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悩める子爵と無垢な花  作者: トウリン


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彼女の変化と生まれた炎

 フィオナの為のリンゴ水を手にしたルーカスは、彼女の元へ戻るべく人波を掻き分けるようにして足を速める。エミールは目と鼻の先にあるようなことを言っていたが、人の多さもあって、思ったよりも時間がかかってしまった。

 確かに、フィオナに飲み物を与えずに過ごしていたことはルーカスの手落ちだ。傍を離れられなかったという理由があったにしろ、彼女を快適にしておくことは彼の為すべきことのうちの一つではある。


 しかし――


(フィオナから引き離すための方便じゃないだろうな)

 ついつい、エミールの行動についてそんなふうに勘ぐってしまう。

 彼女には重々言い置いてきたから、エミールがここから連れ出そうとしても抗うはず。この人混みで騒ぎを起こせば、すぐに気付くだろう。

 そう思ったからフィオナをエミールと二人きりにしてきたが、やはり気が気ではない。

 加えて、この場はアランブールの領域とくる。

 エミールもアランブールも、薄いとはいえどちらもフィオナを狙う者としてルーカスが疑いを抱いている相手だった。本当なら、瞬きをする間ですら、目を離したくはないというのに。


 今日も、クライブはこの会場に潜り込んでくれている。だからフィオナの身の安全は担保されているはずだが、理性と感情は別というものだ。そもそも、たとえフィオナが安全な場所にいてルーカスの前で微笑んでくれていたとしても、彼の中から彼女のことを案じる気持ちが完全に消え去ることはないのだろう。


 ルーカスの中には、常に、フィオナの安全や幸福を願う気持ちがある。彼女が幸せそうにしていたとしても、更に大きな幸せを与えるにはどうしたら良いのかに、思いを巡らせてしまう。

 フィオナを想うルーカスの気持ちは膨らむ一方で、際限がないのだ。

 じゃあ、自分よりもフィオナを幸せにしてくれるかもしれない者が現れたら素直に引き渡せるのかと問われれば――それは、ない。

 通りすがりに艶やかに誘いをかけてくる女性を笑顔でいなしながら、ルーカスは急ぐ。


 色眼鏡をかけずに見れば、エミール・ラクロワという男はできた人物だと思う。さして接触を持ったわけではないが、フィオナに馴れ馴れしくし過ぎであることを除けば、不快な人間ではない。

 ルーカスの頭の中に、もしかしてフィオナの変化は彼のせいでもあるのだろうかという疑念が、ほんの一瞬、閃いた。

 先ほどエミールが現れた時のフィオナの反応を、ルーカスは思い返す。

 フィオナはすっかりエミール・ラクロワに打ち解けているようだ。実際、彼を見た時の彼女の顔の輝きは、単なる知り合いに出会ったというには、少しばかり、強過ぎはしなかったか。


 ここ数日、フィオナの中で何かが変わったと、ルーカスは感じていた。

 彼女との間に現れた、見えない壁。それは、まだ健在だ。以前と同じように接してくるようでいて、どこか、よそよそしい。

 それに、フランジナへ来て家族に会ってからフィオナの中にあった揺らぎ。家族たちの一挙手一投足にビクついて、今にもクシャリと潰されてしまいそうだった弱々しさが、その壁が築かれると同時に、消えた気がする。


(フィオナの中で、何があったんだ?)

 かつての、グランスにいた頃のフィオナが持っていたしなやかな強さが戻ってきたような、そんな気がルーカスはしていた。

 それ自体は歓迎すべき変化なのだが、問題はその理由だ。

 どうして、突然フィオナは変わったのか。

 そう首をかしげていた矢先の、エミールに対するフィオナの態度。

 あのフィオナの反応を目にしたことで、くすぶっていたルーカスの疑問の中に、チロリと赤い火が生まれた。


 エミール・ラクロワはいい男だ。


 では、エミールが黒幕ではないことが判明し、フィオナと彼が互いに想い合っているとすれば、すんなりと自分は引き下がれるか?

 答えは、すぐに出る。

 そんなことができるはずがない。


 フィオナを他の者に渡したくはないという気持ちは、とうにあった。しかし、こうやってその存在が明確な形を持って目の前に現れると、相手のことを引き裂いてバラバラにしてやりたくなるものだとは思わなかった。

(これが、嫉妬というものなのか?)

