話し 2
「ぁー……もう朝か……」
俺は崩れた天井から刺す朝日に目を細めつつ上体を起こし、いつもの手付きで胸ポケットから煙草を取り出し、火をつける。
「おはようございます」
「おはヨ」
「ぁー……、おはよう」
脱力した半開きの口から白い煙を吐き出しつつ、挨拶を返す。
「朝からテンション低いですねぇ。
ほら私を見てテンションを上げてください。
ほらほら、どうです? 似合います?」
長い髪を後ろで二つに結んだナナシは両手を広げ、短めのスカートを翻しながらその場で回転する。
そういえば昨日、制服渡したんだっけか……。
俺の持ってきた制服は、偶然見つけた割にはナナシの身体にフィットしている。
ロッカーの奥深くに埋まっていたものだから状態も悪くない。
多少胸の辺りが苦しそうだが許容範囲だろう。
「ぁー……いいんじゃねぇの、でも外出る時はズボン履けよ」
「もー、シキが着てほしいっていうから着たのになんですかその反応ー」
「お前そういう趣味だッたノ?」
「誤解を生むような発言をするな」
「どーてもいいけどほら飯ダ」
ブルーの前に並べられているのは幾つかの缶詰。
「どこにあったんだよこれ。
昨日俺も探したけど見つからなかったぞ」
「がははっ、俺様にはこの鼻があるからナ」
ブルーはそう言って尖った鼻を自慢げに突き出す。
「これ、すごーい昔のですよね……。
ほんとに食べれるんですか?」
「昔の保存技術は凄かったんだよ、見た感じ損傷がなければ大体いける。
ブルー、タレ味のやつくれ」
「おうヨ」
俺はブルーが投げた焼き鳥の缶をキャッチし、プルタブをつかんで蓋を開け、中身を手で掴んで口に放り込む。
「ほら、食ってみろよ。」
ナナシは俺が差し出した缶を手に取り、中身を恐る恐る口に入れる。
「……意外といけますね、これ」
「おい、それ俺の」
ナナシは俺から受け取った缶の中身を次々と口に詰め込んでいく。
「まァまァ、目覚めてから何も食ッてなくて腹減ッてたんだロ。
ほら、まだあるからヨ」
「塩じゃねぇか、タレはねぇのかタレは」
「もうねェ」
そう答えるブルーの隣には空になったタレ味の缶が3つ。
「食いすぎだろ……しょうがねぇなぁ」
この味、好きじゃねぇんだよな。
俺は渋々と塩味の缶詰を開け、中身を口に放り込む。
「そンで今からどうすンだ?」
「ほーでふよ、どうふるんでふか?
ゴクン、あ、それ食べないんなら私にください」
そういってナナシは俺の手から缶詰を奪う。
「……とりあえず、周囲の地形を把握しながら昨日の民家まで行こう
さぁ、食ったら出発だ」
焼き鳥で頬を膨らませたナナシを横目に見つつ、俺は立ち上がった。
___
ろくに食べていない朝食を終わらせたあと、周囲の探索を兼ねて遠回りしながら民家への道のりを進んでいく。
「あ、ちょっとあの川で手を洗ってきてもいいですか?」
「いいけど、周囲に気をつけろよ。
……川か、いい事をひらめいたぞ」
道中で川を見つけ、缶詰のせいで汚れた手を洗った後、そのままナナシがこちらに駆け寄る。
「お待たせしました。
冷たくて気持ちがいいから顔も洗っちゃいました!」
先ほどまでよりも足取りが軽い様子のナナシ。
身綺麗にする事で気持ちが切り替わるというのは実に女子らしい。
俺とブルーなんてここ3日間手も洗っていないが、別に気にもしていない。
「ブルーさんの魔法で手が洗えれば楽なんですけどねー」
「安全が確認できたところならいいけどな」
手を洗ったらふいに強敵に察知されて死んだ、なんてのは御免だ。
「そういえば、あの川の名前【三途川】っていうらしいですよ、看板に書いてありました」
ナナシの指さす方向には植物に覆われた朽ちた看板。
「あぁ、だからこの辺の《幻想の住人》は鬼なのか」
「どういうことですか?」
「《幻想の住人》ってのは物語とか伝承の存在を模しているってのは覚えてるか?」
「も、もちろんです!」
そう答えたナナシの目が若干泳ぐが、気にせずに続ける。
「物語とか伝承ってのは完全に空想のものも存在しているが、なかには現実に元ネタがあるものとか、その逆で伝説上の物に影響されて名付けられたものなんかが存在している。
この川がそのどっちなのかは分からないが、【三途川】ってのは伝承に出てくる名前なんだ」
今の俺たちにとってはただの川。
だが旧時代の人々にとっては意味のある川だったのかもしれない。
「例外はあるが、伝承にまつわる物がある場所にはそれに関連する《幻想の住人》が現れる可能性が高い。
そして【三途川】ってのは、あの世とこの世の境目にある川なんだ。川を越えた先にはあの世、つまり地獄があって、鬼ってのはその地獄の住人。
だからこの辺りのファンタジアは鬼なんだろう」
「なるほど……」
「眠くなる話は終わッたカ?」
本当に分かっているのか確認をとろうとした矢先、先行偵察として別れていたブルーが戻ってくる。
「丁度な。で、様子は?」
「いたゼ、結構離れたとこだったが、デカいから見つけられタ。
そンでさらにシキの予想通り2体セットで居やがッたゼ」
「やっぱりか」
ブルーに偵察してもらっていたのは先日出会った2体の《幻想の住人》の動きを探るため。
恐らく、この辺りで最大の障害となるだろう馬と牛の頭をした巨大な鬼。
「例のでかい奴ですね。
あの2体の鬼はいったいなんなんですか?」
「《幻想の住人》の中にはネームドと呼ばれる普通の奴よりも強い奴がいてな。
あれはその一角、多分だけど牛頭鬼、馬頭鬼と呼ばれている奴だな」
どういうわけか旧時代に有名であったり、個別の名前がついている物、物語の中で恐れられているは他の《幻想の住人》に比べて協力である場合が多い。
そういった者たちが総じてネームドと呼ばれている。
「あいつらを駆除しない限り、ゆっくりとこの辺りを探索するのは難しい」
「あの2体以外にももっといっぱいいるという可能性はないんですか?」
「理屈は知らんが、ネームドは同時に複数現れない。
さらには倒せばしばらくは再度出現することもない。
だから一回倒しさえすればあとは気楽に探索できるんだよ」
「そうなんですね……名前の付いた個体として存在しているから、同一の者は存在しない……見たいな理屈があるんですかね」
「かもしれないな」
「ンでどうすんダ? そろそろ民家についちまうゼ。
予定通りあいつらを倒しにいくのカ?」
「あぁ」
丁度さっきいい作戦も思いついたところだ。
「だが、大物の前に雑魚を片付けないとな。
ナナシ、スカベンジャーとして初めての実戦だが……いけるか?」
「だ、大丈夫です!」
ナナシの身体は強張り、手が震えている。
額から汗が流れる様子が見え、手に取るようにその緊張が伝わってくる。
気持ちは判る、命がけの戦いを前にした緊張感は大きい。
襲われて応戦するのではなく、自ら死地に挑むというのは勇気も慣れも必要だ、今のナナシにはその両方が備わっていない。
どんな言葉を掛けようか、一瞬悩んで言葉をかける事自体をやめる。
気取った言葉をかけられようと大した意味は無い。
結局のところ、慣れるか、もしくは楽しむか、死への恐怖に対抗するのはこれしか無いのだ。
「では、作戦を説明する」