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先手必勝シリーズ

絶体絶命! 隣国の王女に攫われた傾国の美男は、白馬に乗った令嬢に救出される

作者: 白井一葉

「ううっ、ごめん……! 僕が不甲斐ないせいで……!」


走る馬車の中で、ヘンリーが悔し気に言った。


はらはらと涙を流しながら、悔し気な声をあげるこの青年の名は、ヘンリー・バートン。

先月18歳になったばかりの、バートン子爵家の嫡男。

そして、メグことマーガレット・フォークナー伯爵令嬢の婚約者だ。


彼はとても美しい。

首の後ろで一つに束ねられた艶のある金髪、サファイアのような透き通る青い瞳。

まるで人形のような端正な顔立ちに、長身だが男性にしては華奢な身体。

泣いているせいで潤んだ瞳と赤く染まった目元がなんとも艶めかしい。


「王女が、まさかこんなことをするなんて……」


そう言うヘンリーの今現在の姿は、とんでもなく乱れていた。

いや、乱れているなんて可愛いもんじゃない。

上着はもはや着ておらず、素肌にマーガレットが貸してやった白いケープを羽織っているだけ。

下はさすがに身に着けていたが、ところどころ破れ、泥や血がこびりついている有様だ。


「舐めた真似してくれるじゃない。あの、()()()()()()()が!」


「メグ、淑女がそんな、はしたない言い方をするなんて……」


ヘンリーが頬を染めつつ注意してきた。

幼馴染みであり、婚約者でもある彼は、マーガレットのことをメグと呼ぶ。


「そんな情けない格好で、よくも私に意見しようなんて思えたわね」

「……ううう」

「ああ、もう、泣かないで!」


ヘンリーはすぐ泣く。

嬉しいと言っては泣き、悔しいと言って泣き、悲しいと言って泣く。

全ての感情の行きつく先が、『泣く』という行動に結びついているらしい。

長い付き合いであるマーガレットは、ヘンリーが泣くこと自体は慣れっこだったが、こうしてしどけない姿でさめざめと泣く姿を見るのは初めてだった。

なので、怒りがどんどん湧いてきて、思わず呟いてしまう。


「あの女、絶対に許さないわ……!」


ヘンリーをこんな目に遭わせた元凶。

ヘンリーに横恋慕し、想いがどうやっても伝わらないとわかると、彼を誘拐し母国ロトリアに連れ去ろうとした。


我儘な王女、フランソワーズ・ロトリア。

赤い髪で緑の瞳の、憎い王女の顔を思い浮かべながら、マーガレットは改めて復讐を心に誓った。





※※※





マーガレットとヘンリーは、共に18歳。

現在はフォートラン中央学院の最高学年に在籍している。

8歳で婚約し、13歳の時から同じ学院に通う二人は、まるで姉弟のように仲が良かった。

気弱で心優しく泣き虫なヘンリーと、活動的で好奇心旺盛なマーガレットは、不思議と馬が合った。


ヘンリーはとにかく美しい。

『傾国の美男』と呼ばれるくらいに。

だが、その類まれなる美貌のせいで、幼い頃からずいぶんと苦労をしてきた。


絵画から抜け出して来た天使のような姿に魅せられ、邪な気持ちを抱いた者に誘拐されそうになったことは、片手では数えきれないほどだ。

そのせいか、彼はいつも周囲を警戒し、おどおどと怯える子供だった。

その姿さえも、庇護欲をそそると言われ、ますます人々の執着は深まるばかり。


そんな息子を心配した父親のバートン子爵が、親友であるフォートラン伯爵に相談した結果、マーガレットとヘンリーの婚約が決まった。


マーガレットは強い。

性格だけでなく、腕っぷしもだ。

2つ年上の兄やその友人達と一緒に遊んでいたせいで、そこらの悪ガキ並みに喧嘩慣れしていた。

剣の練習を母親からきつく止められると、じっとしていられないマーガレットは、8歳の誕生日プレゼントに貰った仔馬に乗ってそこら中を駆けまわった。

