エンタメと芸術の違いとは何か
ベルグソンの『笑い』という本がある。
私はそれを大学時代に買って、分厚い上に難しくて読めなかったので、解説書みたいなもので内容を知った(←ここツッコむとこ
それによると、笑いにはいくつか種類があるとのこと。
たとえば攻撃の意味をもつ笑い。これは猿が威嚇する時に笑っているような顔をするのを思い浮かべればわかりやすいであろう。
特に興味を惹かれたのは、『集団の結びつきを強める笑い』と『個人を集団から切り離す笑い』があるという部分だった。
『集団の結びつきを強める笑い』というのは、いわば『あるある』である。
そのコミュニティーの中で強く共感されることを言って、「あるある〜」と笑いを産むような、『わかるわかる』みたいな笑いだ。
これを『集団的笑い』と呼ぼう。←正しい述語を忘れたのである
『個人を集団から切り離す笑い』というのは、たとえるなら『不条理ギャグ』である。
意味がわからないけど何だか面白い。「ナニコレ」的なものである。わかんないけど思わず内からこみ上げてしまうような笑い。
これを『個人的笑い』と呼ぼう。←正しい述語を(略)
さて唐突にここでタイトル通りの内容に飛ぶ。
エンタメと芸術の違いとは何か?
強引ではあるが、私は言い切ってみる。
エンタメとは『集団的笑い』のようなもの、芸術とは『個人的な笑い』のようなものであると。
エンタメは『お決まりのパターン』に代表されるように、『あるある』を楽しむものなのである。
期待通りのよく知ってるパターンに乗っているから、それはスラスラと入って来る。
みんなで楽しめて、あるコミュニティーの共感や、あるいは逆手に取って反感を引き起こしながら、たまに予想をいい意味で裏切ったりしながらも、『わかるわかる』と言わせる。
エンタメは集団的なものなのだ。
芸術は『あるある』や『共感』に基づかない。
むしろ受け手を『なんじゃ、これ!?』と突き放す。
あるコミュニティーの常識を覆したりして、受け手の足元を掬い、時に不安にさせたりもする。
まるで見慣れた日常の景色を外側から、『自分はこんなふうにあの野郎から生かされていたのか!』と気づかせるように。
社会と結びついていた個人を孤独に引き戻すのである。
芸術は個人的なものなのだ。
ニセモノの芸術は畢竟、『つまらないエンタメ』である。
芸術気取りなだけで、中味はただの『あるある』だから、それはわざわざわかりにくく書かれたエンタメであり、そんなものに価値はない。
騙されてはいけないのだ。難しげなことが書いてあるからといって、それが芸術とは限らない。
ニセモノのエンタメは……なんだろう。よくわからない。
もちろん、この二つは混ざり合うこともある。
むしろ『完全なエンタメ』『完全な芸術』なんて、たまには見かけるが、当たり前すぎたり、意味わからなすぎたりして、面白くない。(もちろん子供や高尚な人には面白いのだろうが)
集団的なエンタメの中に個人的な芸術が仕込まれていることも、その逆ももちろん、ある。
エンタメはわかりやすく、面白いので、必要なものだ。
芸術はなんだコレと、面白いので、必要なものだ。
社会も、個人も、どちらも必要なものなのである。
しかし芸術はなんだコレなので、わかりにくいと思われ、敬遠されがちな印象が私にはある。
芸術なんてそんなに高尚なものではない。高尚な学術知識によって書かれたものが芸術だとは限らない、じつはエンタメだったりする。また、子供の描いたなんだかよくわからない絵が芸術的だったりすることもある。
論文みたいなものは断定口調で書けと教えられたので、ここまで断定口調で書いて来た。
疲れた。
まぁ、結局……
エンタメは明るいもので、芸術は何やらわからない難しげな暗いものとか、そんなことないよってこと!
笑おう(^o^)