始まり
冬の寒い日、ひざ下まで雪が降る道を男は機材を運んでいた。都会育ちでただでさえ雪道に慣れていないのに重さ30キロはあろうかというボストンバッグを背負って。これは罰ゲームなのか?そんな疑問さえも感じられた。ただ1つはっきりしている事は、これは現実であり、これから自分は生死をかけた戦いの最前線に向かっている事だけだろう。仕事に命をかけてどうする・・・ここで引き返してしまえば・・・そんな思いさえもよぎっていた。しかし、気持ちとは裏腹に両脚は前へ前へと進んでいた。まるで上半身と、下半身が別の生き物である様に・・・・。そんな男の前に雪で覆われた古い看板が見えてきた。もう建てられて何年もその場所にあるのだろう、その木で出来た看板は根元が黒く変色し傾いているにも関わらず、まるでここが自分の居場所であるかの様に長年の風雨に耐え続けていた。「この先00村入口」辛うじて読める字を頼りに男は看板を背に歩き始めた。・・・もうすぐ・・・もうすぐ。男の後ろには新雪が降り積もり、もうすでに男が歩いた足跡を消していた。もう後戻りは出来ない・・・。
昨日の悪天候が嘘の様に空には青空が広がっていた。男は昨日指定しておいた時間のモーニングコール ~と言っても、都会の小奇麗なホテルとは違い、昔ながらの旅館なので実際は店の女将が直接部屋に赴き窓を開け、声掛けをする程度なのだが~ で目覚めた。会社が奮発してくれたのか、それともただただ安かったからなのかわからないが、男は襖で仕切られた大広間に泊まることが出来た。布団から上半身を置き上げ、奥を見ると既にテーブルの上には朝食が用意されていた。茶碗とお椀のみひっくり返しておいてある。その脇に木製のおひつと、味噌汁が入っている保温鍋とお茶が入ったポットが置いてある。女将が手際よくご飯と味噌汁を掬いテーブルの上に置いた。そこまでの作業を済ますと足早に部屋から出ていく、小さな旅館とは言えほかにもお客がいるのだろう。いつまでも自分に構ってなんかいられない。そう背中で表しながら一礼をして出て行った。寒さに震え、目覚めて間もない頭でよろめきながらもテーブルに着き、手を合わせ親指に箸を挟み頭を下げ、頂きますの声を呟いた時、その声は外のサイレンにかき消された。始まったのか?男は目の前の食事をさっさと済ませ、身支度をして、外へと駆け出した。