越境者
ある一軒家に強盗が押し入ったそうだ。
そいつは男も女も子供も殺した極悪人だったそうだ。
ただ、それだけの話だ。
ジュハーブ人民科学主義集合国家連合にて
この長ったらしい名前の面白くない国名の通り、この国ってのはつまらない国なのさ。
「18番ホームに列車が参ります 労働者の皆さん!今年度は労働攻勢の年です!今日も1日忠実に国家への奉仕を!」
大勢の人々が、顔を下に向け職場へ向かう。
ホームの柱には、赤と黄色の目立つポスターが貼られていた。
過去を棄てよ!未来をだけを夢見よ!なんて言葉、誰が考えたのだろう。
朝から列車に詰め込まれ、都市から離れた郊外まで向かい、ノルマを達成する為に17時間の単純作業に付く。
こいつらはこれを至上の幸福と思っているらしい。
その様子を遠巻きに眺めている私が、何故こいつらと違った考えをしているのかと言えば、私はこの国の人間ではないからだ。
「おいコルト扉を開けてくれ!」
「お前には手がないのか?」
「両手が塞がってるんだ!」
建て付けが悪くて脆いドアノブを捻り、ニコライを部屋に入れる。
歩く度に床が軋み、アスベスト入りの外壁が降り注ぐ。
「ひっでぇ場所だな、ゴブリンの巣に泊まった方がまだマシだ」
「文句を言うなよ、末端がそんな贅沢言える立場か?大体ゴブリンなんて今は絶滅危惧種だろ。例えが古いんだよ例えが」
無論こんな国に嫌気が差して、逃げ出そうって連中は大勢居る。
そういう奴らに俺達、越境屋は多額の金で鉄のフェンスの向こう側へ連れて行く。
「今回の仲介人は?」
「初めての客だ、まぁ秘密警察ではなさそうだ」
「なら党のシンパを疑え、常に警戒を怠るな」
ニコライが腐ったじゃがいもに隠して持ってきた拳銃を取り出し、銃の状態を確かめる。
擦れたフレームと傷の付いたグリップが目立つ、使い古されたM1911拳銃だ。
「ガバメントか……45口径は反動がデカいから苦手だ」
「初弾で頭に当てれば良いのさ、そしたら反動なんてあってないようなもんだ」
「簡単に言いやがる」
ニコライはカーテンに隠れ、リボルバーを構えて客人を迎え準備を整える。
「客が怪しい動きをしたら迷わず撃てよ」
椅子に座り、客が来るのを待つこと20分、駅に停まっていた列車が動き、郊外にある缶詰工場へ向かった頃、ドアを8回ノックする音が聞こえた。
「何のようだ?」
「ケストレルから郵便です」
「いや、ケストレルは下の階にいる」
「本当ですか?その目で見てもいないのに」
扉の鍵を解除し、客人を出迎えた。
現れたのは、コートを着た女と17、18ぐらいの生意気そうなガキだった。
女の方は厚化粧をしていて、一見すると若く見えるが、顔にできたシワまで隠すことは出来ていないようだ。
得体の知れぬ気味悪さが漂っている。
もう片方の小娘は視線を右斜めへ落とし、不機嫌そうな顔で突っ立っていた。
肩まで掛かった黒艶の髪の毛と、健康的な白い肌をしていて、指の爪は石灰のように真っ白なところを見るに、この国で働いてる人間では無さそうだった。
指が黒くない労働者は100日間の強制労働に就かされる為、内勤の人間でも暖炉の炭で手を黒染めにするのが習慣化している。
「この子を隣国のマブレンまで連れて行って欲しい。前金で500万グース、残りは仕事が完了してからになる」
「500万グース!?」
カーテン裏に隠れていたニコライが大声で叫び、その声にびっくりした娘は背筋をピクッと伸ばした。
「この仕事受けようぜ、いい暮らしってやつが出来るぞ」
金に目が眩んだニコライは判断力を鈍らせ、今すぐにでも国境を越えそうな勢いだった。
「馬鹿も休み休み言え、今の警備態勢がどんなもんか知ってるだろ!」
検問所には軍の戦車が配備され、車や獣で強引に突破しようとすれば監視塔の機関銃で蜂の巣にされた挙げ句、戦車に引き潰されるだろう。
マブレンに一番近い国境がある西部地区には、国境に沿って、30mの高さで構築されたコンクリート壁が連なっている。
壁が設置出来ない場所には、鉄のフェンスと地雷原が待ち構え、歩哨が常に目を光らせ本気で殺しに掛かってくる。
無論そんな状況だからこそ、越境価格も跳ね上がるのだが、こんな怪しい女を運ぶのはリスクが高過ぎる。
相場の50倍も掛けて越境させようとするぐらいなら、自分でやればいいだろう。
何故こんな素性も判らない越境屋に依頼する?
