一話
顔を上げ空を仰げば、7月の強い日射しが痛いくらいに体を照りつける。
眉をひそめて、手で目元に影を作った。
暑い熱い暑い熱い
樹代は頭上高くに結っている髪を元気に揺らしながらアスファルトを歩いていく。
少し気が強そうなつり上がりぎみの目尻と、スッと通る鼻筋、ぷっくりと厚みがある唇。なんとも可愛らしい少女である。
前髪の一部を上げているところから明るく活発的な印象が伺えた。
今から夏休み恒例となっている、祖母の家に厄介になりに行くのだ。
丸々1ヶ月のこのお泊まり。
今回は親の都合により、樹代1人でのお泊まり会である。
親が居ないというだけで反抗期真っ盛りの樹代にとっては羽が伸ばせると大喜びだ。
これからの1ヶ月に思いを馳せながら、肩に下げた手提げバックから先程駅で買った麦茶を一口口に含み、渇いた喉を湿らせた。
クソ。もうぬるくなってきている。なんだってこんな熱いんだ。
不満丸出しに水滴がまだ付いていたペットボトルを睨みつけてみる。
水滴が手から腕に伝い落ちる。
肘まで伝った水滴が、一滴地面に黒い染みを作った。
辺りに目を配ると周りに有るのは青々と繁茂した草木ばかりである。少し遠目に見れば堂々鎮座した岐納山が見えた。
岐納山はこの付近の村村の守り神がまします聖地とされている。無用に立ち入るなと以前から信仰深い祖父母に言い聞かされていた。
もともと男子に交じって山を駆け回るような男勝りで好奇心人一倍の樹代であったが、この件についてはただただ大人の言うことに従い足を踏み入れることなくいたのだ。
祖母には一度入ったら出てこれないと聞かされていたし、祖父には神様の祟りがあると耳にタコができるほど常々聞かされていた。
この年に為れば流石にそのような年寄り染みた話しなど信じてはいないが、幼少のころから刷り込まれた根拠の無い岐納山に対しての恐怖感はまだ彼女の心に根を張り続け、山への好奇心を萎ませていたのだった。
駅から出てだいたい15分。そろそろ祖父がくたびれたケイトラで迎えに来てくれるはずだ。
あの今にも廃棄処分になりそうなギシギシのトラックが目に浮かぶ。
麦わら帽子がやけに似合う祖父が樹代は大好きだった。
樹代がお泊まりに行った初日はいつも豪勢な料理がいくつも並んでる。朱色が鮮やかな大きなくるくると回る皿に、樹代大好物の揚げ物代表格エビフライを始め、煮物、刺身、サラダに祖母特製の漬物。真っ白な自家製あきたこまちを口に放張りながらそれらを皆でつついて酒を交えて盛り上がるのだ。(もちろん未成年である樹代はジュースである)
知らず知らずに口角が上がってくる。駅弁も美味かったけれど、祖母特製の料理たちには到底及びはしまい。
歩調がどんどん早くなっていく。
楽しみだ。兎にも角にも心のそこから今からの"事"が全力で楽しみだ。
彼女は堪らなくなり走り出した。暑さなんて関係ない。
早くおじいちゃんに会いたい!早くおばあちゃん会いたい!!
あぁ!待ち遠しい!早く早く早く!!!
今の樹代には先程感じた焦げるほどの暑さなど腹を空かせるライオンの前に現れた子ウサギのようなものだ。
ついには大声で歌いながら白いワンピースをはためかせ地を蹴るようにして一本道を進んでいった。
緩やかな坂道に差し掛かったころ朱色に塗られた鳥居が見えてきた。あそこを過ぎれば樹代の足で20分くらいで目的地である。
汗で張り付く髪を後ろに払い上げる。
少しはしゃぎすぎたか。
足がほんのちょっと痛くなってきた。
「じぃじ遅いなぁ。」
額を濡らした汗をハンカチで拭き息を吐く。
駅で電話してから小一時間はたっているはずだ。普通ならもうとっくに迎えが来ている頃である。
「なにかあったのかなぁ。」
頼みの綱である携帯を開いたが流石自他共に認めるド田舎。
圏外で使えない。
携帯をポッケにしまいこみ、朱い鳥居の目の前まで歩いていくと三段程登って石段に腰を降ろした。
丁度木陰になっているそこは風通しもよく、とても快適だ。樹代は鳥居にもたれ掛かる。
気持ちいい〜。
優しく撫でるような風が火照って汗をかいた体を冷ましていく。
瞼が自然と落ちてきた。
耳に五月蝿いセミの音がどんどんと遠退いていく。。。
ちょっと疲れたかも……眠くなってきた…
数分しないうちに樹代の手から力が抜けた
……ドンド
…ドンドン
ドンドンドン
ドンドンドン
――…なに?この音。太鼓の音?
