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フィオナのこと

 深夜の検挙から三日が過ぎて。


 ルーカスとブラッドは、少女たちから事情を聞いていた。とは言え、あの館に囚われていた者たちは年端もいかない子どもばかりで、しかもまだ怯えている。

 そんな彼女たちの中で、会話が成り立つのはケイティという名の、この詰所に駆け込んできた少女くらいのものだった。見た目は幼いが、彼女はずいぶんとしっかりしている。ブラッドなどはすっかり子ども扱いしているが、彼らが思っているよりもかなり年は上なのかもしれない。


 そのケイティ経由で聴取した限りでは、少女たちは皆、貴族や裕福な商人の家に奉公に入るという触れ込みで、国のあちらこちらから連れてこられたらしい。しかし、実際にはもちろんそんな真っ当なものではなく、ルーカスたちが予想した通り、あの屋敷は娼館だったのだ。しかも、少女を好む変態どもを相手とした。

 なるほど、デリック・スパークが必死で抵抗したのも当然だ。

 ルーカスは納得したが、そこには侮蔑の念しかない。

 とんでもない外道の所業だが、不幸中の幸いは、まだ営業を開始していなかったということだ。『商品』もあらかた揃い、数日中には客を入れようかというところだったらしい。


 そうやって事なきを得たものの、しかし、問題は、売り手のデリック・スパークだけでない。この手のことは需要と供給の釣り合いが取れていればこそ成り立つもので、つまり、年端も行かない少女たちを買おうという下衆がそれなりにいたということになる。事前に潰してしまったからそういった輩を取りこぼしたことは業腹だが、少女たちを無傷で保護できたことの方が遥かに重要だから、やむをえまい。


 だがそれにしても、あと三日遅ければ、あるいは、ケイティが逃げ出せていなければ、いったいどんなことになっていたことか。


 フィオナの身に起こり得たことの片鱗を想像しただけで、ルーカスの身はこらえきれない怒りで震えた。


 フィオナ。


 それが、最後まで屋根裏部屋から出てこなかった少女の名前だ。彼女自身からは聞くことができなかったが、詰所に戻ってきたとき、目を覚ましていたケイティから教えられた。

 見るからに儚げな彼女が、守られ慈しまれる以外の扱いを、受けるなど。


(赦し難いな)


 デリック・スパークはもう拘置所に収容されているのだから、今からでも遅くない。こっそりと息の根を止めに行くことを、彼は真剣に考えた。

 何、どれほど厳重な警備に囲まれているとしても、唸るほどの金をもってすればいかようにでもなる。

 実際に、どうやったら遂行できるだろうかと頭を巡らせていたルーカスに、ためらいがちなケイティの声が届く。そこに含まれている一つの名前が、瞬時に彼を正気に引き戻した。


「で、あの、フィオナ、なんですけど」

「彼女が、何か?」

 軽く首をかしげながらルーカスが促すと、ケイティはしばしもじもじと俯いていたが、やがてその顔を上げた。


「あの子、何も覚えていないみたいなんです」

「え?」

 揃って眉根を寄せたルーカスとブラッドに、ケイティは困惑の色を浮かべた眼差しを向けてきた。

「フィオナっていう名前も、あたしがつけたんです。あの子はあたしよりも何日か早くあそこに連れてこられたみたいなんですけど……あんまり喋らないからちゃんとは訊けてはないんですけど、どうしてあそこにいたのかってことどころか、自分が誰なのか、どこに住んでるのかっていうのも、全然覚えていないみたいで」

「記憶が……? 何も……?」

 ルーカスは繰り返した。深刻な顔でケイティがコクリと頷く。


 少女たちは、身寄りがない者はどこか奉公先を見つけるとして、基本的には親元に戻すつもりだった。だが、記憶がないということは、その場所が判らないということだ。

「じゃあ、帰す場所は……」

 ルーカスの呟きめいた問いに、ケイティが黙って首を振る。


 刹那ルーカスの胸中をよぎったのは、フィオナに対する憐れみでも、この先どうすればいいのかという困惑でもない。


 それは、喜びに、一番近かった。


 行き場がなければ、ここに留めておける。

 そんな卑怯で浅ましい気持ちが、ルーカスの中に湧いたのだ。


(違うだろう)

 彼は己を罵り、その利己的な願望を胸の奥底へと押しやった。そうして、取り繕うようにケイティに問いを投げかける。


「手掛かりは、何もないのかな」

「さっぱり。ただ、あの子、自分のことを言うとき、『わたくし』っていうんです。だから、きっと良いところのお嬢さんじゃないかと思うんですけど」

 つまり、どこかの貴族の令嬢か。

「だが、少なくともこのロンディウムの中では、誘拐事件や失踪事件の話は聞いていないぞ?」

 渋面でそう言ったのはブラッドだ。

「庶民の子どもがいなくなるのは看過されてしまうかもしれないが、流石に貴族の子どもがいなくなったら大騒ぎになるだろう」

「どこか、地方の領地でのことでは?」

 アシュクロフト家も治めている土地があるのは北方のノールス地方だ。金剛石の鉱脈があり、そのお陰で領地からはかなりの収入を得ている。だからこそ、こうやって警邏隊に属していることに対して奇異の眼差しを向けられるのだ。


 貴族の中には街での暮らしを好んで王都に常在している者もいるが、半数以上はそれぞれの領地を主な生活の場としている。特にフィオナくらいの年頃の娘はまだ社交界に出すには早いし、ここから遠く離れた場所で過ごしていたと考える方が妥当だ。


 ルーカスの台詞にブラッドは顎に拳を当てて眉根を寄せる。

「ああ、その可能性はあるな。確かめてみるか」

 言うなり机に向かい、彼は問い合わせるための手紙を書き始めた。ルーカスはそんなブラッドからケイティへと目を移す。

「だいたい知りたいことは聞かせてもらったよ。ありがとう、助かった。で、ずいぶん長いこと話を聞かせてもらったけれど、もう疲れてしまったかな」

「え、いえ。大丈夫です。何かご用ですか?」

 ケイティが小首をかしげてルーカスを見上げてきた。そんな仕草をすると、余計に仔猫めいて見える。


 ルーカスはわずかにためらい、続ける。

「フィオナと、少し話をしたいんだ。でも、私と二人きりでは怖がってしまうだろう? だから、君についていてもらいたくてね」

 ルーカスの頼みに、ケイティがパッと笑顔になる。

「いいですよ。どうせ、行こうと思ってましたし」

「ありがとう」

 ルーカスが微笑みかけると、ケイティからはひときわ明るい笑顔が返ってくる。と、何やら視線を感じてそれを辿ってみれば、やけに深々と眉間にしわを刻んだブラッドの眼差しが注がれていた。


「何か?」

「……いや、何も」


 何も、という顔ではないような気がするのだが、ルーカスが更に問い返すより先にブラッドはまた卓上に目を向けて手紙の続きを書き始めてしまった。


 まあいいか、と、ルーカスはケイティを促す。

「じゃあ、行こうか」

「はい」

「隊長、失礼します」

 出がけにブラッドに一声かけると、唸るような返事をよこされた。


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