山岳追跡戦
「中隊長、退嬰主義者は森に逃げたようです」
「そのようだな、いつも通り狩り場で待ち伏せする」
ジュハーブ陸軍 第18連隊所属 山岳狙撃兵大隊のミル少佐は、険しい森の奥へと続く足跡を追って西へ向かった。
彼らの主な仕事は、外敵の侵入を防ぐことではなく、内側から出てくる反逆者を殺害することだった。
越境者狩りのエキスパート集団、と言っても過言ではなかった。
「追い立てるぞ!」
ジュハーブ西部 森林地帯にて
背後から迫る気配を察知して、コルトは鋭い目で不明な存在を見る。
「追っ手か?」
「大型犬とその飼い主だ。速いな……」
土を踏み鳴らし、枝葉を折り走る兵士達は、軽量な装備で山道を飛び跳ねるが如く駆け抜ける。
45口径の重い音が、連続して銃弾と共に襲ってくる。
敵は弾をバラ撒きながら木々の間を移動し、銃の閃光が煌めき身体をぶち抜く鉛が飛ぶ。
反射的に動く物へ銃撃を加えるが、まるで当たる気がしない。
敵と100mは離れている上に、拳銃はライフルと違って銃床が無く姿勢を安定させるのが困難な為、照準を定めるのが難しい。
しかし、相手も移動しながらそして制圧射撃でもするかのように撃ちまくる。
「クソ!どうするコルト?このままじゃ追い詰められちまうぞ」
「連中の動き、何か変だ」
殺すというよりは、追い立てるという目的が透けて見える。
「試しに南の方角へ逃げる」
コルトは隠れていた岩陰から飛び出して南へ走るが、謀ったかのように銃撃を浴びせられ、元の位置に戻されてしまった。
「やっぱりな、これは追い込み猟だ」
「俺達を狩り場に誘導してるのか?」
追い立て役が獲物を駆り立て、確実に始末出来る場所まで誘導してから本隊が叩く。
狩りの定石だが、我々にそれは通用しない。
「少しガキの面倒を見ててくれ」
「俺達はどうすればいい?」
「こちらもプロだ、アマチュアじゃない」
ユメとニコライは敵の目論見通りに動き、それに乗せられているとも知らずに追い込みを続ける兵士は、囮役のユメ達に気付かず、隠れていたコルトに背後から首を掻き切られた。
「グガッ!」
ナイフで開いた傷口から、人体の構造に乗っ取って血液が噴き出す。
殺害した兵士から手榴弾とトンプソンサブマシンガンを奪い、半包囲を続ける兵士達へ向け、狙いを付けて数発づつ、短連射を行う。
腰辺りを狙った銃弾は、致命傷を避けつつ、兵士の歩行能力を奪って無力化させた。
「陣形が崩れた!行くぞユメ」
「う、うん!」
タイミングを見計らっていたニコライは、ユメを引っ張ってコルトの居る方角へ走った。
「上手く行ったな」
「あぁ、まんまと引っ掛かってくれたよ」
「あいつら追っ掛けて来ない?」
「いや大丈夫、連中に人間性ってのがあるなら追っては来ないさ」
仲間の腰を撃って歩けなくすれば、それを救助する為に人手を使う。
本隊と離れて行動していた部隊なので、人数はたかが知れている。
倒れた仲間を助けるのは、例え全体主義のロクデナシでもやることだ。
3人は更に深く、暗い森に向かって足を進める。
「酷い悪路だ、死人があの世に行く為の道みたいだよ」
大きな飛行機の残骸が、逆立ちして大樹に寄りかかり、かつてここで起きたことを忘却させまいと墓標を立てている。
白骨化した人骨が、手で掘り返せるほど浅く近い場所に放ったらかしにされていた。
「ここ……何か嫌な変な感じがする」
「そう言わんでくれよ、俺が子供の頃は、ここら辺に知り合いが沢山いたんだぞ」
「何があったの?」
「ジェノサイドってやつだよ、皆殺しにされた」
山の中に住んでた魔法や魔術を扱う民族は、科学至上主義者によって処刑された。
そして命令拒否をした科学主義者も、同時に粛清された。
「骨が軍服着てらぁ」
骸に混ざって、階級を剥奪され処刑された軍人も大勢いた。
「こうなるのだけは御免だな」
「あぁ、俺もだ」
