悪役女王令嬢は、我が儘従者の思うまま
その日婚約破棄をされたのは、女王と評される美貌の令嬢だった。
「どんなに外見が美しくても、それだけでは儂の妻にはなれん」
そう告げられたのは、氷のような青く鋭い瞳と緩く巻いた髪を持つ令嬢フェイヴィ。
体を締め上げる黒い光沢のドレスはまるで拘束具のようだが、豊満な胸と長く細い脚は惜しげもなく出されている。
そして女にしては高い身長を、更に高いヒールの靴で押し上げていた。
だからこそ、冷たい印象の中で口紅だけが赤く艶めいているのがより強調されて見える。
対して男の方は身に着けているものこそ上物だが、既に年齢は還暦だ。
本人はまだ若いつもりのようだが、もう老人と言っても差し支えはない。
顔には過剰な皮脂が染み出し、気持ちの悪い笑みを張りつけている。
「美貌以外取り柄のない女。その癖、体を許しもしない」
だが男はそんな自分を棚に上げて、令嬢を非難する。
フェイヴィが従者に調べさせたことだが、男は現役の時はそれなりの手腕を持っていた。
故にそれを盾にした方法で、様々な女に子を産ませてきている。
大家の令嬢に、家に通っていた給仕の少女、貧民街の花売りや場末の娼婦。
だからだろう、女に対して男が絶対的な自信を持っているのは。
「だが額を床に擦りつけ、褥に寄り添うなら考えてやらなくもない」
不遜そのものの態度で、年老いた男はフェイヴィに畳みかける。
そしてその行動を制すものは部屋の中に存在しない。
本来未婚の令嬢がいる場には間違いがないように従者などをおくものだが、今回に関しては男が強引に人払いをしていた。
だが、今まで黙っていたフェイヴィに怯えの色は見えない。
「さっきから一人で喋ってるけど、アンタなんかこっちから願い下げよ」
「な、なんだと!?」
いっそ人形然としていた令嬢の攻撃に、男は色めきだす。
反撃されるとは思っていなかったのだろう。
実際にフェイヴィと男は今まで何度か連れ立って社交界に出ているが、令嬢は愛想こそないものの反意を示すこともなかった。
「アタシは一度も婚約したいなんて言っていないわ、アンタが一人で騒いでいただけ」
そういうとフェイヴィは興味をなくしたように、視線を横に背けた。
そしてそれを見た男は蔑ろにされた、と怒りに任せて立ち上がる。
「この女、好きに言わせておけば……!」
「っ、やめなさい! この無礼者!」
歳の割に俊敏な動きを見せた男に対応しきれず、フェイヴィは床に乱暴に押し倒される。
そして男はそこで止まらず、黒いドレスに手を掛ける。
流石に硬い素材なので素手では破けないものの、男が隠していた短剣に掛かれば紙のように裂かれていく。
「お前みたいな女は屈服するのがお似合いだ!」
そしてフェイヴィに馬乗りになった男は大きく息を荒げた。
それは歳のせいもあるだろうが、自らの手で乱される令嬢を目の当たりにして興奮していることが大きいだろう。
だが、フェイヴィはそんな男を恐れない。
だってそれは、彼女にとってあまりにも見覚えのあるものだったから。
「ならアンタみたいな男は服従するのがお似合いね」
床に引き倒されたフェイヴィが、同じく隠していた乗馬鞭を掲げる。
すると、鞭の先端から艶めかしく輝く魔法陣が男の首に巻き付いていく。
そしてその輝きが失われたころ、男の首を赤い拘束具が締め上げていた。
「く、首輪……?」
「そう、アタシの魔法よ。《飼い犬の躾》」
フェイヴィの持つ魔法、《飼い犬の躾》。
それは首輪を嵌めた男に対して絶対服従を強いることができるもの。
「甘やかしてあげる時間はおしまい、これからは躾の時間ね」
そういうと、フェイヴィはヒールで男を蹴り上げて退かす。
そして不意を突かれて無様に転がった老人を、フェイヴィは乗馬鞭で叩きつけた。
