砂漠の羊は何を思う?
「ちょっと待ってくださいよぉ~」
へなへなした声のメーリャは、自分の体を覆い隠すぐらいの荷物を背負って歩いていた。
「そんなに持つから悪いんだ、運送業は苦手か?」
「私が少し持とうか?」
「いいんだよ、あいつの自業自得だ」
金が底を尽き、今晩のパンさえ買えない3人は日雇いの仕事をすることにした。
背中のあちこちに岩のような質感のトゲを生やすレードルと呼ばれている獣の背中へ、積み荷を載せてゆく。
獣は大あくびをして、積み込みの遅い我々を待っていた。
荷台兼、乗り手の席として背中に設けられた台座へ、木の実か何かが詰まった俵を置き、重量から解放されたメーリャは天を仰いでへたりこむ。
「疲れてる場合か、ほら立て」
ムッとした表情を浮かべるメーリャは、言われなくてもと言わんばかりに勢いよく立ち、また俵を背負った。
「ねえどうしてそんなに仲悪そうなの?」
「別に、仲が悪い訳じゃないさ」
ユメは気付いていないようだが、俺達をあの屋敷に誘導し殺害しようとしたのはメーリャだ。
本来なら早々に始末するところだが、ユメがいる手前、それをやると誤解を生みそうで面倒だ。
「頃合い見てやるか」
「やるって何を?」
「人狩りでもしようかと思ってな」
「なにそれウケる」
コルトは拳銃を抜き、チャンバーチェックを行う。
ち
薬室に弾が入っているかを確認し、安全装置を掛ける。
砂漠地帯を進み、目的地まで運ぶだけの仕事だが、こんな場所にも賊がいる。
「積み込み終わったか?暗くなる前に行かんとならん、年だから夜目が利かない」
雇い主の老人は、経年劣化で皮膚に白髪とシワを作り、みるからに頼りなかった。
「言っちゃ悪いが、あんたが砂漠を越えられるとは思えない」
「文句は滅んだ旧政府に言ってくれ、税金払ってたのに年金を貰ってない。だから働いてる」
「俺は軍に10年居たが、貰えたのは2割程度だ」
「貰えただけマシだろう、こんなことなら脱税でもすれば良かった」
ユメとメーリャが荷台に乗ったことを確認し、手綱を手に砂の海原へ航海に出る。
乗り心地は案外悪くはなかった。
車用のサスペンションを荷台に組合せたお蔭で、ある程度の揺れは緩和されている。
国が、いや世界が滅んだとしても文明ってやつは形を残していた。
戦争が出来なくなるほど消耗して内戦が消滅した頃、生き残るには、先人が残した僅かな知恵にあやかることぐらいだった。
そして知恵を貪り尽くした後は、人々は肥溜めから新しく何かを創ろうと躍起になった。
生まれたものは多種多様だった。
街や国、新しい文化に技術、そして狂人に独裁者、良いものより悪い方が多い。
のそのそ歩きのレードルは、背中で揺れる我々人間のことなど気にもせず、風も吹かぬ速度で進む。
白い帆で出来た影の下は、太陽の日照りを遮る今唯一の手段であった。
肌の焼ける暑さと、地面の反射で目眩がしてくる。
太陽から逃げるには、時間を掛けなければならない。
だがそうすると悪い連中が寄って来る。
だから太陽の下を歩かなくてはならない。
「あっつ……」
「そう?暑いけどジメジメしないからいいね」
メーリャは意外とこの子タフだなという顔でユメを見る。
「湿度がないからな、そのぶん楽さ」
問題は稜線からこちらを監視している二人組だ。
「水飲むひと~」
「はーい」「ワシも」
遠すぎてこいつらは気付いてないようだが、かなり遠くからこっちを見ている。
幸い1km以上は離れているので、普通のライフルでは届いても当たりはしないだろう。
向こうが迫撃砲なり、無反動砲でも持って来ない限り、有効打を叩き込まれることはない。
コルトは青空へ拳を上げ、砂漠を背景に中指を突き立てた。
「野郎、舐めやがって」
双眼鏡を覗いて偵察していた野盗は、古びたライフルを片手に稜線から姿を消した。
幾つかの砂山を越え、腕時計の隙間に砂が入り込む頃、歴史の片鱗を垣間見ることになった。
「見ろほら、戦車の墓場だ」
