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悩める子爵と無垢な花  作者: トウリン


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27/59

贅沢よりも、何よりも

 父エドモンの友人が主催するという舞踏会の会場に着くと、父と兄はすぐに人込みの中に紛れ込んでいった。二人とも、妻や妹たちのことなど、まるで気にしていない様子だ。

 一方、コンスタンスの方も彼らをチラリと見ることもなくルーカスの肘に腕を絡ませ、フィオナに微笑みかけてくる。

「彼のことはわたくしに任せて、あなたは舞踏会を楽しんで?」

 優しげにそう言われ、フィオナはルーカスを見上げた。こんな、見知らぬ人ばかりが溢れる中で一人にされるなんて、不安でたまらない。けれど、その気持ちを彼女が口に出すより先に、アデライドがコンスタンスを後押ししてしまう。

「そうね、この子はわたくしが皆様に紹介するから、好きにしていらっしゃい。ルーカス様、コンスタンスをお願いします」

「ありがとう、お母様。まいりましょう、ルーカス様」

 艶やかに笑い、コンスタンスはフィオナに一瞥を流して行ってしまった。ルーカスも同じで、困ったような苦笑を肩越しにフィオナにくれたけれども、特に抗うことなく彼女と共に離れていく。


 二人きりになると、途端にアデライドの顔が冷やかになった。

「先に言っておくけれど、あなたが戻っていると噂になっているのよ」

「わたくしが? ……噂に……?」

「ええ。まったく、使用人の口が軽くて困るわ。いい? あなたは四年前に流行り病に罹って療養していたことになっているわ。その時の高熱のせいで記憶もなくしてしまったことになっているから、余計なことを言う必要はないわ。あなたは、ただ笑っていればいいの」

「はい……」

 頷いたフィオナにアデライドは鼻の上にしわを寄せた。

「まったく、厄介なこと」

 扇子の陰での呟きは小さいものだったけれども、喧騒を擦り抜けてフィオナに届くには充分な大きさを持っていた。

 視線を落としたフィオナから、アデライドが離れていく。見失いそうになって小走りで追いかけると、彼女は道端の小石に向けるような一瞥を投げてよこした。


 玄関広間も人が溢れ返っていたけれど、舞踏室はそれ以上の賑わいだった。

 慣れた足取りで右に左に笑みを振りまきながら優雅に人込みの中を擦り抜けていくアデライドを、フィオナは懸命に追う。

 そんなふうに母に従って人の波の中を泳いでいると、さほど経たずして、アデライドを呼び留める声がかけられた。


「トラントゥール夫人、ご機嫌いかが? あら、そちらは……?」

 声の主はアデライドに負けず劣らず豪華な衣装に身を包んだ妙齢の婦人だ。彼女は扇子を顎に当てながら首を傾げる。もの問いたげな視線をフィオナに注ぎながら。

「あら、ジベール様、この子はわたくしの二番目の娘、ベア――フィオナ、ですの」

 艶やかに微笑みながら、アデライドはフィオナを夫人に紹介した。彼女のその台詞に、フィオナは目をしばたたかせる。

 再会してから、母がフィオナの名を口にするのはこれが初めてかもしれない。それに、元の名であるベアトリスをフィオナと言い換えてくれたのは、少なくとも、彼女が言ったことを記憶には留めていてくれた証拠だ。

 些細なことかもしれないけれど、フィオナはそれが嬉しく、アデライドがジベールと呼んだ女性に腰を屈めて礼をする。


「初めまして、ジベール夫人。わたくしはフィオナと申します」

 顔を上げ、背筋を伸ばして微笑むと、夫人は好意的な笑みを返してくれる。

「あらあら、随分と可愛らしいお嬢さんね。確か、ご病気でいらしたのよね?」

「ええ、流行り病で熱にやられまして。可哀想に、小さい頃のことは忘れてしまいましたの」

「それはお気の毒に。もうお身体はよろしいの?」

 眉をひそめてジベール夫人がフィオナに問いかけてきた。アデライドにチラリと目を遣ると、彼女は許可を出すように小さく頷いた。

「はい」

 それ以上は何を言ったらいいのか判らず、フィオナはその一言に留めておく。けれどフィオナの体調に対する夫人の関心はそこまでだったらしく、彼女はクルリと皮を脱ぎ捨てるように笑顔になった。

「今度うちでもお茶会を開くから、是非来てちょうだいね」

 また返事に窮してフィオナがアデライドに目を走らせると、彼女はジベール夫人に満面の笑みを向けた。

「ありがとうございます。コンスタンスと一緒にお伺いさせていただきますわ」

 アデライドの返事に満足そうに頷いて、ジベール夫人は去って行く。

「それでいいわ」

 フィオナだけに届く声で、アデライドが囁いた。と、間を置かず、今度は若い女性を連れた男性が近寄ってくる。


 それからは、ひっきりなしに様々な年齢の男性、女性が入れ代わり立ち代わりフィオナたちの元を訪れた。

 田舎で療養をしていたということになっているフィオナに次から次へと色々な人が声をかけてきたけれど、彼らの眼に浮かんでいるものが、彼女の身体への気遣いよりも好奇心の方が色濃いように思えたのは、うがちすぎだろうか。


