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悩める子爵と無垢な花  作者: トウリン


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厄介な毒葛

(何なのだ、あのドレスは)

 声に出さずにルーカスがそう罵ったのは、これで何度目になるだろう。

 舞踏会の会場に着くなり彼の腕にしがみついて一瞬たりとも離そうとしないコンスタンスに穏やかな笑みを向けてはいたが、ルーカスの心中は穏やかという言葉とはかけ離れたものだった。


 コンスタンスは、ここに来てから一度もその舌を止めていないのではと思うほど始終喋り通しだ。もしかしたらフィオナについての情報が交っているかもしれないと、ルーカスも一応一度は脳に入れてはいるものの、要らないものはさっさと消し去っていく。

 正直、蔦さながらに絡みついてくるコンスタンスは鬱陶しくてならないが、波風を立てるわけにはいかないから相手をせざるを得ない。

 微笑みと、適度な相槌。

 その二つでコンスタンスをいなしつつ、ルーカスの意識は、彼らから五歩分ほど離れた場所にいるフィオナへと注がれていた。彼女は、次から次へとやってくる老若男女にいちいち丁寧に応対している。


 記憶の上では、フィオナはこういった場は初めてのはずだが、存外うまくやれているようだ。初めて社交界に顔を出したトラントゥール家の次女に興味津々で近づいていく者たちは、いくつか彼女と言葉を交わした後、皆、好意的な笑みを浮かべて去って行く。

(まあ、当然だな)

 フィオナにも言い含めたが、控えめで優しい彼女は本来どうしたって嫌いようのない人柄なのだ。フィオナ自身はうまくやれるのかと不安を抱いていたようだったが、ルーカスはまったく案じていなかった。

 そんなはなから心配する要素などないフィオナの社交能力よりも目下最大の問題は、彼女のあの衣装だ。


 トラントゥール家の広間で階段の上に立つフィオナを一目見た瞬間、ルーカスは駆け寄って頭の上からすっぽりと彼の上着を被せてやりたい衝動に駆られた。

 一から十まで気に入らないが――気に入る要素は何一つとして見当たらないが、まず、何より、フィオナがまとったそのドレスは胸が開き過ぎていた。豊満とは言えない彼女のささやかな胸の谷間が他の男どもの好色な眼に晒されているのは業腹だ。

 肩も、露出し過ぎだ。まさに透けるように白くすんなりとした首から肩にかけての曲線は、陶磁器の人形を思わせる。繊細な鎖骨は触れただけでも折れてしまいそうだが、不躾にも、数人に一人は彼女の肩に馴れ馴れしく手を置いていく。それを目にするたび、ルーカスは相手の腕を叩き折ってやりたくなった。

 それに、色もフィオナには合っていない。あんな品のない真紅など、彼女にはそぐわない。


(まったく、誰があんなものを選んだんだ?)

 フィオナではないことは確かなので、アデライドかコンスタンスなのだろう。わざと彼女に似合わない意匠にして、嘲笑おうとでもしたのか。

 しかし、彼女達がそう目論んだとしても、もちろん、そんなことになるはずがない。

 フィオナの超越した美しさは、身にまとう布切れごときで損なわれるものではないのだから。

 だが、ルーカスであれば、もっと彼女の楚々とした可憐な愛らしさを際立たせるようなものを選んでいただろう。


 彼は内心で舌打ちをした。

(ドレスを用意しておけば良かったな)

 自分であれば、そう、選ぶとしたら色は淡い水色だ。胸元も肩もあんなに露出させない。そうする必要などないのだ。装飾品も、銀に碧玉をあしらった繊細なものがいい。

 ドレスの意匠はすっきりとしたものの方が、フィオナのたおやかさが際立つだろう。あるいは、薄いレースを幾重にも重ねたものもいいかもしれない。

 脳裏に浮かんだ華美ではないが典雅なドレスを身にまとうフィオナは、今の彼女よりも遥かに美しかった――このフランジナの社交界には投じたくないと思うほどに。いや、グランスでも、か。

 まずは、自分と彼女をつなぐ鎖を付けてしまわなければ。

(グランスに帰ったら、さっさと求婚して式を挙げてしまおう)