ちなみに剣の練習を禁止されたのは、近所の悪ガキをボコボコにして苦情が寄せられたからだった。


そんなお転婆なマーガレットだったが、黙って立っていればかなりの美少女だった。

艷やかに流れ落ちる腰までの銀髪に、冬の夜空のように澄み渡る青い瞳。

年中太陽の下を走り回っているのに、何故か真っ白な肌は、陶器のように滑らかだった。


気弱な息子が、活発な女の子に影響されて少しでも強くなれば。

お転婆な娘が、綺麗な男の子に影響されて少しでもおとなしくなれば。

それぞれの父親の願いは、残念ながら叶わなかった。


ヘンリーは朗らかで頼りがいのあるマーガレットをメグと呼び、ことあるごとに彼女を頼った。

その結果、女の子の後ろに隠れ、すぐに泣く気弱な男の子ができあがった。

一方のマーガレットはそんなヘンリーを守るべく、ますます強い子に育っていった。



親達の思惑はさておき。

二人はとにかく仲が良かった。

何をするにも一緒で、ほとんど喧嘩をすることもなかった。


そして、二人が並んで座っている姿はとにかく絵になった。

実際に、二人が顔を寄せあいながらクスクスと笑い合う姿を見たある画家が、()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()両家に申し出たほどだ。


二人は学院に通い出しても、変わらず仲が良かった。

あまりにも依存してくるヘンリーに、「私の他にも友達を作りなさいよ! とくに同性の友達を!」とマーガレットが言わなければ、ヘンリーはずっと、マーガレットだけと過ごしていたに違いない。


だが彼は、マーガレットの言いつけ通り、必死に頑張って同性の友達を作った。

マーガレットに嫌われたくない一心で。

幸い学院には、くだらないことで虐めてくるようなやんちゃな悪ガキはいなかった。

なのでヘンリーも、何とか同性の友人達と上手くやっていくことができた。

そもそもヘンリーはとても気持ちが優しい。

相手の立場や気持ちを考え、思いやりのある態度がとれる人間だったため、周りの者からはかなり慕われた。

ちなみにヘンリーは気弱で泣き虫だが、頭は物凄く良かった。

なので、将来は王太子の側近となることが決まっていた。

そして、意外なことに運動神経もかなり良い。


マーガレットも、明るく裏表の無い性格、誰に対しても分け隔てなく平等に接する態度が好感を持たれ、多くの者達から好かれていた。

そしてマーガレットは何よりも馬術が得意だった。

艶やかな銀髪をポニーテールにし、軽やかに愛馬を走らせる彼女には、男女関係なく憧れの籠もった視線が向けられた。

特に下級生の女子生徒からの人気は絶大で、『マーガレットお姉さま』と呼ばれ慕われていた。


ところで。

二人と同じ学年に、隣国ロトリアからの留学生がいた。

名前は、フランソワーズ・ロトリア。

国の名前を姓に持つ、正真正銘の王族だ。

情熱的な赤い髪、エメラルドのような緑色の瞳。

切れ長の目のせいで少しきつく見えるが、気品があり美しい王女だ。


彼女はあろうことか、ヘンリーに一目惚れした。

ほとんど全ての女子生徒は、ヘンリーを見ると頬を染めうっとりと見つめてくるのだが、彼女はそんな生易しいものではなかった。

入学式の日、ヘンリーを一目見るなり、駆け寄ってきてこう言ったのだ。


「ああ、あなたはなんて素敵なのかしら。決めたわ! 私はあなたと結婚する! 学院を卒業したら、私と一緒にロトリアに行きましょう!」


もちろん、ヘンリーは断った。

丁寧に、言葉を尽くして。


驚きすぎて若干涙目になり手が震えてしまったが、すぐ横に立って自分が何と答えるのかを興味深そうに見つめているマーガレットの為にも、毅然とした態度で断ろうと頑張った。

