第四話
あの時から軍人は日陰者ではなくなった。
時計を修理してから数年、勢いのある政党は勢いのまま力をつけていった。
勢いのままに経済を回復させ、時計を修理したあの時から10年ほどで勢いのままに戦争に突入した。
「こちらエリック三等兵、応答を願います」
通信機に話しかけても応答はない。もうずっとこの調子だ。
戦線の状況は悪化した。
悪化の一途を辿った。
はずだ。
僕の居るこの戦線だけじゃない。
国全体の戦況が悪化している。
はずだ。
他の戦線のまともな情報さえ得られない。
そりゃそうだ。
一つの街が占領された。一つの部隊が壊滅した。
そんな情報が一年ほど前までは数多く届いていていた。
でも、もうまともに情報は届かない。
いきなり音信不通になるのが当たり前の状況になって数ヶ月の時間が経つ。
一つの街が空襲で一夜で壊滅したらどうだろうか。
平和な時代に生きていた時期の自分なら一つ街が壊滅しても連絡くらい来ると思っていた。
今はそう思わない。
壊滅した街の軍人や市民から連絡が来る。
それは奇跡か幸運かのどちらだろう。
軍に配備されている最新式の通信機から連絡が来るのを待つ上官や兵士達は常にピリピリしている。
海に囲まれた絶海の孤島であるこの場所に連絡する手段はこの通信機か、味方の航空機が空から落としてくる郵便物かのどちらかだ。
新しく現場に来た兵士達には未成年者もいた。
とっくの昔に国民に対する徴兵制度が導入され、今まで予備兵役と志願者のみが戦線で戦っていたが、ついには若い男性まで導入されている。
国は勝てると言っているが、本気で信じているのは軍事関連の知識を持っていない若い国民か国粋主義者くらいなものだ。
それなりに人生経験を積んだもの、軍事関連の専門知識を持っているもの。前線の状況を自分の目で見ているものは敗色濃厚だと気が付いているだろう。
国会において勝利万歳と言い、戦いに賛同した国民の中にこの現状と現実を知った上で投票した人物は何人いたのだろう。
以前の自分自身を呪いたい。
そして僕も今、前線の状況を生身で経験し、その地獄の光景を目に焼き付けた人間の一人になった。
そんな悠長なことを考えている時間があるような前線なんて生ちょろいのだろうと思われるのかもしれないが、それは違う。
持久戦に持ち込まれたのだ。
この補給もまともに届かない孤島で持久戦。
敵はいつ攻めてくるのかわからない。
夜間に攻撃を仕掛けられ睡眠を妨害される。
それも一日二日といった短期間じゃない。
毎日、数週間にも及ぶ夜間攻撃の連続、もはや国際法を無視しているのかどうかさえわからないほどに攻撃は激しい。
戦場では国際法が守られているか軍法が守られているかを確認することさえ難しい。
祈りを捧げて敵の攻撃が止むのを願う兵士。
負傷し、ただ茫然と自我を失ったかのように壁に寄りかかる兵士。
敵の空爆から逃れるために掘られた細長いトンネルの中で血まみれになり、腕をなくした兵士はパニックにでも陥ったのか大きな叫び声、うめき声をあげ続け、何かから逃れるようにトンネル内を歩き回っていた。
だが彼は敵に友軍の位置が特定されると上官の指示でどこかへ連れていかれたきり帰ってこない。
ハヌッセンは昨日任務に出て行ったきり帰ってきていない。
狙撃任務らしいが帰って来ていない。
この戦場で命を失ったのかも知れない。
恋人を残して。
遺書を書いたのだろうか?
代筆はして貰ったのだろうか?
家族に手紙を残したのだろうか?
恋人に手紙を残したのだろうか?
それにしても、軍人の遺書や手紙を代筆する代筆屋は大変だっただろう。
なにせこれから命を失うことがほぼ確定した人間の手紙なのだから。