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二話







―ウ…ヲォォォン…








「…。」

何かの鳴き声。

TVなどでしか聞いたことのない犬とは違う冷々とした鋭利な遠吠え



ヲオオオ―ン






この声は……まさか



狼?





いや、そんな!!

日本に狼はいないはずじゃ…




眠気なんてあっという間に吹き飛んだ。まだ夜色が色濃く残るなか、辺りに目を配り、急いで声がする逆の方向へと駆け出した。


考えてみれば、ここが日本だって決まった訳じゃない。そう。あの暗闇から抜け出たのだ。日本だなんて証拠がどこにあろうか。





途中何度も藪や木の根に足を取られながら走った。



あぁ。なんか走ってばっかだな。


ふと思う。なんだか泣きたい気分だ。


オニューのワンピースが裂ける音がした。


あぁ。もう本当に最低!!









遠吠えが止む。








しかし樹代は止まることなく進んでいった。



大分息が弾んできた。足ももう重い。そろそろ大丈夫だろうと思ったときだった。




ウヲォォォン――!!





はっ。と息を飲む。

近い!!!



先程より凄く近い。



止まっちゃだめだ!!

緩めた速度を上げようと強く前に踏み出した。




ドサッ!!!

「っ!!」


木の根に足を引っ掛ける。怪我をしていた場所をもう一度強か打ち付けた。


痛!!!


知らず知らず涙が溢れてくる。

何なのだ。理不尽すぎる!!!

なんで私がこんな状況に陥らなきゃいけないの!!



鳴き声は止んでいた。しかし木々が擦れ合う音が段々と大きくなっていく。獲物を見つけ一所に集まっているようだ。



無論。獲物は樹代に間違いない。

樹代の汗の匂いと荒い息、彼女が藪畳を通り抜け、地面を蹴る度に起こるさざめきは捕食者達に居場所を示しているようなもだった。




その場所は樹代が暗闇から逃げおおせた場所よりも多少開けた所だ。

静寂のなか、自分の息づかいとこめかみから伝わる血流を感じながら立ち上がることも出来ずに彼女は視線をさ迷わせる。




ガサッ


右側の藪が大きく動いた。横目でそれを捉えて首を向ける。

続いて四方から葉が擦れる音が耳に入った。




目を見開き息を飲む。




藪から出てきたのは狼では無かった。


姿形は狼や犬とあまりかわりないが、まったくそれとは異なったもの。

赤い体毛に、黒い嘴が目に入った。瞳は黒く、ギラギラと怪しく光っている。



一匹、もう一匹と藪影から姿を表してくる。数は六匹。

半開きの嘴から見える紫の舌が毒々しく、そこから伝い落ちる唾液に身震いが起こった。

樹代は腰が抜けて、ズルズルと後ずさることしか出来ずに醜悪な姿の獣達を見渡す。


トンッ。


背中に固い感触。木がこれ以上逃げることを阻むように樹代の行く手をふさいだ。



たっ、助けて…。母さん…父さん!!

爪に土が入り込むことも気にせずに手を握りしめ、あまりの恐怖に息をするのも忘れる。




化け物達は、獲物と距離を測りながら段々と近づいてくる。



彼女は感じ取っていた。


少しでも動いたらいけない。

声を出してもいけない。


自分を襲わせるタイミングを自分で作り出すことになる。


しかし、奴等が飛びかかって来るのも時間の問題だ。

絶望が樹代の瞳を曇らせる。涙と鼻水が流れ落ち、ひくつくのを懸命に堪えるように唇を噛み締めた。




一匹がカタカタカタと嘴を鳴らし始めた。すると回りの化け物達も同じように嘴を小刻みに鳴らし始める。


その鋭い嘴を見ながら樹代は思う。

生きながらにしてあれでつつかれ、引きちぎらたらどれだけの痛みが伴うのだろう。臓腑を引きづりだされ、骨を噛み砕かれて、私は食べ尽くされるのだろうか。




いやだ。いやだ!!怖い。怖いよ!誰か助けて!!!





