなものが撮りたい、全てを虚無に感じながらも何かを想う、あんなものを撮りたかった自分を思い出していた。


彼女は悲鳴を上げようとして咄嗟に両手で口を押さえた。

見つかれば自分も殺されると本能で理解した。

連日大雨が続く平日の夕方、人気もない体育館裏で男子が男子の首を刺した。

同学年では見たことがないから、先輩であることは間違いないだろう。

犯人はただ歩いてその場を離れた。助けを呼ばなくては、そう思っても体の震えが止まらず涙が溢れてきた。そのままどのくらい時間が経っただろう。恐る恐る体を起こし現場を見る。変わらず動かない男子のその死体が大雨に打たれていた。それを確認すると静かにその場を離れた。何も見ていない、そう自分に言い聞かす。

次の日、彼女はクラス全員の前でいじめられっ子に頭を下げ謝った。そして、自分がイジメから這い上がった経験を語った。かつては自分もイジメられており、だからこそ強くならなくてはと心に誓った。リーダー的存在の取り巻きになるのではなく、自分が中心的存在になる。イジメの原因でもあった容姿を更に磨き武器にして、勉強も頑張り成績を上げた。委員会や校外イベントにも積極的に参加して周囲の評価を上げ学年のリーダー格となった。そんな時、大人しくオドオドしているけど容姿は間違いなく良いその同級生は、かつての自分を見ているようでイライラしたからイジメの標的にしたと。そして、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、と彼女は泣きじゃくった。


その子は帰宅してから泣いた。

あの子が買ったジュースを同級生のそいつが取り上げたのを見たからだ。

そいつは自分と同じような立場だった。

何の取柄もなく、周囲にバカにされ、目立たない存在。

だからこそ、弱者の気持ちが分かるのではないのか。

そうだと思っていたのは自分の勘違いだったとしても、そいつは間違っている。

何も出来ない自分の存在価値などないと思っていた。

嬉しそうにジュースを両手で持つあの子の笑顔と、

取り上げられたジュースとそいつの顔を見上げるあの子の表情を思い出す。

まず逮捕されるだろう。犯行の動機はもともと気に入らなかったと言おう。

連日の大雨が降り続けるなか、その子は登校する。


「ねぇねぇ、おじいちゃん、見てみて、変な顔。お父さんがいつもやってくれる」

孫が笑いながらおかしな顔をする。娘は夫に変な事を教えないでと怒り、義理の息子が申し訳なさそうに校長を見る。


商業施設の片隅で、小さな個展を開くのに何とか漕ぎつける。客は数える程度でほとんどが雨宿りのひやかしだろう。窓から雨が降る外を見ると、その景色を撮りたくなった。あの男子はまだ捕まっていない。


その容姿に加え、一流大学を出たことでタレントとしてスカウトされた。「私自身、イジメられて、またイジメをしました。謝罪はしましたが、許されるとは思いません。生涯です」彼女はテレビ番組の討論会で未成年達に話す。

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