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悩める子爵と無垢な花  作者: トウリン


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奪還

 クライブに導かれて立った両開きの扉のどちらにも、鍵穴はない。

 取っ手は動く。

 にも拘らず容易に開こうとしないということは、内側に何か細工が施されているということなのだろう。


 ルーカスはもう一度取っ手を握って力任せに扉を揺すってみたが、かろうじて向こう側の光が通るほどの隙間はできるものの、やはりそれ以上は開かない。

(取っ手に錠でもかけているのか?)

 彼は拳を固め、苛立ちと焦りを込めて扉を叩いた。

「フィオナ! フィオナ、中にいるのか!?」

 戸に額を押し付けるようにして呼ばわると、一瞬遅れて中から切に望んでいた声で返事が与えられる。

「ルーカスさん、います。わたくしは、ここに」

 取り敢えず、フィオナは声を発している。そうできる状態には、ある。

 ただそれだけで、ルーカスは脱力しそうなほどの安堵にみまわれた。

 だが、フィオナの声は、扉のすぐ近くから聞こえてきたという感じではない。つまり、拘束はされているということなのか。


「フィオナ、危ないから扉からは離れていてくれ」

 これからすることで彼女が傷つくことのないように、ルーカスは念のためにそう声をかけた。

「はい」

 フィオナの応えから三つほど数えて、ルーカスは扉から数歩後ずさる。そして、渾身の力で体当たりを食らわせた。

 一度、二度、三度。

 静かな廊下に激しい衝突音が響く度、わずかずつだが扉の隙間が広がっていく。


「代わりましょう」

 五度目の体当たりを終えた時、クライブがそう声をかけてきた。

「いや――」

 ルーカスが束の間動きを止めクライブの気遣いを断った、その時。


「何をしているの!?」

 甲高い声が、廊下を走った。

 振り返ると、二人ほどの使用人を従えた長身の女性が立っていた。

 美しい、とは言えない。顔立ちは悪くないが、繊細な女らしさに欠けている。女性受けする容貌をしたルーカスを見つめる眼差しにあるものも、甘さよりも知性の光だった。

 ルーカスは、この屋敷に来て一度だけ顔を合わせたその人の名を口にする。

「アランブール夫人」

 音に気付いた使用人にでも呼ばれたのだろう。向き直ったルーカスに、オーギュスト・アランブールの妻でありこの伯爵家の実質的な主人である女性は、再び糾問の声を上げる。

「何をしているのです?」

「お騒がせして申し訳ありません。私の連れが、この部屋に閉じ込められています」

 答えたルーカスに、アランブール夫人は眉根を寄せる。

「その部屋? その部屋に鍵はかからないわ。普通に開ければいいでしょう」

「そうしたいのはやまやまですが、内側から何かしているようで」

 答えながら、それを証明するように、ルーカスは取っ手をガチャガチャと鳴らして見せた。

「内側から……?」

「ええ」

 眉間にしわを寄せたままアランブール夫人が扉に近寄り、ルーカスに代わって取っ手を握る。やはり開こうとしないそれに、彼女の眼差しが険しくなる。

「よろしいですか?」

 ルーカスが声をかけると、アランブール夫人は無言で扉から離れた。


 再び彼女と立ち位置を入れ替え、あと一息というところまでぐらついた扉の中央を、ルーカスは力いっぱい蹴りつける。

 それが、決定打となったようだ。

 反動で跳ね返るほどの勢いで開け放たれた扉を追うように、ルーカスは中へ駆け込む。


 最初に目に入ったのは、部屋のほぼ中央にうずくまる男の姿。

 そして、その向こうに、両手を胸の前で握り合わせたフィオナが立っている。


「フィオナ!」

 駆け寄ったルーカスは、彼女のドレスの裾が男の手に握り締められているのに気付き、それを踏みつけた。

「グァッ」

 呻いて腕をひっこめた男の前から、フィオナを引っさらう。

「ルーカスさ――」

 フィオナが安堵に満ちた声で彼の名を口にするのを耳にしながら、彼女を抱き締めた。万感の思いを込めて。


 香り。温もり。柔らかさ。


 それらがルーカスの中を満たす。

『もしかしたら、二度と会えないのかもしれない』

 などとは、一瞬たりとも、頭の中をよぎりもしなかった。

 遠く引き離されようが、どこかの奥深くへ隠されようが、何としても捜し出していただろうから。

 だが、見失っていた間の強烈な喪失感はもう二度と味わいたくはない。


 ルーカスは小さく息をついてからフィオナを離し、その身に何も起きていないことをサッと確かめた。

「怪我は? 何もされていないな?」

「大丈夫、です」

 コクリと頷いたフィオナに、傷も、衣服の乱れもない。その目に浮かんでいるのは安堵の色だけで、怯えは欠片も認められなかった。

 ルーカスは深々と息をつき、フィオナを自分の背後に回して未だ床に丸まったままでいる男を見下ろす。


「あなた? そこで何をしてらっしゃるの?」

 ルーカスが問い詰めるより先に不信感に満ちた声で床の男に呼びかけたのは、彼に続いて部屋に入ってきたアランブール夫人だ。その声に、うずくまる男――オーギュスト・アランブールは、滑稽なほどの勢いで振り返った。

