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もう、滅んでいいのではないかと

作者: 黒須 夜雨子

残念な王様としっかり者の側妃達のお話です。


「運命の乙女を見つけたんだ。

彼女の愛ならば王家の呪いを解いてくれるだろう。

だから彼女を正妃として迎え入れたいから、宰相たちを説得してくれないか?」

高らかに声を上げた一国の王と、彼に肩を抱かれて頬を染める、どう見ても平民らしい少女。

その二人を生温かい目で見守りながら、蒼の称号を与えられた妃であるラーニアは、とりあえず手近にいた女騎士達に二人を後宮の奥にでも突っ込んで見張っておくように伝えた。

最高位である王への対応としてはいかがなものかと聞かれれば、ここにいる誰もが同じ答えを口にするだろう。

知るかボケ、と。




この国の王家は呪われている。

公然の秘密となっているそれは、国内外に問わず有名な話だ。

原因は八代遡った愚王ジャファード・アル=サーヴァルディーが、国賓を招いた宴で他国の妃に手を出したことである。

手を出そうとして未然に防いだ話だったら、莫大な慰謝料や先方有利な貿易条件等で手を打てたかもしれないが、ばっちりと既成事実を作り上げた。

それも他国の王が大のお気に入りだった寵妃にだ。

どちらの王も手が付けられる状態ではなく、双方の臣下が死にそうな顔で諫める事態。

そして手を出された寵妃も怒り心頭だった。

だって、他国の王の方が国土も広く、富める国だったから。

許す許さない、寄越せ寄越さないと双方の話が平行線の中、どういう結果であろうとも今の地位をキープすることが難しくなってキレた寵妃は、後宮入りの際に一族から連れて来ていた呪い師に言ったのだ。

あいつの一族を根絶やしにしたいわ、と。


呪い師が愚王を呪った証拠は残されていない。

ただ、その時から急速に王家の血を濃く引く者の数は減っていった。

ジャファードはすぐに生殖機能が失われ、後を継いで王となった息子は短命。

王の兄妹とその子孫も、事故や男色や女色、果ては特殊な嗜好によって人間と縁を結べない者まで現れる。

愚王ジャファードまでは好色であった王達によって王家の血を受け継いだ者は多かったのに、どんどん減っていく。

どれだけ頑張っても子孫は増えない。そして生きている者達はいつか死ぬ。

これによって現在の王サイード・アル=サーヴァルディーの先代の時点で、王家の血筋と呼べるのは先代王のみとなり、そして最後の一人がサイードだ。

サイード・アル=サーヴァルディー。

国民達には穏やかな春の太陽王と呼ばれているが、彼の為人を知っている者達は陰でこう呼んでいる。


曰く、無能王だと。




「で、あの無能王が何か目新しいのを見つけてきたけど、どうします?」

国王の発言から一刻。

後宮の応接間にテーブルを囲むのは四人の女性だ。


一人、蒼妃ラーニアは宰相の娘。

一人、紅妃ファティマは外務大臣の娘。

一人、菫妃ナディアは暗部を仕切る名家の娘。

一人、翠妃サファは将軍の娘。


誰もが重要な役職の立場である父を持ち、王に相応しいと選ばれた娘達だ。

そして国を回しているのは実質彼女達である。

サイードは最後の王族であり、彼が儚くなれば国は滅びるということで、教育はいかにして生き残るかに重きを置いたのだ。

王族として必須な行儀作法と他国の言語習得だけは外せなかったが、残りは健康な身体作りと毒物の知識や、怪我の治療法といった本来ならば王が学ばないようなことが詰め込まれた。