ヘンリーにとって一番怖いのは、マーガレットに嫌われることなのだから。


だが、王女は全く聞く耳を持たなかった。

我儘に育った王女は、自分の思いが受け入れられないはずがないと信じていた。

なので、ヘンリーが自分に靡かない理由は、マーガレットにあると考えた。


あの女(マーガレット)のせいで……!』


そう考えた王女は、取り巻きを使って学内に噂を流した。

『マーガレット・フォークナー伯爵令嬢は悪役令嬢である』と。


『フランソワーズ王女とヘンリー様はお互いに愛し合っているのに、マーガレット様がお二人の仲を邪魔している』

『ヘンリー様に一目惚れしたマーガレット様が、無理やり婚約者に指名した』

『マーガレット様がフランソワーズ王女に嫉妬して、陰で悪口を言いふらしている』

『フランソワーズ王女は、マーガレット様の取り巻きに教科書を捨てられたり、服を汚されたりしている』


初めの頃、何百人もいる学院の生徒の中には、その噂を信じる者も数多くいたのだが。

ヘンリーは根気よくその噂が嘘であると周囲に話していたし、マーガレットがそんなくだらない虐めなどするはずもない。

学年が進むにつれ、三人の人柄が明らかになると、その噂を信じる者はほとんどいなくなった。

むしろ、『フランソワーズ王女』と『マーガレット様』の部分が逆なんじゃないのか、と笑いながら語られるくらいだった。


王女は企みがことごとく失敗していく中、ヘンリーにどうにか振り向いてもらおうと必死になった。

だが、ヘンリーはいつも、想いに応えられないことを謝るばかりで、決して王女に靡かなかった。


そして。

卒業まであとわずかとなった頃になってようやく。

王女は自分の思いが決して届かないということに気づき始めた。






※※※






「あら? マーガレット様、今日はお一人でお帰りですか?」


放課後。

栗色の巻き毛に大きな緑色の瞳。小柄で愛らしい仔鹿のような容姿のキャロラインが、マーガレットに声を掛けてきた。


「それがね、ヘンリーがいないのよ。どこを探しても見当たらないし、誰に聞いても知らないって言われるのよ。ねえキャロ、ヘンリーがどこにいるか知らない?」


マーガレットは幼馴染のキャロラインのことをキャロと呼ぶ。


キャロラインもヘンリー同様に幼い頃からの友人だった。

いや、付き合いの長さで言うと、ヘンリーよりも長い付き合いだ。

あまりにも仲が良いので、時々ヘンリーが嫉妬して大変なことになる。

逆にキャロラインがヘンリーに嫉妬することもあるのだが。


キャロラインがあまりにもマーガレットのことばかり話すので、ある時、婚約者のダグラスが、『マーガレットと俺と、どちらが好きなんだい?』と冗談のつもりで聞いてみたところ。

『……ごめんなさい。マーガレット様です』と返事が返って来た。

ショックを受けたダグラスは、半泣きで幼馴染であるマーガレットの兄ジョージの元に行き、『お前の妹、……本当にどうにかしてくれよ!!』と苦情を入れた。

ちなみに、小さい頃にマーガレットがボコボコにした近所の悪ガキとは、このダグラスのことである。



「あらあら、ヘンリー様ったら、どこに行っちゃったんでしょうね」


ごくごく軽い調子で、キャロラインは言った。


「うふふ、フランソワーズ王女に捕まってたりして」

「ふふっ、そうかもしれないね。手足を縛られて誘拐されてたりして」

「うふふ、今頃、馬車で移動中かも」

「ふふっ」

「うふふ」

「…………」

「…………」


二人はしばし無言になった後、双方目を見合わせて頷き合った。


「キャロ、非常事態よ!」

「はい、マーガレット様!」



最近、フランソワーズ王女の様子が目に見えておかしかったのだ。

ヘンリーの方をじっと見ていたと思ったら、突然泣き出し、走り去っていく。

ヘンリーを見つめながらブツブツと何かを呟く、などの奇行がやけに目立っていた。


それに加えて、何やらよからぬことを企んでいる様子もあったのだ。

マーガレットの兄ジョージと、キャロラインの婚約者であるダグラスは、共に王太子の側近として王宮に勤めている。

その二人が先日、妹と婚約者にそれぞれ忠告してきた。

曰く『フランソワーズ王女に気を付けろ』と。


六年前、隣国ロトリアの王女を留学生として受け入れるにあたり、我がフォートラン王国からも護衛が幾人か付けられた。

だが、護衛と言うのは建前で、実際のところはロトリア側を監視するために差し向けられた監視員だった。

王女はロトリア大使館の敷地内にある豪華な屋敷に住んでいるのだが、最近、その屋敷に、怪しげな男達が数人出入りしているという報告が上がっていた。


『王女が何をしでかすかはわからないが、大方、マーガレットを襲わせるとか、ヘンリーを攫おうとするとか、そう言ったところだろう。だから、絶対に学内で一人きりにはならないように』


『あのお転婆娘や泣き虫の側にいると、君までとばっちりを食うかもしれない。できるだけかかわらないようにした方がいいよ! えっ、何でそんな怖い目で睨んでくるんだい?』


