情報を食べる
「今宵のお客様にまずお召し上がりいただくオードブルは、四人のアメリカ大統領に仕えた料理人、クリスティーナ・レッドフォードによる――」
この夜、まるで洞窟の中のような雰囲気が漂う薄暗いこの室内で、特別な会食が開催されていた。場所も時間も不定期、会員制のこの食事会では、世界中の名だたるシェフたちの料理を堪能できるという話なのだが……。
「お次はスープ。こちらはフランス大統領直属の――」
「ポワソン。ミシュラン三ツ星の――」
「ソルベ。イギリス女王が愛した――」
「メインデッシュ。こちらはあの伝説の――」
と、タキシードを着た主催者の男が仰々しくその名を口にして料理を紹介するたびに、客たちは感嘆の声を上げる。
「まあ、これがあの名シェフの料理なのね」
「うふふ、口いっぱいに広がるわぁ」
「ああ、最高だぁ」
「ほんと、おいしい」
「うん、間違いない。いやぁ、実際に彼の料理を食べたことあるけどねぇ、よく再現されているよ」
「ああ、彼が死んだときはまた惜しい人を亡くしたものだと落胆していたが、ああ、うまい」
「うふふ、神様は贅沢ね。彼らの料理を天国で堪能できるんですもの」
「まったくだ! はははははっ!」
「えー、デザートの前に、本日の料理の記憶を提供してくださった、バレンタイン氏、ロッテン氏、ミナミザワ氏、ピーター氏に心より感謝を申し上げます。ぜひ、皆様からも彼らに対する賛辞をお送りいただければと思います」
客たちはまるで精神病患者や子供のように大きく拍手をした。頭を揺らして笑い、はしゃぐ姿は無邪気に見えるが、しかし、実際にここにいるのは金持ちの老人ばかりである。
ここは『情報を食べるレストラン』ある時、人間の脳から記憶を抽出して保管し、他の人間にそれを自由に追体験させることができる装置が開発された。とはいえ、それは噂話レベルであり、この情報を知ったおれも半信半疑だったが、まさか本当のことであり、しかもこのような形で使われているとは思いもしなかったので驚いた。むろん、画期的な発明が生み出されても、量産化し、市民に行き渡るには金と時間がかかるものだ。ここに集まっているような趣味と金を持て余した者たちがスポンサーとなり、その発明の恩恵にあずかれるのは自然な流れなのかもしれない。しかし、どうも……
「あぁぁ、本当においしかったわぁ」
「ひひひっ、デザートも楽しみだぁ」
「あぁ、はやくはやくはやく」
……醜いと思わずにはいられない。情報を食べること。それは人の鞄の中に手を突っ込むような行為ではないだろうか。
おれはまたゴーグルを少しずらし、会場にいる連中を目を凝らして見つめた。
ほとんどの客が頭を振り、涎を垂らしている。今、ある客がテーブルを叩き、その手が当たった皿が跳ね上がり、床に落ちて割れた。だが誰も気に留めていなかった。笑い、喋り、次の料理が頭の中に流れてくるのを待っている。
連中が(おれも含めて)頭に装着しているVRゴーグルのような装置は端末らしい。記憶提供者である美食家の脳から味や食感、匂いなどすべて抽出してデータ化し、各々の端末に送ることにより、料理の味を追体験できる。
しかし、ただ頭に装置を装着するだけでは情報を受け取ることができず、事前に頭の中にチップを埋め込む必要があるらしい。その手術も高額な費用がかかるらしく、こうして身分を偽り潜入している一記者に過ぎないおれの頭の中には、当然チップなどない。
だから、空の皿が置かれた前で、腹が鳴らないようにするのも一苦労だった。もし事前にパンすら出されないと知っていたら、何か食ってから来たものを。せめてデザートにケーキくらいは出してほしいものだ。
ここに集まった連中は金持ちの老人ばかりで、健康を気遣い、好きな物を自由に食べることができないのだろう、だからこうして記憶の中の料理に舌鼓を打っているわけだ。
だが、それならそれでいい。勝手にやってくれという話だ。しかし、掴んだ情報によると、この会食には特別なメニューがあるというのだ。それがいったい何なのか、おれは知りたい。
「さあ、デザートを終え、これですべての記憶をお召し上がりいただきましたが、これより、皆様お待ちかねの今夜の特別メニューをお召し上がりいただきたいと思います」
――えっ
主催者はそう言って、右手を上げた。その先の扉の向こうから台車に乗せられて運ばれてきたのは全裸の男だった。しかも、額の部分にはなぜか線が引かれていた。
「彼にはこの日まで、世界の名シェフたちの料理を味わってもらいました。さあ、その極上の記憶。その味を今度は皆様の舌で直接ご堪能いただきたいと思います」
そう言って主催者の男が額にある線にナイフを入れた。すると、客たちは歓喜の声を上げた。全員が席から立ち上がり、男に群がっていく。おれの後ろのテーブルにいた客たちも、すごい勢いでおれの横を通り過ぎていった。その際に腹の音が聞こえた。そうだ、料理を食べた気になっただけで、実際に胃袋が満たされたわけではないのだ。今までのはおそらく、この料理のためのスパイスだったのだ。
「ちなみに、あの男は記者でした。あなたと同じくね」
真実の味は苦い。おれの耳元で、そう囁く声が聞こえた。
おれは椅子から立ち上がろうとしたが、できなかった。首にチクッとした痛みを感じた直後、おれの視界は暗くなり、脳は情報を得ることを放棄した。