1 出会い
腰まである彼女の黒髪が、歩くたびにふわふわと揺れている。黙々と前を行く彼女の背中を見ながら、歩き続けて三時間くらい。何処まで行っても砂漠が続く。わたしはいい加減に疲れて、彼女に声をかけた。
「ねえ、ちょっと休憩しようよ」
彼女は聞こえていないかのように、歩みを止めない。
「ねえってば」
* * *
わたしはいたって普通の女子高生だった。特に目標も無く、この砂漠のように変わり映えのしない毎日。波風の立たない人生の波形は、最後のところで大きく跳ねた。
記憶にあるのは、夜の闇と、大きな二つの目玉。一瞬だけ体に走る強い痛みと、痺れていく感覚。闇に落ちていく中で、自分の死を自覚したのだ。
薄紫色の不思議な空に、月が二つ浮かんでいる。夜というにはぼんやりと明るい、白い砂漠地帯。地球上でない事だけは確かだ。
わたしは今、自分の足で見知らぬ土地に立っている。十七年も使った自分の体だから間違いようがない。空気の冷たさや、踏みしめる砂の感覚もわかる。死後の世界にしては、肌で感じる感覚がリアルで、生きていた頃と何も変わらない。
冷たい風が肌を撫でる。寒さで凍え死ぬことはないはすだが、心細くなったわたしは、あてもなく歩き始めた。時計が無いので正確にはわからないが、数十分程歩いた頃、前方にポツンと赤いものを見つけた。
キャンプなどでよく見る、組み立て式のテント。真っ赤なので、遠目からもすぐにわかった。急に現実に引き戻された感じがして、頭が混乱する。わたしはテントの前に回り込んで、入口の隙間からそっと中を覗いた。
「ひっ」
わたしは何かと目が合って、後ろに飛び退いた。テントなのだから、誰かがいるのは当たり前なのだが。ゴクリとツバを飲み込む間に、入口が開いて、のっそりと人が出てきた。
長い黒髪の女の人だった。色白でキレイな顔をしている。わたしと同い年ぐらいだろうか。彼女はすっと立ち上がると、こちらを一瞥した。
「こ、こんにちは。こんばんは、かな?」
挨拶してみるが、彼女は気にも留めずにテントの片付けを始める。
「手伝うよ」
何度か触ったことのあるタイプだったので、畳み方はわかる。彼女はわたしがテントを扱える事に気づいて、任せてくれた。代わりに外に置いてあった飯盒などをリュックにしまい始めた。
「ねえ、ここってどこなの? 気づいたら一人ぼっちで、あなたがいてくれて助かったよ。わたし、レミ。あなたは?」
わたしの声だけが辺りに響く。虫の声すら聞こえないので、話すのを止めると怖いくらいの静けさになるのだ。沈黙が苦手なので、つい喋りだしてしまう。
「あなたも死んじゃったの? わたしはトラックに轢かれちゃったみたいで」
努めて明るく話してみるが、よく考えれば、悲しい出来事だ。まだ死にたくなんかなかった。現実離れした場所にいるので感覚が麻痺しているのだろうか。
「……わたしは自分で」
ポツリと彼女がつぶやいた。
「それって……」
と言いかけて、わたしは口をつぐむ。自殺だろうか。それ以上聞いてはいけない気がした。
片付けを終えると、彼女はまとめた荷物を背負って歩き出した。
「ねえ、荷物重いでしょ、半分持つよ」
「いい」
彼女はわたしの申し出を素早く断ったが、見た目にも辛そうだ。
「よくないよ」
少し強引に彼女のリュックに手をかけ、引き止めた。
「迷惑かも知れないけど、あなたに置いていかれると、迷子になっちゃうの。荷物ぐらい持たせて」
わたしがついてくることを嫌がられるかも知れないと思っていた。予想に反して、彼女は素直にリュックを下ろして、テントの袋だけを肩に担いだ。
「任せて。体力には自信があるんだから」
* * *
大見得を切ったのに、この体たらくなのは重々恥じている。しかし、リュックが思った以上に重たかったのだ。