マーガレットとキャロラインは、兄と婚約者にそれぞれ忠告された。

そして、言われたことをヘンリーにも伝え、絶対に一人きりにはなるな、トイレに行くときは絶対に誰かを誘え、とよくよく言い含めた。

なのに、ヘンリーの姿が見当たらないし、周りに聞いても知らないと言われる。


これはもう、何かが起きたとしか考えられなかった。


「キャロ、私はロトリアへ続いている道を探してみる。この後、お兄様が迎えに来たら、街道に続く大通りに来るように伝えて!」


「わかりました、マーガレット様! くれぐれもお気をつけて!」


その後、マーガレットは急いで学内の厩舎に走った。


「すみません、ちょっと借ります!」


そう言うと、乗馬の授業で使うために飼われている馬のうち、鞍が取り付けられたままの一頭にひらりと跨った。

この白馬には乗り慣れている。マーガレットの言うことをよく聞く賢い馬だ。

厩務員の制止を振り切り、勢いよく駆け出す。

正門を抜け、生徒の迎えの馬車の中を突っ切り、人をはねたりしないようにできるだけ道の真ん中を駆ける。


この大通りの先には、隣国ロトリアに続く街道がある。

ロトリアに馬車で行くには、絶対にこの道を通らなければならない。


しばらく走っていくうちに、目当ての馬車が見つかった。

車体にロトリアの紋章が描いてある、王女が学院の登下校に使う馬車だ。


馬を並走させ、御者に馬車を止めるようにと大声で告げる。

だが、御者はますますスピードを上げた。


「メグ! うっ!」


馬車の中からヘンリーの声がした。

だが、その声はすぐに聞こえなくなった。

間違いない、ヘンリーはこの中にいる。

そう確信したマーガレットは、馬を寄せ、御者台に飛び移った。


「なっ……!?」


まさか貴族令嬢が、走る馬から飛び移ってくるとは思わなかったのだろう。

慌てた御者はすぐに馬車を止めようと強く手綱を引いた。

その瞬間、両手がふさがった御者を馬車から思い切り蹴り落とす。

マーガレットは咄嗟に浮いた手綱を握って、少し走らせてから馬車を道の端にゆっくりと停止させた。


「マーガレット!!」


後ろから兄の声がした。

今日はちょうど仕事が休みの兄が、学院に迎えに来てくれることになっていて、そのままヘンリーと三人でカフェに行く予定だったのだ。

迎えに来たところで、キャロラインから事情を聞き、馬車で追いかけてきてくれたのだろう。


「走る馬から飛び移るだなんて! お前はなんてことをするんだ! 危ないじゃないか! 死ぬ気か!?」

「お説教なら後でいくらでも聞きます! 今はとにかくヘンリーを助けないと!」


ロトリアの馬車の扉を開けると、中から黒尽くめで顔を隠した男が飛び出して来た。

剣の束に手をかけている。

それを見た兄が、急いで男の腕を蹴る。

マーガレットが倒れた男の鳩尾を強く蹴り飛ばすと、男は呻き声を上げた後で動かなくなった。


「ヘンリー!」


急いで馬車の扉を開けると、上半身裸で、後ろ手に縛られた状態のヘンリーが馬車の床に転がされていた。

そして座席には、扇子で顔を隠したフランソワーズ王女が座っていた。

兄がヘンリーに駆け寄り縄をほどく。

どれだけきつく縛られていたのか、手首は赤くみみず腫れになっており、うっすらと血が滲んでいた。

身体にも複数の擦り傷や、殴られてできた痣のようなものがあった。


それを見て、マーガレットは、怒りに我を忘れた。

思わず王女に駆け寄り、手を振り上げたが――


「だめだ、メグ!」


ヘンリーの言葉にはっと我に返り、振り上げた手を止めた。

そうだ、このまま王女を叩いたら、国と国との揉め事になってしまうかもしれない。


「ふふ……ふふふ……遅いわ。もう、遅いのよ、マーガレット・フォークナー」


虚ろな目で王女が歌うように呟いた。


「ヘンリーはね、私に乱暴しようとしたの。その証拠に、見て、ヘンリーは裸でしょう?」


「嘘だ! 何を言ってるんだ!」


「今更あなたが何を言っても無駄なの。目撃者がいるんだもの。私の護衛と御者が、証言してくれるわ」


「そんな嘘、誰も信じない!」


ヘンリーが必死に言い返すが、王女は全く動じずに喋り続ける。


「私はあなたに襲われたの。そう、あなたは私を愛していて、私の身体を手に入れようとして……ふふ……私がロトリアの大使にそう訴えれば、あとはお父様がフォートラン王にあなたを寄越すように掛け合って下さるわ……」