老人がそう言って指差した先には、撃破された戦車や装甲兵員輸送車がそこら中に転がっていた。
レギオン大陸内戦におけるターニングポイントとなった戦いでもあった。
東部軍と旧政府軍の戦闘において、両者の機甲師団が激突し、1週間で数万発の砲弾が消費され、推定4万の兵士が戦死した。
「思い返せば、戦争ばかりの時代に産まれたもんだ」
外敵から国を守る為に造った筈の武器を、同じ国の同じ言葉を話す者同士に向けあったのだ。
錆色に朽ち果てた戦車達の隣を抜ける最中、頭のちょん切れた骨が砲塔のハッチから覗き見えた。
「ひっでぇ戦闘だ、敵味方入り乱れてやがる」
昼間は制空権を争って空中戦を展開し、数時間置きに制空権が入れ替わっていた為、地上戦は主に夜間行われた。
戦車同士の戦いとしては異例の100から200mの近距離で繰り広げられ、夜間に視界を確保する為に車長は常に身を乗り出して、敵の位置を乗員へ知らせる必要があった。
かつては一軒家が立つ程の値段がした物も、こうなってしまえばただのスクラップだ。
墓標と化した残骸はやがて砂漠を通る者達の道しるべとなり、遠回りして旧道を歩く必要も、夜空に広がる美しい星座を見上げ頼ることもなくなった。
「獣が疲れてきた、そろそろ休もう。ワシも腰が限界だ」
「それならあの戦車の陰で休もう」
「あのってどの?」
「ほら、あそこの機関銃が付いてる」
「全部付いてるよ」
「M48の上にM2が付いてるやつだ」
ユメは首を傾げ、砂山の上に列を作る戦車群を見る。
M46だのM47だのM48だのM60だのM2だのM1919と、覚えてられないほど多くの数字を羅列するが、さっぱりわからない。
大体戦車なんてどれも同じに見える。
もっと可愛い名前でも付ければいいのに、例えばユリコとかキヨミとかサナエとかレンホウとか。
「よーし、ゆっくり座れよ」
レードルが姿勢を崩して足を休めた。
荷台が少し傾き、積み荷の木の実のような何かが少し溢れた。
「餌をやるから誰か手伝ってくれ」
メーリャは顔を上げ、コルトとユメを見る。
「これ擦ればいいの?」
「ああ、それで着火出来る」
焚き火のやり方を教えているようなので、自分が役を買って出ることにした。
「レードルは肉以外は何でも食うが、大抵は餌代の安いこいつを食わせてる」
大きな葉っぱで、芋とニンジンを包んだ草食獣用の餌だ。
半開きの口へ、おっかなびっくりに投げ入れた。
餌が入った瞬間、顎を動かして噛み潰し、ニンジンの破片が口から飛び散った。
「わぁ食べた、あはは」
「そんなにコイツの間抜け面が面白いのか?」
「この子、名前なんて言うんですか?」
「アンヌだ」
「雄ですよね?」
「ああ、売春宿の子の名前を適当に付けたから」
若干の嫌悪感と、ネーミングセンスの無さにメーリャは目を細める。
「なんだそんな顔すんな、昔の事だ。もう枯れてる」
日が沈み無音の寒さが我々に覆い被さる頃、焚き火と一緒に身の上話は燃え盛りを見せた。
メーリャが師匠に拾われる前、田舎を飛び出して学問の道を進んでいた時期が合ったと話してくれた。
魔法を操る技量はあるが魔力量が足りず、学校の定期検査で落とされ中退となった。
おめおめと故郷に帰れば、近所の田舎男と結婚させられ、家畜と一緒に繁殖活動をやらされる。
いくら私が鈍くて馬鹿な人間であっても、そんな人生を送る道理はない。
そしてあの店も娯楽もない田舎の苦痛な退屈は、もうこりごりなのだ。
「大して面白い話ではなかったでしょ、何処でもある話ですし」
「でも理不尽じゃない?それだけで学校から追い出されるなんて」
「才能に抗おうったって上手く行きっこないですよ、無理なものは無理と諦めなきゃ」
メーリャは言い草は、まるでそう自分に言い聞かせるかのようだった。
恐らく本人も納得はしていないのだろう。
だからこうして誰かに話して、何らかの反応を得ようとしているのだ。
「才能が無いなら仕方がないね」とか「そんなことで追い出すなんて酷い」というどちらかの言葉が欲しい。
