第二話
「34.35.36.37」
僕とハヌッセンは声を出して腕立て伏せをする。
「まだまだ!!」
上官は声を出し、僕等は罰直を受けている。
「38.39.40」
どんどん回数が増えていく。
これは持論ではあるが、軍人は軍事、戦争の専門家で善戦で戦うプロでもあり、同時に腕立て伏せの専門家、筋トレの専門家と言っても過言じゃない。
何せ何度も適当なことに指摘を入れ、腕立て伏せをする。
いや、やらされる。
軍に入隊し、始めの時期は指摘される事が多い。
靴が汚れていると指摘されることもあれば、襟がよれていると指摘されることもある。
その他にもアイロンがしっかりかけられていない。
あらゆることに指摘を入れられ、徐々に全員が完璧になっていく。
完璧になっていくと、指摘する上官達も指摘する項目が無くなっていく。
指摘項目が無くなった上官が困り果てた末に指摘した項目、僕達が最終的に指摘された項目は今でも忘れられない。
その当時の指導教官はこう言ったのだ。
「指摘項目1! 目の輝き!」
そうして腕立て伏せが始まった時の異様な雰囲気は今も忘れられない。
おそらく今回も腕が引きちぎれるまで腕立て伏せをすることになるのだろう。
そう思っていたし、そのはずだった。
そう多くはない回数の腕立て伏せをやった時、上官は言った。
「そこまで」
そう告げられた。
あまりに意外な言葉だった。
多くない回数の腕立て伏せをやった後の感想は、たったこれだけ?
と言った感じだ。
腕が引きちぎれるまで腕立て伏せをする。軍人としては当然の話であって、別に珍しい話じゃない。
やらされる側もやらされる側もわかっていてやっている。
それ以前に、日常的に自主トレーニングに励む。
罰直による腕立て伏せなど誤差、それが軍人の認識だ。
それで今回の腕立て伏せはここで終わり。
なぜ?
疑問に思っていたところ、上官に告げられた。
「君たち二人も、この後、他の仕事があるだろう。戻って構わないよ」
僕とハヌッセンは顔を見合わせる。
「よろしいのですか? 腕立て伏せの回数少ないと思うのですが」
「構わないよ。それとエリック君には少し話がある。ハヌッセン君も自分のしごとにもどりなさい」
一人だけ呼び止められた俺は、なぜ呼び止められたのか見当もつかない。
何か問題を起こした記憶もない。
「君、懐中時計の修理ができるらしいね?」
「どんな時計かにもよりますし、壊れ方にもよります。治せないほどの損傷だったら修理はふかのうです」
「ちなみになんで時計の修理ができるんだい?」
「親族に時計職人がいますので、子供のころに教わったんです」
「そうなのかい、じゃあこの時計を修理してくれないか? 親の形見なんだ」
「修理可能かどうかは一度、中を開けて確認してみないと何とも言えませんがよろしいですか?」
笑顔で時計を渡して上官は答えてくれた。
「構わないよ」
そう言い残して上官は立ち去っていった。
与えられた部屋に戻るとハヌッセンが先に戻って来ていた。
「出世頭の上官から何言われたんだ?」
「出世頭ってあの師団長さんが?」
普通のおじさんにしか見えなかった。なんて言ったら失礼なんだろう。
「そりゃそうだ。あの人はまだ出世するって噂だぞ。制服組から背広組にまで出世するんじゃないのか?」
他の国がどうなのかは知らないが、我が国の制服組は現場で働く兵士たちやそれらを取りまとめる現場で指揮を取ったり、戦略に沿ってことを進める指揮官達のことだ。
背広組は更にその上、全体指揮や戦略立案、敵の戦力を戦争前に把握して、もし戦争が起こったらどの場所にある敵の軍基地をどう攻略するのか、どれくらいの期間物資が持つのかを把握して国が負けないように勝利するようにいつのタイミングで休戦するのかの外交まで会議に出席してことを進める。
「そんな凄い人だったなんて知らなかった」
凄い人ほど気取らないとはこのことなのだろうか?
でも、あんな人柄の良さそうな人が今の時代の軍人で良かった。
もし先の戦時中や敗戦した時の軍人であったら、間違いなく軍法裁判で処刑されていただろう。
そう何せ今の我が国は、敗戦した国。
多額の賠償金を課せられ、支払いに苦労する国と賠償金が足枷になって経済が発展しない国。
それが今の我が国だ。
でもそれも変わりつつある。
政治家が現れたのだ。
彼は演説で人を魅了する。
民族の誇りを思い出せと声高に叫んでいる。
まだ小さい政党だが勢いがある。
今でこそこの国において軍人は日陰者かもしれないが、彼が変えてくれるかもしれない。
と思う反面、個人的には複雑な気分だ。
戦争には反対だ。
でも軍人が日陰者で国民から批判されるのもあまりいい気がしない。
戦争が始まれば国民は軍人に敬意を払いもてはやすだろう。先の大戦でも軍人が道を歩くときは一般人は道を開けなければならないという暗黙のルールができあかっていたらしい。
そんなルールのできあがる国際情勢は個人的に見たくない。
「食堂に行こう。飯の時間過ぎちまうぞ」
そう言えばそうだった。ハヌッセンに声をかけられ、急いで食堂に向かう。
「夕食はシチューがだったらいいなー俺の好物だ」
「そんなわがまま通るわけないでしょ」
「料理長にお願いして海軍カレーならぬ陸軍シチュー作ってもらえねえかな」
「馬鹿なこと言わないで早く行きましょう」
俺は受け取った時計をポケットに入れて食堂へ向かう。
「それにしても代筆の女性職員ってどんな人なんだろうな。美人だといいな」
やっぱりハヌッセンだ。
「恋人がいるというのにほかの女性に目移りですか?」
「いいだろ。それとこれとは別だよ別。目の保養ってやつだ」
「そりゃ素敵な女性だといいですね」
ハヌッセンはまだ見ぬ代筆屋の女性職員が美人だといいなと思っているようだ。
その女性はいったいどこにいるのだろう、常に基地の中に居るわけではないらしい。きっとどこかで仕事でもしているのだろう。