「そんな……」


「あなたが悪いのよ。あなたが私の思いに応えてくれないから……そう、悪いのはあなたよ。私は何も悪くないわ……ふふ……嬉しい。やっとあなたが手に入るのね……」


最早、王女は正気ではなかった。

虚ろな目でヘンリーを見つめる王女は、幸せそうに呟き続けた。



「しっかりして、ヘンリー!」


項垂れるヘンリーに向かって、マーガレットが叫ぶ。


「あなたが好きなのは誰?」


「メグだよ。僕が好きなのは、メグただ一人だ」


ヘンリーがはっきりと力強い声で言った。


「だそうよ、王女様」


「……っ!」


マーガレットが煽るように笑みを浮かべながら言うと、王女は唇を噛んで睨みつけてきた。


「もう、遅いわ!」


「……じゃあ、試してみる?」


「……何を言ってるの?」


「学院の、大講堂で待っているわ。面白いものを見せてあげるわよ」


マーガレットはそう言うと、ヘンリーを兄が乗って来たフォークナー伯爵家の馬車に押し込んだ。

そして、自分も馬車に乗り込み、窓からフォークナー家の御者に向かって「学院に行ってちょうだい!」と叫んだ。


「お兄様、もうしばらくしてから……そうね、30分くらいしてから、王女を連れて学院に来て」


「おい! マーガレット? 何を考えてるんだ!?」


「いいから、絶対に連れて来てよ。……フランソワーズ王女、あなたも絶対に、大講堂に来るのよ」


そして馬車は、学院に向けて走り出した。





※※※





――そして、冒頭の会話に至る。




「ううっ、ごめん……! 僕が不甲斐ないせいで……!」


走る馬車の中で、ヘンリーが悔し気に言った。


「王女が、まさかこんなことをするなんて……」


馬車の中で、王女がどうやってヘンリーを攫ったのか聞いた。


『一度だけで良いから、二人だけで話がしたい。そうすればもう、貴方のことは諦める。もし応じないならば、マーガレット・フォークナーは残虐非道な悪役令嬢だと、フォートランのみならずロトリアの社交界でも言いふらす』


ヘンリーは王女の取り巻きの一人から、こっそりと王女からの伝言を告げられた。

そして、呼び出された校舎の裏で、黒尽くめの衣装で顔を隠した男達数人に拘束され、馬車に連れ込まれたのだそうだ。


「バカじゃないの!? そんな罠にまんまとひっかるなんて!」

「だって、僕のせいで君が、悪役令嬢だと言われてしまう。そんなの、とてもじゃないけど耐えられない」


貴族は体裁を重んじる。

特に女性は社交界での評判が命取りだ。

隣国の王女を敵に回すことは、貴族社会においては致命傷とも言える。

下手をすると、マーガレット本人だけでなく、フォークナー伯爵家までもが爪弾きにされかねない。

ヘンリーはそのことを危惧し、なんとか王女を説き伏せるつもりだったらしい。


「私が悪役令嬢ですって? 舐めてもらっちゃ困るわ、ヘンリー。あなたに何かあったら、私は、悪役令嬢どころか魔王になってこの世界を滅ぼすくらいのことはやるわよ!」


「メグ!!」


ヘンリーの目に、再び涙がせり上がってきた。

マーガレットはヘンリーの顔に手を伸ばした。


「あなたが攫われたと気づいた時、全身から血の気が引いたわ。ねぇ、ヘンリー。私は何と言われようがかまわない。そんなのは全然気にしないわ。それよりも、あなたが傷ついたり、いなくなったりする方が余程耐えられない」


「メグ……僕も、君が追いかけてきて走る馬から飛び移ったと知ったとき、気絶しそうになったよ。お願いだ、メグ、もうこんな危ないことは絶対に、絶対にしないと約束して。もし、メグに何かあったら、メグを失うようなことがあったら、僕はもう生きていけない!」