音が止んだ。




来る!!体を支配する恐怖に竦み上がり樹代は目を強く瞑り身を強ばらせる。









オヲオォォォン!!





一声、藪の中から鳴き声が聞こえた。


先程の遠吠えと同じ狼の声。



樹代を取り囲んでいた化け物が呼応したように耳に不愉快な鶏声で鳴き出した。


ギョエー―ギョェー!!!



化け物達が興奮ぎみに騒ぎだす。

樹代は何事かと目を開ける。


なっ。何!?どうなってるの?!




それは刹那、翳然として月光も届かない暗闇から大きな影が躍り出た。




樹代の瞳に写ったものは、化け物達よりも、それはそれは大きな狼だった。



狼は白く鋭利な牙爪を向き出しにして化け物達に襲いかかった。


樹代の一番近くにいた獣の横腹に噛みつくとそのまま首を左右に勢いよく振る。化け物は奇声を上げながらもがくが意味もなく、躰が胴体と下肢とに引きちぎれ投げ飛ばされた。

血の匂いが鼻につく。


血を滴らせて地面に投げ捨てられた仲間を見て化け物達は更に昂ったように耳につんざく鳴き声を上げ狼を威嚇した。




狼はとまらない。



太く逞しい前肢で敵の体を捕らえると、頭を喰い千切り、爪で引き裂いた。

化け物が鋭い嘴を光らせて、狼の首目掛けて飛びかかる。しかし其れを難なく交わし、化け物の背後を取るとまたもや向きだしの爪で肉を切り裂く。





あとの始末は容易に終わった。二匹は程無くして狼に瞬殺され、最後の一匹は逃げるように敗走していったのだった。




ここに残るは無惨な屍と血の海に穢れることなく凛然と此方を見据える狼、言葉もなくその狼に目を反らせずにいる樹代だけだった。


月夜に照らされて毛並みが白銀に輝いて見える。なんと美しく、雄々しいことか。


恐怖と絶望など、さらさらわすれ、ただただ目を見開くばかりだった。







《平気か?》




男性の低く響くような声が樹代の耳に入ってきた。







辺りを見回す。



今確かに声が……




《こちらだ。平気かと聞いている》



狼がしっぽをパシッと振るわせて此方に近づいてきた。今度こそ樹代の瞳に白銀の狼が映る。



えっ?………

樹代は目を剥く。


《お主、言の葉がわからなんだか?》



樹代は見た。確かに狼の口の動きと一緒に言葉が発せられているところを。

あまりにファンタジーである。


「あっ…」


樹代はかろうじて声をひねりだした。やけに口が乾いて巧く舌が回らない。


「なんとか……。」

なんとか絞り出した声は掠れてる上呟いた程度のものだった。

《分かるのならば、意思を伝えろ。人間の意志疎通は会話が大切なのだから》


説教された…。しかもこんな時に、人語を解すといっても狼から。


「すっすいません」


狼は、そんな樹代を見下ろしながら、空を嗅ぐように鼻をひくつかす。

《主、血の臭いがする》

《傷を負っているな?》


樹代はまだ腰が砕けて動けない。狼は樹代に触れられる所まで近づいて彼女の頭から足先までクンクンとまるで犬のように臭いを嗅ぎはじめた。なかなかこれがこそばゆく、樹代は首をすくめる。


《うむ。多少かすり傷はあるようだがたいした傷は無いようだな。》

どうやら怪我の心配をしてくれていたらしい。


「あっ、あの。」立ち上がるため木に寄り掛かりながらなんとか足を踏ん張って狼に向き直る。

「助けてくれて、ありがとうございます」


まだ声は震えているが、先程よりかはまだましだ。


《話しは後程。》


「へ?」


樹代に背中を向け《乗りなさい》と促した。

樹代はその一言に固まる。狼の、馬より一回り大きい背中を見つめながら逡巡する様子を見せた。

とにかくあの化け物から救ってくれたのだ。狼の心曲は計り知れないが今はなんとかこの自分の置かれた状況を知っておくために、狼から離れたくはない。でもしかしこの狼は私をどこに連れていくつもりなのだろう。着いていったら私はどうなるのだろうか。