あんまり頭がよろしくなかったことから、ストレスで体調を崩すことのないように難しいことを外したのは、妃が全面的に公務を代行することが前提だったこともある。

現在は国内の政務を宰相とラーニアの親子が執り、他国との外交は外務大臣とファティマが担当する。

王に何事も無いよう、後宮内のみならず王城内の兵たちはサファが統率し、ナディアが暗部を使った情報収集と整理を行う。

サイードがしていることは、出来上がった書類の内容を精査することなく、面倒そうに御璽をポコポコ押すだけだ。

時間にして一日に一刻。

それを終わらせると無能王は自由時間。

そしてある程度は好きにさせていたら、いらぬお土産を持って帰ってきたのが現在。

今急ぎで空いている部屋を整えさせているが、ドレスや装飾品は既製品で暫く我慢してもらうしかない。

きっと今頃は後宮の奥で二人仲良く庭の散歩かお茶でもしているだろう。


「これだけの美女を侍らせて常に不満そうだったので、よほど目が肥えているのかと思っていましたが、単に平凡そうなのが良かっただけでしたか」

最初から言ってくれれば良かったのにと、ラーニアは溜息を隠さない。

サイードの連れてきた少女の見た目も決して悪いわけではないが、目の前には三人の美女がいる。

「私みたいな愛想の無い貧乳は嫌だって言われましたから、あまりの可憐さから花の精霊の愛し子だと評判のファティマ様を拝み倒して妃になって頂いたのに」

いつまでも10代の乙女のようなファティマは華奢ではあるが、程良く出るところの出た体型だ。

何考えているのですかねとラーニアが言えば、半眼になったファティマがナディアを見る。

「私なんて小さくて幼女趣味を疑われるから嫌だって言われたのよ、無能のくせに。

仕方ないからラーニアと二人して、大人の美貌と房術を知り尽くしたナディアの足にしがみついてでも、妃になって頂きたいとお願いした努力を返してほしいのだけど」

ファティマの視線の先にいるナディアが困ったように笑う。

ナディアは家業柄ゆえ夜を過ごすのに長けた美女で、豊満な体つきは傾国だと数多の男性が年齢を問わず求婚していたのを引き抜いた人物だ。

「ええ、こんな可愛らしいお二人を見て嫌だというのだから、てっきり閨事に長けた者が良いのかと引き受けましたけど、あの無能王ったら無駄に女らしいのも、女にリードされるのは絶対に嫌だと、こちらが引くほど拒否されましたわ。無能な上に不能なんじゃないかしら。

