第40話「灯」
一方。
山腹から黒煙の上がるバスディオ山、その山頂において。
緋色に輝く身をくねらせ、長大な魔物がゆっくりと鎌首をもたげていた。
『ほう、面白い奴らが来たな』
黒と金の龍眼を細め、ソレが北方を見晴るかして数秒――。
『……これも天命、か』
独り呟き、ソレは瞬く間に宙へと駆け上がる。
その様は、これ以上なく軽やかだ。
『――叶うならば、救うてやろう』
そんな言葉を残し、赤い姿は雲間へと消えていった。
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王都とカルニスを結ぶ街道――その道沿いにおいて、野営の火が1つ、チラチラと燃えていた。
それにあたっているのは3つの人影と――1頭の魔物。その身体は、まるで闇が凝ったような漆黒だが、そこに走る幾筋もの銀が、火の光を反射して浮かび上がる。
体躯は人の身長よりもはるかに大きく、顎を開けば白く鋭い犬歯が覗く。
人から畏れられるには十分な姿だろう。
だが、その場にいるモノたちは全くと言っていいほど警戒を向けていなかった。
その上、金髪の青年はその身体に軽く寄りかかり、まるで背もたれのような扱いだ。
唯一、少年だけが距離を測りかねているようだったが、それでも少し前から魔物へ近づき、地面に術式を描いて何やら試しているようだった。
そんな彼らを除いて、周囲に人影はない。
夜とは言え、仮にも主要街道の傍近くにしては、随分と静かなものだった。
そんな中、魔物から念話が発される。
『――やっぱ、俺にも従魔術って効かないんだな』
呑気な調子さえ窺えるそれに、軽く凭れていた青年が眉を顰めて言った。
「だからって、わざわざ自分に術を試させることはないでしょう。既に一度実証されているそうですし」
そんな青年の言葉に、黒い魔物――宵闇は訳知り顔で言った。
『いやいや、試行回数1回じゃ、“実証された”とは言わねぇんだよ。大マケにマケて、最低3回はデータがねえと』
『だからどっかにもう1サンプル――というか、なんで俺たちには従魔術が効かねえんだ?』などと続けつつ、宵闇は傍らにいた少年を振り仰いだ。
『イサナ、協力ありがとな』
「――!!……いえ、そんな」
獣姿では、表情の作り方にも限度がある。だが、その変化に乏しい中でも、宵闇の銀の瞳には親し気な色が確かにあった。
念話で告げられた感謝とともに、その独特な獣の“表情”を至近距離で見た少年――イサナは、その初めての経験に動揺しながら言葉を返す。
何しろ、彼にとっては大きな驚きだったのだ。
“動物や魔物に「感情」はない”という認識があったイサナにとって、相手が宵闇だとわかっていても、その豊かな“表情”を目の当たりにして戸惑っていた。
とはいえ、それは宵闇のあずかり知らぬところ。
己への恐怖で少年が動揺したのかと、眉尻を下げて更に言った。
『……もしかして、俺のこの姿って怖い?』
「……」
その、下から恐る恐る見上げてくる黒い獣の姿に、少年は再度目を見開く。
念話によって“言葉”が伝わってくるだけに、その“表情”が意味するところはこれ以上なく明確だ。
そして、そういった宵闇の“表情”に、イサナは強烈な既視感があった。
――今まで従えてきた従魔の仕草と重なったのだ。
ならば、あの時の彼らもまた、今の宵闇と同じ様な“感情”をイサナに示していたのではないか。
そのことに思い至った少年は――。
――愕然としていた。
勿論、想起した従魔の中には、強固な群れを築き灰色の毛並みを持っていた獣型――ウルフもいる。
かつて彼らがどういった“感情”を少年に見せ、なおかつ、少年自身はそれに対してどう返したのか。
