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悩める子爵と無垢な花  作者: トウリン


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晒された真実

 ルーカスは一本の線に見えるほどにきつく唇を引き結んでいるアデライドを見据えた。顎を上げ、背筋を伸ばしたその姿は傲慢そのものだが、その実、どこか虚勢めいたものを感じさせる。

「で、あなたの言い分は? このままでは、多少の金欲しさで実の娘を中年男に売り飛ばした鬼のような母、ということになりますが?」

 半ば挑発の意を込めて発したルーカスの台詞に、しかし、アデライドは結んだままの唇をわずかに歪めただけだ。その嘲笑の形に、彼は内心眉をひそめる。

 体裁を重要視しているアデライドにとって、ルーカスが言うような風評が流れるなど耐え難いことであるだろうに。


 彼の台詞が全く何の効果ももたらさなかったわけではない。確かに、アデライドの中の何かを刺激したはずだ。それは、微かに変わった彼女の表情で、判る。


 だが。


(私の言葉の何に反応した?)

 ルーカスはそれを胸中で反芻してみた。


 多少の金。

 娘。

 売り飛ばした。

 鬼のような。

 ――母。


(違う)


 実の、娘、だ。


 ルーカスは腕の中に目を走らせフィオナの容貌を見る。次いで、トラントゥール夫妻を。

(似ているところが、何一つない)

 そう、似ていないのだ、フィオナと彼らは。

 最初から、自分はそう感じていたではないか。

 見えていたのに見過ごしていたその事実に、ルーカスは今ようやく意味を見出した。


「フィオナは、あなたの娘ではないのか」


 問いかけではなく確認の意を持たせたその台詞に、瞬時にしてアデライドの顔が豹変する。

 眉を吊り上げ、頬を引きつらせたその顔は、彼女がこの場に入ってきてから一番、感情を吐露しているものとなった。そして隣に立つエドモンはと言えば、そんな妻から気持ち距離を取ってその顔色を窺うような視線を彼女に向けていた。

(フィオナは彼女の実の娘ではない。が、トラントゥール家の娘ではある)

 つまり。

(夫が他の女性との間に作った子ども、ということか)

 天を衝くほど気位が高いアデライドにとって、夫が自分以外の女に目移りをしたという事実は、それこそ耐え難い屈辱なのだろう。フィオナに対しての異常な態度もそれで合点がいった。何しろ、彼女はその屈辱的な事柄の証拠とも言うべき存在なのだから。


 秘されていた夫妻の内情を一瞬にして見て取ったルーカスだったが、自分の脇腹の当たりで起きた小さな動きに気付いて目を落とす。見れば、フィオナの華奢な手が、関節が白くなるほどに彼の上着を握り締めていた。

(しまった)

 ルーカスは内心で舌打ちをする。

 たった数日間分しか時間を共有した記憶がないとはいえ、一応、フィオナはここに来てから二人を両親と思って過ごしてきたのだ。家族だという実感はないにしろ、彼女の前でするべき話ではなかった。

 声に出さずに自分の雑さを罵りつつ、ルーカスはフィオナの頬に触れた。

「フィオナ」

 そっと呼びかけると、彼女は一拍遅れて顔を上げる。

「大丈夫です」

 目が合った瞬間、ルーカスが気遣いの言葉をかけるよりも先に、フィオナはそう言った。

 今日は何度彼女の声でのその一言を耳にしたことだろう。

(本心からのものであるなら、いいのだがな)

 ルーカスは見上げてくるフィオナの表情を探った。血の気は引いているが、大半を占めているのは純粋な驚愕か。落胆や恐怖、悲しみといったものは、見受けられない。

 それでも、触れ合う場所からは彼女の身体の小刻みな震えが伝わってきて、気を抜けば膝が折れてしまうであろうことは察せられた。

 ルーカスはフィオナを支える手に力をこめる。

「もう少しで終わらせるから」

 囁き声で伝えると、フィオナは小さく頷いた。そんな彼女を励ますように微笑んで、ルーカスは再び前に目を向ける。

 全てを白日の下に引きずり出して、後顧の憂いを、そして、この地に対するフィオナの未練を完全に断つのだ。二度と、ここに戻ろうという気になどならないように。


「話を整理しましょうか。フィオナはトラントゥール氏が夫人とは違う女性との間に作った子ども、だからトラントゥール家には邪魔だった。そこにアランブール氏から渡りに船の申し出があって、いそいそと乗り込んだというわけですね?」