だから打って変わって、麗しいサファ様を三人で土下座してまで迎えたというのに」

そうして三人の視線を受けたサファが無言で肩をすくめてみせた。

サファは将軍の家の娘らしく、以前はサイードと一緒に剣のけいこを受けていた過去を持つ女性だ。

中性的な美貌は男性だけではなく女性からの人気も高い。試合ともなれば多くの人が一目見ようと詰め掛けたものだった。

「私を見た途端、苦い薬を飲んだ顔をしたからね。自分を叩きのめした相手なんて嫌だろうさ。

後、ラーニア嬢は自分を普通だと思っているけど、涼やかな目元と華奢な体つきで、賢妃を見た目でも体現しているよ」

サファの言葉にありがとうとだけ返して唇を強く結ぶ。

とりあえず愚痴はここまでだ。

これからのことをどうするか四人で決めなければいけない。


「サファ様は兵の采配と、陛下の本日の滞在先がどこになるのかを確認して頂けますか。

後宮に居てもいいですが、できることなら今夜は別に過ごしてもらう方がよろしいかと」

「構わないよ。兵は出来るだけ陛下の傍から離れないように重々言い付ける。何せ大切な最後の王族だからね。

夕食も一緒に摂るだろうから、毒を盛らないかも注意する」

面倒臭そうには答えるが、眼差しは相応に真剣ではある。

あの男が無能なだけに、周囲は必要以上に気を配らなければいけないし、失敗など許されない。

「今夜は後宮周辺の見回りも時間を変えて、回数を増やしてもらっておくよう父に頼んでおく」

「それは安心です」

手近な便箋を引き寄せ、さらさらと短い文を書いたかと思えば二つに折り、控えた兵士に渡すだけで早急に将軍へと情報が流れるだろう。


「ナディア様、とりあえず人はどれだけ使って頂いても構いませんから、あの娘を調べてもらっていいでしょうか?」

「ええ、勿論。既に人は動いているわ。

とりあえずわかっているのは、名前はシリンで平民向けの洋菓子店の娘であること、後は陛下が街遊びをしていたときに一目惚れしたことぐらいまでかしら」

手元の小さなメモにはびっしり何か書き込まれているが、報告が短いということは陛下とお供していた従者の言葉が書かれているだけで、憶測の域を出ないと判断したのだろうと理解する。