そう言った諸々が瞬く間に彼の脳裏を過り、名状しがたい想いを、少年の胸中に湧きあがらせた。
しかしやはり、そんなことを宵闇や、それにもたれかかる青年――アルフレッドが知る由もなく。言葉の無いイサナに向かい、青年は淡々と告げた。
「たとえ、恐怖を感じていようと慣れてください。このヒトは、この姿でないと碌に魔法が使えないんです」
そんな青年の言に、宵闇は反論したそうな眼を向ける。が、ほとんど事実であるため、結局のところ押し黙るしかない。
一方、イサナはコクリと頷いた。
「……はい。――それに、怖い、というわけではなくて。……単に驚いていただけです」
内側で様々な感情が渦巻くだけに、その少年の返答は至って無機質なものだったが。
宵闇もアルフレッドも、ついぞそれに気づくことはなかった。
時刻は既に、日が沈んでから数時間。
先を急ごうと静かに逸るアルフレッドを、意外にも月白――ハクが「夜通しは論外」と説き伏せ、今に至る。
ついでに、野営の準備を進める中で宵闇が、「俺に従魔術が効くかどうか試したい」と言いだした。
この従魔術に関する情報は昨日ハクから明かされたことだが、今までは人目があって検証できなかった。
だが、今後を考えれば早急に確かめておくべきだろう、と宵闇は考えていたのだ。
何気に彼は、従魔術へ最大の関心を向けていた。何しろ、文字通り“魔物を従える術”だ。もし仮に、宵闇には従魔術が通じる、という事であれば将来的な懸念として対応策を考えておく必要があった。
だが、幸いハクと同じく宵闇にも従魔術が通じないとわかり、内心胸を撫でおろした次第。
また、イサナに宵闇の魔物姿を見せるのも初めてのことだった。既に口頭で正体を明かしてはいたが、土壇場で怯えられるよりは今のうちに、とこの場をもった。
多少戸惑いはあったが、ひとまず受け入れてもらえたようだ、と宵闇は安堵する。
そうして一旦会話が途切れる中。
不意にハクが言った。
「――それで“神の怒り”をどう鎮める」
その話題の転換に、場の空気がピンと張る。
答えたのは宵闇だ。
『それだがな。……やっぱ、噴火自体を抑えることはどうしたって無理だと思う』
「っ」
それにピクリと反応したアルフレッドへ、宵闇は宥めるような目を向けた。
『ちょっと待て。続きがある』
そう言って注目を集めながら、黒い獣は言葉を継ぐ。
『確かに、最善手は噴火を防ぐことだ。だが、それはどうしたって無理、というか危険すぎる。何しろ500年かけて蓄積されたエネルギーだ。万が一、噴火を止められたとしても、時限爆弾を抱えるようなもの。やめといた方がいいだろう。
……俺も前例を知らないから、その後の予測がつかねえしな』
生憎、前世の専門が地質学とは縁遠い宵闇だ。ただでさえ、己の知識や現時点での推測に絶対的な確信があるわけでもない。
この世界には魔力という不確定要素もある以上、下手な賭けには出られなかった。
『……で、あれば、次善手だろう』
それでも、彼は更なる方法をはじき出す。
――いかに課題を捉えなおし、解決へと導くか。
その思考回路こそ、彼が前世で培った最大の武器だ。
『要は、火山噴出物――マグマや火山灰をどうにかできればいいわけだ。
これでも難易度は高いが、やってできないことはない、と思う。……魔力を活用すればな』
そう言って、宵闇は傍らの相棒や、向かい側のハクへと視線を向ける。
『何しろ、俺とアルと、そしてハク。――魔力量が桁外れな存在がこれだけいるんだ。上手く連携できれば不可能じゃない。……だろ?』
『ヘンネ村の時みたいにな』そう言って、宵闇はその瞳に“笑み”を乗せた。
いっそ得意げにも見えるその様に、アルフレッドやハクはひとまず同意を返す。