「怪しいな……何か隠してないか?」
「フンッ随分詮索好きな男ね、嫌われるわよ」
「悪いが、婆さんに好かれようなんて微塵もおもっちゃいないね」
バチバチに対立する2人を余所に、小娘とニコライは居心地が悪そうに眺めていた。
「あんたも大変だな、俺はニコライよろしく」
「お互いね、わたしアセビ・ユメよろしく~」
「変わった名前だな、東亜系か?」
「えっと……ごめん良くわかんない」
「良し決まりだ!」
色々話し合った結果、どうやら報酬を2倍にすることで契約成立したようだ。
「という訳だよろしくお嬢さん」
「チッうざ」
これが全ての始まりだった。
未来、明日の自分に言うべきことは、この生意気な小娘を生意気な小娘のままだと思えだ。
「これが通行許可証、これは身分証明書、それに人種証明確定文、労働区画一時離脱届けに東部労働者証明書、あとは退嬰主義と魔術主義の否定宣言書と、私は魔女ではありませんの書類だ」
どんどん積み重なる書類の束と、イデオロギーに満ちた欺瞞の数々は、この萎びた防寒着のポケットに入りきらなくなっている。
「なにこれ紙多すぎ、ヤバくね」
「そいつを持ってないと、国境は越えられないんだ」
「そうだぞ小娘、落とすなよ」
「ほんっとうざい!」
「それでコルトよ、今回のカバーストーリーは?」
国境を越えるには幾つかの手段がある。
その1つは偽造文書を使い、検問所を通過する方法。
これが最もポピュラーであり、安全な方法だ。
書類にミスがあっても、警備してる連中によっては堕落の行き届いた奴らも居るから、たまには賄賂も使う。
2つ目は、警備の隙を突いてひっそりと抜け出す方法。
これは殆ど使わない手だ。
見付かれば最後、サーチライトに照らされて機関銃手の射撃訓練の的になる。
今回は前者の方法で国境を越える。
「ニコライと俺はいつも通り出稼ぎ労働者だ。小娘は親戚を訪ねに来たって設定にする。お前ら何も考えてない顔してないとな」
「遠回しな労働者差別だな、労働者だって何も考えてない訳じゃないぞ」
「例えばなんだ?」
「…………革命とか?」
「貧者の考えってのは短絡的だな」
「うるせえ、俺は腹の出たブルジョアと違って教養ってのがあるのさ」
検問所の近くまでやって来たので、ユメが書類の束を広げようとした直後、風が吹いて幾つかの書類が飛ばされた。
慌てて拾おうと、宙へ手を伸ばして跳び跳ねるユメを指差し、それ見たことかと嘲笑うコルトと、大人げないぞと言いながら書類を拾うニコライの頭上を、何かが落ちて来る。
空気を切り裂きながら、ヒュルヒュルと音を立てて落下するその物体を、コルトはよく知っていた。
「伏せろーーー!!!」
ニコライはその言葉に即座反応し、腹這いになって頭を守るが、ユメは状況を理解していなかった。
コルトは瞬間的にユメの頭を抱き抱えるように掴み、地面へ叩きつけるように伏せさせた。
着弾と同時に爆発を起こし、停っていた軽戦車が吹っ飛んだ。
弾薬庫に誘爆した戦車の砲塔が、天高く舞い上がりユメ達の側へ落下した。
立て続けに3発の砲弾が着弾し、検問所のあちこちで爆発が起きる。
「い、いったいなんなの!?」
「反政府軍の攻撃だ!さっさと逃げるぞ!」
3人が屋根のある建物まで走る間にも、爆発が起き風圧で飛ばされそうになる。
「クソが!厄介な事してくれるぜ」
「しばらくここに隠れよう、外よりは安全だ」
「デカい仕事はいつもこうだなコルト、退屈しないよ」
皮肉を言うニコライは、そういって大笑いした。
「今のなんだったの?」
「反政府軍が使う迫撃砲だよ、炸薬量的には多分80mm以上だ」
正面戦力では敵わないので、迫撃砲や仕掛け爆弾を使って一撃離脱戦法を仕掛けるのが連中の戦術だった。
一定の戦果を挙げているようだが、コラテラルダメージ(巻き添え被害)は増え続ける一方だ。
この前は集合住宅に流れ弾が着弾し、妊婦が死んだ。
連中の気持ちは分かる。
こんな国家に不満を持たない方が無理はない。
労働からの解放、言論の自由、独裁制への反発、この国にないものばかりだ。
しかし革命とは民衆の支持によって達成されるものだ。
こんなやり方では、報復に次ぐ報復を生み出すだろう。
武力による変革を否定はしない。
むしろこの国を変えるにはそれしか存在しない。
だがこれからも戦って行くというなら、戦術を変える必要があった。
「砲撃が止んだみたいだな、どうするコルト」
「これから48時間は全検問所は閉鎖される。2つ目の方法しかないな」
「ねぇちょっと待ってよ……ちょっと休みたいだけど」
「そんな暇あるか、町中に秘密警察の目が張り巡らされてるんだ。夜までにこの国から出なきゃならん」