シリンという娘がいずれかの貴族に用意された娘であったり、他国の間諜といった可能性がある。

サイードが言い出したら引かないのを知っていることから側には置いておくが、これだけ予想外の行動を起こす男なのだ。

四人からの信頼なんて埃よりも無い、つまりは全くない。

「後は侍女の中に暗部を紛れさせおくぐらいしかすることはないわね」

「はい、ナディア様のお考えの通りにお願いします」

暗部が動けば彼女の父親のもとにも情報は届いているはず。

いや、既に手に入れて、こちらの方針を待っているのかもしれない。


「ファティマ様にお願いしたいのは、誰か彼女の両親のもとに使者を向かわせる手配です。

後、部屋の最終確認だけしてもらえますか。ファティマ様のセンスが一番いいですので」

「わかったわ。あまり詳しいことを話すと厄介だから、簡単にお預かりしている旨と安全であることだけ説明してもらいましょう。

部屋については教養のない彼女に理解できるか謎だけど、妃になる者らしいお部屋にしておくつもり」

ファティマが近くにいた自身の従者を手招きして「聞いていたでしょ」といえば、すぐに察した従者は部屋から立ち去っていく。

この部屋に察しの悪い者などいない。

無能王を支える娘の為に、どの家も人材を惜しまなかったのだから。

「あの娘の家から、彼女の持ち物を少しだけ運び込ませましょう。

その方が安心できるわ」

「さすがファティマ様ですね。配慮が足りませんでした」

ファティマ様が動けば物入りゆえに他の大臣にも知れ渡る、そのまま彼女の父親にも話はいくだろう。


とりあえず今日どうするかだけ決まった。

とはいえ、あくまで今日のことだけだ。

明日からの、それこそシリンという娘をどうするかの相談をしなければならない。

夕食はここで頂くかと考えたが、応接間のソファは上等でふかふかではあるが軽食を用意しても食べにくさがある。

おそらく話は込み合うことから、軽食からお茶、場合によっては夜食まで用意される可能性があることも考えると、ドレスに身を包んで同じ姿勢でいるのは酷く疲れるだろう。

ならば。

「これは提案なのですが、どうせ今晩にお渡りなどありませんし、場所を変えて話し合いをしませんか?」

そう言ったラーニアの顔を三人が見る。

「つまりは、寝間着パーティーの開催です」

生真面目な顔で言い切ったラーニアを見て無言になること数秒。

全員が同じタイミングで立ち上がった。

「でしたら私の部屋が一番広いですから、場所を提供するわ。

分厚いラグを幾重に敷いて、その上にクッションを沢山並べましょう。脚の低いカウチも用意したほうがいいわね。

とっても珍しい、まだ陛下にも献上していない茶葉がありますの」

「あら、じゃあ私は美容品を沢山持ち込むから、みんなで試しましょ。

ちょうど隣国で流行り始めた木蓮の香油も取り寄せたところで良かったわ」

「ならば、一番広い浴場を使えるように手配しておくか。

美味しい酒も用意しておこう」

誰も異議はないと判断しラーニアは頷く。

「本日の夕食は手軽に摘まめるものや、お菓子に変えるように伝えておきます」

そして僅かに笑う。

「今日の夕食は鴨のローストでしたが、急なお客人に提供することになりそうです。

ですから私達の夕食は、残りの全ての食材を使うように伝えておきます」

つまり、あちらには決められたコース料理、こちらには料理人が食材の制限なく、思うままに作られた料理が提供されることになる。

察した誰もが清々しい笑みで部屋を出ていくのを見送り、ラーニアも近くの侍女に宰相へ知らせる内容を書いたメモを渡したのだった。




「実際、あの可愛らしい方をどうしましょうね」

二刻が過ぎてから集まり直した四人は、サファの手配してくれた大きな浴場を贅沢に使い、ナディアが持ち込んでくれた美容品で散々に磨き上げられ、今はファティマの部屋で並べ立てられた料理と酒とお茶をそばに置いて、寝間着で好きな場所に転がったり座ったりしていた。

胸元を大きく開けながらカウチに身を預けているのはナディアで、サファの持ち込んだお酒とオリーブ、チーズへと手を伸ばしている。

「あの方、可愛いの?