無理矢理自分を納得させるか、学校への未練を燻らせるか、もう自分でも判断が付かないという感じなのだろう。
「もう寝ます、交代の時に起こして下さい」
こんなことを話したって、何にも変わりやしないのに、どうして話そうなんて思ったんだろう。
なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまい、考えを放棄するために寝た。
「見張りは俺がやる」
「それじゃあ私も」
老人とメーリャは焚き火を背に眠り、コルトとユメは周囲を見張る為に、戦車の上であぐらをかいて座った。
「ねえコルト、何でこの人達は戦ってたの?」
開いたハッチから、人の骨が夜空を向いているのを見て、ユメは疑問を浮かべた。
こんな場所、こんな死に方、こんな棺桶で眠っているのだから、よほどの理由があるのだと。
「わからんな」
「どうして?」
「どうしてって?それはこっちが聴きたいぐらいだ」
テレビを眺めていたら、国の一番偉い奴がくたばったと流れてきて、次の日にはあちこちで戦闘が起きた。
そして戦闘を起こしたのは、組織に属する者だけではなかった。
「隣近所の連中が、雑貨屋の店員や学生が、大人や子供が殺し合いだ」
札束は積み木となり、生活物資は銃弾によってやり取りされるようになり、命こそが最大の資本と成り果てた。
「……コルトはどうやって生き残ったの?」
「簡単だ、銃とナイフがあれば、良きも悪きも始末できる」
良きも、という言葉に引っ掛かるが質問してばかりも不公平に思えたので、ユメは自分の秘密を一つ明かすことにした。
長袖の地味なシャツを脱ぎ、左腕から背中全体を染めた真っ赤な肌を夜風に当てた。
「火傷か、酷いな」
まるで赤い海が砂漠にあるような、そんな表現で片付けられる柔肌がそこにあった。
「何に対して怒られたのかわからないけどさ、だって親が怒るの珍しくないから」
朝から嫌な気分だった。
これから大学受験に行くっていうのに、何でこんな気分に……
そう思いながら母親に背を向け、玄関の扉を開けようとした時、背後から熱湯をぶっかけられた。
一言吐き捨てられた。
「落ちろ!」
何が起こったかなんて、理解したくなかった。
びしょびしょのまま試験会場に入り、周囲の視線と背中の耐え難い痛みに耐えながら試験を受けた。
「辛いな」
「コルトの人生に比べたら、こんなの軽い」
「人の不幸と自分の不幸を比べたりするな、心が駄目になる」
昔精神を病んだ奴が、足を失くした奴を見て自分を恥じた兵士が居た。
自分より悲惨な目に会ってる奴が居るのに、自分より働いていて前に進もうとしている。
そんな主観的な事実を直視し過ぎていると、人生を惑わせてしまう。
比べるというのはそういうことだった。
「いいかユメ、万人に当てはまる名言がないように、万人に当てはまる生き方も存在しない。誰かを指標にするのもいいが、最終的には自分で判断を下すことになる」
「つまり自分を持てってこと?」
「まあそういうこった」
コルトはユメが脱いだシャツを着せると、火傷のある背中から正面へ移動し、そのまま押し倒した。
「えええ!?なになに!?!?ちょっと無理だから!今汗すごいから!親と子ぐらい年離れてるから!」
「んなもん拭けばいいだろ、それに待ってはくれないみたいだ」
コルトの目線の先にある稜線には、人影と岩のようなものが動いている。
「野盗だ、距離はおおよそ800、数は25から30」
「なんだ敵か、びっくりしたぁ」
「なに安心してやがる、俺に押し倒されたままが良かったか?」
「まっさかーオジさんとなんて」
「年齢で差別するのは良くないな」
「またまたぁ、どーせコルトも若い女の子が好きなんでしょ」
「言ってなかったと思うが、俺が初めてヤった相手は友達の叔母だ」
「嘘でしょ」
「ああ嘘だ、本当は母親とだ」
「え?」
ニヤけるコルトの横顔で、ユメはからかわれていることに気付いた。