歴史の一面を垣間見ているその頃、追跡部隊は作戦が失敗したことを知り、建て直しを図っていた。
「狩り場への誘導失敗、追い立て部隊が壊滅、敵は素人じゃなかったのか?」
今夜中に3人の外国人が、重要な品物を運ぶので射殺してでも回収しろという話だったのだが、一筋縄で行かないようだ。
「ミル少佐、この作戦は何か変です」
「やらなければ、私は軍法会議に掛けられて処刑される。家族も流刑地に飛ばされることになる」
「軍用犬を使え、我々は奴らを見くびっていたから失敗した。次はそうは行かない」
5匹の猟犬が放たれ、越境者の残り香を追って夜闇の大地を走る。
訓練された犬は獰猛であり、人だろうが何だろうが噛み付く。
最高の追跡者であり、兵士にとって最高の友であった。
「頼むぞミュウ、ヒュール、アンソン、コルト、ヤード」
部隊内で名前を募集し、一匹一匹に名前を付け愛情込めて育てている。
自分達の少ない配給を犬に分け与えながらの為、少々痩せこけているが問題なく動けた。
斜面を下り、越境者の直ぐ背中まで差し掛かる。
犬は匂いと足跡の続くままに兵士より速く駆け、食らい付こうと川に飛び込んだ瞬間、銃撃され水に浮かんだ。
「政府の犬め(文字通り)」
コルトはニヤリと笑い、また森の奥へ消えて行った。
「ミュウ!ヒュール!」
犬の世話係だった兵士が、川へ飛び込もうとするのを同僚が制止する。
「落ち着け!ここの川は深い!」
「川を渡ったか……臭いが消えちまう」
ミルが双眼鏡で対岸を覗くと、穏やかに流れる川岸から足跡が続いていた。
しかしこれは欺瞞だ、敢えて目立つようにしばらく歩き、途中で自分が付けた足跡に沿って後退りし、足跡の付かない川を移動して追跡側を撒く手だ。
「犬はもう使えない、ここからはお前達の目が頼りだ」
「了解!」
教会跡にて
慎ましやかに光る星を、割れたステンドグラスの隙間から見上げるユメは、どこか疲れた様子だった。
「大丈夫か?」
「うん……歩き過ぎただけ」
「普段から歩いてりゃそうならないんだよ、お嬢さん」
「はいはいそうだね」
言い返す気力がないのか、朝のような口論はせず、ため息混じりの返事をする。
「先に休んでろニコライ、俺は警戒をしておく」
マブレンまではかなり遠い、1日中歩いても途中で日が暮れてしまう。
日が暮れれば、夜行性の獣が群れをなして狩りを始める。
特にフォークという獣は注意しなければならない。
獲物を串刺しにして殺す為の角が生えており、それに加え発達した4本足のお陰もあってか、命の借金取りなんてあだ名が付けられてぐらいである。
遠くからしか見たことがないが、あんな3本も4本も連なった角に刺された日には、文字通り命はないだろう。
「ねえニコライ、どうしてこんな危険な仕事やってるの?」
「金が欲しいからさ」
「それにしたって危険過ぎるんじゃないの?」
ここまでの道のりは困難と言って差し支えなかった。
ついこの間まで、携帯弄りながらバスで高校に通学して、車以外で山に登ったことのない自分でも分かる。
「これ見ろよ」
ニコライがユメに手渡した写真は、しわくちゃになって色褪せていたが、うっすらと海が見えた。
「ここに家を建てて、死ぬまで酒飲んで暮らすのが俺の夢なんだ」
「それがこの仕事を選んだ理由?」
「まあこれしか能がないってのもあるがな。本当は料理屋をしたかったんだが、やりたい仕事とやれる仕事ってのは合わないもんさ」
「やりたい仕事…………か」
ユメは服の袖を引っ張り、赤く腫れた跡の残る皮膚を隠した。
「やりたいことはあるか?」
「歌手とか」
「歌手?そりゃいい、1曲歌ってみせろよ」
「いーよもう、絶対笑うでしょ」
「いや大丈夫だって、笑うもんか」
ニヤけ面のニコライに背を向け、ユメは眠りに就いた。
上着をユメに被せると、ニコライはコルトの傍に座り、建物の外を覗く。
「ガキは寝たか?」
「ぐっすりだよ。どうしてそんなに冷たいんだ?」