平民にしてはぐらいで貴族の基準では普通ぐらいの見た目だと思うけど」

温かいスープをカップに入れてもらい、それをチビチビと飲みながら唇を尖らしているファティマの頬をナディアがつつく。

「ええ、勿論そうだけど。平民としてはレベルが高いわ。

私達みたいに磨かれていないのに、健康的な体と、愛らしいお顔をしていますもの。

でも、ファティマ様と比べたら平凡な小娘でしかないことも事実ね」

ファティマが侍女の方に小皿を差し出せば、串に刺した肉団子が載せられる。添えられるのはひよこ豆をすり潰して丸くし、軽く揚げたもの。

どちらもカトラリーを使わずに食べられる、サイズ感も程好い手軽な軽食だ。

「身元さえはっきりするなら私としては正妃だろうと側妃だろうと構わないが、周辺の貴族は納得しないだろう。

せいぜい愛妾にしかなれないのを、どう説得するかになるか」

肉厚な牛肉が挟み込まれたサンドイッチを頬張りながら、麦酒で流し込んでいるのはサファ。

「それとも国民の支持を狙って、運命の出会いとやらを美談にしてしまうとか。

ラーニア嬢はどう思う?」

話題を振られたラーニアは、薄く切ったパンに豚と豆のパテを載せてもらっていたところだ。

「そうですね、本音を言うならば私としては陛下とあの娘のお話なんか父親達に放り捨げて、今日使った美容品や食べた料理がいかに素晴らしいかを語りたいところです。

後、この面倒事に対処している私達を皆で労り合って、陛下に罵詈雑言を浴びせるまでを一連で行いたいです」

途端に他の三者も同じような表情に変わる。


どれだけ優秀だと言われても、どれだけ国のためだと貢献しても、サイードは一切理解することも無いままに、享受しているものを当たり前だとして生きていくのだろう。

妃達が何をしているのかわからず、勝手に決められたことだと不平不満を言い、王族が自分だけである事実は知りながらも意味を分からないでいるから己の義務を怠ろうとする。

ラーニア達は人形ではないのだ。

どれだけ仕方がないのだと思っても、考えと感情は剥離する時がある。

「そうね、そうだわ。私だってこんな後宮にいるくらいなら、他国に渡って多くのものを見て、多くの人々と接したいもの」

ファティマがナディアの手元にあった強い酒の杯を手にして、一気に呷る。

可憐な見た目と裏腹に、外交の一環として多くの人々と食事と酒を共にした父の遺伝か、ファティマは酒に強くて何を飲んだところで大して酔うことはない。

そんなこと、見た目だけで幼女だと言い切ったサイードは知らないだろう。


「私だって、泣く泣く愛人を置いてきてしまったのよ。

陛下が無能でさえなければ、とっとと後宮から下がることもできたでしょうに」

ナディアはナディアで、指から外すことの無い三つの指輪を愛おし気に撫でている。

どれも宝石が違うことから、愛人は三人いるのかもしれない。

そんなこと陛下には言っていない。言っても無駄だからだ。

「こっちだって辺境の魔物退治に参加できると聞いた矢先の出来事だったんだ。

今でも鍛錬は怠ってないし、さっさとあの無能が子を作ってくれたら後宮を辞せるというのに、新しいのを連れてこられちゃ年月ばかりが過ぎていくだけでやってられないさ」

ざん、とデザートスプーンが淡い桃色をしたムースに振り下ろされる。

それをスプーン一杯に掬い上げて口にしたサファが満足そうに眼を細めた。

サファが甘い物を好きなこともサイードは知らない。

そしてラーニアが本を読んで、庭の花を絵に描くことが好きだなんてことも知らない。

口に入れた料理を強めの酒で流したところで、ラーニアは三人を見ながら手を払って侍女と護衛の兵を部屋から出した。

「私達が陛下に尽くすのは国のため。

陛下のためではなく、国が滅ばないために生きてきたのです。

でも私、思ったのです」

一生懸命考えた結果ではない。一生懸命に尽くし、今まさに糸が切れた時に思ったこと。

「もう、滅んでいいのではないかと」




「陛下、娘から聞きましたが、運命の乙女と出会いになられたそうで。

ようやくお気に召す娘がいたのだと安心致しました」

翌朝一番に侍女達によって叩き起こされたサイードは、人任せに身支度を整えられ、宰相たちの待つ謁見の間に放り込まれた。

てっきり面倒な説教をされるのではないかと身構えていたが、真逆の様子に拍子抜けしてしまう。

「そなたらのことだから、反対すると思っていたのだが……」

予想と違う態度にはサイードも警戒したが、柔和な笑みで宰相が否定するように首を横に振る。

「陛下に必要なことは御子を成すこと。それが優先されるのならば、誰も令嬢の地位は問いますまい。

とはいえ、陛下の正妃を迎えるとなると、周囲の説得と準備に時間がかかります。

婚約の準備に半年、ご成婚までは一年お待ち頂くことに」

宰相の言葉に不満そうな表情はするものの、四人の側妃の時も同じくらい時間がかかったことを覚えているからか、さすがに口に出したりはしなかった。

側に控えたラーニアを見れば、微笑みを浮かべて頷いてくれるので、これで間違いないだろうと了承する。


「それから、正妃になられるご令嬢は妃教育をされておりません為、陛下を支えて公務を全うされるのは難しいでしょう。