「そういうこと、まぁなんだ。今日1日頑張れば、マヴレンまで楽しいハイキングだ」
「゛マブレン゛だ 訛ってるぞ」
「マブレンもマヴレンも変わりゃしないだろ」
建物から首を伸ばし、路地裏を覗くと、野良犬と痩せこけた餓死寸前の老人が寝転がっていた。
「裏は誰もいない、離れるなよ」
拳銃を抜き、服の下に隠しながら路地を駆け足で移動する。
「あっ待て、こいつを貰って行こう」
コルトは老人からボロ着を剥ぎ取り、ユメに投げ渡す。
その行為にユメは顔をしかめるが、コルトは横目でその顔を見て鼻で笑った。
「まだこの世界に順応出来てないな小娘、異世界にようこそお嬢さんってか」
「やっぱあんた嫌い!」
「2人とも仲が良くて何よりだよ」
表の喧騒も露知らず、今日は騒がしいななんて口にしながら焚き火を囲むのは、労働者階級より地位の低いとされる者ばかりだった。
労働中の怪我で働けなくなったり、戦争孤児や傷痍軍人なんかは一括りに退嬰主義者と揶揄されている。
彼らの多くは、世の中のあらゆる様々な耐え難い痛みを抑える為に、薬物やアルコールに手を出したのだ。
医者から処方されモルヒネや、工場から盗んだ工業用アルコールが、苦痛を抑える役割を果たす。
失った腕の痛みを知らない奴らが、彼らを排除しろと叫ぶ。
堕落すら許さないのが、この国家の最も忌むべき部分である。
そのうちテレスクリーンが町中に設置されて、兄弟面したデカい顔の男が、それで四六時中、国民を監視するに違いない。
「止まれここだ」
暇をもて余した浮浪者でさえも来ない場所へ辿り着くと、道の隅っこに重し代わりに置いてあるハンマーの頭を手に取り、100年の歴史がある由緒正しきボロ家の壁を叩き割った。
この国にだって歴史はある。
かつての先人達は近代都市計画の一環として、下水道システムを整えた。
過去の歴史を抹消する為に、独裁者は遺物を捨てて国家の建前を保った。
今が最良の時であることは確定事項なのだ。
過去が未来より悪くてはならない。
だからこの優れた下水道システムは潰された。
そして、その存在を忘れさせ地図からも抹消されている。
赤レンガ壁に出来た大きな穴の中へ飛び込むと、錆びた扉をこじ開け地下下水道へ侵入した。
「とっておきの道だ、使うのは最初で最後」
「うえーじめじめしてる」
「そう言いなさんな、この通路は壁の下を通ってるんだ」
「えーとつまり?」
「上で飽きもせずに巡回してるおっかない兵隊共に見付からず、俺達は越境出来るって訳さ」
長年管理されてなかったこの場所は、情景的にも心理的にも暗雲を立ち込めさせる。
ニコライは革ベルトに埋め込んでいた宝石を取り出し、小石を投げるように地面へ落とす。
宝石は光を帯びて跳ね上がり、天井や床を転がりながら暗闇をピンク色に照らした。
「魔道具なんて何処に隠してたんだ?」
科学主義国家では、魔法やら魔術の類いは持ち込みも使用も禁止されている。
下手を打てば極刑になる物を人目が無いとはいえ、よく使えるものだ。
「肝が据わってるのか、馬鹿なのかどっちか分からん男だな貴様は」
何かの生物が、壁を這い光の外側へと消えてゆく。
「ここに居るだけで病気になりそう」
それを見たユメが不愉快という感情を剥き出しにする。
「ネズミを踏むなよ、結構狂暴だ」
下水道の住民と共に、3人は行進を続ける。
「ユメ質問なんだが、君は何者なんだ?」
その質問は、この越境最大の疑問でもあった。
「ノーコメント」
「じゃあ、貴族の娘とか?」
「生憎、生意気で躾のなっていない小娘ですから」
「言うじゃないか小娘」
通路を右へ曲がり、天井の崩落で狭まった通路を抜ける。
「ここに来る前はなにを?」
「学生してた。この世界に連れてこられてからずっと、あれしてこれしてばっかり、ほんとうんざりする」
「そりゃ気の毒に、命令ばかりされるってのは大変だったろう」
「もう平気になった。今はちょっと楽、何かの儀式の準備とかさせられなくていいし」
歪んで意味を成さなくなった鉄柵の隙間をくぐり抜け、やっとの思いで外に出ると、魔術具の光を落としポケットにしまう。
「わーお、凄い」
背伸びをするユメは、眼前に広がる大自然に思わず畏怖の念がこもった軽口を叩く。
濃い緑の樹木と赤みがかった岩石が、越境者の行く手を阻む最後の壁として立ちはだかる。
これから先は、困難に向かって突き進むこととなる。
覚悟なんて出来ていないが、状況が我々にそうさせることをまだ分かっていなかった。
ジュハーブ陸軍の国境警備部隊が、コルト達のすぐ後ろに迫っていたのである。