この世界には邪神しかいない
「さあ入りたまえ」
促されるままに乗り込んだ金塗装のゲージには、何かが激突したり、雨風を受けて錆びてしまい鉄格子がぐらついていた。
動くと同時に金属板が軋んでカタカタと音が鳴る。
「ガタが来てるなぁ」
重力に逆らいながら上昇を続けるゲージは、ワイヤーで吊るされてもレールで動いてる訳でもない。
文字通り魔法で動いているのだ。
「何かに依存しない物ってのは信用ならんな」
「羽があるのにこんな鳥かごは要らない」
「お前の技術じゃ荷物を持ったまま飛べんだろ」
「私語を慎めとは言わんが、もう少し節操を身に付けたらどうだ?」
「いいじゃないの、クイーンも私達と一緒で楽しいって言ってたし」
「護衛ってのは目立たねえよう行動するもんだろ、護衛が主より目立ったら世話ないぜ」
お喋りな護衛達は、鉄格子に背中の大きな翼を預けながらどうでもいいことを話し合っていた。
「俺はそうは思わんな、そこのお前はどう思う?」
そう言ってコルトを指差した護衛の一人は、俺達を外側から見ろと言った。
「良く喋る奴は女にモテるが、良い女にはモテない」
「なるほど、面白い考えだ」
「え?今のどういう意味?」
「おいおい、わかんねえのかよ」
「あんたは分かるの?」
「俺には分かった、でもお前には教えてやらない」
「つまり分かってないってことね」
そんな愉快な会話を前に、ユメは楽しそうな人達だねと真顔で言った。
「おいおい、俺達は確かに人だけど翼が付くんだぜ」
「あんたの翼はカラスより汚いけどな」
「うるせえ言ってろ」
ゲージが上に到着し、気だるげに歩き降りる護衛達に続いてユメとコルトも続く。
「ようこそ俺達の街へ」
ドーム状の建物が建ち並び、塔が幾つも伸びるこの色褪せつつも真新しい街は、おとぎの世界そのものだった。
厚い雲に覆われたこの場所は、彼ら翼人が天界と呼ぶ聖域だ。
大地を空中に浮遊させるなんて目立つことしてるのに、雲でその姿を隠そうとしているおかしな場所だ。
「先ずはシャワーだ、獣臭い」
天界にて
「全然落ちねえなこれ」
ブラシで肌を擦るコルトは、中々落ちないケンタウロスの血に悩まされていた。
蛇口を捻れば水、しかもお湯が出る。
シャワーなんて文明、久しぶりだ。
大量のお湯が血と一緒に髪の毛まで洗い流す。
「クソォ……まだ吐き気がしやがる」
ユメの前では必死に耐えていたが、限界ってやつが近付いていた。
示された座標まで歩けるのか?
「行けるとこまで行くさ」
自分の体を無味無臭で蝕む存在が、何なのかはもう分かっている。
だから言葉にも思考に浮かべもしない。
命ある限り走り切るのみだ。
浴室から出ると、護衛の1人が椅子に座って新聞を読んでいた。
「石鹸は使ったか?」
「使わなきゃ落ちねえよ」
背もたれのない丸椅子に座り、爪にこびりついた血をペンで削った。
「あんたの連れ、すげぇ魔力だよな」
「厄介のタネだ、あいつのせいでお前らみたいな連中に何度も付け狙われた」
コルトは狙いは分かっているぞという意味を含んだ返事をする。
この護衛はさしずめ尋問官兼監視役と言ったところだろう。
俺からユメの情報を聞き出すだけ聞き出した後、良からぬことに利用するのがお約束だ。
「何か勘違いしてないか?別にどうこうするつもりは俺にはない。あっ、勿論クイーンにもだ」
「どうだか、あんたは保険会社のセールスマンみたいだ」
「保険会社ってのがどうなのか知らんが、俺は誠実さが売りなんだぜ。議会員みたいって良く言われてる」
互いに冗談と皮肉で牽制し合いながら、相手の出方を伺う。
「もう腹の探り合いはよそうじゃないか、打算無しに親切してくれる奴は今の世の中居ないそうだろ?」
「武装しないで出歩く奴もな」
「……どこにそいつを隠してやがった?」
コルトは隠し持っていたポケットナイフを机に突き刺した。
「取り上げたりしねえから、そいつの使い道はリンゴを切るぐらいにしろ」
護衛は机からナイフを引き抜いて投げ返す。
その時、コルトの顔を見た翼人は、恐ろしく真っ青なことに気が付いた。
「随分顔色が悪いな」
「俺の番が回って来たんだよ。棺が空いたみたいだ」
翼人にはこの男が覚悟を決めていると一目でわかった。
この先に死が待ち受けていると知りつつも、突き進もうとする姿は先槍ように鋭かった。
この自己犠牲的で猛々しい男の名前を聞いて置かないのは、雄として申し訳ない。
「あんたの名前、聞いてなかった」
「聞いてどうする?」
「打算無しに親切をする男の名を、後世に残してやろうと思ってな」
「そうかよ、俺が死んでから胸ポケットに入ってる身分証を確認しろ」
「偏屈な奴だなぁ」
護衛は手を差し出し、握手を求めた。
「俺はフォッケだ、短い間になるとは思うが覚えといてくれよ」
天界軍空中艦艇工廠にて
ズラリと並ぶ大小様々なサイズの空中艦艇は、箱庭に入ったミニチュアではなく、戦力として機能している。
「これだけの大艦隊が集結しているとは……」
ルーマは双眼鏡越しに見える人の動きや物資の量について注意深く観察し、ノートに書き記していた。
「触発型手榴弾に火炎放射器?」
確か翼人連中は建物を制圧する際に、手榴弾を上から落とした後に火炎放射で焼き殺す戦術を取っていた筈だ。
「戦支度は整えたようだね、奴ら何と戦うつもりなんだろうか?」
ジャルバーは連中が放つ殺気立った空気を感じ取った。
そうまるで他の国へ侵略しに行く戦士達のように、武勲を挙げたがっている。
戦争、そんな言葉が頭に浮かぶ。
いったい何処を攻撃するつもりなんだ?