変わらず公務は娘達に任せ、陛下と正妃は御子を生むことに専念して頂こうかと。

もちろん婚約までの間は、多少なりと公務に参加してもらいますが」

途端に渋面になったサイードに対して、宰相も他の臣下も笑みを絶やさない。

「珍しくお前たちが反対をしないのだ。

側妃達が公務をこなすというのであれば、こちらも譲歩しよう」

「ありがとうございます」

如才なくお礼を述べた宰相が話は終わらないとばかりに口を開く。

「それから、もう一つ」

もはや苦虫を噛み潰した表情へと変わり果てたサイードを気にした様子もなく、ファティマの父親である外務大臣も朗らかに笑う。

その目が笑っていないことをラーニアが指摘することはない。

「なに、そんな難しい事ではありませんよ。

婚姻までの間は、他の妃達と不仲ではないということを証明するために、週に一度ずつ側妃達にお渡りをして頂きたいのです」

「だがしかし、私にはシリンがいる」

「わかっております。形ばかりのものですよ。

向かわれた後は秘密の通路を使われ、部屋に戻られたら結構。

侍女達にも強く口止めをしておきますので、シリン嬢の耳にいらぬことが入らないことをお約束しましょう。

あくまで外に伝わればいいただけですので」

少し迷ったが、これから過ごすシリンとの生活を考えたら、側妃と不仲になって公務を手伝ってもらえなくなっても困ると考える。


「後はそうですね、一時的にですが御璽を押す権限をラーニアに与えて頂けますか。

我が娘なら陛下とご令嬢の交流を邪魔することなく、公務を全うできるでしょうから」

「そうだな、いつも書類を丁寧に準備されているものだから、普段あまり目を通す必要はない」

御璽を押すだけならば、サイードでなくとも問題ないと考える。

「わかった、ラーニアの働きは知っているので問題なかろう」

約束した証として署名を求められるままに、置かれた書面に署名をし、御璽を押してから控えていたラーニアに渡す。

ラーニアは神妙な面持ちで、両手で受け取っていた。


「ところで、シリンの部屋の準備はどうか?」

「恙無く。ファティマ様が他国で流行しているという美しい文様の文机などをご用意してくださっています。

ベッドも職人たちが急ぎ制作しているとかで、後一週間もすれば出来上がりますので、もう少々お待ちを」

「わかった、できるだけ急いでくれ」

承知致しましたと頭を下げる二人は、親子だからか下げる角度まで一緒だった。

サイードを見送るその表情すらも。

いや、この時だけは誰もが同じ表情を浮かべてサイードを見送っていた。

気づかないのはサイード本人だけ。




シリンを後宮に迎えてから半年が過ぎた。

三ヵ月が経ったあたりで側妃達へのお渡りは不要だと告げられ、サイードは遠慮なくシリンと蜜月を過ごしている。

当初は王妃教育を一応受けるのではないかとシリンが心配していたが、対外的なものは全て他の側妃達に任せればよいので教育を受けなくても問題無いと言われてからは、サイードと毎日何をするのか考えるのに忙しい。

家族に会えないことを寂しがるものの、王妃になるのだからと慰められ、気晴らしにとサイードが新しいドレスやアクセサリーを贈れば嬉しそうにしてくれている。


サイードも公務はラーニアに任せているので、後宮から出るときはシリンとお忍びでデートをするか、時折仕方なしに参加せねばならない会議くらいだ。

それでも外遊や国賓への対応は全て側妃の一人であるファティマが外務大臣とこなしているので、以前よりも多くの時間をシリンと過ごすことに宛てられる。

シリンを迎える以前ならば側妃が訪れて時間を過ごすこともあったが、それも一切無くなって煩わしさから解放されている。

先日には婚約式が行われ、体調を崩して休んだナディア以外の側妃達も、臣下と共に祝ってくれていた。

シリンが薄桃色をしたプリンセスラインのドレスを選んだと聞いたからか、華やかなドレスを好むファティマが深い紅のエンパイアドレスを着ていたのが印象的だった。

ラーニアは濃紺、苦手意識の抜けないサファは深緑を身に纏い、一部の貴族だけを招待したささやかな夜会には側妃達も参加を控え、誰もが新しい正妃に対してわきまえた態度だったのも満足している。

大々的に国民に知らせる形で執り行いたかったが、シリンが平民であることから嫉妬した貴族に命を狙われやすいと言われては諦めるしかなかった。


けれど、これで名実ともにシリンは正妃と決められた婚約者の立場になった。

後宮は大きく六つに分かれており、婚約後に改めて一番広い場所がシリンに与えられている。

今日は庭にラグを敷いて、ピクニック気分で昼食を楽しんでいるところだ。

サイードとシリンの間に置かれた籠には、昨日シリンが焼いたというクッキー。

今日のためにと厨房を借りて焼いてくれたらしい。

その優しさこそが愛だと感激している間にも、侍女達は手際よくピクニックの準備をしていく。

敷布の上に足の低いテーブルが置かれ、そこにチーズを詰めて焼いたパンや、エンドウ豆の冷製スープ、芋をマッシュして一口サイズに揚げたもの、挽肉にたっぷりの香辛料を混ぜ合わせて串に纏わせ焼いたもの、他には兎肉のパテに新鮮な野菜と果物が用意される。