「何が入ってるの、このリュック」
わたしは息を切らしながら、彼女についていく。我ながら、ここまでよく頑張ったと思う。マラソンで慣らした体力も限界に近い。そんなわたしに気づいたのか、彼女が振り返って、立ち止まった。無言のまま、少し先を指差す。彼女の指先を追うと、そこにはヤシの木の下に水辺が広がっていた。
「オアシス? やった!」
わたしは俄然元気になって、彼女を追い抜いた。
砂漠とはいえ、太陽が出ていないので、どちらかといえば寒い。しかし十キロ以上はありそうなリュックを背負って歩き続け、体は水分を欲していた。水面に顔を映すと、疲れ果てたわたしの顔と目が合った。透き通った水を両手ですくい、隣の彼女をチラと見る。
「これ、飲んでも大丈夫よね?」
今更体の心配もないだろうが、お腹を壊すのは嫌だ。彼女は答える前に、とっくにボトルに移して飲んでいた。
水を飲んで落ち着いたわたしは、小さめの岩を見つけて腰掛けた。水面に月が映り込んでキラキラとゆらめいている。空はずっと同じ位の薄暗さだ。もっと上を見上げると、ヤシの実がいくつかなっている。
「あれ、食べられるのかなぁ」
わたしがボソリとつぶやくと、水を汲んでいた彼女が近づいてきた。リュックから手袋と、金具のついたベルトを取り出している。彼女は手袋をはめて、ベルトをヤシの木に回して固定させた。
「何してるの?」
彼女はベルトから出ている金具に足をかけ、同じ要領で足場を作って木に登り始めた。
「えっ、何してるの?」
わたしが慌てふためくのを他所に、彼女はどんどん登っていく。あっという間に実のなっている所まで到達してしまった。
「ねえ、危ないよっ」
「あなたこそ危ないから、そこどいて」
彼女はヤシの実に手を伸ばして、ナイフでちぎって落としてきた。ドシンと重量感のある音がして、ビックリする。
実をいくつか落とすと、彼女は素早く降りてきた。手近な岩の上で実のひとつの頭を割って、ストローを刺してわたしにくれる。
「もしかして、ココナッツジュース?」
なんて頼れる人なんだろう。わたしは感動しながら飲んでみた。薄味だが、ほんのり甘い。飲み終わると、彼女がヤシの実を二つに割ってくれた。白い果肉が現れる。スプーンですくって口に入れると、ぷるぷるした食感が楽しいが、薄味過ぎて物足りない。
「冷やして食べたかったね」
「そこの水の中に沈めておけば」
彼女はそう言うと、テントを広げ始めた。
「あれ、ここでキャンプ?」
「この先長いから。休めるところで休む」
わたしも手伝って、テントを設置しながら考えた。ご飯はどうするんだろう。ヤシの実しかないけれども。死んだ身だし、食べなくてもいいのかもしれないが、ちょっと寂しい。
彼女はいつの間にか焚き火を始めていた。さっき汲んだ水を使って飯盒で米を炊いている。どこに持っていたのか、魚に串を刺して、焚き火で焼き始めた。程なくして、香ばしい香りが漂ってくる。
「あのう、それ、わたしも食べていいの?」
「……別に食べなくてもいいけど」
「食べたいです」
彼女のリュックからは色んなものが出てきた。折りたたみ式の小さなテーブルに、食器とお箸が二組。彼女は、炊きたてのご飯をよそってくれた。
「ありがたき幸せ。この御恩は必ずお返し致します」
わたしは手を合わせて、拝んだ。白ご飯についている焦げ目が食欲を掻き立てる。焼き魚を一口かじると、香辛料の辛味が効いていて、臭みが無く食べやすい。こんなに美味しいと感じる食事は初めてかも知れない。
「美味しい。本当にあなたに会えて良かった。えっと……」
彼女は向かい側で黙々と食べていたが、視線に気づいてチラリとこちらを見て答えた。
「……ユナ。わたしの名前」
そのとき、彼女の頬が少しだけ赤くなっているような気がした。