「……確かに、聞いた限りでは火山灰といった飛来物は風向を操る、もしくは直接撃ち落とすことで、ある程度対処可能でしょう」
「しかし――」と、次いでアルフレッドは懸念を言った。
「岩石が溶けているというマグマ。そちらはどうします。単純に魔力で操ることは難しいと思いますが」
その言に、宵闇は唸るように尋ねた。
『……アル、説明してくれ』
魔力の扱いに関しては彼に一日の長がある。
眉間に皺を刻みながら、アルフレッドは表面上、淡々と返した。
「マグマの属性が多様だと推測されるからです」
そう言って、青年は宵闇へと視線をやった。
「僕の知る限りで話しますが、魔力で岩石を操る場合、“土”と“金属”への適性が必要です。更にそれが熱せられているとなると“火”への適性も必要でしょう。
どれかが欠けても、やってやれないことはないですが、事はより難しくなる」
それに対し、宵闇は一転、何とも言えない表情で呟いた。
『……鉱物って“土”と“金属”の混合って考えんのね……。確か……に?』
なんとか納得しようと唸る宵闇に、アルフレッドはいつもの如くもの問いたげな視線を一瞬見せるも無言のまま。
流石に、ここで脱線するわけにはいかないのだ。
そんな中、今度はハクが口を開く。
「“金気”への適性ならば私が該当する。“土気”はショウ、お前がそうだな?」
この問いに、宵闇は首肯した。
「ならば不足は“火気”、か」
無味乾燥な事実確認でしかなかったが、ハクにしては積極的なこの発言に、彼もまた骨を折ろうと前向きになっていると知れる。
それに関し、宵闇は内心笑みを浮かべていたが、しかし他方では、浮き彫りになった現状に頭を悩ませる。
『……とりあえず他にアテもねえし、現状でなんとかやるしかねぇだろうが……』
――もっと他にイイ手があるはず。
宵闇は、慣れ親しんだその思考に身をゆだね、様々な方策を考えてみるが。
「マグマを冷却さえできれば補えます。……例えば、風を当てるのはどうです」
『……ダメだな。確か地上に出たマグマの温度は1000℃前後。それこそ水でもぶっかけた方がマシだし、それだって文字通り、焼け石に水だ』
アルフレッドからの提案に即答しつつ、宵闇は苦々しい声音を押し出した。
『なかなか難しい、か……』
「……」
重苦しい雰囲気が横たわった、のだが――。
そこに、数秒前から視線を後方に向けていたハクが、おもむろに向き直って言った。
「……ショウ、どうやらこの近くにニンゲンがいるようだ」
災厄を恐れ、ほとんど人影もない地点。だからこそ本性を晒していた宵闇は、俄かに慌てて訊き返す。
『え、マジ? 見られたか?』
対するハクは事も無げに言った。
「どうだろうな。少なくとも今は言い争いの最中だ」
そちらの方向にいるのだろう、少し首を逸らして探りつつの返答。
だが、恐怖や驚きといった反応ではなく――。
『……言い争い?』
「……」
多少、不可解な状況に宵闇が首を傾げる一方、何かに思い至ったのか、アルフレッドがさっと腰を浮かす。
そんな両者の反応にも構わず、既にハクは何が起こっているのか察しているのだろう、淡々と事実を述べるだけ。
「よくは聞こえないが、女がどうのと複数で――」
「ちッ」
『あ、おい、アル?!』
その瞬間、舌打ちとともに、放たれた矢のように駆け出していくアルフレッド。
宵闇も四つ足を突いて立ち上がるが、一方のハクは溜息でも吐くように言った。
「やはりこうなるか」
追って駆けだしながら宵闇は言い捨てる。
『ハク、ここ頼んだ!』
「ああ」
そうしてハクの返答も聞かず、魔物姿のまま急ぎ宵闇が駆けつけた直後。
彼が目にしたのは、アルフレッドが容赦なく四つん這いの男の腹を蹴り上げるその姿。
――ドッ!!
