世界最後の日
彼女のいるこの空間だけは、まるで楽園のようだった。
ジャン・グレゴリーは空を仰いだ。
見上げた空は近づく太陽に覆われ赤黒く染まっている。
他にも巨大な星屑が降り注ぎ、豊かな大地がえぐれ、繁栄した街は破壊され、多くの存在が死んだ。
無力な人間も、偉大な魔女も、献身たる聖女も、怯え飛び回るドラゴンも、地を逃げ惑う魔物も平等に死んでいく。
突然始まった天変地異。
今日は間違いなく世界の終わりの日だった。
そんな終焉のその淵にジャンは運良く生きていた。
王宮のパーティ会場。
今日は記念すべき王国設立100年記念のパーティだった。
国中が湧いて、王都内でも祭りや催し物が開かれるほどの賑わい。王宮でも盛大なパーティが開かれた。
貴族の端くれであるジャンも招待されパーティを純粋に楽しんでいた。
世界の崩壊が始まったのはほんの1時間前。
突如、1つの小さな星屑が玉座をかするように落ちてきて、王とその周りにいた何人もの王侯貴族が潰され死んだ。会場はパニックになり、皆逃げ惑う。ジャンは星屑の落ちた衝撃で飛ばされ、座り込み動けないでいた。
気がついたら周りに動くものは見当たらず、会場の天井は半分壊れていて、そこには巨大な太陽がせまっていた。
世界の終わりだと思った。
みんな死んでいく。
生きとし生ける者すべてが太陽と星屑に殺されていく。
ジャンは自分の死を悟る。
ありえない速さで近づく太陽を見て、世界とともに自分も死ぬのだと。誰でもわかる絶望的な現実だった。
平凡で平均的な貴族のぼんぼん。
何も成せず、何も奪わず、のらりくらりと生きてきた。人より少し楽なくらいで、人より少し人生を舐めているくらいで、ジャン・グレゴリーはただの普通の人間だった。
このとき初めて、自分の死と向き合って初めて後悔した。もっともっともっともっと意味のある生き方をすればよかったと。そんな生き方をしたとして世界が終わっては誰の記憶にも残らないのだから無意味なものかもしれないが、死ぬ前に自分が誰にとっても、自分自身にとっても取るに足らないくだらない存在だったと思いながら死ぬなんて、こんな虚しいことはあるだろうか。
死にたくないが死ぬ。
なら、死ぬ前に自分の存在の意味を知りたかった。
しかし、最後のこの瞬間にできることなどジャンには思いつかなかった。
近づく太陽をぼうっと見ていると、かつりと音がした。
まだ生きている人がいたのかとそちらを見る。
女性だ。
見た目は平凡、着ているドレスはところどころ破れほつれ、見えてしまっている足からは切ったのか血も出ている。結っていた髪は半分ほつれボサボサだ。
会場にいるということは貴族の令嬢だろう。顔も見たことないし名前もわからないから、噂になるほどの有名人ではなく、自分と同じく平凡で平均的な貴族の端くれと言うやつなのだろう。
しかし、不思議に思った。
彼女が絶望しているようには見えないのだ。
何をするのかと見ていれば、彼女は器用に床に靴のヒールを叩きつけ折った。そして、ひとりくるくると会場内を踊りだした。いや、ダンスと言うにはあまりにもお粗末な、回ったり跳んだり跳ねたり、なんのルールもなく暴れまわっていた。しまいには、テーブルクロスを引っぺがして振り回すように回転したり、滑ってこけたり、急にわけもわからない歌を歌ったりと、やることなす事めちゃくちゃだ。
はじめは気でも狂って暴れているのかと思った。
けれど彼女は心底楽しそうに笑った。
まるでこの状況が最高に嬉しいかのように、無邪気に楽しげに笑っていた。
廃墟のようなパーティ会場も、上空に迫る絶望の太陽も、彼女が思うままに踊るための舞台のようだった。
「どうして、そんなに楽しそうなの?」
思わず聞いていた。
こんな状況であまりにも馬鹿馬鹿しい、間抜けな質問だ。それでも目の前の幸せそうな彼女が、その無邪気な笑顔が信じられず、つい声に出てしまった。
彼女はジャンの声に驚いたようだったが、にこにこと笑いながら機嫌よくこう答えた。
「こんなに美しい景色の中、誰にも咎められず、何も気にせず、好きに踊れるのだから、これ以上に楽しいことなんてないでしょう?」
ジャンは彼女の言ってることが理解できなかった。
この景色のどこが美しいのか。もうすぐ太陽の火に焼かれ死にゆく世界と自分の未来に絶望以外の感情が湧くはずがない。やはり彼女は狂っているのではないだろうか。
「よくわからないって顔してる。わからない人にはきっとこの気持ちはわからないと思うわ。だけど私にとってこの瞬間は私の人生で最高に楽しい時間なの。だって世界の終わりと共に死ぬなんて普通は経験できないことなのよ。それに見て、無数の流れ星も、太陽の迫る空も、ありえない数のドラゴンも、まるで物語のよう。今、この瞬間であれば、私はこの物語の主人公になれるわ。この物語の最後を私が彩るの!」
そう言って幸福そうに笑う彼女を綺麗だと思った。
ジャンには、落ちてくる星屑も、近づく太陽も、飛び回るドラゴンも、消えゆく世界のすべてが絶望の景色にしか見えなかった。
しかし彼女は物語のようで美しい景色だと言う。
そう笑う彼女だけは美しいとジャンは思った。
「あなたも踊りましょう?思うままに歌いましょう?あなたは、私達はこの世界の誰よりも自由になれるわ」
差し伸べられた傷だらけの手。
ジャンはその手を取る。
ああ、もう狂ってしまっているのかもしれない。
それでもジャンにとって、絶望を彩る彼女は希望のようで、縋りたくなる偶像とよく似ていた。
彼女がいるこの空間だけは、まるで楽園のようだった。
だからジャンも笑った。
彼女と一緒にめちゃくちゃに思うままに、踊って歌って笑った。
そして、最後のとき。
ジャンはこの世界とともに、美しい彼女とともに消えた。
彼は最後まで幸福な顔をしていたが、それを知る存在はもういなかった。