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「これ……作ってみたんだけど、食べてくれない?」


 出雲(いずも)が差し出したのは綺麗にラッピングされたマフィン三つ。


「上に乗ってるのはエディブルフラワー? かわいいね」

「あはは。ちょっと上の部分の割れ具合が気になって……」


 青紫と黄色が鮮やかなビオラのエディブルフラワーがちょんと乗せられたマフィン。


 私が普通の女の子だったら、「カワイイ~」とか「映えそう~」とか言って喜んで、スマートフォンで写真を撮って「彼氏からもらった♡」とか書いてSNSに投稿するに違いなかった。


 けれども私はそんな「カワイ」くて「映える」マフィンではなく、それを持つ出雲の指先から目を離せないでいた。


 ――「怪我したの?」。


 私が次に言うべき自然なセリフはそれだろう。


 出雲の指先には絆創膏が貼られているのだから。


 けれども出雲が持って来た手作りマフィンの製作過程に、こんな風に指を切るような難しい工程が存在しているとは、私には到底思えなかった。


 これがチョコレートマフィンだったならば、「きっとチョコレートを切るときに包丁でやっちゃったんだなあ」などと考えられる余地はあった。


 しかし出雲に差し出されたマフィンはキツネ色。


 いわゆるプレーン味とか呼ばれるタイプに見える。


 私は製菓に詳しいわけじゃない。料理だって全然しない。


 でも、私の脳みそはフル回転して、その本能は危険信号を発している。


 なにせ今私が生きているこの世界は――。


「ねえ、なにか混ぜた?」


 出雲は私の言葉にこう返す。頬をわずかに上気させ、潤んだ瞳で。


「うん。ちょっとだけ血を混ぜたんだ♡」


 ……この世界は、普通じゃない。


 より正確に言うのであれば、「愛情表現が『普通ではない』」。


 この世界では愛の名のもとに大抵のことは許される。


 恋人になれば相手の居場所を常時GPSで把握するアプリ――当然のように任意で追跡は切れない――を入れるのは当たり前だし、恋人が言うならば異性の友人の連絡先を削除するのは当たり前。


 束縛するのは当たり前で、軟禁や監禁だって愛があればやっちゃっても問題にはならない。


 さすがに勢い余って殺人まで行くのは犯罪だが、多くの人間は「それはそれとして愛のためならば仕方ないよね」という認識である。


 私がそれに気づいたのは出雲と恋人になってからだ。だから、小学五年生のときの話になる。


 なぜそれまで気づかなかったか?


 私が異世界転生者で、前世の推しだった出雲と恋人になりたくてなりたくて、アプローチするのに必死すぎたからだ。


 我ながらバカだと思う。


 前世知識と経験から、記憶を取り戻してから勉強には力を入れていたのだが、「勉強ができる」のと「賢い」のはまた別なのだと思い知った。


 前世の私はまったく賢くなく、典型的な陰キャオタクでボッチを極めていた。


 コミュ障一歩手前くらいの人間性も加わり、就活ではお祈りされまくり、どうにかこうにか入れた会社は微妙にブラック。


 そしてどうも私は過労で死んだらしい。


 そんな私を哀れむなにものかがいたのか?


 はたまた推しのいる世界に転生したすぎるあまりに小さいながら善行を積むことを意識していたからだろうか?


 私は気がつけば大好きな漫画そのものとしか言えない世界に転生していた。


 微妙にブラックな会社の業務と人間関係にすり減って行く心を癒してくれたその漫画……。


 そこに登場する戸隠(とがくし)出雲と出会ったことで、私は自分が異世界転生を果たしたのだと気づいたのだ。


 出会いは戸隠家のホームパーティー。


 ホームパーティーとは言えども立派なもので、出雲の両親が経営する大企業の役員が家族連れで訪れる、立食式のパーティーであった。


 私の父親は出雲の両親が経営する会社の役員をしている。


 その関係でお呼ばれした場で、私は出雲と出会った。


 最初はピンとはこなかった。


 なにせ私が知る戸隠出雲は二次元の存在。


 それが三次元の生きた人間として現れた上、当時の出雲は小学校一年生だったから、すぐに頭の中で二次元の出雲と三次元の出雲は結びつかなかった。


 けれども名前を聞いて、唐突に思い出したのだ。


 前世の記憶のほとんどと、この世界が前世で大好きだった漫画そのものの世界だということを、私は戸隠出雲という存在を引き金に、取り戻した。


 ――前世の推しが目の前にいる!!!


 出雲は漫画の中でもイケメンだということを繰り返し強調されるような、いわゆる公式イケメンというやつだった。


 そして転生した私の目の前にいる出雲は、将来イケメンとなることを約束されているような、素晴らしい美少年だった。


 おまけに性格もこのころすでにスマート。


 私の前世の認識では、小学一年生の男児なんて野猿みたいなものだ。


 けれども出雲にはこちらが心配になるくらいそういうところが皆無だった。


 成人していた前世の記憶が唐突にエントリーしたのと、今世でも元から陰キャの素質があったのか、私もこの歳のころにしては落ち着いているほうであったが、出雲は人生一度目のはずである。


 なのにこの落ち着きぶり……と、私は感心するやら憂うやらで、前世の記憶を唐突に思い出したこともあり、感情がぐちゃぐちゃになっていた自覚がある。


 だから両親がなにやら談笑しているところを抜け出して、心を落ち着けようとひとりバルコニーに出た。


 バルコニーは当たり前のように広くて、前世の私であればまったく縁のなさそうな場所だったので、それだけでちょっと笑ってしまったことを覚えている。


 外の風に当たって、心を落ち着ける。


 そこにやってきたのが出雲だった。


 小学一年生にしては大人びていた出雲は、それゆえに周囲の同年代の子供たちとのギャップに悩んでいたらしい。


 あとからそう聞いて、「賢い人間にも相応の悩みがあるのだなあ」などと馬鹿な私は感心するやらなんやらで、出雲のことを不憫に思った。


 私は出雲と違って「馬鹿」側の人間だ。


 けれども成人していた前世の記憶を取り戻すと、出雲の悩みに共感できた。できてしまった。


 出雲は、ホームパーティーに連れられてきた同年代の子供たちより、落ち着いた振る舞いをしていた――らしい――私に興味を持った様子だった。


 前世の記憶を取り戻す前後の私は、落ち着いていたというより、単に場の雰囲気に委縮して大人しくしていただけなのだが、出雲の目にはなぜかそう映ったらしい。


 さらには私との会話で出雲はこちらに興味を持ったらしく、このホームパーティーの日を境に彼とは親しくするようになった。


 とは言ってもスマートフォンで連絡を取り合う――などということは小学一年生にはできなかった。


 それでも戸隠家のホームパーティーには欠かさず呼ばれるようになったし、自宅の距離がそこそこ離れているにもかかわらず、家族ぐるみでお出かけすることも増えた。


 三次元の生きた本物の人間である出雲と交流を続けていると、私の前世の記憶の中にある出雲との共通点をいくつも見いだせた。


 このまま成長すれば、まだ幼い戸隠出雲は、私が知る戸隠出雲になるだろう――。


 そう思うと、邪念が生まれた。


 ――今から出雲にアピールしまくれば、ワンチャン恋人になれるんじゃね?


 ……そういう邪念だ。

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