「お、お前――どうして、ここに……」

 目を見開き、しどろもどろにそう口ごもったアランブールに、夫人がツカツカと歩み寄る。鼻先から見下ろすようにして、彼女は繰り返した。

「私が、お訊きしているのです。あなた、何をしてらっしゃるの?」

「これは……」

 アランブールは助けを求めるように視線を彷徨わせる。だが、当然、彼にそんなものをくれてやる者はいない。


 己が孤立無援であることを悟ったアランブールは、ふら付きながら立ち上がった。

「ベアトリス……フィオナ……」

 アランブールが呟きながらフィオナに向けて片手を差し伸べ、足を踏み出す。ルーカスはそれを遮るように動き、彼の視界から彼女を完全に消し去った。

 アランブールの手が力なく落ちる。

「何で……何で、うまくいかないんだ……? 今度こそ、巧くいくはずだったのに……」

 彼のか細い囁きを、ルーカスは漏らさず聞き取った。


(やはりこの男、か)


『今度こそ』


 オーギュスト・アランブールは、確かにそう言ったのだ。『今度こそ』と。

 つまり、これが初めての企みではないということだ。


「アランブール夫人」

 ルーカスが呼びかけると、冷やかな眼差しを夫に注いでいた彼女がつと彼に目を移した。

「このフィオナ――ベアトリスの両親、トラントゥール夫妻を探してここに来させてもらえませんか?」

 その依頼にアランブール夫人はフィオナをチラリと見て、次いで使用人に目配せをする。

 それだけで、意図は伝わったようだ。彼女に付き従っていた二人のメイドは静かに一礼して去って行く。

 アランブールはいたずらをしたところを見つかった子どものようにビクついていて、今すぐここから逃げ出したいと顔中に書いていたが、ジッと見据える妻の視線でその場に縫い留められていた。


 彼のことは夫人に任せておけばいいだろう。

 ルーカスは、ようやくフィオナと向き合うことができる。


 彼は滑らかな頬にそっと触れて、アランブールに向けられたままだったフィオナの視線を自分に向けさせる。そうして彼女の青い瞳を覗き込んだ。

「フィオナ、すまない。独りにさせて。怖い思いをさせてしまった」

 フィオナは夢から醒めたように瞬きを一つして、申し訳なさそうにかぶりを振る。

「いいえ。わたくしこそごめんなさい。ルーカスさんの言いつけを守らなくて離れてしまって」

「いや、お母さんが呼びに来たのだから仕方がない」

 ルーカスは微笑みながらそう答えたが、その表情とは裏腹に、胸の内は怒りで滾っていた。


 そう、フィオナを呼びに来たのは母親なのだ。


(黒幕は、確かにこのオーギュスト・アランブールだ)

 だが、もう一人、糸を引いている者がいる。今回、そしておそらく前回も、その人物が関わっているはずだ。


 ルーカスはフィオナを見つめた。

 彼女を、どうしようか。

 これから始まることに、立ち会わせたくない。いずれはフィオナも知らなければならないことではあるが、今、目の前で、でなくてもいいはずだ。全てを明らかにした後、多少の事実に覆いをかけるなりして伝えるという方法もある。

 ルーカスは彼らしくもなくためらいがちに口を開く。

「フィオナ。私がこれからしようとしていることは、あまり君にとって楽しいことにはならない」

 切り出したはいいが、そこから先をどう伝えたら良いのか決めかねる。


 言葉を探して舌を止めたルーカスを、フィオナは静かな眼差しで見返してきた。

「ルーカスさん。わたくしは、大丈夫です」

「え?」

「大丈夫です。多分、わたくしは解っています」

「……フィオナ?」

 ルーカスは眉をひそめた。そして、悟る。


 フィオナは、気付いてしまったのだ。


「そうか。だが、この場にいなくてもいいんだよ?」

 気遣うルーカスに、しかし、彼女はかぶりを振る。

「いいえ、います。いさせてください」

 凛と通る声でそう告げたフィオナの背筋は、真っ直ぐに伸びていた。眼差しにも揺らぎがない。


 かつて、真綿にすっぽりと包み込んででも守ってやらなければならないとルーカスに思わせたか弱い少女は、もうここにはいなかった。今ここにいるのは、覆いも支えも必要としていない、独りでも立っていられる強さを持った女性だった。

 ルーカスはフィオナを見つめた。

 彼女は彼を見返し、花が開くように微笑む。


 可憐な愛らしさは変わらない。

 そこに、いつの間に、こんなにもしなやかな強さが育っていたのだろう。


 ルーカスは、彼女のことを誇らしく思う。そして、愛おしく。


「わかった」

 笑みを浮かべ、ルーカスは頷いた。


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