「どうせ一夜限りの客だ、情が移ったら困る」
「情が移ることがあるのか?お前が?」
「黙って見張れ、追ってが夜間に行動してないとも限らないんだ」
「追って来た奴ら、手慣れてやがったが何処の部隊だ?国境警備隊の連中には見えなかったが」
「ありゃ山岳狙撃兵師団だろう」
「陸軍の最精鋭じゃないか」
陸軍の中でも、最も党に対する忠誠心が高いとされ、多くの越境者を狩ってきた実戦経験豊富なエリート部隊であると同時に、第4次レギオン大陸戦争ではゲリラ掃討戦の最、数々の村で虐殺を行ったと言われている。
「しかし変だな、配属先は東区の筈だ」
考えられるのは、この越境が外に漏れていたという可能性だ。
あの婆さんが秘密警察で、俺達を仕留める為にこの越境を依頼したというのも十分考えられる。
だが、それにしては回りくどいやり方だ。
やるにしてもこんな山奥に入られる前に、さっさと街中で始末した方が楽だ。
コルトは眠っているユメの方を見て、不審な点はないか観察する。
「そういや、まだガキの持ち物を確認していなかったな」
あの鞄の中に、人探しの魔法でも掛けられていたら……いやそれはないか。
この国は魔法が大嫌いだ、使う筈がない。
しかしそういう固定観を利用して、意表を突くというやり方も考えられた。
考えれば考えるほど、キリがなく疑心暗鬼に陥る。
十字架の下敷きになり、片足を食い千切られた白骨死体の髑髏が、空洞の目でこちらに語り掛けてくる。
十字架には、退嬰主義者の末路と殴り書きされている。
「いやそれは有り得ないか」
火薬が弾ける音が響く。
一度ではなく、何度も断続的に。
「畜生、奴ら夜を抜けるつもりか!」
山岳部隊は我々との距離を縮める為に、危険な夜の山を移動してきたのだ。
「連中フォークと遭遇したらしいな、今のうちに逃げるぞ」
眠っていたユメを無理矢理起こし、追跡者を撒くために足元の不安定な山道を進んだ。
倒れた木を迂回し、岩肌の崖を登り、獣道を避けて走る。
しかし高低差の激しいの山の地形と、あらゆる生命の生息地である森は、容赦なく人間の体力を奪って行った。
ここを人類が踏み荒らすには、それ相応の準備が必要なのだが、生憎そんな準備は出来ていない。
擦りきれた靴底は岩を掴むことを拒否し、コルトの足を容易に滑らせた。
「大丈夫かコルト!」
背中を丸め、段差の下にいるコルトへ手をニコライが伸ばした時、ライフル弾が横腹を貫いた。
撃たれた衝撃で空中で一回転して、背中から地面へ叩きつけられた。
「ニコライ!」
「マジかよ、ツキが尽きちまったよ」
「くだらんこと言ってる場合か、止血するぞ」
逆さにしたジャム瓶の如く、ニコライの身体から大量の血液が流れ出てくる。
「おい小娘、傷を抑えてろ」
包帯代わりに持っていたベッドシーツの切れ端で傷口を抑えるが、最早圧迫止血法ではどうにもならないほど溢れていた。
「痛てぇよ畜生、誰だよ炸裂弾なんて考えた奴は!」
ニコライの脇腹に命中したのは、命中すると弾頭が裂けて対象に強烈な痛みとダメージを与える弾で、不必要に痛みを与えることからかつては軍での使用が禁止されていたものだ。
ジリジリと近付く兵士へ向けて、牽制で何発か暗闇へ向けて撃つと、反撃で数十倍の弾が飛んでくる。
先ほどの銃声は陽動で、先回りして待ち伏せていたのだ。
俺達はまんまとその罠に嵌まった。
「迂闊だった……………すまないニコライ」
コルトは手榴弾を手渡すと、ユメをニコライから引き剥がす。
「放して!」
ニコライからなかなか離れようとしないユメの頬を叩き、大声を上げ怒鳴った。
「もうアイツは助からない!置いていくしかないんだよ!」
「大丈夫だ!また会える、後で合流しよう」
それはどうみても嘘だ。
だが、その言葉を信じ進むことが、ニコライの最後の願いになるであろうことだった。
その姿が見えなくなるまで、後ろを向き続けたユメの耳に届いたのは、6発の銃声と爆発音だった。