月明りしかなかったが、彼が見事なフォームで蹴りを入れ、それを受けた男が頭を中心に斜め回転で軽く飛ぶのがばっちり見えた。
更に周囲に目をやれば、何が起こったのか把握できず、間抜け面を晒した男が追加で2人。
そして決定的だったのは、蹴り上げられた男に覆いかぶさられていたのだろう、仰向けになっていた髪の長い人物――もしかしなくても女性だろう――がいたこと。
地面に広がったその豊かな赤い髪が、月光の下でもはっきり見えた。
――すなわち、ここで何が起こりかけていたかは言わずもがな。
『!』
次の行動を選択できず、思わずたたらを踏む宵闇。
「ッあ、にすんだ! このヤローが!――!?!?」
一方、下劣な輩は考えるよりも、反射でやり返そうと敵意を向ける。
だが――。
「ひっ!」
「うわぁあ!?」
折しも男たちが見たのは、金髪の青年――アルフレッドの背後に佇む、大きな体躯の魔物。
真っ黒な身体に銀の縞。肉食獣特有の牙と爪。
そんなデカい魔物が、夜闇に紛れ銀の双眸を自分たちにじっと向けていたのだ。
実際のところ、この時の宵闇は棒立ち状態にも等しかったが、結果として最も効果的な牽制になったらしい。
「な、なんであんなのが!!」
「死ぬのは嫌だッ!」
何から何まで本能的な男たちは、三々五々、何事か叫びながら脱兎のごとく逃げていく。
特にアルフレッドに蹴り上げられた奴は、内臓に相当のダメージがあったろうに、アドレナリンがばっちりキまっていたのか一番逃げ足が速いほど。
そうして目障りな輩が世にも情けない姿で駆け去るなか。
一拍おいてアルフレッドが言った。
「……何か、要望はありますか」
その視線は男たちが逃げた方向を向いたまま。
視界に決して彼女を入れないようにした彼の配慮を、意外にもしっかりとした低めの声が遮った。
「こちらを見ても構わんよ」
少し古風な話し方。
一切の動揺が感じられないその声音。
ついでに言えば、間近に魔物姿の宵闇がいるにも関わらず、そこにいる女は全く気にしていないらしい。
腕も使わず上体を起こし、多少乱れた衣服も無造作に払うだけ。
しかも、その衣服は赤い布を何重にも織り重ねたような見慣れない造りだ。
そういった違和感に気づき、チラリと警戒の視線を向けるアルフレッド。一方の宵闇は、ひとまず相手を刺激しないよう気配を殺そうと試みる。
他方、赤髪の人物はアルフレッドを見ながら、薄く微笑んで言った。
「感謝する。……何しろ、力加減がわからなくてな。殺しかねないので、対処を迷っていた」
『殺しかねないって……あ、やべ』
思わず出てしまった宵闇の念話にも、彼女は動揺しない。
当然のように頷き返し、今度は宵闇を見ながら言った。
「ああ、そうだ、同胞よ。我らに比べてヒトは脆い。無遠慮に触られるのは不快だったが、さりとて命を奪うほどかと言われれば、迷ってしまってな」
『「……」』
決して普通の感覚とは相いれない言動。
そもそも、宵闇に “同胞” と呼びかけた彼女は、一体なんなのか。
緊張を増す周囲に気づいているのかいないのか、赤髪の麗人は明るい碧眼で柔らかく弧を描く。
「まあ、ああいう類は骨の2、3本折っても良かろうが」
『「……」』
「いずれにしろ、助かった」
重ねて礼を言う彼女に、いくらか距離をとりつつアルフレッドが問いかける。
「……貴女は、何者なんですか。なぜここに?」
明確な警戒の声音も気にせず、彼女は言った。
「この地の災厄を、防ぐため。その助力を、お前たちに乞いに来た」
――様子を窺いすぎたな、やはり非礼には罰が当たる。
そんなことを言いながら、女はゆっくりと立ち上がる。
そうすれば、背丈はアルフレッドと遜色なく、身体つきは女性のそれだが、立ち方や振る舞いには男性に近いのがあると見て取れる。
後ろで括った豊かな髪は、うねるクセがついた炎のような赤い色。
前に垂れたその一房をツイとしつけながら、彼女は言った。
「そして、何者かという問いに対しては、まあ、ひとまず名を答えよう。我が名はディー。ニンゲンたちが崇める火の神の、紛い物、といったところだ」
第40話「灯」