色々な疑問符が樹代の頭を掠める。





というか、今乗ったら振り落とされそうだわ。私。






《あぁ。これでは乗れないか》

呟きながら狼は足を折り曲げて伏せの形をとった。



「乗ってもいいの?」

ようやく弱まった体の強張りを気に掛けながら恐る恐る背後に近づき狼の毛に触る

《早く乗りなさい。血の臭いで、次が来る。》


次?


次とは先程の化け物だろうか。

確かに此処は血の臭いが濃い。狼の言い分はきっと正しい。



行動を鈍らせる迷いを角に追い去り、狼の毛を「えいっ。」と鷲掴みにして大きく、樹代の胸にまである高さの背に飛び乗った。







否。






よじ登った。






足ぱんぱんで力入んないですけど!


「たっ高い。」

樹代を背に乗せた狼の高さは差し詰めワゴン車の天井くらいである



《乗ったな?確りとしがみ付いていなさい。暫し走るからな。》





返事をする暇はなかった。瞬時大きな体が風を切って駆け出しのだ。

際どいすれすれの木々の間を縫って駆けている。




ヒヒィィィ!!!!!


「おぉ〜〜ちぃ〜〜るぅ〜〜!!!!」




只でさえ疲れ果てている足腰と精神状態でこれは無い。


落馬もとい落狼する事がないように体勢を低くし、全身全霊をかけて股で狼の胴を挟み込み、腕で銀色の毛を握りしめる。



「いぃやぁぁぁぁぁ〜!!」


左右に激しく揺らされるだけではない。狼が障害物を避け高く跳ぶたびに震動が直に樹代を襲った。






本当に最悪…





狼の背に乗ってから暫し時間が経つ。

もう本当に限界だ。脚の筋肉は先刻からガチガチになっている。腕ももう力が入りそうもない。段々と目も霞んできたように感じる。


もっもう無理かも…。




《おい。主よもうすぐだ。辛抱しなさい。》

顔だけ後ろに向け狼は樹代に言う。韋駄天のような俊足を見せつけた銀狼は疲れた素振りも見せない。



「少しってどのくらいよ!」

舌を噛まないように早口で問い返す


《少しは少しだ。》





答えになってない。




もう、嫌だ。何もかも嫌だ。私はただおじいちゃん家に行きたかっただけなのだ。高校一年のたった一度だけの夏を謳歌したかっただけなのに。それが今やなんだ。某超大作アニメの山犬に育てられた女の子の如く白い狼に跨がり颯爽(?)と山を駆けている。

このまま私は狼に育てられて、いつかきっとナックルだかヤックルだか羊とも牛ともわからない乗り物に乗ったナイス美形な少年と恋に落ちるにちがいない。絶対にそうだ。それできっとこの狼がその美少年にむかって「お前に樹代が救えるか?!」とキメ台詞よろしくお前に娘はやらん!的なやり取りを行うのだろう。







あぁ。目の前真っ暗。底無し沼だ。








……いっそのこと自分から落ちてしまおうか。

いやいや、まてまて。落ち着け自分。

この速度と高さから落ちたら絶対痛い。下手したら骨折ぐらいじゃすまない気がする。


自暴自棄モードに突入したときだった。銀狼の速度が急に落ちてきた。激しかった揺れも治まり始める。



余裕が出てきて初めて気づいた。

なんだか物凄い音が聞こえる。

まるであたりの空気を震わせながら樹代の耳に落ちてきた雷のような轟音だ。




そこで初めて樹代は顔を挙げた。


《着いたぞ。》


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