樹代は首をもたげ回りを見回す
――えっ……どこ此処…
先程自分は確かに鳥居の階段にいたはずだ。
しかし今自分がいるのは何もない暗闇である。
夢を見ているのかも―…
知らずに寝そべっていた体をゆっくりと起こして、とりあえず音がする方向に足を向けてみた。
何もないこの暗闇で唯一この太鼓の音だけが樹代を何処かに導く目印だった。
心の臓が早鐘を打ち始める。
何だろう。この気持ちは。何かに急いているようだ。何かから逃げるようだ。
そう考えた途端に首筋から背中に掛けてゾワっと血の気が引き、全身があわだった。
背後に何かいる。
見られている。
いや、睨まれてる。
私を何かが睨んでいる。
睨み付けている!!
恐ろしくて後ろなど見られるはずもない。振り替えったらきっと不味いことになる。きっと後悔することになる。
全ては勘だが、強く確信していた。
絶対に振り向いてはいけない!!!
心臓に共鳴するかのように太鼓の音もまた早く、力強く打ち鳴らされた。
ドンドンドンドンドンドン
たまらず樹代は走り出す。暗闇に潜む何かを振り切るようにがむしゃらに足を腕を動かした。
自分の乱れた呼吸と地を叩く靴の音がやけに耳につく。
瞼を強く閉じる。顔を挙げ酸素を飲み込む様に肺に注ぎ込んだ。
まだだ。まだ止まるわけにはいかない!!
死ぬ気で。死ぬ気で足を動かせ!!!!
ふと瞬きをした刹那前方に明かりが見える。
そこから太鼓の音も明かりと一緒に漏れ出ているようだ。
息を切らせ、恐怖に急き立てられながら樹代は懸命に地を蹴った。
早く早く早く早く早く
一刻も早く光へ!
樹代はこれまで無いくらいに加速する。太鼓の音とその明かりに導かれるままに駆けていく。
光が間近に迫り来る。
それを求めて腕を思いっきりのばした瞬間。
景色が一変する。
ドサッ!!
「ぅっ……」
痛……!
手のひらと膝小僧をがジンジンと熱を持っている。
おもいっきり擦りむいてしまった。
息を乱しながらその場に仰向けになる。
一度思いっきり胸をそらし息を吸い込んだ。暗闇とは違う匂い。
土と草木の青々しい匂いだ。
先程樹代を追い掛けた「何か」はもう居なくなっていた。
何だったんだあれは。
闇の中でもはっきりと感じたあの視線は確実に樹代を射ぬいていた。
恐かった。本当に恐かった。
目に見えない実態の知れないもの程、人は恐怖心を煽られる。
あんな恐ろしいことなど一生ごめんだ。
深呼吸をして乱打している心臓を静めるために目を閉じた。
落ち着け…落ち着け自分。
何度か繰り返し自分に語りかけ深呼吸をする。
「ふぅ……」
よし。。。大丈夫。
もう大丈夫、私は平気。うん。
ふと気付く。
いつの間にか太鼓の音が止んでいる。
(あの太鼓の音はなんだったのだろう…まるで私を呼ぶようだった。あれが私を此処に導いたのかしら)
血が滲む膝を労りながら立ち上がり近くに生えていた大樹に腰を落ち着けた。
鳥居に居たときは昼過ぎだったにも関わらず此処は夜中だ。星が目映く輝いている。
闇に慣れた目で冷静に辺りを見回す。回りは草木ばかり。それもテレビでしか見たことのないような手付かずの自然といった感じだ。
此処はどこなんだろう。
私はどうしたの?なんでこんな所にいるの?帰るにはどうしたらいいの?
またあの暗い場所を通らなくちゃいけないの?
いやだ。あんな場所絶対にもう行きたくない。
きっと次あそこに迷い込んだら私はもう助からない。
ブルッと体が震え鳥肌がたった。
私はどうしたら……
胸にザワザワと競り上がってくる焦りと不安が気持ち悪いほど樹代を追い詰めていく。
目を強く瞑り、膝に頭を押し当てて自分を抱え込む様にして体を丸める。
そのまま樹代は浅い眠りに着いた。
・
多少改稿いたしました。
相変わらず鈍行作業ですみません。