サイードには濃厚な葡萄酒、シリンには冷たい果実水だ。

「こんなに一杯!いつも食べ切れないくらいお料理が出てくるので目が回りそうです!」

はしゃぐあまりに大声のシリンの姿を、もし家庭教師などが付いていたのならば叱りつけていただろう。

けれど誰もが素知らぬ顔で控えており、何か言う者など一切いない。

サイードの従者ですら苦言を呈することはなく無言を貫いている。

それが異様なことに気づいていないサイードは、微笑ましそうに眼を細めてシリンの皿に料理を置いた。

「無理のない程度に食べればいい」

はぁいと返事したシリンがどれを食べようかと皿の上の料理を突ついていても、何も言われることのないまま。


パンをちぎっていたサイードだったが、シリンへの用事を思い出す。

「そうだ、まだ少し先だが夏の予定を決めようと思っていたのだ。

王都は暑いからな、よければ避暑地にある離宮で過ごしてはどうかと宰相から勧められたが、行ってみないか?」

「え、私、王都から出たことないです!」

きらきらと目を輝かせて、シリンがサイードを見上げる。

「ならば、きっと良い思い出になるだろう。

私も幼少の頃に過ごしたことがあるが、湖があって美しい景色を楽しめるんだ。

公務は何とでもなる。暫く離宮で過ごし、婚姻式で着るドレスが出来上がる頃に王都に戻ろう」

「嬉しいです」

潤んだ瞳がサイードを映した。

「サイード様が大好きです。きっと幸せな王妃になって、サイード様を幸せにして、私の愛で呪いから救ってみせます!」

シリン、と熱っぽい声がサイードから零れ、愛しい乙女の体を抱きしめる。

それはまるで、思春期の少女たちが憧れる恋愛小説の場面のようだった。




「なーにが、私の愛で呪いから救ってみせます、よ。

馬鹿じゃないかしら」

季節が変わるいくばくか前、側妃以外の皆に見送られて馬車に乗り込んだのをテラスから眺めていたファティマが、小馬鹿にしているのを隠してもいない声音で言葉を吐き出す。

「ファティマ様、あまりに乱暴な言葉を使われるとお腹の子によろしくないです」

見える風景から視線を広いテラスへと戻せば、側妃が全員揃っている。

あの日から四人で過ごすことが増えていた。

元々仲が良かったのもそうだが、情報共有しなければならないことが多く、それが理由でお茶を一緒にすることが増えたのだ。

ラーニアの窘める言葉に、大きく溜息をついてお腹をさする。

以前はエンパイアドレスで隠れていた腹部は、すっかり隠せぬサイズへと膨らんでいる。

「国を滅ぼしかねない元凶がようやくいなくなったのだもの。

少しぐらいは悪態をついてもいいと思うわ」

カウチに横になったナディアは、豊満な体だったゆえにファティマよりも目立つお腹をしている。

ファティマと同じようにお腹を愛おし気にさすりながら、ナディアは妖艶さの失せない笑みを浮かべた。

「それもこれも、滅ぼしていいと言ったラーニア様のお陰よ」


あの日、ラーニアが滅んでいいのではと口にしたのは、別に国のことではない。

国が滅ばないように王家を守ってきたが、別に王家が滅んでも国が残りさえすればいいのではないかと思っただけだ。

一国の統率者が不在となれば、周辺の諸国から狙われるのは当然のことだし、他に国を統べる者がいないのであれば大国に従属することになる。

下手すれば従属したことにより、属国としてすら残らない可能性だって高い。

ならば王族という人間さえ存在していればいいのではと考えたのだ。

国の主たるサイードは国史に一番の暗愚と書かれそうな程に頭が悪い。

確かに教育も大きく偏ったが、幼いころから学んだこと以外に意欲的な姿を見せなかったし、公務をする一刻の時間すらも嫌がった。

そもそもが向いていないのだ。

だからシリンを受け入れる代わりに御璽を要求した。

普通の王ならば断るだろう。さすがのサイードも断ると思っていたら躊躇うことなく渡してくれて、後で宰相である父が物凄い表情で悪態を垂れ流していたが、結果として最善を取れたのならば問題ないのにとラーニアは呆れ顔を隠せずにいたのも暫く前のこと。