あれだけの長距離打撃力と輸送降下能力を保有する艦隊群ならば、それなりの相手が必要だ。
ジュハーブか?南部連合か?それとも北方第7政府か?
「あーらあら、あんなに武器を積んでまぁ……それでどうすんの?」
「情報が不足してるし、本国に連絡したいけどここじゃ通信は無理だし、戦力は私達だけだし」
「あの中に潜り込めっての!?」
あれだけの大人数の中、誰にも見られずに侵入することは不可能だ。
たとえ変装しようにも背中に生えた大きな翼は模造できない。
「あんたは不死身みたいなもんだけど、私は今か弱い没落貴族だから気を使って欲しいね」
「寝言は寝て言ってよ」
目を細めてため息をつくルーマは、手を切って奇妙な模様を描いた。
「要は見えなきゃいいんだよ、見えなきゃね」
「愛しき神よ、我らを涙で溺れさせよ」
呪文を唱えるとすぐに雲行きが怪しくなり、豪雨が降り注いだ。
突然の雨に驚いた翼人達は大慌てで布を被って羽を隠し始めた。
羽が濡れると汚れて飛行能力が落ちるからだ。
「なんだこの雨は!」
「畜生!朝まであんなに雲の動きが良かったのに」
彼らが羽を隠すのに気を取られている合間に、停泊している対地火力支援艦に侵入した。
「おい、外に置いてある積み荷を運べ!水浸しになるぞ!」
「聞いたな、さっさと運ぶぞ」
「使いの荒い先任曹長だぜ」
「聞こえるぞ」
「聞こえるように言ってんのさ」
雨は嫌いじゃない、なんたってこういう風に物事が進んでくれるからだ。
「嘆きの女神は我々を祝福してくれてるね」
「外の連中が気の毒だ、冬の雨は堪える」
数百年前のまだ剣と魔法で戦っていた時代の頃、冬になると、農民がクワを手に暴動を起こすのが習慣化していた。
ある年、冬と雨の寒さが同時に訪れ、1ヶ月の間それが続いた。
大義は尽くしたつもりだったが、民衆が反乱を起こす頃には兵隊までそれに加わっていた。
寒いのは嫌いだ、それと愚民も
「乗組員はなるべく殺さないでね、痕跡が残るから」
このルーマって吸血鬼も好きじゃない。
無理矢理キモいキスしてくるし、胸の触り方がねっとりしててちょっと上手い。
何かを殺す時はいつも荒々しくて、何か食べる時はいつもいい顔で食べる。
未だに何年も前に別れた女の事を覚えてて、お気に入りの拳銃はグロック19だ。
「………………」
少しの間なのに、ルーマの色んな事を知ってしまった。
今芽生える感情が、憎悪や報復心でもなくて経験したことのない速度の胸の高鳴りを感じた。
「聞いてんの?」
袖を掴み顔を覗き込むルーマの、ストレスで歪んだ幼顔が目に映る。
「聞いてるよ、心臓の音を」
「不思議ちゃん路線にキャラ変した?」
乗員区画を抜け、食堂を通ってから弾薬庫に辿り着く。
無警戒な連中らしく、出入口は愚か弾薬庫にすら見張りを付けていない。
まさか鍵が開いてたりしないよな、なんて思いながら金属扉のハンドルを回すと、重々しい音を立てながら開いてしまった。
ライトで積み上げられた砲弾を照らすと、さも当然かのように毒ガス砲弾が置いてあった。
まるでビールでも飲みながらソファに座ってくつろいでるみたいに、片手を挙げて挨拶している。
「こ、この型番!アレルゲンガスか?」
第1次終末戦争で猛威を振るったアレルギーを強制誘発させる兵器だ。
吸い込んだり触れたりすれば、重度の反応を起こし、最悪アナフィラキシーショックを引き起こす。
最初は前線で投入されていたが、対策して効果が薄くなると都市攻撃に用いた。
ガルマニア軍は相手国の主食である小麦を狙った。
生きる為に必要な食事が地獄絵図と化したのは言うまでもない。
パンを手に取る度に、全身を貫くような痛みを起こしたのだ。
この蛮行の報復は重く、生産工場を原子爆弾で吹っ飛ばしたという。
その戦争以来、用意するだけ用意して使わないのが各国暗黙の了解だったが、翼人達はこれを使おうとしてるのだ。
大方州兵の倉庫から持ち出したのだろうが、これは明らかにこの世界に存在してはならない物だった。
「何を見つけた?」
「置き土産だ、悪魔の形をした人間のね」
ルーマはジャルバーと共に、この艦隊を全滅させることに決めた。
全ての力を総動員させて、この存在を葬り去らなければならない。