だが男はもう抵抗しない。
《飼い犬の躾》に囚われた男は、鞭で叩かれるたびに痛みと共に快楽を叩き込まれる。
こうなってしまえば、哀れ男は女王の奴隷。
もう彼女に手を出す事はできない。
「全く、この服気に入っていたのにどうしてくれるのよ」
そう言ってフェイヴィが目の前で着替えても、男は物欲しげに涎を垂らす事しかできない。
その人として悲惨とすら言える状態の男を見ても、フェイヴィは溜飲を下げることはできなかった。
「どうしてくれるの、って言ってるの!」
ドレスを着替えてはいたものの、まだ脱いでいなかったヒールで男は眉間を抉られる。
魔法で痛みが消えるわけではないので、男は衝撃に顔を歪めていた。
だが先ほどフェイヴィを押し倒していた時よりも顔は恍惚としている。
《飼い犬の躾》が良く効いている証拠だ。
もうこうなれば彼女が彼を個として認識することはない。
今後男は操られたまま、女王に搾取され続けるだろう。
「終わったかい」
「遅い。……けど言っても無駄ね、助ける気なんかないんだから」
一通りの騒ぎが過ぎて、それを見計らったように笑顔の従者が出てくる。
執事服を着た、けれど日焼けをしているくすんだ金髪の青年。
名はチェイス。
男にしては瞳が大きく、表情にも愛嬌がある。
背もそう高くはなく、踵の高い靴を履けばフェイヴィの方が身長は上だ。
服装さえ違えば従者というよりも、その辺の農民の息子と言った方がしっくりくるくらいだ。
「どうせ見てたんでしょ」
「まあね」
そして主を守るといった職務怠慢を悪びれもしない。
敬語を使うなどの礼儀も見せる様子はない。
だがそれはフェイヴィも織り込み済みなので、いちいち怒ることはない。
「それにしても今回は随分と痛めつけたね」
「アタシを怒らせたんだから当然でしょ」
ふん、と鼻を鳴らせて先ほどの男に罪を押し付ける。
礼儀正しい者であれば、貴族から見ても高慢な態度だと感じるだろう。
けれどチェイスはそんな主に目を輝かせる。
「これで満足?」
「あぁ、素晴らしい!」
従者の表情に多少げんなりとしながら、フェイヴィは問う。
対するチェイスはあふれる喜びを隠さない。
「アンタが満足ならそれでいいけど」
「もちろん、とてもとても満足さ」
にこにこと笑うこの男は、外見の温厚さからは想像できない加虐趣味だ。
ただし、『他人を通しての』。
彼は他者に責任を押し付けようとしているわけではなく、他者が他者を苛むのを見ることが好きだった。
特に加虐者が美しければ尚の事良いらしい。
(そういうものを、この従者は好んでいる)
代わりにチェイスはその生き方を令嬢に強いる為、フェイヴィが生きるための一切を取り仕切っていた。
フェイヴィにとって、チェイスは確かに便利な存在ではある。
だが、おかげで彼女は家事の一つもできはしない。
正確には昔やろうとしたことはあったのだが、きちんと習得する前に気づいたチェイスに取り上げられてしまったのだ。
「女王には似合わない」、と。
だから今でも、フェイヴィは彼に風呂に入れられてる。
重く複雑なドレスを丁寧に脱がし、泡と花びらの舞う湯船を用意し、髪を香りのよい香油で梳かされる。
下着すら身に着けていない、一糸まとわぬ姿で彼女は従者の奉仕を受ける。
そんなフェイヴィの鏡に映る顔も体も、性的魅力に溢れている。
胸部も臀部も形よく膨らみ、締まるところは締まっている。
肌も傷なく滑らかで、適度に弾力もある。
けれどチェイスは、それに手を出す素振りもない。
ただ、傷も汚れもない肌を更に磨くだけだ。
(やってられない)
湯船の淵に顎を載せて、フェイヴィは力を抜く。
他の男なら幾らでも手を出してくるのに、欲しい男だけは手を出して来ないのだから。