「陛下が何も考えない頭の持ち主だったのが、ここにきて私達に幸いをもたらすとは思わなかったよ。

我らが陛下が不在になっても困らない状況になったわけだ」

まあ、誰もが呆れていたけどね、とサファがおかしそうに笑う。


御璽まで押された書面と御璽そのものによって、王の代行者としてラーニアは城内に君臨している。

勿論必要なこと以外で悪用するつもりはない。

民の為にならないことはしない。これは父から何度も言われた言葉で、ラーニアが公務をする上での教えとなっている。

そんなラーニアが最初にしたことは、後宮にいる側妃達の従者に男性を認めるという書面に御璽を押印することだった。

これにより側妃達は、サイードか自分と同じ髪色と瞳を持つ従者を身内から雇用し、そして夜に訪れたサイードが秘密の通路を使ってそそくさとシリンのいる部屋へと帰る度に、従者と逢瀬を重ねた。

ファティマは本来の婚約者だった男性と。

ナディアは愛人の中から条件に合った者を。

今も甲斐甲斐しく従者として二人の世話を焼いている。

生まれてくる子は側妃の生家に似た子になる。

王家の血を引かない姿となるが、周囲も母親似なのだと納得するはずだ。

ファティマとナディアの子は王族として育てられ、いずれか優秀な方が王となることは共犯者たちの中での決定事項である。


あの二人は離宮から二度と出すつもりはない。

随伴した従者や侍女、使用人達は皆、側妃達の生家から派遣された者達だ。

特に信用が置ける、口の固い者を選んで監視として向かわせている。

離宮もサイードが蜜月を過ごす半年の間に、逃げられることのないように高い塀を用意させ、窓には鉄格子を嵌めている。

大人しく離宮で余生を過ごすならば、いつかのように庭でピクニックをしたり、たまには近くの湖を散策するぐらいは許されるかもしれない。

二人の態度次第だ。

「もし、あの二人に子ができたらどうするの?」

ナディアの問いかけにラーニアは答える。

「引き取って育てます。

もしかしたら優秀な子に育つ可能性もありますし、そうでなかったとしても三人いる内の一人ぐらいは残念でも許されると思いますから」

ラーニアの視線がサイード達の乗る馬車に向けられる。


サイードは愚かだった。王としての素質を持たず、けれど呪われていない子沢山の王家ならば、駄目な王子として目を瞑ってもらっていただろう。

王にはならずに誰かの家に婿入りしていたかもしれないし、平民として支度金を用意してもらい、出会ったシリンと生きる人生だってあったかもしれない。

けれど、どんな未来を想像しても、ラーニアがサイードと添い遂げる姿は思い浮かばなかった。

サイードがどのような反応を見せるかはわからないが、離宮という箱庭で愛する相手と幸せに暮らすといい。

曇る視界の中で、さようなら、と呟いた言葉は誰に届くことなく消えていった。


いつも誤字報告職人の仕事は早いですねえ。ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] そもそも事件が起きた段階で王家が滅んどくべきだった疑惑
[一言] 次世代当たりでは王家の正当な血筋がうんぬんで各派閥での内乱。 国が滅びそう。 密かに王子様それ狙っていたり。
[良い点] 側妃四人の連携により愚か者の血脈に終止符が打たれたこと 彼女たちが不自由ななりに幸せを掴めそうな結末も◯でした [一言] サイードは「押込」されなかっただけありがたく思わないとなぁ…。
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