 フィオナが四年の間病んでいたのだと聞かされたら、警邏隊の人たちならばどう反応するだろう。

 かろうじて笑顔と呼べるはずのものを浮かべて訪う人たちの言葉に頷きながら、フィオナはどうしてもそんなことを考えてしまう。


 この場にいる者は皆、仕立ての良い服を着て、煌びやかな場の空気を当たり前のように吸っている。彼らにとっては贅を尽くしたこの生活が、日常なのだ。

 フィオナも、確かに自分はかつてこういう生活をしていたのだと思う。人の世話をするのではなく、人に世話をされる生活を。

 もしかしたら考え方や楽しみ方すら、彼らと同じようなものだったかもしれない。


(でも……)


 今は、警邏隊が恋しい。

 ここで誰かが作ってくれた高級な食材を口に運んでいるよりも、隊員たちの為に食事を作っている方が遥かにいい。どんな贅沢よりも、彼らの「ありがとう」「ご苦労様」の一言の方が、フィオナには遥かに嬉しく思えた。


 そんなことを考えてフィオナが小さくため息をついた時、穏やかな声がかけられる。


「ようこそ、アデライド」

「まあ、アランブール様! 今晩はお招きいただきありがとうございます!」

 振り返ったアデライドが、ひと際華やかな声を上げてその人物を迎え入れた。彼女は笑顔のままフィオナを振り返る。

「こちら、オーギュスト・アランブール様。アランブール伯爵よ。お父さまのお友達で、この会を開かれた方なの」

 アランブール伯爵はフィオナに目を移し、微笑んだ。

 優しそうな人だけれども、父の友人にしては若そうに見える。少なくとも、十は年下、四十歳そこそこだろう。茶色の髪、茶色の眼をした、声の通り穏やかそうな方だ。


「やあ、ベアトリス。君がまだ小さかった頃に会ったことがあるのだけど、覚えているかな?」

 彼が浮かべているのは、それまでフィオナに声をかけてきた人たちのものとは違う、温かな笑みだ。

 けれど、やはり彼女の記憶には残っていない。

「申し訳ありません」

 うつむき小さくかぶりを振ったフィオナに被せるようにして、アデライドが言う。

「すみません、アランブール様。この子はあまりに高い熱が続いたので、少し頭に影響が出てしまって。あら、あちらにいらっしゃるのは……アランブール様、少しの間この子をお任せしてもよろしいでしょうか。ちょっと挨拶をしてきたい方がお見えになったのですけれど、不慣れなこの子を一人にはさせておけなくて」

「ああ、構わないよ。行っておいで」

 柔和な口調でアランブール伯爵がそう言うと、アデライドは大仰に感謝の気持ちを表しつつ、人混みに消えていった。


 母の隣で居心地が良かったわけではないけれど、まったく知らない――記憶にない人と二人きりなのは、なお落ち着かない。

 ルーカスが、傍に居てくれたらいいのに。

 フィオナは心の底からそう思ったけれども、彼が今共にいるのはコンスタンスだ。

 思わず小さな吐息をこぼしたフィオナに、アランブール伯爵が頭を傾けて彼女を見つめてくる。

「疲れてしまったかな?」

 労りに満ちた声を掛けられて、彼女は自分が失礼な態度を取っていたことに気付く。

「申し訳ありません!」

 パッと顔を上げて謝ると、アランブール伯爵はかぶりを振った。

「謝ることはないよ。それより、病み上がりで疲れているのではないのかい?」

 アランブール伯爵は、本気でフィオナのことを案じてくれている。それが伝わってきた。

 フランジナへ来てから、ルーカス以外に彼女を気遣ってくれたのは彼が初めてだ。

「何なら私から母上に伝えようか? 彼女がまだここに残りたいようなら私が送ってあげよう。すぐに馬車を用意させるよ」

 背に温かな手を添えられ、優しい声音でそう言われ、フィオナは我に返る。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 久しぶりに浮かべる心からの笑みと共にそう答えると、アランブール伯爵も温もりに満ちた微笑みを返してくれた。


 と、そこへ。


「フィオナ?」

 望んでいた声で名を呼ばれ、ピクンと彼女の背筋が伸びる。

 ふわりと髪が浮く勢いで振り返ると、そこに、彼がいた。

「ルーカスさん」

 その姿を認めた瞬間、自然と顔が綻びてしまうのが判る。と、アランブール伯爵に背を向けたフィオナに、忍び笑いが届いた。


「あ、も、申し訳ありません」

 礼を失したことにフィオナは慌てて謝罪の言葉を口にしたけれど、アランブール伯爵は穏やかにかぶりを振る。

「彼は知り合いなんだね。じゃあ、私は行くよ。また逢えて良かった」

 そう言って、もう一度優しく微笑むと、彼は背を向け離れていった。


 入れ替わりでフィオナの前に立ったルーカスが、人波に消えていくアランブール伯爵の背中を見つめながら問うてくる。

「今の方は?」

「父のご友人だと、母が」

「君と二人きりにしていったのかい?」

「はい」

 コクリと頷いたフィオナに、ルーカスの眉根が寄る。

「優しい、いい方、でした」

 彼が、真剣な、よりももう少し険しい顔をしているから、フィオナはおずおずとそう伝えてみた。けれど、ルーカスにはあまり功を奏さなかったようだ。


「優しい、ね」

 ルーカスはフィオナの言葉を繰り返し、それからもう少しだけアランブール伯爵の背中を見送ってから、彼女に眼を移してきた。


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