 敢えて軽い口調でのルーカスの要約に、エドモンが渋面になった。

「別に、邪魔だなんて言っていないだろう。ただ、私は、オーギュストに任せた方が幸せになるかと……これの下にいるよりは」

 頭を傾け隣に立つアデライドを示した夫に、彼女はすぐさま反応する

「あなた? わたくしが悪い、と、そうおっしゃるの?」

「いや、悪いとは、言ってない」

「当然でしょう。そもそも全てあなたが悪いのよ。このわたくしに、娼婦の娘を育てさせるなんて!」

 吐き捨てるような侮蔑の言葉に、フィオナがビクリと身体を震わせた。アデライドは忌々しげにルーカスに身を寄せたフィオナを睨む。

「あなたの母親は歌で男を惑わす海の魔物のように、わたくしの夫を惑わせたのよ。あなたも同じね。その人畜無害そうな顔で男を釣って」


 いかにも、汚らわしい、と言わんばかりのその声。

 嫉妬なのか何なのか判然としないもので上塗りされたその顔は、造作の美しさなどでは補えないほど、醜悪に歪んでいた。

 頭に血が昇れば昇るほど、人間というものは隠そうとしていた真実を吐き出すものだ。

 そう思っていても、ルーカスはそれ以上ほんのわずかでもアデライドの紅い唇が動くところを見たくはなかった。


「いい加減に――」

 ルーカスはアデライドの口を塞ごうと声を上げかけたが、それに被るようにして、彼を上回る声量が二人を制する。


「黙れ! 彼女をそんなふうに言うな!」


 それは、オーギュスト・アランブールが発したものだった。妻の冷たい視線に縮こまっていた彼は、今や両手を握り締め、ブルブルと全身を震わせてアデライドを睨み据えている。

「彼女はそんな女なんかじゃない! 繊細で優しくて……私を癒してくれるんだ! 彼女を手に入れようと思ったのも、邪まな気持ちからなんかじゃない! 私は、彼女を、守ってやらないと……そう思って、――」 

 アランブールは懐を探り、何かを取り出し、それを皆の前に掲げる。手巾のようにしか見えない。しかもレースで縁どられた、明らかに女性用の。

「これを見ろ。彼女はこれで、妻に殴られて傷ついた私の頬を優しく拭ってくれたんだ。見ず知らずの私のことを、労わってくれたんだ。あんたが言うような、薄汚い女なんかじゃ、ない!」

 彼はその手巾を胸に押し抱き、続ける。

「こんなにも優しく控えめで健気だというのに、彼女は虐げられていた。だから、守ってやらなければいけないと思ったんだ。優しくして、慈しんで……そうしてやるべきだと、思ったんだ……私が……そうしてやるんだと……そうすれば……」

 呟きながら、アランブールは膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。


 アランブールに対して、ルーカスは若干の憐れみを覚える。多少は、その考えが解るような気もした。彼自身、初めてフィオナを目にしたときに無条件の庇護欲に駆られたのだから。それも、一も二もないほど、強烈に。

 だが、共感する気持ちはあくまでもごくわずかだ。


(彼がそう思うのは、フィオナの為か、それとも、自分自身の為か?)

 金持ちの妻に頭が上がらない、気弱な男。

 そんな彼が、踏みつけられた儚い花のようなフィオナに出会った。

 硬骨な妻に支配されていたオーギュスト・アランブールは、自分よりもか弱く不幸な彼女を見て、どう思ったのだろう。自分よりも打ち据えられている彼女を見て。


 彼が言葉にしている通り、単純に、庇護欲を掻き立てられたのか。

 それとも、彼女を庇護することで自分自身を満たそうとしたのか。


 ルーカスは再び床にへたり込んだオーギュスト・アランブールを憐憫の眼差しで眺める。

(多分、彼は――)


 その時、震える声が響き渡り、ルーカスはもの思いから引き戻される。それはけっして大きいものではなかったが、この部屋の淀んだ空気を払うような、澄んだ声だった。


「あなたたちが勝手にわたくしを決めつけないで」


 彼の腕の中から発せられたその声は、確かに震えを帯びてはいたが、奥底に凛とした強さを感じさせるものだった。


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