暴かれた事実
程なくして扉が開き、トラントゥール夫妻が姿を現した。
夫のエドモンはどこかビクついた風情で、そして、妻のアデライドは開き直っているのか、いつもの婀娜っぽさが欠片もない、ふてぶてしい顔つきだ。
二人が入ってきた瞬間、ルーカスはすぐ隣に立つフィオナの全身に稲妻のような緊張が走るのが判った。元々両親――特に母に対して常に身構えている彼女だ。その上これからしようとしていることもある。失神しないのが不思議なくらいだった。
そんなフィオナをどうしても放ってはおけず、ルーカスはサッと首を捻り彼女の頭に口付ける。
「大丈夫。私がいるから」
唇を触れさせたままそう囁くと、彼への信頼が溢れる笑みが返ってきた。肩の力もほんの少し抜けたように見える。
ルーカスはフィオナに微笑み返し、すぐにそれを消してまた別の笑みを口元に刻んだ。そうして、フィオナの『両親』に目を向ける。
「お楽しみの最中にお呼び立てして申し訳ありません」
「……」
ルーカスが愛想の良い笑顔と共に口にした上辺ばかりの謝罪にも、アデライドは反応しなかった。ほんの一瞬、ルーカスに庇われるように立つフィオナを一瞥しただけだ。
応じたのはエドモンの方で、顔を引きつらせているオーギュスト・アランブール、鋭い眼差しで夫を見つめているアランブール夫人、そしてフィオナと順々に目を移し、最後にルーカスに戻って口を開く。
「その、何事なのでしょう?」
おずおずと彼が問いかけたのは、ルーカスではなくアランブール夫人にだ。恐らく、この場で一番権力がある人物だからだろう。
彼女は、しかし、素っ気なくルーカスを示しただけだった。
「その人が一番事態を解っていそうよ」
アランブール夫人の台詞で、彼女を覗いた一同の視線がルーカスに集まる。彼は肩をすくめてその視線に応えた。
「解っていると言っても、あくまでも推測で、ですけれどもね。皆さんに集まっていただいたのは、その答え合わせをしたいと思ったからです」
「答え合わせ……」
「ええ」
呟いたエドモンにうなずき、ルーカスはフィオナの腰に手を置き自分の腕の中に引き寄せる。
「四年前――正確には三年と八ヶ月ほど前になりますが、面倒なので四年としておきましょうか――そう、四年前、この地で彼女の身に起きたことについて、私なりに考えたことをお話してみようかと」
ルーカスはそこで一度言葉を切り、アランブール夫妻、そしてトラントゥール夫妻を、圧をかけるようにして見つめていく。その視線から逃れようとしたのは、男二人だ。アランブール夫人はそもそもルーカスなど見ていないし、トラントゥール夫人は泰然としている。それを崩すには少々爆弾を落とす必要がありそうだった。
「四年前、あなたたちがフィオナの誘拐を企てましたね」
単刀直入なルーカスの言葉で息を呑んだのは、二人。アデライドとオーギュスト・アランブールだ。
「やはり、企んだのはあなた方でしたか。アランブール夫人は全く関与せず、で、トラントゥール氏はどれほどご存じなのでしょうか?」
「私? 私は、何も――」
「あなた!?」
しどろもどろで首を振ろうとしたエドモンを、アデライドが射殺さんばかりの眼差しで睨み付けた。そのまま、その眼をルーカスに向ける。
「ルーカス様、あなたも突然何をおっしゃいますの? 誘拐を企んだ、などと、人聞きの悪い」
「そうですか? まあ、実際、確たる証拠などないですけれどもね」
「なら――」
「四年前、どうしてフィオナは『散歩』に出たのでしょうか?」
鼻面を叩くように発したルーカスの静かな問いかけに、アデライドがグッと唇を噛んだ。
「散歩など、誰でも行くでしょう」
「普通はね。ですが、当時のフィオナを良く知る者から聞いた話では、彼女はとてもおとなしい少女で、自分の部屋からすらほとんど出ることがなかったということですが。そんな箱入り娘が供も連れずに独りでフラフラ屋敷の外に出ますかね?」