(アタシは《飼い犬の躾》を、生まれた時から持っていた)
だからフェイヴィは令嬢ながら、生まれながらの女王と評されている。
けれど背後で令嬢の体を洗う従者に、《飼い犬の躾》は全く効かない。
《飼い犬の躾》はフェイヴィを屈服させたい相手には強く効くが、この男は性癖にさえ引っかかればとことん尽くすタイプだ。
フェイヴィをどうこうするなんて一切考えていない。
それは今までずっとフェイヴィを傷ものにせず、ついてきてくれていることからも分かっている。
「アンタも酔狂よね、貴族とはいえ大した額も払えない女に仕えるなんて」
「私は貴族に仕えてるんじゃなくて、女王たる君だから仕えてるんだよ」
チェイスがフェイヴィに仕えているのは、彼が言うようにフェイヴィが幼いころから女王の風格を持っていたから。
そしてそれをチェイスが見出したからだ。
(アタシが貴族だっていうのも、「没落した」という言葉がつくしね)
フェイヴィの家は元々宮廷貴族だが、ここ数代は役職を得られなかった。
派閥闘争か、はたまたそれ以外の要因か。
とにかく宮廷貴族が役職を得られないということは、貴族としての力が持てないのと同義であった。
(そして、そこで作られたのがアタシ)
フェイヴィは母親の腹の中にいる時から魔力を調整され、制御された。
だから生まれながらにして《飼い犬の躾》を持っている。
宮廷の中にいる人間、取り分け力を持つ男を意のままに操れるように。
つまりそれはフェイヴィの為に魔法があるのではなく、魔法の為のフェイヴィがあるということ。
けれどフェイヴィはそれでも構わなかった。
目的はどうであれ、必要とされて生まれてきた。
むしろ愛される理由がはっきりしている分、気楽さと優越感すらあった。
《飼い犬の躾》を行使する者として美しさに関するものは惜しみなく与えられてきたし、能力からもその恩恵を与えられた。
だから自信はあっても、卑屈になることはなかった。
(だけど、アタシは生まれるのが遅すぎた)
フェイヴィが社交界にお披露目できる時を待たずして、家は破綻した。
《飼い犬の躾》はこの家が生み出した魔法であり、参考にできる魔法はあってもほとんど一からの開発に等しかった。
だから時間が掛かりすぎた。
(結果として、一家は離散した)
今となってはもう彼らがどうなったのかも分からない。
作られたとはいえ家族だったフェイヴィを保護することすら放棄した家族の事など、フェイヴィは知ろうとも思わない。
だが後ろ盾を失った令嬢は、途端に獲物として扱われるようになった。
少しでも金を工面しようとした元家族が仕向けた人買い、没落した令嬢を競売に掛けようとする支配人、そして若い遊び相手を探している貴族の老人。
(本当に、様々な男に搾取されかけてきたわよね)
幸い体は売らずに済んでいたが、それだって運が良かっただけだ。
《飼い犬の躾》を駆使して、なんとか食と寝る場所を確保する。
だが身の回りの世話をする人間がおらず、神経を擦り減らせて送る日々。
どんなに元が美しくても、限界はある。
そうなれば魔法にだって陰りが見えてくる。
(だけどなんとか生き残った。だから、アタシはチェイスとまた会えた)
フェイヴィを探し回ってくれた彼は、男を誑かす彼女の噂を聞きつけて場所を突き止めたらしい。
笑いながらそうフェイヴィに伝えたあの時のチェイスも、彼女と同じくらい泥にまみれてやつれていた。
当然だ、だって彼はあの家の従者だったのだから職を失っていたのだから。
食べるものも、もしかしたら暮らす場所も追われていたのかもしれない。
けれど彼はそんなことを感じさせないくらいほど、精力的にフェイヴィに尽くした。
――そして憔悴した女王は、愛を受けて瞬く間に美しさを取り戻す。