 そう、なのかもしれない。

 こんなふうにジリジリと胸を焦がされるような心持になるのは、初めてのことだった。


 表面的にはにこやかに、内面的にはむっつりと考えこみながらルーカスが人の波を縫ううち、ややして、他の者よりも頭半分ほど高い位置にある豪奢な金髪がちらちらと見え隠れするようになってきた。

 が、近づくにつれ、ルーカスの胸に嫌な予感が込み上げてくる。

 フィオナが、見えない。

 だが、彼女がそこにいないわけがないのだ。あの場所から動かないことをあれほど約束させたのだから。


 エミールはルーカスに背を向けている――フィオナの姿を確認できないのは、きっとそのせいだ。華奢な彼女は、彼の陰に入ってしまっているだけなのだ。

 ルーカスは、自分自身にそう言い聞かせたが、じきに現実を思い知る。


「フィオナはどこだ!?」

 前置きのないその台詞に、エミールがパッと振り返る。ルーカスを認めて浮かべた笑みは、屈託がない。

「やっと戻ってきたか。結構時間がかかったね。ああ、それ、無駄になってしまったな」

「フィオナは? 何故彼女がここに居ない?」

 のほほんとした物言いを荒々しく遮ると、エミールは笑顔を苦笑に変えた。

「本当に、君は彼女のことで頭の中がいっぱいなんだな。フィオナ嬢なら、トラントゥール夫人が連れに来たよ」

「母親が……?」

「そんなに怖い顔をすることはないだろう」

 呆れた顔つきになったエミールに、ルーカスは舌打ちで答えた。思い切り罵ってやりたかったが、事情を知らない彼にそうするわけにもいかず。


 ルーカスは手にしていたリンゴ水のグラスをエミールに押し付ける。

「彼女たちはどの扉から出た?」

「え? ああ、西のあれかな」

 言いながら振り返り、いくつかある扉のうちの一つを指さした。ルーカスはすぐさまそちらに向かうべく身を翻す。

「おいおい、母君ならこれ以上はないというほどのお目付け役になるだろう? そんなに慌てなくても」

 切迫した気持ちを隠そうともしないルーカスを、エミールが引き留めた。肩越しに振り返れば、怪訝そうな眼差しを向けてくる。

「あの女は、フィオナを守らない」

「え?」

 エミールは、心底からルーカスの台詞をいぶかしんでいるようだった。


 この男は、四年前のことに関与していないのだ。


 閃くように、ルーカスはそう悟った。このエミール・ラクロワという男は、無害だ、と。

 となると、いっそう消えたフィオナのことが案じられる。

 眉をひそめているエミールを置いて、ルーカスはフィオナを追って扉を目指した。


 廊下に出て扉を閉ざすと広間の喧騒は途端に遠いものとなった。

 右の通路と、左の通路。

 玄関に向かうなら右、屋敷の奥に向かうなら左、だ。

 アデライドはフィオナを連れて外に出たのだろうか。

(いや、違うな)

 直感で、フィオナはこの屋敷――アランブール伯爵の屋敷の中に、いるのだと思った。だとすれば、左の通路だ。

 すぐ近くに居るはずがないとは思いつつ、他に手はなくルーカスは目に入った扉を片っ端から開けていく。

 だが、五枚、十枚と扉を開け閉めしても、一向にフィオナの姿は見つからない。


(くそ、どこに連れ込まれたんだ?)

 もしかしたら、屋敷の外に出たのかもしれない。

 焦るルーカスの中にそんな疑念も湧く。

 しかし、この広大なアランブール家の数多ある部屋の内、ほんの一部しか検めていないことも確かだ。第一、部屋があるのはこの階だけではない。


 手掛かりが、欲しい。むやみやたらと駆け回るだけでは、間に合わない。

 奥歯を食いしばりルーカスが切実にそう願ったその時、ヒュイ、と、鳥の囀りのような音が彼の耳を刺した。


(この音は――)

 以前、暴漢の襲撃を報せてくれた音、だ。

 ルーカスは首を巡らせてその源を探す。


 果たして、そこには。


 望んだ姿――柱の陰に、佇むクライブの姿があった。


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