「……」
反論してこないアデライドの顎には、随分と力が入っていそうだ。
ルーカスは、気持ち、フィオナの腰に回した手に力を籠める。横目で窺うとその視線を感じたのか彼女が見返してきた。
フィオナは、眼で「大丈夫」と伝えてくる。
だが、いくら彼女がそう言おうとも、やはり、ここから先を聞かせたくないとは思ってしまう。
フィオナには極力衝撃を与えずに、だが、彼らには充分な揺さぶりをかけるには、どうしたら良いだろう。
――どちらも両立させるような言葉選びは、なかなか難しい。
ルーカスは眉間にしわを寄せた。
と。
「ルーカスさん」
呼ばれて目を遣ると、フィオナが深く頷きかけてきた。
仕方がない。先に進まなければならないことは、確かなのだから。
ルーカスは内心でため息をこぼし、努めて軽い口調で切り出した。
「四年前、トラントゥール家はアランブール家に令嬢ベアトリスを売った。とは言え、あなた方が大事にしている『世間体』というものがありますから、手から手へ、という訳にはいきませんがね」
ヒョイと肩をすくめて間を置いてみせても、口を挟んでくる者はいない。
ルーカスは再び続ける。
「『人形のようだった』ベアトリス嬢は、母上の言うことには何の疑問も呈さず従ったのでしょうね。それが、恐らく生まれて初めてと言っても過言ではない『散歩』でも。トラントゥール家は彼女を独りで屋敷の外に出し、アランブール家はデリック・スパークというろくでなしを雇って彼女を攫わせた。だが、彼は、ベアトリス嬢にはアランブール家からもらうはした金以上の価値があると思った。そして欲をかき、グランスに連れて行き、我々が救出するに至った」
そこで一同を見渡し、眼で「どうです?」と問いかけた。
が、皆、口をつぐんだままだ。
フィオナが病で療養中だということにしたのは、彼女の不在が噂になってしまったからだったのだろう。社交の場にほとんど出たことがなかった彼女のことだ。その噂がなければ、そもそもフィオナの存在自体をなかったことにしていたに違いない。
どこまでもフィオナという少女の人格を無視した彼らには、虫唾が走る。
ルーカスはそれまでとはガラリと声を変え、続ける。
「そこで私が知りたいのは、トラントゥール家とアランブール家の、誰が、どれだけ、関与しているのか、ということです」
ひたと成人四人を見据えながらのその問いに真っ先に答えたのはアランブール夫人だ。
「私は知りませんよ」
彼女が夫に向ける眼差しは、冷やかを通り越してもう侮蔑の色しか浮かべていない。その視線のせいか、それともルーカスがつらつらと語ったことのせいか、オーギュスト・アランブールは硬直している。
(まあ、彼が黒であることは間違いないからな)
返事を聞くまでもない。
アランブール夫人に次いで、泡を食った風情でエドモンが声を上げる。
「私も! 私も――」
が、弁明しようとした夫を、眉を吊り上げたアデライドが遮る。
「あなた! あなただってそれが良いと言ったでしょう!?」
「いや、私は、本当に、何も企んでなどいないじゃないか! ただ、お前から話を聞いた時に、そうする方がこの子の為かと……」
「話とは、ご自分の娘であるフィオナ――ベアトリス嬢を、ご友人であるオーギュスト・アランブール氏に売り渡すというものですか?」
「売り渡すなんて、そんな」
「では、金銭の授受はなかった?」
スッと目を細めたルーカスから、エドモンは後ろめたそうに視線を逸らした。
「それは……でも、私は、金が目的じゃない。ただ、我が家にいるよりは幸せなんじゃないかと思ってだな」
親子ほども年が離れた男の元に送り込もうとしておいて、何が『幸せ』か。
耳が腐りそうな台詞を聞いていても、腹が立つだけだ。
ルーカスはフィオナの『父親』と呼びたくもない男を視界から外し、彼の推測にここまでほとんど意見を述べていない最後の人物に目を向けた。