 フィオナをあちらこちらに連れ回して人目に触れさせるのは、その後だ。


 夢想を広げるうちに、ルーカスはついコンスタンスの存在を忘れ去っていた。不意に腕を引かれて、現実に立ち返る。

「ねぇ、ルーカスさま? 聞いていらっしゃいますか?」

 鼻にかかった甘ったるい声で言いながら、コンスタンスが上目遣いで睨み上げてきた。抱え込んでいる彼の腕を自身の胸の谷間に押し込むのを忘れずに。


 やれやれだ。


 ルーカスの頭の中は九割方フィオナのことで満たされていたが、残りの一割は会場の様子など、彼女以外のことに割かれていた。その一割の内微々たる部分で受けて止めていたコンスタンスの話の内容を思い起こしつつ、彼はニッコリと笑いかける。確か、流行の帽子がどうとか言っていたはず。

「そうですね、華やかなあなたには羽根飾りがついたものがお似合いだと思いますよ」

 笑みを浮かべながらの彼の返事に満足したのか、コンスタンスがパッと顔を輝かせる。

「ルーカスさまもそう思われますか? 実は、最近、お店にわたくしに似合いそうなものを見つけたんですの。今度、一緒に行っていただけません?」

 一緒に行って、金はルーカスに払わせようという算段なのだろう。

 金を払うだけならどうでもいいが、フィオナを放り出してくだらない買い物に付き合うなど、ごめんだ。


 ルーカスは困ったような笑みを浮かべて、答える。

「すみません。私はフィオナ嬢のお目付け役のようなものですから、彼女の傍をあまり離れることはできないのですよ。仕事ですからね」

 いかにも残念そうな顔をしてみせれば、コンスタンスは拗ねたように唇を尖らせた。

「まあ……でも、少しぐらいなら構わないのでは?」

 おもねる声音で食らい付いてくる彼女に、ルーカスはかぶりを振った。

「私に、楽しみよりも職務を優先させてやってください」

「もう、頭が固いのね。でも、そういうところも素敵だわ」

 そう言って、コンスタンスはやけに重そうな睫毛を二、三度しばたたかせた。


 こういう手合いは、警邏隊に入るまでは社交界で散々相手にしてきた。あの頃は遊び感覚で相手をし、それなりに楽しんではいたが、飽きてしまえばはっきり言って面倒臭いだけだ。

 かといって、面倒だからとうっかり対応を間違えると、厄介なことになる。

 この場合は、フィオナだ。

 彼の前では『良い姉』の態を取ろうとしているが、それに騙されるほど彼は経験不足ではない。むしろ、たっぷりと積んできた方だ。

 ルーカスがフィオナといれば割り込んできて引き離そうとし、コンスタンスと二人きりになれば妹の至らなさを吹き込もうとしてくる。

 さりげなさを装ってはいるが、ルーカスにはコンスタンスの魂胆が丸見えだった。

 だが、ルーカスがコンスタンスに対してすげなくすれば、まず間違いなく八つ当たりがフィオナに降り注ぐだろう。


 今も、そうだ。


 この人混みの中、本当ならフィオナに貼り付いていたいのだが、それにはまずコンスタンスをどうにかしなければ。


 ルーカスはコンスタンスに最上級の――ように見える――笑みを与える。

「ああ、ほら、あなたと踊りたがっている紳士がいるようですよ?」

 折よく、たまたまこちらを見ていた青年と目が合った。彼の方もルーカスの隣にいるコンスタンスに気を引かれたのか、こちらに向かってくる。いかにも金をかけていそうな衣装で身を固めているその青年にチラチラと視線を投げながら、コンスタンスが問うてくる。多分、その頭の中では、金に換算したルーカスの衣装と青年の衣装を天秤にかけているのだろう。

「あなたは踊ってくださらないの?」

「私はあまり得意ではないので、あなたに恥をかかせてしまいますよ」

「もう」

 コンスタンスは拗ねたように睨みつけてきた。しかし、フィオナに対して毒を吐く唇で甘えられても、吐き気が込み上げてくるばかりなのだが。


「私に構わず楽しんできてください」

 微笑みと共に、期待通りコンスタンスにダンスを申し込んでくれた青年に彼女を引き渡す。


 二人が人込みの中に完全に消えていくのを待ってから、ルーカスは足早にフィオナのもとに向かった。


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