チェイスはまず、安全に眠れる小さな家を用意した。
次にフェイヴィの泥に汚れた体を洗い、絡まった髪を丁寧に梳かした。
そして不摂生の末にやせ細った身に、温かい食事を与えた。
その他にも細々とした仕事を、フェイヴィの為だけに続けた。
そう、それをずっと見ていたからフェイヴィは以前よりも美しい姿を取り戻せたのだ。
(その途中でアレの性癖を知ることになったけど、まぁ仕方ないわよね。そのおかげで救われたんだし)
おかげで今、フェイヴィは独身貴族のダンスパートナーや付き添いで日銭を稼げている。
そのせいで時たま先ほどのような騒動もあるが、まあそれは仕方がない。
一切直接的な行為はしないと最初から相手に伝えているものの、都合のいいように解釈されているのはフェイヴィ自身も知っているし放置している。
(売女と揶揄されることもある、けど構わない)
チェイスがそれで喜ぶなら、そしてフェイヴィが生きていけるなら。
美しくなくても、正しくなくても構わない。
(その為なら悪徳の女王を気取ってやるわ)
美しさなんて年を取れば嫌でも衰えてくる。
だからそれを考えればもっと素直に生きたほうが賢いのは分かっている。
人道的にも、きっとそれが正しいのだろう。
けれどフェイヴィはそれを選ばない。
(だってアタシを救いあげたのは『チェイス』だけなんだから)
正しい人々はフェイヴィを糾弾するだろう、男を誑かし続ける彼女を。
そして断罪するのだろう、この世にいるべきではない悪だと告げて。
けれど彼らに殺されるとしても、フェイヴィは従えないし従う気もない。
――女王令嬢が従うのは、彼女を救いあげた従者だけだ。
(アレがアタシ自身を愛しているのではなく、ただ己の好みを愛でているだけだなんてのは百も承知。けれど、それで構わない)
もちろん『従う』なんて女王らしくないことをチェイスは望んでいないから、フェイヴィもそれを表に出すことはしないが。
(本当はただ、愛したいだけなんだけどね)
様々な感情を混ぜた長い溜息は、目の前の彼には届かない。
正しい愛し方は分かってるのだ、表向きだけであろうとチェイスがその手本だったから。
できることなら彼と同じように彼を慈しみたいのだ、こんな暴虐を振るうのではなく。
けれどそんなことをすればチェイスは、いとも簡単にフェイヴィを見捨てるだろう。
(この男はアタシに惚れてる訳じゃない、理想の女王を見てるだけ)
だからフェイヴィはチェイスに直接愛を注ぐことはできない。
それを分かっていてるからこそ、彼女は女王として振る舞うのを止めないのだから。
そしていつか自分が滅ぼされるのだとしても、それは変わらない。
(結局どんなに男を従えても、女王は従者の思うがままなのよね)
お読みいただきありがとうございました。
評価など、いただけましたら幸いです。
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以下、おまけのざっくりした説明とか。
フェイヴィ
fake+beauty(偽物と美)を崩したものが名前になった。
着ている服はボンテージをドレスにしたものがイメージ。
外見イメージはSMクラブのS嬢。
中身はぶっちゃけそうでもない。
ただ男を誑かしているので善人でもない。
破滅に向かっているのは分かっている。
けどどうすることもできない人。
チェイス
Chase(追う)がそのまま名前になった。
ドMと見せかけて全くそうじゃない。
フェイヴィよりよっぽどドSだし、やりたい放題。
けど自分好みの女王気質なら、どこまでも尽くしていく。
正直フェイヴィの人生が狂ったのは、
《飼い犬の躾》を与えられたことよりも
彼と出会ったことの方が大きい。