ヘンリーはもう泣きすぎて、唇を震わせながらしゃくり上げている。

こんな状態でも、彼は息を飲むほどに美しい。


マーガレットは少し泣きそうになっていたが、目の前のヘンリーが号泣し始めたので、涙がすっと引っ込んだ。

いつもそうだった。

ヘンリーが泣くと、いつだってマーガレットは自分がしっかりしなければと思う。

大事な大事なヘンリー。

愛しい愛しい婚約者。



許せないことだが。

あの狂った王女は、あろうことかヘンリーに罪を着せようとしている。

自分がヘンリーを攫おうとしたことは棚に上げて、馬車で二人きりになったときに乱暴されたとでも言うつもりらしい。


ヘンリーが何を言おうと、ロトリア側は、王女の方が襲われた被害者だと言い張るに違いない。

学院の関係者や、ヘンリーを良く知る者達は、彼がそんなことをするはずがないと信じてくれるだろう。

だが、それ以外の――大使館の者達や、ロトリアの関係者は、王女の言い分をこそ信じるだろう。


それが事実かどうかなんて、全く関係ないのだ。

声高に言い張られた嘘は、真実を捻じ曲げる。

その結果、ヘンリーは、王女を傷物にした責任を取らされる形で、ロトリアに婿入りを余儀なくされる。

――なんて卑怯なやり方だろう。


そんな卑怯な人間に負けるわけにはいかない。

どんなことをしてでも、ヘンリーを守ってみせる。

どんなことをしても。自分がどんな目に遭おうとも。

ヘンリーは私のものだ。絶対に、渡すものか。

マーガレットは、そう心に固く誓った。



馬車が学院に着くと、マーガレットはヘンリーの手を引き、全速力で走った。

正門を抜け、中庭を突っ切り、内門を通り、真っ直ぐに大講堂に向かう。

大講堂は入学式などの式典を行うときに使われる、大きな部屋だ。


時折すれ違う人がぎょっとした表情で見てくる。

気にせずそのまま走り抜け、大講堂の大きな扉を開け、中に入った。

大講堂の中は誰もおらず、しんと静まり返っていた。

開いた大扉をできるだけ静かに閉める。


乱れる息を整えながら、マーガレットはヘンリーに尋ねた。


「ねえ、ヘンリー。私のこと好き?」


マーガレットはそう言いながら、自らブラウスのボタンを外しだした。


「え? 何、突然。え? メグ、何してるの?」

「いいから、答えて。早く」

「も、もちろん好きだよ」

「私と結婚してくれる?」

「え? するよ! するに決まってる!」

「よし、その言葉絶対に忘れないでよ!」


そう言うと、マーガレットは、両手をヘンリーの頬に勢いよく添えた。

そして、つま先立ちになり、彼の唇に自分の唇を押し当てた。

ヘンリーは驚き、動きを止めた。


「誓いのキスよ」


マーガレットがそう言うと、ヘンリーは夢中で彼女を抱きしめた。

その腕は、マーガレットを壊してしまうのではないかと思うほど強かった。

だがその力強さの中に、溢れんばかりの愛情が込められているのが伝わって来た。

なのでマーガレットは、彼の熱い思いに応えるように、その背中にそっと手を回した。

二人はしばらくの間、言葉を交わすことなくただ強く抱きしめ合った。

そして、その後で、今度はヘンリーから唇が重ねられた。

最初は控えめに。次第に激しく。


しばらくして二人が顔を離した時、マーガレットは息を切らしながらも満足そうな微笑みを浮かべていた。

一方のヘンリーは、彼女への愛おしさで胸がいっぱいになり、うっすらと目に涙を浮かべていた。


マーガレットは彼のその表情を見つめると、覚悟を決めたように「よし!」と言った。

そして素早くブラウスを脱ぎ、スカートを足元にストンと落とし、薄手の下着一枚を身に着けただけ、という淑女にあるまじき姿になった。


「ヘンリー、できるだけ大声で、助けてって叫んで」

「は? え?」

「早く! 叫ぶのよ! 私のことが好きなら、言うことを聞いて、思いっきり叫んで!」

「え? どうして? え?」

「グダグダ言ってないで、腹から声出せ!」

「た、たすけてーーーーーーー!」


ヘンリーにしては上出来と言える声量で思い切り叫ぶと、扉の向こうからバタバタと複数の人が走ってくる足音が聞こえた。


そして。

大講堂の扉が勢いよく開かれた。

同時に、教師や、まだ学校に残っていた生徒達がなだれ込んできた。

その一番後ろに、兄に連れられた青褪めた顔のフランソワーズ王女の姿があった。





大講堂の中に入って来た人々が見たものは。


上半身裸で床に座り込み、目に涙を溜めて真っ赤な顔で震えている、とんでもなく美しい金髪碧眼の青年と。

身体の線が透けるくらい薄手のアンダードレス一枚しか身に着けていないという無防備な状態なのに、何故か腕を組んで仁王立ちしている美しい令嬢。


そして、その令嬢は、フランソワーズ王女に向かって声高らかに叫んだ。


「一足遅かったわね! ()()()()()()()()は、私が先に貰ったわ!!」


もらったわ……もらったわ……もらったわ…………



静まり返った大講堂に、令嬢の声が響き渡った。






※※※






すぐに噂が広まった。


『マーガレット・フォークナー伯爵令嬢が、ヘンリー・バートン子爵令息を、学院の大講堂で押し倒していた』、という噂が。


結果として、エリザベス・フォークナー伯爵令嬢は、ヘンリー・バートン子爵令息と、すぐにでも婚姻を結ぶこととなった。――めでたしめでたし。




()()()()()()()()よ! さすがのロトリア側も、ここまでの騒ぎになって傷物同然になったヘンリーを婿に迎えるのは無理でしょうからね!」


「うふふ。さすがマーガレット様。思い切りの良さがなんてかっこいいんでしょう!」


得意気なマーガレットに、うっとりとキャロラインが言う。


「この馬鹿妹! あんな、あんな破廉恥な真似して! 領地にいる父上と母上になんて言ったらいいんだ……!」


「落ち着けジョージ! ところで、マーガレット。お前たち、本当にヤッたのか? グハッ…」


「ダグラス様、なんて下品なことを仰るの! 許せませんわ!」


「ご、ごめんよ、キャロライン。マーガレット、鳩尾を殴るのは止めてくれ!」


身体をくの字にしてしゃがみ込んでいるダグラスは、婚約者キャロラインと友人ジョージと三人でヘンリーの家にお見舞いに来ているところだった。


「ところで、ヘンリーの具合はどうだ?」


「身体の傷は段々と良くなってきてるんだけどね。心の傷はまだまだ癒やされていないみたい。夜になると魘されてる」


「えっ、お前達、一緒の部屋で寝ているのか!? なんてことしてるんだお前は! ああ、領地にいる父上と母上に知れたら……!」


「お兄様……こんなに醜聞が広まった後なんだし、今更でしょう。看病するには同室で寝るのが一番効率がいいのよ」


「落ち着けジョージ! いやしかし、毎晩同じベッドで寝てるのか? それじゃあ、さぞかし……グハッ」


「ダグラス様、変なこと想像するの止めて下さいませ!」


「ご、ごめんよ、キャロライン。だからマーガレット、鳩尾を殴るのは止めてくれってば!」


マーガレットは現在、ヘンリーの家に泊まり込みで看病に当たっている。

ヘンリーはあのあとショックで寝込んでいるのだ。

おかげで二人とも学院の卒業式には参加できなかった。


「そういえば、フランソワーズ王女はどうなりました?」


マーガレットが聞くと、ジョージとダグラスは顔を見合わせた。


「王女は国に帰ったよ。帰ったと言うか、事情を知ったロトリア大使が慌てて国に送り返したんだけどね」


聞けば、王女はあの後錯乱し、取り押さえられ、ロトリア大使に引き渡されたそうだ。

そこで、王女の悪事がばれた。

ロトリア側から、このことを公にしないようにと要請があったが、時すでに遅し。

マーガレットの暴挙のせいで、王都中に噂が広まってしまった後だった。

ロトリアの王女が懸想した貴族の子息を攫おうとしたが、失敗したと言うことが。


まあ、その代わりマーガレットは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()として、一生不名誉な噂が付いて回ることとなったわけだが。



後になって、ヘンリーがそのことを気にしてめそめそ泣きながら謝罪すると、マーガレットはにやりと笑ってこう答えた。


「別に、嘘ではないでしょう? だって、私は確かにヘンリーの初めてを貰ったんだもの。ヘンリーのファーストキスをね」


その言葉を聞いたヘンリーは、頬を染めながら頷いた。

そして、マーガレットを抱きしめ――ゆっくりと彼女に口づけた。

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― 新着の感想 ―
強い。マーガレット様!
 普通の短編だと思いこんで拝見していたのですが、読み終わってから「先手必勝シリーズ」の親世代のお話だと気付きました。      独立したラブコメディとしても読めるところが素晴らしいです。
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